第9話 ランチビュッフェ1480円(税別)

「んー……」

 劇場を出て、久遠は一つ伸びをする。その表情に影は無い。

(やっぱり勘違いだったのかな……?)

 映画が始まる前、下の洋服屋から移動する時、久遠はどうにも様子が変だった。遥に話しかけられただけで軽く動揺。かと思えば劇場に着いた途端売店に走り、二人分のポップコーンと飲み物を買ってきて遥に渡した。ちなみに飲み物はオレンジジュース。以前喫茶店に行ったときに頼んだのを覚えていたのだろうか。

 そんな訳で、少し気になっては居たのだが、この様子なら大丈夫そうだ。

「さて、これからどうしようか?」

「そう、ですね」

 困った。実の所、遥は全くのノープランだった。元々が久遠に誘われたから、というのもある。しかし、それ以前に女子同士で出掛ける時、どんな所に行くのが定番なのかがさっぱり分からない。最も、遥は男子同士での一般的な休日の過ごし方も詳しくは無いのだが。

「どこか、行きたいところってありますか?」

 だから、選択権を委ねる。久遠は「うーん」と悩み、

「取り敢えずお昼にしようか」

「あ……そうですね」

 そういえば、良い時間だった。映画の始まりが11時10分。映画が恐らく一時間半は有るだろうから、そろそろ13時になろうという時間のはずだ。

「えっと、何か食べたいものってある?」

 久遠はまたしてもこちらにパスしてくる。しかもさっきよりもっと困るタイプのパスだ。

 遥は、一人暮らしという事もあり、一応自炊はしている。しかし、一人分だけという事も有り、(伊織や妹が訪れた時以外は)自分の好きなものを作るという事はあまりしない。大抵メニューを決める動機は「卵が残っているから」とか「肉が安かったから」とかそんな感じ。食べるなら美味しい物が良いとは思うが、何を食べたいみたいな事を考える機会は殆ど無かった。

 という訳で、

「うーん……特に思いつかないので、刹那さんにお任せします」

 これも投げ返す。

「そっかー……。それじゃ、あそこにしようかな」

「どこか、いいお店があるんですか?」

 久遠は軽く頷き、

「うん。前に一回お……姉と行ったイタリアンのお店がこの辺りなんだ」

 今なんて言おうとしたんだろう。お姉ちゃん?

「で、いいかな?」

 遥は既に権利を放棄しているのに再度確認を重ねる。そこまで気を使わなくてもいいのに。

「大丈夫ですよ。そこにしましょうか」

 久遠は明るい顔で、

「決まりね。それじゃ、行きましょうか。着いてきて」

 そう言って遥の手を握る。そう言えばさっきここに来るときは握ってくれなかった。この分だと悩みは解決したのかもしれない。きっとそうだ。遥はそう、自己解決した。



◇      ◇      ◇



 久遠の言う「姉と行ったイタリアンの店」は徒歩五分もかからない場所に有った。映画館の入っている複合商業施設。そこから数軒隣に移動し、入口付近に有る階段を下って行った先に有った。

「わぁ……」

 遥は思わず感嘆の声を上げる。凄い。中央にはワインなどがずらりと並ぶカウンターが存在し、それを囲う様にして客席が存在している。上階のビルが古い上に、余り大きい物では無かったので、もっと小ぢんまりとした店を想像していたのだが、そんな事は全然ない。広々とした店内に、明るすぎず暗すぎない照明。雰囲気を彩るクラシック。小洒落た空間がそこには有った。と、いうか、

「ここって、結構するお店なんじゃ……?」

 遥は小声で久遠に訪ねる。元々余り外食はしない質なので自信は無いが、正直結構高級な店に見える。生活費はそこそこ貰ってはいるものの、いざという時の為にかなりの割合を貯金していて、それは今手元には無い。ぶっちゃけ、手持ちだけでは足りない可能性がある。

 しかし久遠はそんな心配を悟ったのか、

「大丈夫よ。ディナーは結構するけど、ランチはお手頃な値段なのよ」

「そ、そうなんですか」

「そうよ、じゃなかったら選ばないわよ」

「は、はあ」

 それはどういう意味なんだろうか。遥が余りお金持ちに見えないという事か。はたまた、久遠自身がそこまでお金を持っていないという事か。

「お客様は二名様ですか?」

 そんな事を考えているうちに店員が現れる。久遠が頷き、

「はい」

「当店は全席禁煙となっておりますが、よろしいでしょうか?」

「大丈夫です」

「畏まりました。それではお席にご案内します」

 店員はどこからともなくメニューをさっと取り出して、小脇に抱えて、歩いて席へと誘導する。

「こちらのお席でよろしいでしょうか?」

 たどり着いたのは、カウンターから少し離れた所にある、二人掛けのテーブル席だった。

「大丈夫です、」

 久遠はそこまで言って振り向き、

「えっと、大丈夫よね?」

 遥に確認を取る。

「はい」

 了解を得た店員は無駄のない動きで椅子を引いて座りやすい様にする。何とも行き届いている。

 そして、二人が椅子に腰かけた頃合いを見計らい、

「テーブルの下にございますカゴはお荷物を入れるようにお使いください」

 そう説明してからテーブルの上にメニューを開いて置き、

「ただいまの時間はランチタイムとなっております。この中からメインのメニューを一つ選んでいただきます。それ以外は全てビュッフェ形式となっておりますので、中央のカウンターからご自由にお取りください」

 遥は言われてふっとカウンターの方に視線を動かす。先ほどは反対側から見ていたから気が付かなかったが、そこには料理がたくさん並べられていた。メインは最初に頼むのでサラダ類等や飲み物が中心だが、ここから見る限りでも結構な品数がある。

「それでは、お決まりの頃お伺いに参ります」

 店員はそう告げると一礼して去っていく。

「だって、どれにする?」

 向かいから、久遠が尋ねる。

「そう……ですねえ……」

 遥はメニューを眺めながら考える。ちなみに、店員が持っていたそれの大部分はディナーの物らしい。試しにページをめくってみたらちょっと信じがたい値段が書かれていた。文字通り桁が違う。久遠は、

「私はこれかな」

 そう言ってランチメニューの中から「マルゲリータ」を指さす。割と定番のメニューだ。そして、実の所、遥もそれにしようと思っていた

「遥さんは何にする?」

 さあ、困った。別に同じ物を頼んでも良いのだが、折角二人居るのだから別の物にしたい。何ならお互いに分け合う事も出来るのだから。

 少し悩んだ末に、

「えっと……それじゃあ、これで」

 遥は「ほうれん草とベーコンのカルボナーラ」を指さす。久遠は喜んで、

「それかぁー……私もちょっと迷ったんだよね」

「そう、なんですか?」

「そう。前ここに姉と来た……っていうのはさっき言ったわよね?」

「はい」

「その時にお……姉が頼んだのがこれだったの。その時ちょっと食べさせてもらったんだけど、美味しかったのよね」

 また言いなおした。普段はお姉ちゃんと呼んでいるのだろうか。

「なるほど……」

 遥はふと疑問に思い、

「あれ、でもそれなら何で頼まなかったんですか?」

 それだけ記憶に残っている味なのだ、自分で頼めばよかったのではないだろうか。しかし、久遠は首を横に振り、

「美味しかった……んだけど、今日はね、何かピザの気分だったの」

「ピザの気分、ですか」

 何だか字面だけだと嫌な感じである。ピザ=デブなんて誰が考えたのだろうか。

 久遠は続ける。

「だから、カルボナーラも気になったけど、こっちにしたの。遥さんはそういう事ない?」

「えっと……どういう事、でしょうか?」

「どっちを食べようかなーって迷ってて、片方はもう食べた事が有って味が保証されてる。でも、今日はもう片方が食べてみたい気分っていう事」

「えーっと……」

 考え込む。正直な所、遥は余り食に対して貪欲では無い。特にここ最近は、「あれ食べたい」「これ食べたい」という欲求を持つことが無い気がする。

「ない……ですね」

「そっかー……」

 残念そうにする久遠。もしかしたら共感が得たかったのかもしれない。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

 まるでタイミングを計ったかのように店員がやってくる。久遠は、

「あ、はい。この『マルゲリータ』と、『ほうれん草とベーコンのカルボナーラ』、」

 そこまで言って遥の方を伺い、

「で、いいんですよね?」

「はい、大丈夫です」

「それでお願いします」

 店員は手元の伝票にさらさらっと書き込むと、

「畏まりました。取り皿はカウンターにございますので、ご自由にお使いください」

 そう告げて、去っていった。

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