お前のほうこそ、なにをそんなことでそんな喚きたてているんだ

 家に帰ったらまた親父が同じように暗いリビングで寝巻き姿でテレビショッピングを見ていた。

「学校に行かなかったらしいな」

 そういえば、ウチはそこそこの進学校なんだった。黙って学校をサボッたりしたら、当然のように親にまで連絡が行くらしい。そりゃそうだろうなと思う。なにしろ、オーディションのほうに必死でそんなことにまで気が回っていなかった。

「どこに行っていたんだ、こんな時間まで」

 親父は努めて、落ち着いた声で話そうとしているのが分かる。でも、怒ってもいるのだろう。こうなると、なにをどう言ったところで実際のところは聞く耳を持たないのがこの人だ。価値観が一面的で、薄っぺらい。

「東京だよ」

「東京? なにをしに行っていたんだ?」

 親父がテレビを消して、俺のほうに視線を向ける。俺は親父の顔を見返す。久しぶりに、親父の顔をちゃんと見たような気がした。薄闇のコントラストのせいだろうか、なんだか俺の記憶にある親父の顔よりも、ずいぶんと老け込んで精彩を欠いているように思えた。疲れているのかもしれない。

「オーディションだよ」

「オーディション?」

「ドラムのオーディション。久我山輝美って有名なピアニストがバンドメンバーを募集していて、そのオーディションを受けに行っていた」

 俺がそう言い終わるよりも前に、話を遮るようにして親父が「お前、そんなことで」と言った。

「なにがそんなことなんだよ!!」

 自分でも、ビックリするほどの大声を出していた。こんな真夜中になにをやってんだと冷静に考えている俺もいるにはいるが、残念ながら、そっちのほうの俺には今、身体をコントロールする権限がない。

 またマグマが、俺を支配している。

「なにがそんなことなんだ! なにがそんなことなんだよ!? これはスゲェことなんだぞ! 俺がずっと誰にも省みられずにそれでもひとりで黙々とやってきたことを、こだわってきたことを、やっと目に留めてくれる人がいたんだ! やっと認めてくれる人がいたんだよ! 間違えてなかったんだ! 俺はまるっきり間違えてなんていなかった! 合ってたんだ! 俺が自分だけで自分を信じてやってきたことは少なくともそれなりに合ってはいたんだ! それのなにがそんなことなんだよ!!」

 お前のほうこそ、なにをそんなことでそんな喚きたてているんだと、冷静なほうの俺が呆れて首を振っている。そこそこいい歳こいて、まるっきり癇癪もちのガキそのものじゃないかと失笑している。

 言うだけ言って、俺は自分の部屋に駆けあがる。親父がなにかを言おうと、口を少し開きかけていたその顔が、目の端にチラリと残っていた。「は」の口。たぶん「ハジメ」と言おうとしていたのだろう。俺の名前を呼ぼうとしていたのだ。昔から、怒るときはただ俺の名前だけを呼ぶ人だった。ただ名前を呼ばれるだけで、俺はなにも言い返せなくなる。絶対的な親父。寡黙で実直で、忍耐力があって、柔軟性に欠けていて保守的で愛国的で一面的で平板で、男が四の五のと言うことを好まない親父。良いことは良い。悪いことは悪い。そういう単一の価値観で凝り固まって、刷新されることのない親父。

 平凡だ。平凡で、俺にそっくりだ。

 俺は着替えることもせず、そのままベッドに仰向けに転がった。

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