06-3 神社でデート

 週末。寝坊した伊羅将が自宅でレイリィにからかわれていると、チャイムが鳴った。花音だ。今日は南部神社に参拝する約束をしている。


「おはよう」


 軋むドアを開けると、花音が微笑んだ。白のブラウスに草色のカーディガン、苔色の短いスカートを穿いている。


「今日はごめんね。無理言って」

「いや、無理どころか待ち遠しいというか……。女子とデートなんて、俺も初めてだからさ」


 ――リンとの「なんちゃってデート」を除けば、だけど。


 頭の中で自分にツッコんで、玄関を出た。


「行く前に、金魚に餌やっとけよ」


 見ると、家の奥から、父親のニヤけ顔が覗いている。どうせ「ついにできた彼女」をじっくり観察したいに決まってる。


 溜息をつくと、伊羅将は、庭に放置してある火鉢に餌をぶち撒いた。子供の頃、金魚すくいで獲った奴が、そこでまだ元気に生存している。


「元気だね―」


 花音が火鉢を覗き込んだ。水は緑色に濁り、かろうじて底が見えるくらい。巨大な駄金は、餌をがっぽがっぽと口に放り込み、大暴れしている。とにかく大きく育ったので、ヒレのひとかきで底敷きのビー玉まで動く始末だ。


「ほんともうあきれるよ。全然死なないしさ、バケモンじゃないかなって思うわ」

「そんなこと言っちゃダメだよ、イラくん。一所懸命生きてるんだからね、この子も」


 花音に頭をコツンされるのを見て、父親がニヤニヤしている。


「もう行こうぜ」


 うんざりした伊羅将は、花音の手を引いた。


 家を離れると、すぐ山道になる。まあそれだけ山ん中に家があるってことなんだけど。だから夏はヤブ蚊が凄い。


「気持ちいいねー」

「ああ」


 春らしい陽気で、山は新緑に輝いている。陽射しは夏ほど強くなく優しいので、いつもの砂利道ですら心弾む。


 狭い小径を、ふたり並んで歩いた。木陰を風が通って気持ちいい。むせるような新緑の香りが立ち込めている。


 伊羅将の家は、山道の途中にある。そのまま山を巡るように少し登ると階段になり、辿った先に南部神社が建っている。


「子供の頃はこの階段がきつくて、大冒険だったんだ」

「ふふっ。子供の頃のイラくんって、かわいかったんだろうなあ……」


 本殿が視野に入ってきた。南部神社の本殿は、伊羅将の家に負けず劣らず風格のある――というか早い話ボロい――建物だ。十畳ほどしかない小さな本殿の塗りはすっかり剥げて、長い年月で枯茶(からちゃ)色にくすんだ檜の地肌がむき出しになっている。


「わあ、かわいい……。ネコなんだね、狛犬」


 駆け寄ると、花音は苔むした狛犬を撫で回した。


「迫力がないって、氏子の人には愚痴られるみたいだけど」


 口をカッと開いた阿形の狛犬は脚を折って胴を地に着けたネコで、どう好意的に解釈しても、あくびしている姿だ。口を閉じた吽形の狛犬に到っては、腹を上に寝転んで手足をだらんとだらしなく伸ばし、昼寝しているとしか思えない。


 江戸末期の諧謔精神とか言うけれど、神域にしては不真面目だと怒る人もいる。


「お参りしようぜ」


 湧き水がちょろちょろ流れ出る手水鉢で手水を使うと、神様に対峙して賽銭を投げ、本坪鈴を鳴らして参拝した。


 祭神は仙狸。仇敵であるネコネコマタ族の王女が参拝するのも変な気がするが、祭神については黙っていた。伊羅将が頭を上げても、花音はまだ一心に祈っている。


「なにお願いしてたんだ?」

「えへっ。内緒」


 はにかんだように、花音は靴で地面をトントンした。


「――伊羅将くん」


 声に振り返ると、吉野さんがいた。竹ぼうきを手に、笑顔を浮かべている。


「なんだ、彼女ができたのか?」

「いやその……そういうんじゃなくて……」

「神辺花音です」


 花音がぴょこんと頭を下げる。


「よろしく。宮司の吉野です」


 ニヤニヤと、伊羅将の顔を見ている。


「えーと、同じ学校で」

「いいよ言い訳しなくても。……お茶を飲んでいきなさい」


 社務所の縁側に腰を下ろすと、吉野さんがお茶とかき餅を持ってきてくれた。吉野は物部の分家筋。代々南部神社の宮司をしている家系だ。


 六代目の拓海さんは五十代半ばを過ぎている。子供の頃、遊び相手になってくれた人だ。


「そうか。鼻垂らして暴れてたワンパクの伊羅将くんにも、彼女がねえ……」


 花音のことを、まなじりを下げて上から下まで眺め渡している。


「あの……、どんな子だったんですか」


 花音は興味津々といった顔だ。


「そう……」


 境内の太い杉の大木を、吉野さんは見上げた。


「ちょっと前までは荒れていて……。まあ荒れてたといっても、ひとりで彷徨するとかその類なんだけどね。よくこの神社にも来てたな。本殿に寝転がって何時間も過ごしたりとか」

「へえ」

「母親が家を出て、この子は辛い目に遭ったんだ。父親は生活のために働かないとならないし、ひとりぼっちで誰に甘えることもできずに。それでなんて言うのか、人生にシラけてるところがあってね。ひねくれてるというか」

「吉野さん、その話はもう……」

「なんだ、恥ずかしいのか。では少しほめとくけどさ、自分がそうだっただけに、他人が辛いめに遭ったり困ったりするのも嫌いだな。つい助けたりとか」


 伊羅将の顔を、花音はしみじみと見つめた。


「そう言えば、初めて会った花音のことも、手伝ってくれたもんね」

「べ、別にそういうわけじゃあ……」

「わあ、照れてる。イラくん、かわいいー」

「子供の頃は、もっとかわいかったよ」


 吉野さんは続けた。


「天衣無縫で好奇心旺盛。ご神体を盗み出そうとしたり」

「だめじゃん、イラくん」


 またしても、頭をぽこんと叩かれた。


「イラくんとか呼ばれてんのか……」


 吉野さんは、伊羅将を眺めてニヤけている。照れくさくなって、伊羅将は視線を落とした。


「その『イラくん』はあんまり暴れすぎたのか、ある日、参道の階段を転がり落ちて気絶してた。怪我をして……」

「八つのときの?」

「そう。お嬢さん、よく知ってるね」


 花音は、吉野さんをじっと見つめた。


「見つけたのは、吉野さんなんですか」

「そうだよ。驚いてねえ。救急車を呼んだりとか。あの頃はまだここにも巫女がいたから、消毒してもらったり。――ああ、彼女は私の姪で、看護学校に通ってたからさ」

「あの……イラくんのそばに、珠は落ちてませんでした? 小さな」

「珠……。はて、あったかなあ……。なんせ昔のことだから」


 首を捻っている。


「そうですか……」


 お茶を飲みながら、吉野さんは南部神社の危機について話してくれた。小さな神社でただでさえ氏子が少ないのに、若い世代は地元や神社に興味が薄れ、氏子のなり手が減って財政難であることを。


 今は吉野さんですら常駐できずサラリーマンとして働いていて、週末だけ神社に来て儀式を執り行っている。普段の管理はパートの主婦に頼んでいる始末だ。


「なんたってほら、お寺さんと違って、お葬式をめったに頼まれないからさ」


 吉野さんは肩を落とした。


「ここだって、結婚式やお葬式、できるんだがなあ。……なあ伊羅将くん」


 伊羅将の瞳を覗いた。


「高校出たら、國學院に進んで宮司にならないか、ここの」

「宮司に……」

「ああ。一生、神様と会話しながら暮らせるよ。他人と競争とかはないから、伊羅将くんの性格に、けっこう合ってると思うけどな。私には子供がいないから、困っててね」

「できるのかなあ……俺に」

「できるできる。ま、金にはならないから嫁の来手が問題だけど、彼女も割と向いてそうだし」

「無責任なこと言わないでよ、吉野さん」

「わかるようになるんだよ、長いこと神様にお仕えして気持ちを通じ合わせていると。人の運命とかさ。ふたりは向いている。神と対峙して氏子や世界の人々の幸せを祈る仕事が」

「そうかなあ……」


 思わず笑ってしまった。こんないい加減な自分が神様と向き合うなんて、おこがましすぎる。


「そうさ。ところでお嬢さん、神辺さんだっけ。あなた、ちょっと強い気を持ってるねえ」

「えっ、花音のこと?」

「ああそうさ。不思議な運命を感じる子だ。……宿命に負けずに頑張りなさい」

「は、はい」


 真剣に、花音は助言を聴いている。

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