第22話 ブラボー、語られる


「一体、なにが起きて……!?」


 オルノアが発する眩しい光に目が眩みながら、イミアは先ほどブラボーに言われた言葉を頭の中で反芻していた。


『俺のことは忘れてくれ』

『さよならだ、イミアさん』


 どうしてそんな悲しいことを言うのだろう。

 イミアにはまったく意味が分からなかった。

 ただ、ブラボーが並々ならぬ決意で、その言葉を口にしたのは伝わってきた。

 もしかしたら。

 もしかしたら、ブラボー様はエイメン様を助ける代わりに自分は死ぬ覚悟なのだろうか?

 だとしたら、それは何が何でも止めなくてはいけない。

 エイメンが死ぬのも嫌だが、それはブラボーになっても同じだ。

 ふたりとも無事で帰ってきてほしい。

 それがイミアの切なる願い。

 その為なら自分がどうなっても構わないと思った。


「ブラボー様、あの……」


 光が次第に弱まるのを感じて、イミアはブラボーに話しかける。

 先ほどの真意を問い質し、もしイミアが危惧することと同じであれば全力で引き止めようと思った。


「……え?」


 が、光の中に浮かび上がる光景にイミアは思わず言葉を失った。


 オルノアの姿が消えていた。

 代わりに一振りの漆黒の大剣が、先ほどまでオルノアが立っていた場所に突き刺さっていた。

 ブラボーの背丈ほどある、幅広の、とんでもなく大きな剣。

 刀身に「ALL OR全てを差し出すか、それとも」と古代文字が刻まれている。

 こんなもの、振るうはおろか、持ち上げることすら不可能であろう。


「ふんっ!」


 が、ブラボーは気合をいれると、その漆黒の大剣の柄を握って軽々と持ち上げる。


 刹那、雲ひとつない空から、一筋の雷がブラボーの体を打った。


「きゃあああ!」


 凄まじい音と衝撃に、イミアは悲鳴をあげる。

 それでも眼をしっかりと開けて見ていた。

 雷に打たれたブラボーの体中に、まるで稲妻のような刺青が浮かび上がるのを。

 そしてその瞳がどこか悲しそうに自分を見つめていることを。


「あ、あの、ブラボー様、その格好は……?」


「とりゃあああああ!」


 イミアは問いかける。

 だが、ブラボーは何も答えず、気合の声をあげてジャンプした。

 常人ではありえないその跳躍は、一瞬にしてブラボーの巨体を城壁の上へと移動させる。


「せいっ!」


 城壁に上がったブラボーはさらに空高く飛躍する。

 次にブラボーが降り立った場所、それは……。


「あれは、まさか、ドラゴン!?」


 どこからか飛んできた巨赤竜ベテルギウスの背に、ブラボーが音も無く着地した。


「なんてでけぇんだ。あんなでかいドラゴン、見たことがねぇ」


「いや、それよりも見たか、あのブラボーって奴の姿を」


「ああ、チラっとしか見えなかったが、あの姿は……」


 思わぬ事態に傭兵たちがざわめきながら、しかしその言葉を出すのを躊躇った。

 それはこれまで戦ってきた相手の名前。

 今も戦っている相手の名前ーー


「混沌の凶戦士……」


 イミアが呟く。

 逃げ帰ってきた傭兵たちが語った混沌の凶戦士の姿と、今見たブラボーの姿はよく似ていた。


(ブラボー様が混沌の凶戦士? あの優しかったブラボー様が?)


 あまりのことにイミアの頭は混乱していた。

 ただ、


「あ、やっぱりそうだったんだ……」


 アンジーがそう呟く言葉をイミアは聞き逃さなかった。


「ど、どういうことですか、アンジーさん? まさかアンジーさんは気付いておられたのです?」


「うーん、まぁ薄々とね。あのモテなさぶりと、ムチャクチャな強さから、もしかしたらそうなんじゃないかなぁって思ってた」


「も、モテない……え、えーと、どういう意味です?」


 強いから、なのは分かる。でも、モテないから正体が分かったとは一体?


「だって、あの人は、ううん、この世界は神様から呪いをかけられているからね」


 アンジーがドラゴンの背に仁王立ちしながら飛び去るブラボーを見送りながら、呟くように話し始めた。





 かつて世界に神が降臨したことがあった。

 突如天から現れた彼らは、地上に暮らす人間や亜人間デミヒューマンたちに、自分らはこの世界の創造神であると告げ、服従することを迫った。

 

 もちろんいきなりそんなことを言われても素直に頷けるはずもない。

 そもそも彼らは分からなかったのだ。

 神という存在が。


 その頃の世界は今と違って様々な人間や亜人間が存在していたが、彼らはお互いを尊重しあうことによって平和に暮らしていた。

 エルフは知恵を、ドワーフは力を、人間は手先の器用さを。ノームは大地の恵みの育て方を皆に教え、淫魔たちは様々な種族と交わることによって世界にさらなる仲間を次々と生み出していった。

 生活レベルは決して高いとは言えないものの、それぞれが枯渇することもなく、また溢れかえれることもなく、丁度いい塩梅で生きていた。

 

 だから彼らは信仰など持たなかった。

 自分たちよりも上位の存在に願い、縋り、乞うことなど必要なかったのだ。

 皆が手を取り合って、お互いに欠けているものを補い合えば、誰もが幸せに生きていける。

 それは疑いようの無い事実であり。

 故に神など必要としなかった。


 が、そんなのは神には関係なかった。

 穏便に受け入れられないのであれば、強引に受け入れさせるだけのこと。

 つまりは神が人間や亜人間たちよりも遥かに優れた存在であることを証明するだけのことである。


 神はまず力に優れたドワーフを殲滅した。

 次いでエルフを、ノームを皆殺しにした。

 それで世界はーー人間はあっさりと神々に降伏する、と思われた。


 しかし、予想外なことに人間までもが反抗してきた。

 神が人間を後回しにしたのは、彼らが一番支配しやすいと考えたからだ。

 ドワーフのような力を持たず、エルフほど賢くなく、ノームの教えに従って農耕作業に従事する。それでいて亜人間たちよりも圧倒的に人数が多い種族、それが人間。

 自分たちを崇め、奉仕させるには丁度いいと思った。

 

 まさかその人間に、自分たちが撤退を余儀なくさせられるとは思ってもいなかったであろう。

 

 神々は甘く見ていたのだ。

 人間たちの団結力を。

 ひとりひとりはひ弱であるものの、それぞれがそれぞれの役割を全うし、力を合わせれば十分脅威となりえることを。


 もっともだからと言って、神が破れるなど本来はあるはずなかった。

 力を合わせて立ち向かってくる人間たちには、その数の多さもあって確かにてこずったが、それでも神の相手ではなかった。

 それなのにどうして神々は破れたのか。

 そこにはひとりの神の造反があった。


 その神はずっと前からかすかな疑問を抱いていた。

 どうして我々は支配する者と、支配される者を作り出すのだろうか、と。

 今回の侵略だけではない。神々の社会にも厳格な階級制度があり、明確な支配する者と、支配される者の差があった。

 彼はその中でもかなり高位な存在ーーつまりは支配する側であった。今回の侵略も下位の神を従えて軍のひとつを率いている。

 ドワーフを破り、エルフたちを世界から消した。

 それは計画通りだったから、彼は何も感じなかった。

 その心が激しく揺れ動いたのは、人間たちが立ち向かってきてからだ。

 倒しても倒しても諦めるどころか、かえって勇ましく挑み、散っていく人間たち。

 その姿に心を揺さぶられた。ましてや彼らが皆平等で、指揮官などなくとも統率された動きを見せることに感嘆した。

 果たして彼らを支配する事は正しいのだろうか?

 否、彼らは自分たちの狭苦しい階級に彼らを縛り付けるべきではない。

 彼らは彼らで理想的な世界を既に作り上げているのだ。

 それはもしかすると自分たちの世界よりもよっぽど高度なーー。

 そう考えた時、彼の体に異変が起きた。

 汚れひとつない、澄み切った純白の体が瞬く間に黒く変色した。

 それは堕天。神が、神を裏切った証。

 神は、しかし後悔はしなかった。

 それよりも長年縛り付けられていた鎖から解き放たれたように感じられた。


 かくしてひとりの神が、人間側に付いた。


 この造反は他の神々を大いに怒らせ、ここにきて戦いは神対神となった。

 神々は裏切り者を粛清するべく、次々と軍団を差し向けた。

 人間に組した神は、これを悉く撃退した。

 討ち取られた神々の亡骸は、モンスターとなって人間を襲った。

 神々と元神が激しくやりあい、各地でモンスターと人間が戦う。


 地上は瞬く間に炎に包まれた――





「この裏切った神のことを、神々は忌み名として災厄神さいやくじんと呼んだんだよ」


「災厄神! ってことは、ブラボー様は……」


「そう、あの人はその災厄神が淫魔の力を借りて人間と子を作り、生まれた災厄人さいやくじんの子孫。ああ見えて神の血を引いているんだよ、ブラボーさんは」


 ホント、全然そう見えないけどねー、バカだし、とアンジーは苦笑した。


「……でも、今のお話、ちょっとおかしくありませんか? だって人間の味方についてくれたのなら、私たちはその名前を讃えるべきなのに……」


 しかし、実際はその真逆。

 災厄人の名前は、人間にとって恐怖以外の何物でもない。


「さっき神様が世界に呪いをかけた、って言ったでしょ? 神様たちはね、この世界から逃げる時、腹いせに幾つかの呪いをかけていったんだよ」


 そんなイミアの疑問に、アンジーが世界の真実を語る。

 その顔は苦虫を噛み潰したように顰めきっていた。


「それは本当なら人間の味方である神様を戦争の張本人として捏造したり、その神様が子孫を増やさないよう人間の本能に細工したりと様々だけど、最大の呪いは世界を滅茶苦茶にしたこと」


「滅茶苦茶、ですか?」


「うん。それまで世界はね、本当に豊かな世界だったらしいよ。海では魚がいっぱい獲れて、木々には果物が山のように実をつけ、農作物は必ず毎年豊作になる。どこに行っても何かしらの実りがあって、みんなの生活はとても安定していたんだって」


「まぁ、まるで天国みたいですね」


「うん。だけど、神様が呪いをかけてから、魚も果物もあまり採れなくなって、苦労して育てた農作物も大雨や日照りで台無しになることも出てきたの。そうなると当然、みんなに十分な食べ物が行き渡らなくなるよね? こうして貧富の差が出来た人間たちが、かつての平等ゆえの団結力を保てなくなるのにさほど時間はかからなかったらしいよ」


 貧富の差から支配する者、支配される者が生まれ、やがていくつかの国が出来、国同士で時には戦いも起きるようになった。

 この流れを人間に組した神は自分の命が燃え尽きるまでなんとか止めようとしたけれど、どうしようも出来なかった。

 

「その結果、人間を超越した存在に救いを求めようと、人々は宗教を、ジザス教を作ったんだよ」


「なんてことでしょう。それでは神々の思惑通りではないですか!」


「そうだよねぇ。でも、神様はこんな滅茶苦茶になった世界にはもう興味が無いから、戻ってこないらしいよ。うちの婆ちゃんも無責任な話だよって怒ってた」


「アンジーさんのお婆様が? ということはこの話は全部アンジーさんのお婆様が仰っておられたのですか?」


「うん。まぁ、正確にはうちの家に代々伝わる話なんだよ。だって、あたし」


 アンジーがちょっと恥ずかしそうに、頭をぽりぽりと掻きながら告白する。


「人間の味方をした神様が人と子を作った時に手助けした淫魔の末裔なんだよね」


「ええっ!? じゃあアンジーさんは……」


「ううん、淫魔の末裔って言ってもね、うちはもうひいひいひいひいお婆ちゃんぐらいの時から人間としか交わってないから、ほんとーに血は薄いの。もうほとんど人間だよ。特別な力もないし。せいぜいおっぱいが大きいぐらいで」


「はぁ」


「だから全然今まで通りに……って、ちょっと、誰よ今、あたしがサッキュバスでやりまくってるって言ったの!? 失礼ねー、こう見えてまだ純潔なんだから!」


 アンジーがどこからともなく聞こえてきた、言われなき風評被害にぷりぷり怒った。

 

「そうですよー。アンジーさんは純粋に私たちと同じ人間です。変な事を言ってはいけませんよー」


「いや、純潔ってそういう意味じゃなくて……ま、いいや。とにかくそういう家系に生まれて、世界の真実を知っていたから、ブラボーさんがもしかしたらそうなのかなぁと思ったんだよ」


 そしてブラボーが正体を現した今、アンジーはこの話を皆に伝えようと決意した。

 祖母からは他言無用と厳命されていた。

 何故ならこんな話をしても誰も信じてはもらえないだろうし、自分の出自を明らかにしては今の世界では生きにくくなるからだ。

 事実、アンジーもこんな話は自分の子にしか伝えないつもりだった。

 でも、ブラボーと接して考えが変わった。

 ブラボーは粗野で、バカだけど、一途で、いい人だ。

 それに何より人間を神々の奴隷になるのを救ってくれた恩人の末裔でもある。

 世間から忌み嫌われるべき人ではない。

 アンジーの、たかだかごく普通の町娘の言葉なんて、信じてくれる人なんて少ないだろう。

 だけど、ただひとり、その人さえ信じてくれれば――


「というわけなんだけど、信じてくれる、イミアさん?」


「もちろんですよー。あのお優しいブラボーさんが怖い災厄人だったのは驚きましたが、アンジーさんの話を聞いて納得しましたー」


 そう、人類にかけられた『ブラボーと夫婦にはなれない』という呪いが何故か効かない、特別な人間であるイミアにだけ信じてもらえれば、それで良かった。


「でもよー、あのブラボーってヤツが本当は人間の味方だったとしても、ワンダレ国を一夜にして滅ぼしたって話はどうなるんだ?」


 そこへ傭兵のひとりが話を蒸し返してくる。


「あんたの話を信じないわけじゃない。が、ワンダレ国が滅んだのは事実だぜ?」


「それは……」


 アンジーが口篭った。

 アンジーが知っているのは、祖母から聞いた遠い昔の話、そしてブラボーと接してみての印象。過去にブラボーがやったことなんて、さすがに分からない。


「あ、それなのですが、私、ひとつ今とは違う話を知ってますよ?」


 助け舟を出したのはイミアだった。


「なんでもワンダレ国は国王派と宰相派で激しい政権争いをしていたそうなのです。そこへ災厄人がやってきて、それぞれの勢力が味方につけようとした、とか」


「なるほど。それでお互いにやりあって滅んだってことか」


「だが、その時についた『混沌の凶戦士』って通り名はどう説明するんだ?」


「あ、はいはい! それはね、わたし、前から考えてたんだよ! あのブラボーさんに『混沌の凶戦士』って通り名は似合わないなぁーと思って。で、ふと思ったの。もしかして、これ、聞き間違いが一人歩きしたんじゃないかなぁ、って」


「聞き間違い、ですか?」


 首を傾げるイミアに、アンジーはにやっと笑って言った。


「多分ね、本当の通り名はきっと『婚活の凶戦士』だと思うんだよっ!」



 わはははははははははははははははははははははははははははっ!!!!!!!!!



 大笑いが起きた。

 

「こ、婚活の凶戦士……ぷっ、そいつぁいいや!」


「ああ、確かにそっちの方があの兄ちゃんにはぴったりくるな!」


「おいおい、あれだけ恐ろしかった災厄人が一気に親しみやすくなったじゃねーか!」


 がはははははははっと傭兵たちの大笑いはしばらく続いた。


「分かった。嬢ちゃん、俺たちもあんたの言葉を信じよう。あのブラボーって野郎は、災厄人は俺たちの味方だ!」


 ひとりの言葉に他のみんなも首を大きく縦に振る。

 アンジーからすればイミアにさえ信じてもらえれば良かった。が、信じてくれる人が多いに越したことは無い。思わず笑顔になる。

 世界の真実が、ブラボーにかけられていた長年の誤解が解かれた瞬間だった。


 ただ。


「でも、だったら街を襲ってきた混沌の凶戦士は一体誰なのかしら?」


 イミアがポツリと呟いた疑問。

 これだけはまだ誰にも分からなかった。




 ☆次回予告☆

 

 災厄人のブラボーは、実は人間の味方だった。

 しかし、当の本人はまだ自分の猜疑が晴れたことを知らない。

 イミアにフられたと勘違いした傷心を晴らすべく、ブラボーは愛剣ALL ORオルノアを握り締める。


 次回『ブラボー! オー、ブラボー!』最終回『ブラボー、オー、ブラボー?』


 さぁみんなを救うのだ、わが子孫よ!

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