第12話 叉鬼

 山中での猟を終えた山本 兵太やまもと へいたが北山の麓で見たのは、変わり果てた木帰町の姿であった。見るからに異様な空気に包まれた町内に、おおよそ見たこともない連中が我が物顔で歩き回っているのだ。


 ざっと見ただけでも、町民の倍以上の数の人影が、都道を歩き集落の方へと向かっている。空中から見えない糸で釣られた操り人形のごとく首をグラグラと揺らし、中には空を見上げたまま歩いている者もいた。これを即座に現実の光景として認めるかはさておき、山本は、彼等がこの世の理から外れた存在。すなわち留人である事をひと目見て理解した。


 現在進行系で町を襲う重大な危機を察した山本は、彼の後から続いてきた叉鬼達に手で合図して、動かず息をひそめるように伝えた。何事かと降りてきた三人が、皆眼下の光景を見て息を飲むのが分かった。


「肉は?」


 そう彼に短く尋ねたのは、一番最後列でカモシカを担いできた男だ。


「捨てろ」


 山本はそれだけを返すと、その近くの地面を指差した。男はちぇっと舌打ちをして、ぶっきらぼうにカモシカを降ろした。


 今日の獲物はこれだけだったが、四人全員で軽く穴を掘ってそこに埋める事になった。血抜きが済んでいるとはいえ、嗅覚に鋭敏な留人達を刺激する訳にはいかないからだ。


 皆、内心動揺はしているはずだったが、そこは普段から命を張って猟を生業とし、統率のとれた連中なだけあって状況の飲み込みもすこぶる早い。埋め終わった穴の上で土を踏み固める山本の方を、残りの三人はジッと待っていた。


「――じき陽も沈むじゃろ、早い内に長屋に帰った方がいいんと違うか」


 最初に口を開き、叉鬼の集落へ急ごうと提案したのはイノシシ猟を得意とする奥田 崇文おくだ たかふみだった。彼はこの中では狩猟歴が最も浅く、普段はくくり罠での待ちの狩猟を専門としていた。色白で鼻高の彼の顔は、この状況下で更に青白くなっているように見えた。


「あの数を見てみぃ、今集落の方に入ってくのは死ぬのと同じこっちゃ」


 もう一度山に入り、一晩かけて隣町へ抜けるべきだと主張するのは、篠原 真しのはら まこと。奥田とは対照的に色の黒い彼は、この中では山本に次いで狩猟歴が長いベテランの叉鬼だった。


 彼の言葉で全員が遠目に木帰町の方を眺めると、人間の匂いを探っているのだろうか、麓の辺りにやけに固まった一群が見えた。あそこに飛び込んで行くというのは確かに無謀であると思えた。


「カカッ、全員に鉛玉ァぶち込んでやりたい所じゃがの、それこそ留人にでもならん限り命がいくつあっても足りんな!」


 銃口を町の方に向けて撃つ真似をしながら豪快に笑うのは、カモシカをここまで一人で担いできた男、熊谷 治くまがい おさむだ。大きな体つきをしており、左目に黒い眼帯をした彼は、木帰町でも昔から有名な荒くれ者で、若い頃はガキ大将の山本と何度喧嘩をしたかも分からない。


 眼帯の下には義眼がはまっており、それは猟の最中に熊にやられたものであったが、それを喧嘩の最中に山本に喰われたと言うのが彼の決まりの冗談である。


「そんで、どうするんや兵太。」


 熊谷は真剣な表情に戻り、黙って町の方を見つめたままの狩長かりおさである山本に尋ねた。亡き父の跡を継ぎ、青年期のほとんどを山中で過ごした山本は、いつしか叉鬼衆またぎしゅうを率いる中心人物となっていた。その確かな腕と判断力には全員が一目置いており、彼等が高齢者となっても堂々と山に向き合えているのは一重に彼のおかげといっても過言ではなかった。


 叉鬼衆から信頼を寄せられる山本は、彼等の方に向き直ると一人ひとりの顔を眺めて口を開いた。


「――まずは、生きとるもんを探すぞ」


 具体的な話はそれからだ。との山本の言葉に、叉鬼衆はただ「おう」とだけ返す。山本を先頭に走り出した彼らは、それ以降ほとんど口を開かなかった。獲物に感づかれないように細心の注意を払って動く、それが彼等の決まりだった。


 集落へ近づくという決断をしたものの、山本は内心葛藤を続けていた。少年時代に経験した父親の死と留人への特別な思い。その恐怖と怒りが入り混じった感情が自身の判断を曇らせてはいないか、そう自問自答していたのだ。


 彼の右の耳は千切れて無くなっており、そこに代わりに都製の補聴器が付けられていた。これは熊谷と同じく、冬眠し損なった熊に奪われた時のものであり、角刈りの頭に似合わない、この銀色の四角い機械が彼の特徴となって久しかった。酒の席の度に繰り出される先の熊谷の冗談に対しては、山本も負けじと耳をこいつに引き千切られたと言い返すのだ。


 怪我を負いながらもナタを使ってそのまま熊を返り討ちにするという『熊殺しの叉鬼』として、熊谷と共にその名を近隣の山々に轟かせる彼であったが、流石に今回ばかりは先の不安は拭いきれなかった。


 しかし、決断した以上は黙って身体を動かすのも叉鬼衆の決まりだ。悩みや不安を薙ぎ払うように枝木を打ち払いつつ山中を進む彼等は、風向きに気を付けて北山から東山へと移動して、その山裾に降りた。


 さっきよりも近くなった木帰町が見える。遠くからでは分からなかったが、歩いている留人達は若い者が多く、金髪と茶髪が不気味な動きで揺れているのが印象的だった。少なくとも町の年寄りの姿はそこには見当たらず、彼等はほっと胸を撫で下ろした。


「どう思う」


 そう山本が振り返って奥田に尋ねる。奥田は叉鬼としては平凡であったが、若い頃は都で役人として働いていた事もあるという中々の切れ者であった。


「多分、公民館じゃろうな。ワシならそうする」


「というと?」


「道を埋め尽くす程の留人が来とるだろ。あれじゃあ町の外へ逃げようとは思わん。山の中を逃げるにしても、ワシらならともかく年寄りの足腰にはちと酷じゃ」


 だから見晴らしの良い高台に、公民館に逃げているはずだ。との奥田の言葉に山本は深く頷いた。もし避難が済んでいるならば、我々が向かわなくても問題ない。むしろ下手に動き回らず、留人の手の届かない叉鬼の集落へ帰るべきだろうと思われた。


「ほんなら、このまま急いで帰ろう」


 猟を生業とする者を、この国では総じて叉鬼と呼んだ。留人達から里を守る役割を担っていた守護人しゅごにんと呼ばれる者らがその起源であり、歴史は送り人よりも遥かに長いものである。人里を守る自警団が、国から正式に守護人として雇用され、猟銃の合法所持を認められたのを機に、留人だけでなく鹿や熊も撃つ叉鬼となっていったのであった。


 その名残か、今でも叉鬼衆は、例え獲物が目の前でゴロ寝をしていようとも、自分達の集落のある南山での狩りは行わなかった。これは人里近くに留人をおびき寄せる事を嫌った守護人の思想が、子孫である叉鬼に受け継がれていることの証でもある。


「当然分かっとると思うが、出来るだけ音は立てるなよ。奴らは目と鼻の先におるだろう。下手な事をすりゃ、あっという間に留人だらけになってしまうでな」


 山本の言葉に、またも「おう」とだけ又鬼達が短く返事をし、全員が藪から降りて行こうとした、その時である。彼等の耳に、良く聞き慣れた音が届いたのであった。


 パァンと乾いた音が一発。


 紛れもなく猟銃の発砲音であった。先頭を行く山本が、慌てて足を止めて全員を制止させる。顔を見合わせた彼等は、目を白黒とさせていた。


「まさか」


「森田のじっさまやろうな。こいつは……」


 絶句する篠原の言葉を続けるように、奥田が冷や汗を流しながら言う。森田は既に引退して久しい叉鬼であり、山本の前に狩長をしていた老人であった。大人しく温厚な男であったが、銃の扱いには長けており、かつては皆から慕われる優秀な狩長であった。


 今、叉鬼の集落に残っている者の内、鉄砲を扱いそうなのは森田のみだった。それはつまり、彼が銃を撃たなければならない何かが、叉鬼の集落で起きた事を意味している。


「急いで、連中が気づく前に集落に入ろう」


 奥田がそう言って駆け出そうとするのを、尚も山本は制する。


「――もう遅いようだ、別の道を行き公民館に向かうぞ」


 そう言って彼は、目の前に見えている自宅に背を向けて山の奥へと戻ろうとする。


「しかし、今ならまだ……」


「阿呆、悠長な事を言うとる場合か」


 熊谷は、あれを見ろと言わんばかりに銃の先を集落の方へ指した。するとそこには、頭を揺らしながら樹上長屋を見上げる留人達の群れが見えた。発砲音につられてこちら側へと回り込んで来たらしい。奥田はそれを見て、ゾッとした表情を浮かべていた。藪に隠れた彼等の元にも、風がほんのりと香ばしい臭いを運んで来る。


 ――いや待て、こんなに強い臭いがするはずが……。


「っああああ!」


 山本が急いで周囲を見渡そうと振り返った時、大きな叫びを上げたのは篠原だった。見れば彼の足には、腐乱した留人がしがみついているのが見えた。藪の中を這いずり回っていたのだろう。どこで落としたのか下半身がなく、土で汚れた長い腸を露出させていた。


「離せッ! あああっ!」


 足をがむしゃらに振る篠原の足に、馬鹿力しがみつく留人。既に彼の太ももあたりに歯を突き立てていた。


 ――南無三。


 山本は素早く引き金を引く。耳をつんざく轟音。煙の臭いが辺りに広がり、留人の頭はまるでトマトのように弾けた。咄嗟に振り返ると、集落を見上げていた留人達は既に首をこちらへと傾けていた。ああ、見つかってしまったのだ。


「あっ……あっ……あっ……!」


 自身の太ももを押さえる篠原が、真っ青な顔でその傷口を見ていた。ズボンが破れ、露わになった肌にはくっきりと歯型が浮かんでおり、そこからじわりと血が滲み出していた。山本はすぐに止血を行ったが、噛み傷からは血が止まる事はなかった。


「いいんだ、ありがとう。……行ってくれ」


 篠原は途切れ途切れの声で、それだけを全員に伝えた。背後には叉鬼達に気づいた留人の群れ。山本は額に浮き出る汗を拭うと、残りの二人に声をかけた。


「――逃げるぞ、熊谷!」


「お、おう!」


 山本と熊谷が篠原の肩を両側から支え、奥田が藪を掻き分け留人に注意をしながら山中へと入っていく。背後に常に感じる気配を無視するように、ただ前だけを彼等は見て進んだ。


「すまん……本当にすまん……」


 涙を流す篠原の両脇で、二人は交互に彼を励まし続けた。


「いいか、山小屋まで、走るぞっ!」


 おう、と答える声が、森の中に響いた。

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