第五話 「わたし、変身……した?」


 銃口から放たれた弾丸はデウスの身体に当たるも、その表皮を貫くことなく外殻の硬度に負けて潰れ、ぽとりと地面に落ちる。


「ちっ、やっぱり効かねえか……」


 舌打ちをしながら警官は次弾の発砲にかかる。

 彼は常に前を見据え、怯まずに行動に移している。


 正義への志を胸に秘め、何も恐れるものはないと、そう思っていながら土壇場で迫ってくるデウスに恐怖して身動きが取れなくなってしまった自分とは大違いだ。


 自分が立派なのは口だけではないか。ただ手を差し伸べれるのを待つだけだったあの頃から、ちっとも進歩していない。


 格好ばかり取り繕って、その中身は空虚で何も変わっていない。

 あの日、本物のヒーローに出会った日から、いや、もっと昔。


『獅子谷レオになる前の自分』から何も変わっていないのだ。


 自分は無力だ。

 正義の味方を名乗るだけの域に達していない未熟者だ。だから警官の言葉に何も言い返すことができなかった。


 力も、自信も、そのどちらも備わっていないからレオはこうやって座り込んで、足踏みしたままでいる。


 それが現実だ。

 何もできない。

 何もすることができない。

 でも、何かしたい。何とかしたい。

 せめて目の前にいる人を助けるくらいの力が欲しい。

 当たり前の日常を守れるような強さが欲しい。

 唇を噛みしめ、地面に拳をぐりぐりと押し付ける。


「って、え……? あれって……」


 レオは警官の身体越しにデウスの口がゆっくりと開示されてゆくのを見た。

 脳裏に眼前で身体を貫通され息絶えた男性の姿がフラッシュバックされる。


 シュッという摩擦音が耳を打ち、粘着質な口部から色素が沈着した青紫色の舌が瞬きをも許さない速度で襲い狂ってきた。


 その軌道は迷うことなくレオと警官のもとへ伸び、レオたちを貫かんとしている。


「お巡りさん!」


 レオが悲鳴に近い叫びを上げると、突如二人の前に目が眩むような光が弾け、瞬いた。あまりの眩しさにレオは反射的に目を覆い背ける。



――何もできないのは嫌か?



 耳ではなく頭に直接語りかけてくるような、そんな声が響いた気がした。



(…………?)


 身体を串刺しにされる痛みは未だ押し寄せてこない。


 不思議に思いながらレオは恐る恐る目を開く。すると、目映く輝く光の壁が盾となってデウスの攻撃を防いでいる光景が視界に映り込んできた。


(何アレ……何の形?)


 何の前触れもなく、どこからともなく出現したその光の盾は何かの紋様を象っているようだった。


 それが何を形象しているのかは判断できなかったけれども。ただ、尖った耳や目らしき特徴が散見されることから、犬か猫などの動物を表しているように思われた。


 なぜこんなものがいきなり出てきたのだ? 


 わからない。二人の絶命の危機を救ってくれたのはありがたいことだが……。

 でも、現れたのは必然であると、レオはどうしてだろう、そんなふうに感じた。


「うおぅ、眩しっ! 何だこりゃ」


 警官も盾の存在に気付き、手で目を覆って眩しさを堪えながら言う。

 レオはその声を聞き安堵する。

 よかった、生きてる。


 自分も警官も、まだ生きている。


 まだ終わりじゃないんだ。


「んぐっ……」


 腹部の燃えるような痛みはますます強くなっている。

 だが、レオは全身に脂汗を滲ませながら立ち上がった。先程聞こえた謎の声に呼ばれたような気がしたのだ。


 立ち上がれと言われた気がしたのだ。

 ふらふらと覚束ない足取りでレオは警官を庇うように前へ躍り出る。


「お巡りさん、言いましたよね。こういうのは本物のヒーローに任せたほうがいいって」


「それがどうかしたのか」


「それじゃ駄目なんです。誰かを待っているだけじゃ駄目なんです」


「いや、お前はこんな時に何を言っとるんだ?」


「守ってくれるようなヒーローはありふれているわけじゃない。救いを求める人全員にまんべんなく行き渡るほど、たくさんはいないんです。ヒーローは確かにいて、困っている誰かを今も助けているけれど、自分のところに来てくれるとは限らない」


「…………」


「だから誰かじゃなくて、自分がその誰かにならないと駄目なんです。助けたいなら、助かりたいなら、自分で救いに行かないといけないんです。ヒーローにならないといけないんです。……ただあてにしているだけじゃ何も守れないから。待ち続けるだけじゃ何もいい方向には変わってはくれないから」


 レオは思いの丈を語った。


 初心を問う意味も兼ねて自分の中にある正義に対しての価値観を余すところなくぶちまけた。


「お巡りさんのことは、わたしが守ってみせます」


「だから、お前じゃ無理だっての!」


 警官の注意を促す言葉を背に受けながらレオは唇を固く結んでまっすぐ前を向く。



――戦えないのは嫌なのだろう?



(……さっきの声だ)



――ならば、唱えるのだ



(唱える? 何を?)



――さあ、唱えよ。汝の名。我らの魂の名を!



 聞こえる、声が。



 自分の内側から溢れるこの心の音色が、わたしを前へ進ませる。



 先へ進めと、戦えと駆り立てる。



 諦める必要などないと、膝を折る必要なんかないと囁いてくれる。


 

 今ならできる。



 何でもできる。



 理屈じゃない。感じる。



 自惚れでも過信でもなく、間違いなく、確かなリアルがわたしの中で叫んでる!



「レオォォォォォォッ!」

 


 意味不明の理屈をぶっ立てて。レオは思いつくがまま、体の赴くままにデウスの攻撃を押し止めている光の紋章に正拳を叩き込んだ。


 パリーンッとガラスが砕け散るような音を立て、輝く壁は容易く崩壊する。


 破片は霧散し、やがて細かな粒子となって宙を舞う。金色の雪が舞っているかのような、そんな幻想的な風景が広がる。


(これ、どっかで見たことあるような……?)


 レオが目の前の光景にデジャヴを感じていると、拳と盾との接点で小規模な爆発が巻き起こった。目を開けていることがままならなくなるような烈風が吹き、レオの全身を包み込む。


「やああああああぁッ!」


 レオは目を閉じながら、最後の一押しでデウスに一矢報いようと拳の先にある手応えを力一杯に殴り飛ばす。


 衝撃、風圧。どちらともつかない振動が体に伝わり、レオは直立の姿勢を維持するのが困難になる。よろよろと後退し、どしりと尻餅をついた。


「どげぁはっ!」


 その際、背後にいた警官を巻き込んで道連れに転倒させてしまった。


「う……ぐおぉっ!」


 大げさな呻き声が背中の向こうから聞こえる。

 体格差的にレオがもたれかかったところで大した負荷にはならないだろうに。それよりも何やら身体がおかしい。


 全体的に怠い。重たい。

 身体を微妙に動かすたびカチャカチャと金属が擦れあうような音が付随して聞こえてくる。


「お、重てえ……」


 下敷きにしてしまっている警官が苦しそうにそんな失礼なことを言う。重いだなんて、本当にデリカシーのない人だ。


「……お前、その格好。どういう手品だ?」


「なにがですか?」


 上体を起こし、半身を捻る。


「ぐほっ……。乗ったまま動くなって!」


「だから、わたしそんな重くないです……って、ええっ!?」


 文句を言いかけたレオは、カーブミラーに映った自分の姿を見て驚嘆する。


 そこには獅子を思わせる黄金色の鎧を纏った騎士が生身の人間の上にどっかりと腰を下ろしているという、そんな蹂躙に等しい犯行現場が投影されていた。


「何、これロボット……?」


 バイザーに覆われた自身の顔をぺたぺたと触れ、自らの身体が無機質な装甲を纏っていることを確認する。


「わたし、変身……した?」

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