第十二話 「敵前逃亡は軍法会議ものだぞ!」



 レオが再び基地を訪れることになったのは翌日の早朝になってからだった。


 昨日は結局徹夜明けの中、寮母の監視のもと一日中反省文を書く羽目になってしまい、あまりの疲労感からレオは夕方にはもうすっかり眠りについてしまっていたのだった。


 よく寝てスッキリ爽快! そんな目覚めになるはずであった朝。


「ななな、なんなんですかぁ! あなたは!」


 マコの悲鳴に近い叫び声で目覚めたレオは何事かと起き上がり、部屋の入り口で繰り広げられている騒動に気が付く。


 マコは基本的に早起きだ。主の身支度を手伝うため、レオの起床一時間前には必ず起きて自分の準備を全て済ませる。その早々と起きていたマコが早朝の来訪者に応対し、何らかのトラブルを招いているようだった。


 ドアの向こうでマコとやり取りを交わしているのはショートボブの鋭い目つきをした知らない女子生徒である。


「失礼する」


 すでに制服に身を包んで登校の準備を万端に整えているショートボブの彼女はそう言ってレオたちの部屋へ侵入を試みてきた。


「だから勝手に入らないでください! 本当に失礼ですね! やめてください! ムカつくんじゃ!」


「だが私は獅子谷レオに用があるのだ。仕方のないことだ……」


 噛みあわない会話をする二人。無理やり押し入ろうとする女子生徒をマコは巧みなブロッキングで阻む。


「レオはまだ寝ているんです! こんな朝早くに人の部屋に来て迷惑だとか考えないんですか!? 非常識ですよ!」

「マコ、お客さんなの?」


 このままでは埒が明かないと思ったレオはベッドの上から声をかける。


「不法侵入者です!」


 ガルルル……と唸り声でも発しそうな警戒心に満ち溢れた表情でマコが答えた。


「『適合実例体第四号』獅子谷レオだな。隊長からの指示でお前を迎えに来た。私と一緒に来い」


 マコによる防御を掻い潜ってドアの隙間から顔を覗かせた少女は不遜に言い放つ。

隊長、ということはデウス対策本部の人間なのか? レオはマコに下がるように言い、彼女に歩み寄る。


「四号……? あなたは……?」

「私は高等部二年の諸星七緒だ」


 諸星七緒は名乗ると、レオの耳元でマコに届かないよう声のトーンを下げ、


「今すぐ出撃だ。他県でデウスの群れが出現する。討伐に向かうから早く準備しろ」


 その言葉でレオは彼女が何者かを完全に悟る。


「マコ、ごめん。ちょっと行ってくる」

「そんな! 学校はどうするんですか!? 朝ご飯は!?」


 通学路のアスファルト舗装はぐちゃぐちゃなままだが、さすがに二日続けて休校にするわけにもいかないので登下校時に誘導員を配備することで安全配慮を施し、本日から授業は再開される予定だった。


「食事なら私の兵糧丸を分け与えよう。手早く済ませられ、栄養価も高い」

「あなたには訊いてませんッ!」


 七緒によってもたらされた論点のずれた提案を、マコは一喝して一蹴した。




 猛るマコをなんとか宥めて納得させ、基地へ繋がるエレベーターに乗ったレオは隣に佇んでいる凛とした七緒の横顔を仰ぎ見る。


 寮の部屋に彼女が訪れた時は初対面かと思ったが、よく見ればどこかで見たような気がする。


 同じ学校だから廊下や寮ですれ違ったことくらいはあるのかもしれないが、そういうニアミス的な類ではなく、もっとしっかりとした、衝撃的な出会い方をしているような気がするのだ。


 ……さて、どこだったろうか。


「諸星先輩、さっき言っていた四号ってどういう意味なんですか?」


 レオは間を持たせる意味合いも含め、マコの前では訊ねられなかった疑問をぶつけてみた。


「適合実例体第四号。この号数は適合者の適合した順番を示す数だ。最初に適合した私は一号、四号の君は四番目ということになる」


「あれ? でも適合者はわたしの他には二人しかいないって聞いてたんですけど」


「三人目は死んだんだよ、四年前にな」


「……あ、えっと。す、すいません」


 空気を軽くするつもりが逆に重たくさせてしまい、本命の質問がしにくくなってしまった。レオには七緒にどうしても訊いてみたいことがあったのだ。


 適合者が他に二人しかいないというのなら、四年前のレオを救ってくれたあの人物は一体どちらなのだろうか。


 それともすでに死亡しているという三人目なのだろうか。その真相をレオはどうしても聞きただしたかった。


(だけど、この雰囲気じゃ絶対に訊けるわけないよ~)


 ムスッと黙り込んでいる七緒は心なしか不機嫌にも見える。そんな彼女に仲間の死を思い起こさせるかもしれない質問などできるわけもない。


 エレベーターが止まり、地下にある基地に到着する。


「今回は緊急出撃だから直接ハンガーへ向かう。……まあ、我々の戦闘は大抵唐突なのだがな」


「ハンガーってなんですか?」


 洋服を引っ掛けるアレでないということだけはわかるのだが。専門の用語を持ち出されてもレオにはさっぱり理解できないのだった。


「……戦闘機や輸送機が保管されている格納庫のことだ」

「なるほどー」


 レオが大仰に頷くと、七緒は「ふん……」とつまらなそうに顔を背け、早足で先に歩きだしてしまった。


 もしかして彼女の気分を害すような対応をとってしまったのだろうか。気難しそうな七緒と、はたして自分は上手くやって行けるのか。


 レオは一抹の不安を覚えるのだった。




 輸送機に乗って現地に赴いたレオたちは、デウスの現在いるポイントまでバイクを用いて移動していた。


 鎧装表皮を持たない一般兵士のパイロットにとってデウスは近づくだけでも有害であり、また不用意な接近は撃ち落とされる危険もあるため輸送機で送り届けられるのは一定の距離までとなる。


 そのため最後の微細な間合いを詰めるのは適合者自らの足で向かうことになっているらしい。


 免許を持っていないレオは七緒の運転するバイクのサイドカーに乗り込んで随伴していた。


 当地の警官や自衛官の迅速な対応によって市民の避難は終わっているため、街中に人影は皆無。そんな人気のない町はどこからか聞こえるデウスの呻き声が時折響くだけの嫌な静けさに包まれていて、さながらゴーストタウンのようであった。


『聞こえるか? 七緒君、レオ君』


 バイクに取り付けられた無線から指令室にいる大鳳の声が届く。


「こちら諸星。対策本部へ。異常なし。四号とともに最短ルートでデウスの討伐に向かいます」


『了解だ。頼んだぞ、七緒君』


 大鳳は一拍おいて、


『……レオ君、基地の案内すらまだなのにいきなり出撃になってしまって申し訳ない。私の判断ミスだ。だが七緒君についていけば間違いはないはずだ。彼女の指示を仰いだ上で君の正義を貫いてきてほしい』


 慌ただしくなってしまったことへの謝罪と実質的な初陣へ向かうレオへのエール。


「はい、師匠!」


 レオはその大鳳の言葉に身を乗り出してハキハキと返事をした。


「師匠……?」


 七緒は訝しげに呟くも数秒ほど逡巡し、


「また弟子を取ったのか……隊長は手が早いな」


 誤解を生みそうな発言をして、一人勝手に納得したようだった。




「まもなく敵の集団と接触、交戦に入る。心の準備とスケイルギアを発動する用意をしておけ」


「は、はい!」


 デウスが暴れ回った後なのだろう。


 街中ではいくつもの建物が倒壊していて、ところどころで煙が立ち上っている。地面にもひび割れが生じていて走行中に何度も揺れを感じた。


 酷い有り様だ。デウスの侵攻以前と変わらぬ生活水準を保っている安全区域では考えられない光景だった。


 レオは流れるフィルムに目を通すように現実の惨状を眺めながら、ふと視界に一瞬だけ映り込んだものを見て声を上げる。


「待ってください! 諸星先輩、止まって下さい! すぐに!」


 腕を突いて切羽詰まりながら七緒に訴えかけた。


「どうした? 運転中に危ないじゃないか」


 七緒はレオの尋常ならざる雰囲気を感じ取ったのかブレーキをかけてバイクを一時停止させる。車体が止まるとレオは被っていたヘルメットを脱ぎ捨ててサイドカーを降り、来た道を逆走し始めた。


「待てッ! どこへ行くつもりだ! 怖気づいたのか!? 敵前逃亡は軍法会議ものだぞ!」


 後ろから七緒の怒鳴り声が響く。


「人が見えたんです! 瓦礫に挟まって、身動きが出来なくなっている人が!」

「何だとっ……?」





「大丈夫!? 今助けるからね!」


 レオが慌てて駆け戻ると、パジャマ姿の幼い少女が潰れた家屋の隙間に挟まって抜け出せない状態で倒れていた。


 頭と右腕だけは外に出ていて、そのおかげでレオは気が付くことができたのだ。


 運よく生まれた空洞のおかげで完全な圧迫には至っていないようだが、いつまでもこの状態がキープされているとは限らない。


 レオは上に積み重なっているコンクリートの塊や木材を一つずつ慎重に撤去し始めた。


「何をやっている」

「あ、諸星先輩。手伝いに来てくれたんですか?」


 レオが背後を振り返ると、七緒は感情の抜けた冷たい表情で立っていた。


「……放っておけ」

「……え?」


 予期せぬ七緒の言葉にレオは聞き間違えたのかと思い訊き返してしまう。


「放っておけと言った。私たちが優先すべきはデウスを倒すことだ。この娘の救助は戦闘終了後やって来る他の隊員に任せておけばいい」


「で、でもこんなに辛そうにしてるのに。素通りしろっていうんですか?」


「デウスを倒すのは我々にしかできないことだ。余計なことに時間を割く暇はない」


「余計なことって……。だって他の人が来る前に瓦礫が崩れてしまうかもしれないじゃないですか。ここにデウスが来たらこの子は逃げられないじゃないですか!」


 七緒のあんまりな発言にレオは憤りを隠せず語気を強め言う。


「そうなってもそれは仕方のないことだ。ここでデウスを討ち漏らし、避難の済んでいない他区へ一匹でも逃がすことになればそれこそ多くの人を見殺しにするのと同義。無駄な道草をせず、速やかにデウスを殲滅することが結果的に多くの人を救うことになるのだ」


 七緒の言うことは客観的に見れば正しいのかもしれない。できるだけ多くの人を助けられればいいと思うのはレオだって同じだ。


「だけど……だけど……」


 釈然としない。すんなりと受け入れていい選択だとは絶対に思えない。100%間違っているとは言えないけど、その考えが正しいわけがない。


 もしそれが真理の答えなら、レオはもうとっくに死んでいたはずなのだ。


「もっと全体を見ろ。割り切った考え方をしろ。我々のやるべきはできるだけ多くの人々を守ることだ。目の前の取るに足らない一人にかまけ、大勢の救えるはずの者たちを危険に晒すことは許されない。自分に課せられている使命を忘れるな、四号」


 何が使命だ。ふざけるな。

 その取るに足らない一人の集まりがレオたちの守るべきものではないのか。


 かつて自分を救ってくれた、あの人物ならこんな考え方はしないはずだ。希望を持てと言って励まし、目の前の一人一人を救うことに一生懸命だったあの人なら……。


「……わたしの名前は四号じゃありません」


 レオが反意を唱えると七緒は苛立ちを覚えたのか、スッと目を細める。


「口答えをするのか、貴様」


 そして物々しい口調で威圧してきた。


「だって、やっぱりそんなのおかしいですもん! 諸星先輩だけで先に行けばいいじゃないですか。わたしはここでこの子を助けます。目に見えてる人に手を差し伸べちゃいけないなんて、そんなの正義のヒーローじゃない!」


 どちらも無言となり、一瞬だけ周囲がしんと静まり返る。そして、


「いい加減にしろ! 命令を聞け! ここでの指揮権は私にある!」


 レオの言った言葉のどこかが琴線に触れたのだろう。七緒はそれまでの感情を押し殺した態度を崩し、露骨に怒りを露わにした。


「師匠は自分の正義を振るってこいって言ってました!」

「それは前提に私の指示を聞けとあったはずだぞ!」


 あくまで正論で押し通そうとしてくる七緒。


「…………」

「…………」


 睨みあい、どちらも譲らない二人は膠着状態に陥る。


「うえぇ……痛いよぉ……重いよぉ……」


 体にかかる負担に堪えかね、少女が呻き声を上げて泣きべそをかき始める。


「ちっ……」


 七緒は少女を見下ろし、不愉快そうに舌打ちをした。


(なんでそんな態度がとれるの? 目の前でこんなに苦しそうにしている人がいるのに、何も感じないの?)


 信じられない七緒の振る舞いにレオは腹立たしさを覚え、また失望を隠せない。


「……まさか向こうから寄ってくるとはな」


 七緒はそんなレオを一顧だにせず、先の景色へ視線を送る。


「えっ?」


 レオがはっとして周りに注意を向けると、道路の両側に緑色の壁ができあがっていた。


 いや、違う。

 デウスの群れに囲われているのだ。彼らの全身の色がなぜか緑色で統一されているためそのように見えてしまったらしい。


 昨日相手にしたデウスは蜘蛛のような姿をしていたが、今日のやつらはバッタやイナゴなどの昆虫をベースにしたものが多かった。


「た、戦わなくちゃ……!」


 レオが正しいのか七緒が正しいのか。その結論はとりあえず後回しだ。迷いは頭から取り払え。敵を倒すことに専念しよう。


「…………」


 レオは構えを取る。

 そして念じる。

 ……が、何も身体に変化は起こらない。


「どうした。前と同じようにすればいいだけだぞ」


 七緒が助言を送ってくるものの、そもそも前回どのようなプロセスを踏んで変身したのかがわからないのだ。


(どうして……どうしてッ!)


 何も変わらない。起こらない。

 やらなきゃいけないのに。

 七緒に自分の正義を見せつける絶好のチャンスでもあるのに。またあの鎧を纏って変身して、デウスの群れを屠るのだ。


 そうしなければならないのに。

 レオが焦燥感に塗れて固まっていると、


「……もういい。お前は戦わなくていい。下がっていろ」

「へ……?」


 ぐいっと肩を掴まれてレオは後退させられる。


 レオと少女を背に庇うように立った七緒は右腕につけた腕輪に手をかざし、透明な宝石部分から一本の刀を引き出した。


 七緒がその刀を一振りすると、七緒の全身は蒼銀の鎧に包まれる。


「あ……あ……」


 それは見紛うはずもない。

 あの日、レオが見た静謐な印象の澄み切った蒼い立ち姿。絶体絶命の窮地に颯爽と現れ、押し迫る怪物たちを一網打尽にしたレオの憧れの肖像。

 それが今、目の前にいる。


(やっぱりこの人だったんだ!)


 レオの感情に衝撃が走る。


(あれ? でもあの右足……何か変……?)


 違和感を覚えて注視してみると、七緒の纏う鎧の右の膝から下の部分がオレンジ色に染まっているのがよくわかる。


 どうやらその部位は非常に高い温度で熱を発しているらしく、接触している地面を焼け焦がして煙を上げさせていた。


 ……四年前はあんな状態にはなっていなかったはずだが。変身には回数制限など、レオの知らない制約があるということなのだろうか?


「…………」


 七緒は持っていた刀を無言で地面に突き刺す。すると小型なドーム状のバリアーが張られ、レオと少女を包み込んだ。


「そこから動くんじゃないぞ」


 レオたちにそう告げると七緒は背中に付属する下段のウイングパーツを外し、身体の正面でその二つを接着させてブーメランの形に変形させた。


「フッ!」


 そしてそのできあがった武器をデウスの群れに向かって投擲する。放り投げられた刃の塊は回転しながらデウスの肉体を真横に斬り裂いていった。


 両断されたデウスは爆発を引き起こし、ブーメランの接触範囲外にいるものまでを誘爆死に追いやる。


 戻ってきたブーメランを手に取ると、七緒は間髪入れずに体勢を切り替えて反対方向の群れへそれを再び放った。

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