飲めない果実酒、もたれる朝食

 深水は片想い体質かもしれない。

 無性に心惹かれるものほど、手が届かない、もしくは手にあまるものが多い。


 たとえば朝ごはんである。

 深水は他サイトで朝食をテーマにした小説も書いているというのに、いざ自分が朝食をとると胃もたれをおこす。おまけに朝が苦手である。

 夫は「(群馬県の方言で朝ご飯の意)がない人生なんて」という人なので、起きてこない深水をあてにはせず、自分のぶんだけ朝食を用意して食べ、さっさと出社することもある。

 子どもができてからは必然的に早起きになるので朝食を作る機会が増えたが、夫と子どもたちの分だけ作り、その余ったものを口に放り込む程度である。それも台所で立ったままなので味も素っ気もない。


 そのくせ『朝ごはん』という言葉やイメージに猛烈な憧れを抱いている。朝ごはんを特集した本をじっくり読むのが大好きである。和食でも洋食でもどちらでもいいのだ。とにかく『朝ごはん』を見るのがいいのだ。

 他人の朝ごはんの写真を見るだけで、気持ちが整うから不思議なものだ。


 また、お酒でいうとラム酒に片想いである。

 香りも味もボトルのデザインを見比べるのも大好きなのだ。ラム酒をきかせたお菓子はもれなく好物である。

 なのに、実際にラム酒を飲むと必ず頭痛がする。好きだけど手が出せない、そんなもどかしさがある。


 果実酒もそうだ。『果実酒』という言葉の響き、瓶につけられている様子、たまらなく心踊る。それなのにホワイトリカーの風味が少々苦手なのである。多くは飲めない。


 もしかしたら、ままならないものだから心惹かれるのかもしれない。

 他人の手の中にあるから。もしくは自分の手にはおさまりきらないものだから。そんなところがスパイスとなっているのだろうか。だからこそ、実際に楽しめなくても、見ているだけで満足する。

 隣の芝生が青いというなら、深水には青いどころかバラ色、七色、黄金色に見えるのだろう。


 しかし、それだからいいのだ。

 いざ自分の手中におさまってしまうと、あの憧れは消えてしまうような気がする。甘えてきたかと思えば、するりと抱っこしようとした腕をすり抜けてしまう猫が好きなのは、そういう性格だからかもしれない。


 いろんなものに片想いをしている深水は両想いに不慣れである。たまに愛猫がべったり甘えてくると、舞い上がりすぎて逃げられる。不器用な女である。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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