05 穴空き革レオタードは「お寝巻き」

05-1 花音とレイリィ

 結局、レイリィは伊羅将いらはたにくっついて回るようになった。どこで調達したのかニセ制服を着て一緒に登校し、授業の間は寮に隠れる。登校のときは髪の毛まで茶髪に偽装されるんだから、仙狸ってのは面白い。


 授業が終わると寮でだべって実家に帰るか、一緒に泊まる。もちろん「飼い主」のレイリィがベッドで、伊羅将は床だ。そこに花音とかが来ると、伊羅将の胃が痛くなる。つまり――。


「この間はごめんねー。急に……その……」


 さすがに花音は恥ずかしそうだ。発情した花音に迫られたときのことを、伊羅将は思い返した。


「いいよ。胸触れて得したし」

「触るくらいなら、いつでもいいよ。お詫びの印」

「気が向いたらな」


 そりゃ触りたいけど、なんとなく罪悪感があるんだよな。天真爛漫な花音に触るのは。


「お姉様。継承者の義務に反したら大変ですよ」


 澄まし顔で、陽芽がコーヒーを口に運んだ。


「ところで、この方はどなたかしら」

「あ、ああ。こいつは従姉妹でさ。レイリィって言うんだ。……ほら、起きろ」


 レイリィは、男子寮のベッドに寝っ転がってマンガ熟読中だ。伊羅将に尻を叩かれると、渋々といった雰囲気で起き直った。


「私はレイリィ。よろしくね」

「よろしくお願いします。レイリィさん」


 花音は手を差し出した。レイリィがぐっと握って握手する。視線はきつい。


「……ちょっと痛い、かも」


 申し訳なさそうな瞳で、花音が笑顔を浮かべた。


「あっ、ごめんねー。なんだか、生身の体にまだ慣れてなくてさ。ひさしぶりだから」

「レイリィはハーフでさ。ひさしぶりに日本に戻ったから、戸惑ってるんだよ習慣が違って」


 なんとかフォローする。レイリィからは、正体を他人に告げることを固く禁じられているのだ。


「わあ、素敵。……そう言えば、瞳の色も不思議。ブラウンなんだけど、中心が赤いのね」

「そうね。隠し切れなくて」

「ときどき、カラコン入れるんだよな、彼女。赤いのとか金色とかさ」


 レイリィは頷いた。伊羅将のマグカップを奪い取ると、コーヒーをごくごく飲む。


「あら。カラコンがお好みということは、レイリィさんは身体変容にご興味がおありなのかしら。ピアシングとかもお好き?」


 陽芽が口を挟んだ。


「寝台飲尿? うーん……眠るのに興味はあるけれど、スカトロはあんまりしたくないなあ……。たとえ殿方の夢の中でも。はあ」

「そうですね。わたくしも浣腸は怖いですし。まあお兄様のご命令があれば頑張りますけれど」

「か、官庁に行くのは怖いみたいだな。まだ中一だし、きっと趣味の――」

「ビア真グイグイは得意かもね。いくらでも飲めるし、昔は底抜けネコって呼ばれてたくらいで。あはっ」


 伊羅将のフォローを遮って、レイリィが語り出す。


「彼女、十八歳だし、お酒飲んでも違法でない国に住んでたから」

「わあー大人なんだあ……。花音、憧れちゃう」

「なら一緒に飲む? 国光くんにマタタビ酒も買ってもらったし」

「マタタビ……」


 花音の瞳が、うっとりと濡れてきた。


「ダメです。お姉様」

「そうだよね。ダメだよね。王族の義務もあるし」

「お、追う速度の問題があってさ。リ、リレーの選手だからさ、花音は」


 陽芽からは、自分たちの正体をバラすことを禁じられている。


 ――てか、この三人を一緒にすると、俺、胃潰瘍になるだろ。「天然」は仲間にひとりまでって、法律で決めるべきだな。


 伊羅将の目の下には、くっきりとクマができてきた。


         ●


「あの娘たち、ネコネコマタなんでしょ」


 ふたりが女子寮に帰ると、レイリィがあっさり口にした。


「えっ? お前、知ってたの」

「あたりまえじゃん。根付に封印されて百五十年、物部惣領とずーっと一緒だったんだもの。伊羅将くんの人生も、八つのときから、ぜぇーんぶ一緒に体験したし」

「八つの……ときから。全部……」


 嫌な予感がする。


「うん。かわいかったよー、伊羅将くん。それまではほら、十五過ぎてた人ばっかりだったからさ。伊羅将くんがほんの子供だった頃から、だんだんエッチになってきて、自分であれこれしだしたりとか……。へへ」


 頭が痛くなってきた。


「それも……ぜぇーんぶ……」

「うん。見てたー。だから知ってるもん。どういうパターンが好きかとか」


 ――そうか。どんなネタ画像を食い入るように見つめてたとか、知ってるわけか。くそっ。


「じゃあ、今度夢でそれやってよ。覗かれ損じゃん、このままだと」

「えっ……」


 赤くなった。


「い、いずれね……」


 口を濁す。あれから毎日夢に出てくれてはいるが、「夢に慣れる訓練から」とか言って、全然エッチな展開にならない。淫魔のくせに夢の中のがウブって、どういうことだよ。


「ネコネコマタは今、人類を滅ぼそうと策動してるんだね」

「そうらしいけどさ」


「発情事件」のときの陽芽と花音の話を、伊羅将は思い返した――。




――「ネコネコマタは、ネコの世界を統括する猫又の一族なのですわ」


 発情の余韻でベッドに倒れている花音を優しく撫でながら、陽芽が告白した。


「妖怪じゃないか」

「ええ、そうです。……お茶をいただきますね」

「あっああ」


 上の空で、伊羅将が答える。伊羅将の湯呑みから茶を飲むと、陽芽は続けた。


「お姉様は第一王女。王位継承権をお持ちです。ネコネコマタは今、内部が大荒れなのです」

「大荒れ?」

「ええ。ニンゲンを滅ぼそうと主張する一派が、勢力を強めているので」

「人類を……滅ぼす」

「……お兄様。お兄様も、ネコのことを『ペット』だとお考えですわね」


 陽芽は伊羅将を見つめた。


「そりゃそうだろ」

「勘違いですのよ、それ」

「……」

「いいですか、飼い主はネコ。ニンゲンこそペットであり下僕、奴隷なのです」

「ばか言うなって」

「あら、そうでしょうか。食べ物を用意するのはニンゲンの義務。お腹が空いたら、下僕が寝ていても、体の上で飛び跳ねて起こします。お腹がくちたら、遊んでもらいますし。気分が乗らないときは、ニンゲンの相手はしません。好きなように食べ、遊び、眠る。それがネコ。せっせと働くのがニンゲン――。さて、どちらがご主人様かしら」


 伊羅将は、リンの言葉を思い出した。なら、あいつもネコネコマタなのか……。


「ネコはそうやって、ニンゲンに飼われるフリをしながら使役してきたのですわ。まあ、ネコネコマタ王家のわたくしは、しもべであるお兄様の奴隷ですけれど」


 十二歳のくせに、色っぽい流し目で伊羅将をチラ見する。


「ところが最近のニンゲンは、しもべのくせに生意気です」


 湯呑みをどんとテーブルに叩きつけた。


「ご主人様の意向を無視して勝手にし放題。仕事が忙しくて遊んでくれないとか、せっかく獲ってきた獲物を渡すと嫌がるとか、勝手にネコをバースコントロールするとか……。なら下僕は滅ぼすべし――というのが、彼らの主張です」

「仕方ないだろ、ペットなんだから」

「ですから、それが逆なのです。ニンゲンのそういう間抜けなところも含めて愛そうというのが、わたくしたち王家の立場です。しかし、王家の威光だけではもう抑えられないほどに、人類殲滅派が増えているのです。分派が多いので」

「……だから、花音はネコがヒトと和解できるように活動しているの」


 花音の声だ。


「お姉様、もう大丈夫ですの?」

「うん。お薬をありがとう陽芽。……あとイラくん、さっきはごめんね」


 花音が起き上がってきた。もう普通に戻っている。


「発情期があるなんて、やっぱりネコと同じなんだな」

「恥ずかしい……」


 頬に手を置いてまっかになっている。


「花音には純潔の義務があるのに……」

「それより和解活動って、ポスターのことか?」


 花音は頷いた。


「それでネコの裁きは近いとか、和解しろとか書いてたわけか。……でもあんな地味な活動、こんなど田舎でやってても意味ないだろ」

「あるよ。ネコネコマタの多い学園内への『人類は反省している』アピールになるし。それにあれ、むやみに貼っているんじゃないの。貼り場所を辿ると、大雑把には魔法陣になってるの」

「魔法陣?」

「うん。そもそも多摩って地名、ネコの名前から来てるんだよ」

「うそっ」

「はるか昔、このあたりにヒトを助けた『タマ』というネコがいて……」

「マジか……」

「だからネコネコマタと縁深いこの地から、王家の呪法で、ネコとヒトとの和解をもたらす術式を紡ぐの。そのためにポスターの印刷インクには、秘密のハーブや宝玉の粉を溶かし込んであるし」

「そうなのか」

「術式発動にはパワーが必要。ネコネコマタとヒトとの愛の力が。力を高めるために、殲滅を主張する分派をひとつずつ回って、説得しないと。そしてそれにはイラくんの協力が必要なんだ」


 伊羅将の手を握った。


「ねえ、お願い。花音と一緒に、分派を回ってパーシュエイションの儀式を行なって」

「……こないだ言ってた、あれか」

「うん。イラくんを通して、ヒトの善良な面も、立ち直る力もわからせてあげられるから」

「うん。俺で良ければ」

「ありがとう」


 瞳から、涙がこぼれた。


「イラくんなら、助けてくれると思ってた。ポスターを大事そうに拾ってくれたイラくんなら……。そして、花音の運命を変えたイラくんなら……」


 なんとも言えない表情で、花音は微笑んだ――。

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