第27話 “僕”は今、一歩目を踏み出す

 久遠が母親によって連れ出された後、最初に動いたのは源三郎だった。

「さて、と」

 膝に手を当て、

「俺が聞く事じゃないかもしれねえが……これからどうするんだ?」

 黎は返答に困る。実際の所、どうするのが正解なのだろうか。確かに黎は、久遠に対して嘘を(実際には勘違いを放置しただけではあるが)ついていた。その事は詫びたいと思う。しかし、どうやって?ただの風邪だとしても、あの様子だと数日は学校を休むだろう。その後で、というのは何だか不誠実な気がする。かといって、病床をいきなり尋ねるのも良くないだろう。

 それに、仮に会ったとして、何を謝る?性別を偽っていた事?それとも琴音の味方をした事?もっと広く、傷つけてしまった事?考えれば考えるほど分からなくなっていく。久遠に対する申し訳ない気持ちは確かにある。一方で、彼女に対して述べるべき正しい内容が。正しい言葉が見つからない。

 暫く黙っているのを見て、悩んでいると思ったのか源三郎が、

「どうした。まだ、なんか引っかかってんのか?」

「えっと……はい」

 黎は、隠さない。なんとなく、彼の目は騙せないような気がする。

「僕は……彼女に謝らないといけないんです」

「謝る……ねえ。それは何でだい?」

 何で。そんなの答えは決まっている。

「……嘘をついてしまったから」

「嘘、ねえ」

「はい。だから謝りたいと思って。だけど、どうやって謝ったらいいのかが分からなくって」

 源三郎は琴音を指さし、

「そりゃ、お前、この不良娘に頼んだらいい。取り敢えず、会う事は出来るんじゃねえか?」

 琴音は消え入りそうな声で、

「まあ、それは、出来るけど……」

「ほら、解決だ」

 源三郎はそう言ってパンと両手を叩く。しかし黎は、

「違うんです」

 首を横に振る。

「違うって……何がだ?」

「そういう、機会とかの話じゃないんです。僕が言いたいのは」

 源三郎は眉根を寄せ、

「んじゃ、なんだ?」

「……なんと言って謝ったらいいのかって事、なんです」

「そんなん、お前、嘘ついてました、ごめんなさい。じゃ、駄目なのか?」

 否定。源三郎は頭をガリガリと掻き、

「わかんねぇな……じゃあ一体何を謝りたいんだ?」

 琴音が振り絞るように、

「……黎は、厳密に言うと嘘をついてた訳じゃないの」

 源三郎は目を丸くし、

「どういうこった?」

「えっと……」

 琴音は困ったように黎をうかがう。恐らく、事実を告げていいものかどうか、迷っているのだろう。だから、

「……僕は、性別を偽っていたんです」

 自ら、語る。源三郎は余り表情を変えず、

「性別を……ってどうやって」

「えっと……僕と久遠さんは、お互いがお互い本名では無い状態で、出会いました。その時、僕が女装をしていたんです」

「……その時、小僧は嬢ちゃんの事を知ってたのかい?」

「どう、でしょう……一応同じ生徒会の一員だったから、全く知らないって事は無いと思うんですけど」 

「……それで?」

「えっと、それで、僕と久遠さんは仲良くなりました。一緒に出掛けもしました」

 黎は一瞬躊躇った後、

「事故、ではあったんですけど、胸を触ったりもしました」

 隣で琴音が「ぶふぉ!」と噴き出すが、無視して続ける。

「……久遠さんからではあるんですけど、キスもしました」

 がっ。

「え、ちょっと待って。君は今何て言った?」

 琴音から両肩をがっしりと掴まれる。と、いうか顔が近い。

「えっと……キス」

「したのか、ひーちゃんと」

「は、はい」

「私もしたことないのにか」

「は、はい?」

 それは今重要なのだろうか。やがて、悟りを開いたかの様な清々しい顔になり、

「そっか……そっか……」

 黎から離れる。話が終わるのを待っていたのか、源三郎が、

「んで、それ以外には何かしたのか?」

「あ、えっと……それくらい、です」

「なあ、小僧」

「は、はい」

「要は、性別が勘違いされてんのに、放置してたって事か?」

「えっと……はい」

 それを聞いた源三郎は、深く息を吐いて、

「って事は別に嘘はついてねえんじゃねえのか?」

「……え?」

「例えばだ。お前さんが『私は女です』って主張してれば、それは嘘になる。でも、話を聞いてる限りだと、そうじゃねえ様に聞こえるが、違うか?」

「あ、えっと……そうです」

「だとすれば、だ。お前さんは取り敢えず嘘をついてた訳では無い事になるよな」

 黎はその結論に何となく納得いかず、

「で、でも。僕は、彼女が僕の事を女性だと思っているのを知ってました。それに、久遠さんだって、女性相手じゃなかったらあんなに気を許さなかったと思うんです」

「それは、あれか。胸触ったらもっと怒ったはずとか、そういう事か」

 肯定。源三郎はヒゲを撫でるように触りながら、

「確かに、小僧が男として嬢ちゃんと仲良かったとした場合、胸を触られたら怒るかもしれんな」

「だから、」

「だけど、だ」

 黎の反論は妨げられる。

「もし、そうだとしても、事故だったなら、一度頭を下げれば、まあ、許してくれるだろうよ。あの嬢ちゃんならな。謝る内容なんて『事故とはいえ、勝手に胸を触っちゃってごめんなさい』でいい。それじゃ駄目なのか?」

「それ……は」

 源三郎の言っている事は最もだ。あれは事故だったのだ。もし、黎が男性として接していたとしても、謝れば久遠は許してくれる気がする。しかし、それでも黎の中にある忸怩たる思いは消えない。

 源三郎は椅子の背もたれに思いっきり寄りかかり、

「わっかんねえなぁ……別に犯罪行為をしたわけでも無えんだから、普通に謝って終わりでいいじゃねえか。何がそんなに引っかかってんだ?」

 引っかかる。そう、何かが引っかかっているんだ。黎は嘘をついた訳ではない。謝る必要はあるが、それだって、一回会って謝れば済む話のはずなのだ。しかし、それだけでは無いような気がしてならない。謝って、許してもらったとして、それでもなお、心の奥底に引っかかり続ける何か。手を伸ばしても取れない、喉に引っかかった小骨の様なそれは、じくじくと黎の心を痛め続けている。

「うーむ……どこかでそういう事故を期待しながら勘違いしたままにしてたました……とかか?」

 黎はぶんぶんと首を振り、

「ち、違います!」

「そ、そうか……ちなみに、なんでずっと性別を隠してたんだ?」

「それは……」

 考える。一体何故自分は性別を隠していたのか――いや、最初は隠していたわけでは無かった。“黎”は“遥”として、久遠に接し、踏み込み、仲良くなった。いつしか“遥”は“黎”には戻れなくなった。“黎”にとっての久遠は同級生で、同じ生徒会の役員なのだ。共通点は多い。“黎”としても仲良くなれた可能性も有っただろう。にも関わらず、“黎”である事を伝えようとはせず、“黎”と“遥”を繋げようとは決してしなかった。

 何故だ。“遥”と久遠は仲良くしていた。“黎”としても久遠と仲良くなれればいいはずじゃないか。生徒会でだって力になれたかもしれないし、そうすれば彼女の負担も軽減できる。良い事ばかりだ。でも、“黎”はそれを選ばなかった。と、言うよりも、その選択肢は端から頭に無かった。だって、

(……“黎”と“遥”は別、だから)

 確かに“遥”は踏み出した。その結果、久遠に気に入られ、仲良くなれた。しかし、それはあくまで“遥”なのだ。“黎”じゃない。“月守遥”は、“月守遥”であるうちは変わることが出来ていたかもしれない。しかし、それは変わった訳じゃない。結局は同じことだ。“黎”はいつだって外には出てこない。“遥”という仮面を被り、幾ら仲良くなったとしても、“黎”として、前に出る勇気なんて出るわけもない。

 ああ。そうだ。やっと分かった。僕は怖かったんだ。どんなに謝っても、久遠に許してもらえたとしても、僕は“遥”には戻れない。勿論、女装する事は出来る。その姿で久遠と会うことだってできるかもしれない。でも、それはハリボテだ。一歩を踏み出したはずの“遥”はそこには居ない。そこに居るのは、前に出る勇気が持てない“星守黎”だ。そんな未来はどれだけ謝ったって回避することは出来ない。だってもう、知られてしまったのだから。 

「……明かせなかった、んだと思います」

「あん?」

「久遠さんが仲良くなったのは“遥”です。僕じゃない。だから、どうしても、明かせなかった……んだと思います」

 源三郎は目を細め、じっと黎を眺める。やがて「ふっ」っと鼻で笑い、

「……まあ、小僧がいいなら、それでいいんだけどな」

 琴音の方を向き、

「と、いう訳だ。不良娘」

琴音はびくっとなり、

「な、何?」

「お前さんが言えば、嬢ちゃんは小僧と会ってくれるんだよな?」

「えっと……まあ」

 源三郎は再び黎の方を向き、

「だとよ、今度こそ方針は決まったんじゃねえか?」

「えっと……はい」

 そんな返事を聞いて軽く頷いた源三郎は、「よいしょ」と言いながら立ち上がり、

「んじゃ、帰んな。実行するならなんでも早い方がいいに決まってるからな」

 のそのそとベッドの方へと歩いていく。その視界にはもう、黎達は映っていない。

「取り敢えず、行こうか?」

 琴音が袖をちょいちょいと引っ張る。どうやら、彼はこれ以上の言葉をくれることは無いらしい。

「そう、ですね……」

 黎は立ち上がり、

「あの、色々とありがとうございました!」

 白衣の背中に告げる。その言葉に応えるように、めんどくさそうな動きで右手だけがのっそりと上がった。

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