大人になれば

 『大人になった』瞬間というものがあるとしたら、自分の場合はいつだったのか。深水はときどきそんなことを考える。


 バーに一人で飲みに行くのが普通になったとき。

 ホールのケーキを買って一人で食べたとき。

 煙草に火をつけるのに慣れたとき。

 口説き文句をかわせるようになったとき。

 人ごみの中にいるときほど、孤独を感じるとき。

 自分を達観できたとき。


 どれもかつて『大人になったな』と思った瞬間ではあるが、他人から見たら子どもじみているかもしれない。第一、本当に大人になった瞬間とは、『大人になったな』なんて思いもしなくなったときかもしれない。


 そもそも『大人になった』というものがどんなことを指すのか、この年齢になってもイマイチ説明できずにいる。

 大人になったつもりで、単に老けたのかもしれないし、死んだように生きているだけかもしれない。


 いつだったか、とある男が好きになった年下の女のことをこう評した。


「あいつは波乱万丈の人生で経験豊富だから大人なんだ」


 と、半ば尊敬の眼差しで語るのである。

 深水はそれを見て、『波乱万丈を尊ぶからお前の人生、安定しないんだ』と心の中で呆れていた。


 波乱万丈が悪いわけではない。ただ、普通の人生を当たり前に生きているほうが難しいと思っていたのだ。そして、その年下の女は深水も知っている人だったが、深水の大人像とは違っていて、大人ではなく擦れているだけだと感じていた。

 彼女は大人な大人とは思えなかったし、その人を賞賛する男もまた大人ではなかったということだ。そう勝手に結論づけた。


 大人になればああなるんだろう、こうなるんだろうと思い描いていたもののうち、どれか一つでも実現しているものなどあるだろうか。その前に、かつて『大人』にどんな夢を見ていたか思い出すこともできずにいる。


 大人になればいいこともある。

 珈琲が美味く感じるし、宿題からも解放され、どこにだって行ける。

 けれど、子どもらしい自由な発想を失うこともあるし、自分を養わなければならない。母の胸で甘えて泣きじゃくることもできなくなる。


 深水は風呂の中で思うのだ。

 猫は子どもの頃のことを覚えているのだろうか。大人になったと思うことがあるのだろうか。

 いや、そんな括りにとらわれないから猫は気ままに美しいのだろう。そして、心から猫になりたいと願う。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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