第26話 刃を向ける先

 玉霄関ぎょくしょうかんの上空を飛び交う妖魔たちが一匹、また一匹と射落とされていくのを見ていた雷禅らいぜんは、関令・元仲げんちゅうたちの奮戦に、内心で安堵の息をこぼした。


「元仲殿たちが頑張ってくれているようだな」

「みたいですね」


 隣に座らされている伯珪はくけい黎綜れいそうも、遠目に見える関所での戦いぶりに勇気づけられているようだった。朱利しゅりの命のもと、さまよう魂が術者たちによって亡骸に憑依して幽鬼となり、妖魔の首領がしもべを呼び出して襲撃の指示を下したときは見ているだけであることを悔しく思ったが、少しは救われた。


 逆に悔しそうなのは、吐蘇とそ族の過激派や、彼らの呼びかけに応じて参戦した他の少数民族の過激派たちだ。歯を食いしばり拳を握りしめ、物凄い形相で玉霄関を睨みつけている。


「くそ、しん人め……!」

「さすがに守りは堅いか……」

「朱利様の命令はまだなのか?」


 悪態や舌打ち、急く声が過激派たちの間から雷禅のもとへ聞こえてくる。同時に、雷禅たち捕虜にも悪意は向けられた。感情をぶつけられる手近な相手は、今は雷禅たちしかいないのだ。当然と言えば当然のことであった。

 吐蘇族の男が、妖魔の首領がいるほうから走ってきた。まだ雷禅とそう変わらないだろう若者だ。


「朱利様のご命令です。その混血を連れてこいって」

「!」


 集落で言葉を交わしたきりの朱利からの思わぬ呼び出しに、雷禅は目を見開いた。近くにいた伯珪と黎綜も、表情を硬くする。


 こんな状況で雷禅だけを呼び出すなんて、まともな用とは到底思えない。少なくても、逃がしたり交渉役にするつもりはないはずだ。

 だが、拒否することなどできるはずもない。雷禅は無理やり立たされた。


 そのとき、伯珪と黎綜が動きだした。雷禅に近づいてきた男たちを素早い動きで仕留め、崩れ落ちる手から武器を奪う。

 その両腕が自由なのは、暗器を隠し持っていたからだ。袖口にでも部下たちも同じく縄を切り、戦闘態勢に入っている。


 さすが、武名を轟かせた将軍の部下たちと言うべきか。捕らえながらも、反撃の機会をずっと窺っていたのだ。満足な食事を与えられないまま歩かされ、体力は普通以上に削られていたが、妖魔の首領の威圧や過激派の殺気に屈しないという強い意志が目に浮かんでいる。先代西域府君の頃、出くわした大盗賊団に囲まれても余裕を失わなかった、雷禅の義叔父おじ率いるそう家の精鋭護衛たちの姿が雷禅の目に重なった。


「なっ殺せ! 殺してしまえ!」

「やれるものならやってみろ!」


 一人が叫ぶや、伯珪は彼に駆け寄り顔面を殴り飛ばした。次に大刀を振りかざした男からはその大刀を奪い、腹に拳を入れて気絶させる。その動作のなんと素早く正確なことか。奪った大刀を部下に投げて渡し、また過激派の男たちに戦いを挑む。


 彼らに勇気づけられ、雷禅は早く連行しようとしていた若者に抵抗した。その間に黎綜が駆け寄ってきて、敏捷な動きで並みいる男たちを退けるや、若者にも飛び蹴りをかます。


「雷禅さん、今助けますからね」

「っありがとうございます」


 黎綜は素早く雷禅の縄も切ると、吐蘇族の剣を渡してくれた。自由になり、雷禅は大きく息をつく。


「玉霄関へまずは逃げよう。門の前まで逃げれば、元仲殿が開けてくれるはずだ」

「……ですね」


 伯珪の提案に雷禅は頷く。手足が自由になったものの、孤軍の自分たちは圧倒的に不利だ。なんとかして玉霄関まで逃げるしかない。

 目的を玉霄関に定めた雷禅たちに、過激派たちが襲いかかってくる。もう朱利の命令など、誰の頭にもないのだろう。連れてこいと朱利に命じられている雷禅にさえ、手加減せず刃を振るってくる。雷禅は、それにこそ恐怖した。


 一体何人の男たちから刃を振るわれ、何度それを受け止め、さらには返したのか。鬼気迫る形相で、男が一人、雷禅に向かってきた。雷禅を連れてこいという朱利からの命令を伝えにきた若者だ。


 一瞬ひるむが、迷っている暇などない。雷禅は剣をかわすと、手首に一撃をくらわせて剣を奪い、蹴り飛ばした。周囲の怒りが増し、空気を震わせたような気がした。


 その合間を縫うようにまた一人、刀を繰り出してくる。綜家とは長年付き合いのある、ある少数民族の織物商だ。気弱な笑顔を浮かべながら、雷禅にいくつもの織物を見せてくれた人。

 雷禅は剣を剣で受け止め、懇願した。


「やめてください、吐尊とそんさん! 僕は貴方たちと殺しあいたくない!」

「何をふざけたことを! 俺たちはもう、虐げられるのは御免だ!」


 雷禅の剣を押し返そうとする力が増した。それに渾身の力で対抗しつつ、無駄とわかっていても叫ぶ。


「だったらっ……だったらこんなことはやめてください! 貴方たちを虐げた官吏はもういない! 西域府君は貴方たちを差別しない! こんなことをしても、貴方たちの立場が悪くなるだけです! 貴方たちがすべきなのは、蜂起なんかじゃない!」

「っ黙れぇ!」

「っ!」


 押し切られる――――。そう思った刹那、何を考えずとも体が動いた。剣が弾き飛ばされる前に、横に跳ぶ。


「あ…………」


 気づけば雷禅は、吐尊の腕を傷つけていた。刀が吐尊の手から落ちる。

 吐尊が憎悪の眼差しで雷禅を睨みつける。それを雷禅は、震える気持ちで受け止めた。


 剣で人を傷つけたことはある。隊商に混じれば賊に襲われるのは当たり前で、雷禅も荷や己を守るために剣を振るわなければならなかった。妖魔と初めて戦う直前も、賊が振り下ろす剣を受け止めたし、躊躇いなく賊を傷つけた。


 だというのに、それが今、こんなにもおそろしい。


 吐尊が刀をもう一度握り、仲間と共に襲いかかってくる。周囲に傷ついた仲間がいるというのに、そちらを見もしない。後悔に沈む間もなく雷禅は剣を握りなおし、それに立ち向かうしかなかった。

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