プロローグⅡ

 道場に威厳をもたせる以外に何の役に立たない大きな門を抜けて、隣にある遥華姉の家を訪ねる。築五十年は下らない木造平屋建ての僕の家とは違って、遥華姉の家は新築の一軒家だ。遥華姉の部屋は二階にある。それだけでなんとなく羨ましい。


 この夕陽ヶ丘ゆうひがおかは元々小作人の農家が戦後に土地を与えられて栄えてきた場所だから、広い土地を持っている地元の人間がほとんどの田舎でしかなかった。だけど、大きな国道が整備されたことと少子化が相まって、土地を売って外に出て行く人も増えた。そういうわけで遥華姉の家のようにちょっと不便だけどのどかな場所を求めて引っ越してくる人もいる。


 大串、という表札も家と違ってフェイクの大理石にローマ字の筆記体で書いてある。隣の家なのになんだか時代が動いたようなおしゃれな感じして遥華姉の家はちょっぴり緊張する。


「どうせお母さん寝てると思うから」


「はーい。お邪魔します」


 確かに人の気配がない。もちろん寝ているだけでいないことはないんだけど。遥華姉のところは共働きでお休みの日はおばさんが朝早く起きてこない。なので遥華姉は家に来て朝ごはんを食べている。お母さんも娘ができたようだと喜んでいた。


 二階に上がってすぐ左の扉が遥華姉の部屋だ。ドアを開けるとフローリングの上にブルーのカーペットが敷かれている。うちは台所以外はみんな畳の部屋だから何度見ても憧れてしまう。


 遥華姉は毎回羨ましそうに床を見る僕を不思議に思うこともなく、部屋の奥においてある洋服ダンスの中を探って、真っ白なワンピースを取り出した。


「どう? これ絶対ナオに似合うと思ったんだ」


「そんなことないと思うんだけど」


 これが遥華姉に似合うかと問われれば僕は大きく首を縦に振ることができる。一緒に出かけることだって何も恥ずかしいことはない。だけど、スカートの裾はもちろんのこと、袖にも襟にもフリルが付いたこの可愛らしいワンピースが僕に似合うと言われても何も嬉しいことなんてないのだ。


「それで、この上から」


「まだあるの?」


 今度は黒のエプロンドレス。もう名前も憶えてしまった。いわゆるゴシックロリータと呼ばれる衣装が遥華姉のベッドの上に並べられていく。


「絶対似合うよ。自信持って」


「なんの自信をつけさせるつもりなの?」


 これが、僕が遥華姉と出かけたくない理由。

 遥華姉の趣味は僕に女の子の服を着せて連れ歩くことなのだ。


 始まりは中学生の時。僕が体育祭でチアガールのコスプレをさせられたときだった。周りの女子から半ば強引に着せられて、応援合戦のセンターを務めさせられた。今思い出しても顔から火が噴き出るほどのはずかしめ。でもそれを見ていた遥華姉にはびっくりするぐらい似合って見えたらしい。


 最初は遥華姉のお下がりだったはずなのに、そのうち僕専用の服を買い始めて今は月に何着か、どこで買ってきたのかわからない服を取り出しては僕に着せるのだ。


「それじゃ着替えたら出てきてね」


「あ、ちょっと」


 遥華姉はそそくさと部屋を出ていってしまう。残されたのは僕とベッドに寝かされた可愛いゴスロリ服だけ。


「なんとか理由をつけて断らないとなぁ」


 僕は諦め半分でワンピースに袖を通す。全世界の男性でこの服の着方を知っている割合はどのくらいなんだろう。特別迷うことなく僕はゴスロリ服を着てしまった。


「着替えたよ」


 部屋からちょっとだけ顔を出し、遥華姉を呼ぶ。まだおばさんは寝ているはずだけど、何の拍子にこちらに来るかわからないのだ。


「やっぱり似合ってる! ナオは甘系が似合うよねぇ」


 嬉しそうに部屋の中になだれ込んでくる遥華姉にそのままぎゅっと抱きしめられる。こうなると簡単には振りほどけない。身長だけじゃない。小学生の剣道大会で数々の成績を収めてきた遥華姉の力はどうやらおとろえることを知らないらしい。まったくズルいと思う。僕なんて体育でもせいぜい中の上くらいにしかなれないのに。


「あのさ、遥華姉。やっぱり僕はこういうのはもう」


 口元にまとわりつくフリルの間から声を漏らす。やめにしたい、そう言い切らないうちに遥華姉の目から大粒の涙が流れ落ちる。


 何度目かわからない挑戦はやっぱり失敗に終わったのだと確信した。


「だって私にはこんなの」


 滝のように流れ落ちる涙は留まる気配を見せない。


「似合わないよー! だって私、巨神兵きょしんへいだもーん!」


 僕を開放すると同時にカーペットの上に寝転がった遥華姉はまるで子どもが駄々をこねるように左右にごろごろと体を転がす。高校二年生にもなる長身の美人がこんなことをしていると思うと、頭を抱えたくなってしまう。ましてやこの人は僕の隣に住む仲の良い幼馴染なのだ。


 巨神兵、というのは遥華姉の昔のあだ名だ。異名と言った方が正しいかもしれない。小学生の頃から背が高くて、剣道でも一番の成績だった遥華姉をいつ誰が最初だったかそう呼び始めたのだ。


 その中に悪意などあるわけもなく、当時流行していたゲームの中から選ばれて、遥華姉につけられた憧れと敬服の象徴だった。だけど、こんな風に中身は乙女成分百パーセントの遥華姉にはこれほど嫌いな異名もあったものではない。


 遥華姉はそれがきっかけで剣道をやめてしまった。それについていくように僕もなんとなく剣を持たなくなってしまったのだ。遥華姉が嫌がるからそう呼んだことはなかったけど、僕にとっても強い遥華姉は憧れだったのだ。


「わ、わかった。僕が悪かったって」


 自分の部屋の中とはいえ大声で泣き始めた遥華姉を僕は一生懸命になだめる。こんなところを誰かに見られたらどんな誤解を受けてしまうかわかったものじゃない。


「ほら、出かけるんでしょ?」


 転がったままの遥華姉の手を引っ張って起き上がらせる。やっと涙は止まったみたいだ。


「その服着て、だよ?」


「わ、わかってるよ」


 遥華姉の念押しに僕は慌てて答える。今回もこの呪縛から逃れることはできなかったみたいだ。僕はすっかり機嫌を取り戻した遥華姉に連れられて、こそこそと何のお宝も待っていない危険な旅へと出発するのだ。

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