4:あなたがやけに眩しくて 4

「どうなった?」

「兄貴の信者はたまに暴走するから困る。俺はナジュムを始末しろとしか言っていないんだがな」

「あれ、作戦は失敗かい?」

「実家に逃げ帰られた」

「ふむ。さすがにフォルザーニーの本家は手を出しにくいね」

「すまん」

「もう起こってしまったことは仕方がない。他には?」

「白い魔物の出生記録が見つかった。今から十七年前の冬、エスファーナの中央市場の織物問屋アーベディー家の話。時の長男、今の当主ホセインの最初の妻サマナが男児を出産してすぐ死亡。このお産に立ち会った産婆を捕らえて尋問したところ、生まれた男児は全身が真っ白で、あまりの不気味さに家じゅうが大騒ぎになり、実際には母子ともに良好な状態だったが死んだことにするように言われた、とのこと。ホセインはサマナと白い息子を殺そうとしたがサマナは息子を連れて逃げ出した。以後音信不通」

「それだね」

「産婆と父親のホセインは始末した。母親のサマナは今捜している」

「見つけ次第始末してほしい」

「了解。次に、白い魔物と寝たと言う男も何人か見つけた。その中に三人ほど、ゲテモノ好きがいてな」

「ゲテモノ?」

「『旅する見世物小屋』と名乗る集団がいる。定期的にやって来る旅芸人の一座だが、つまり見世物小屋だ。花形は一つの下半身に二つの頭が生えた異形の娘で、小人や巨人などがいるらしく、そこの常連客がたまたま化け物どもの舞台を観に来ていた白い魔物と知り合い、とのこと」

「ふうん。見る方にも見せる方にも反吐が出る」

「次期国王陛下がそんな言葉を使うな」

「白い魔物もその見世物小屋で働いていた、と?」

「いや、それはないらしい。舞台に立っているところを見た者はない。が、その見世物小屋の面々と親しげに話しているところを目撃した者はいた。どうする?」

「可哀想だがみんな処分で。王の傍近くに侍る者が不具の男娼だと知られてはどこの誰に何を言われるか分からない。事情を知っていて口が利ける者はみんな始末だ」

「了解。――最後に。白い魔物そのものはどうする?」

「しばらく泳がせておいて様子を見よう。場合によっては王妃様にさせてあげようじゃないか」

「いいのか?」

「シャムシャの弱点に育ってくれるよう僕は祈っているよ。――さて、ナジュムが留守のうちに次のことをしよう」




 巨人のアブドゥルは叫びながらアルヤ人の成人男性の二倍ほどもあるその巨体を震わせた。見下ろすと尻に矢が刺さっていた。そしてその周りを取り囲むように白い軍服を着た男たちが並んでいた。

「ひいっ、たいへんだ、たいへんだ」

 天幕の屋根の修理道具を放り投げ、天幕の中へ入ろうとする。だが下からいくつも矢が飛んできてアブドゥルの足を止めてしまう。

「どうしたアブドゥル」

 アブドゥルの悲鳴を聞いて全身一切無毛の蛇男のグレゴリが出てきた。

 グレゴリは、白い軍服の男たち――白軍兵士たちを見つけて、「何を」と目を丸くした。

「うちの団員が何をした!? アルヤ王国の誇る由緒正しき白軍隊士がいったいなぜ哀れな巨人を攻撃する!?」

 しかし兵士たちはグレゴリに対して剣を抜いた。

「いたぞ、化け物め」

「聖なる王国に侵入するとは、始末してくれる」

 グレゴリが眉間に皺を寄せた。グレゴリの乾いた額の皮膚がまたひび割れた。

「関所ではきちんと通行証をいただいた、貴殿らの国王陛下は我々の興行を許可なさっているはずだ」

「セターレス閣下は貴様ら化け物どもをこの神の国から一掃せよと仰せだ」

 グレゴリも蒼ざめつつも剣を抜いた。彼も芸人の一人だったが、彼だけは夜盗から一座を守るために武術を身につけていた。

「畜生っ」

 金属音が鳴り響いた。アブドゥルの低い悲鳴が響き渡った。

「グレゴリっ」

 アッディーンが騒ぎに反応して広間に駆けつける。グレゴリが兵士たちに応じながら叫ぶ。

「女たちを避難させてくれ」

「よしきたっ」

 自分の小さな体では満足に戦えないことを知っているアッディーンは言うや否や短い足で走り出した。


 天幕の中には、犬女のナターシャと双子のヤミーナとヤサーラ、手なし娘のオリガ、そして、ナターシャとグレゴリの愛息子イヴァンがいた。イヴァンは、父親譲りの青い瞳を母親譲りの金髪の陰で震わせ、母の長い腕毛を強く握り締めていた。

「――というわけだ、早く逃げろ!」

「と言われても」

 双子が声を震わせる。

「オリガを置いてはいけないわ」

 オリガが悔しそうに下唇を噛んだ。

 彼女には手足がない。本来四肢のあるべき場所に拳大の肉塊がぶら下がっているだけだ。彼女を負ぶったり抱えたりして逃げることは、小さなアッディーンやイヴァンのいるナターシャ、二人で一つの下半身を使ってどうにか走る双子にはできない。

「いいの、ヤミーナ、ヤサーラ」

 オリガが長い睫毛に涙を溜めて言う。

「私を置いて逃げて。みんなだけでも無事に逃げてほしい。私、みんなと一緒にいられて、幸せだった。私のためにみんなが犠牲になったりはしないでほしいの」

「いやよっ、いやいやっ!」

「オリガは可愛い妹よ、そんなことはできないわっ!」

 その時だった。

 突然天幕の出入り口が持ち上げられた。

 全員その身を震え上がらせた。

 入ってきたのはグレゴリだった。

 ほっとしたのも束の間、

「早く……逃げ……ろ」

 それだけ告げると、彼はその場に倒れてしまった。

 彼の背中には剣が生えていた。

 ナターシャが「あなた」と悲鳴を上げた。

「パパ、パパ」

 イヴァンが走り出そうとした。それをアッディーンは後ろから抱き留めて止めようとした。だがイヴァンはもうすでにアッディーンより大きいのだ。引きずられる。

「残りがいたぞ、こっちだ!」

 足音が聞こえてきた。白軍兵士たちだ。

 アッディーンは「いいから外に」と言って裏口を顎で指したが、双子とオリガは動こうとしない。

 ナターシャがイヴァンの腕をつかんだ。

「ごめんなさい、アッディーン、双子、オリガ」

 彼女の頬に生えた美しい金の毛並みが濡れていた。

 それでも、彼女は母親なのだ。

「この子を連れて行きます」

 アッディーンはイヴァンを離した。

「いいんだナターシャ。イヴァンだけはきちんと育ててやってくれ、この子は俺らにとっても希望の光なんだ」

 イヴァンはきょとんとした様子で「アディー?」と呟いた。だが返事を聞くことなく母に抱えられて天幕の裏口へ連れていかれてしまった。ヤサーラがイヴァンに「さよなら」と手を振る。何も知らないイヴァンが「またね」と手を振り返す。

 白軍の兵士たちが入ってきた。

 アッディーンはグレゴリの手から剣を取り、「俺だって男だ」と言って構えてみせようとした。けれど長剣は彼には重すぎた。

 一瞬だった。

 アッディーンが剣の重さに耐え切れずふらついた瞬間、兵士の振った刃がアッディーンの小さな体を突き抜けた。

 少女たちの悲鳴が響き渡った。

「おい、見ろ」

 白軍兵士の一人が、三人分だが二つの体を指して言う。

「あれ、何だ。一つの下半身に上半身が二つ生えている」

「気持ち悪いな……」

 ヤミーナもヤサーラもオリガを抱く腕に力を込めた。それから、震える声を紡いだ。

「あなたたち、覚えていなさい。この国を呪ってやるわ」

「こんな国滅べばいい! 『蒼き太陽』、クソ喰らえ!」

 血しぶきが飛んだ。


 ナターシャは涙を止められなかった。

 ナターシャは一座の座長だ。彼女らの母になったつもりで、自分が率先して彼女らをここまで導いてきたのだ。それをこんな形で見捨てることになろうとは思ってもみなかった。

 だが、

「ママ、パパは? アディーは? おねえちゃんたちは……?」

 腕の中でまだ五歳の我が子が震えている。

 この子だけは守らなければならない。

 靴音が聞こえてきた。「いたか」「こっちにはいなかった」という声も聞こえてくる。おそらく自分を捜しているのだろう。

 覚悟を決めなければならなかった。

 女の足では子供を抱えて遠くへは行けない。

 ナターシャはイヴァンを地面に下ろした。イヴァンが不安げに「ママ?」と呟いた。

 イヴァンの頬は滑らかだ。ひび割れてもいないし、余計な毛も生えていない。適切なところだけに適切なだけの毛が生えているこの子は、まったくの、正常だ。

「いい? イヴァン」

 我が身を引き千切られている気分だ。

「お前は普通の人間です。これから先、パパやママが人でなかったことをけして人に言ってはなりません。何も言わずにどこかへ連れていってもらいなさい」

 イヴァンは「でも」と呟いた。

「ママは……?」

 ナターシャは首を横に振った。

「新しい、真っ当な人間のパパとママを探すのですよ」

 イヴァンが何とも言えない顔を作った。自分の置かれている状況を理解できないのだろう。五歳児には重すぎる話だ。だが何としてでも呑み込んでもらわねばならない。

「さぁ行きなさいイヴァン! もう戻ってきてはなりません、私を母と呼ぶのをやめなさい!」

 小さな手が伸びた。

 ナターシャの着ている北方の雪国の民族衣装であるスカートの裾にしがみついた。

「やだ!」

「イヴァン」

「ママ、すてないで! ボクをすてないで!」

 幼い頃の自身の記憶が甦る。

 ナターシャの父親は、酒を買う金欲しさに、ナターシャを売り払ってしまったのだ。

 ――パパ、ナターシャをすてないで。おねがい、ナターシャをすてないで……――

 それだけは、したくなかった。

「イヴァン……っ」

 違うのよ、愛しているのよ、お前を愛しているからこそここで別れなければならないのよ――それをどうやって五歳児に分からせたらいいだろう。

「見つけたぞ」

 時が来た。

 振り向いたら、そこに白い軍服を着た何人もの男たちが、血に濡れた刃を片手に立っていた。

 化け物と呼ばれてきた自分たちでも、血は、流れるのだ。

「お願いです……」

 ナターシャはこれを最期と思い、イヴァンを抱き締めた。その温もりを身に焼きつけておきたかった。そうして、イヴァンにも、覚えておいてほしかった。自分は確かに今日まで父と母に望まれ愛されて生きてきたのだということを、憶えておいてほしかった。

「この子は普通の子なんです。この子だけは普通の人間なんです。私は構いませんから、どうぞ、どうぞこのイヴァンだけは……」

 白軍兵士のうち、一人だけ胸に勲章と思しきものをつけている男がいた。その男が隊長なのであろうか、いずれにせよ上官であるには違いない。

 彼が静かに歩み寄ってきたので、ナターシャはほっとしてイヴァンを離した。イヴァンが不安げな顔をした。

 男の腕が伸び、イヴァンの腕をつかんだ。

「イヴァン、だと?」

 刃が、煌めいた。

「犬ころのくせに、産んだ子犬に人間のような名前をつけるな」

 イヴァンの幼い胸を冷たい刃が刺し貫いた。

 エスファーナの一角で女の絶叫が響いた。だが誰も気に留めなかった。この街は、今、そういう街だ。

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