心の隙間にヘミングウェイ

 深水の積ん読には理由が2つある。


 1つ目は興味もあるし名作だとわかっているが故に、引きずり込まれて精神が削られてしんどいからなかなか手を出せないパターンだ。

 作品の世界に浸かりきってしまい、感情を揺さぶられ、命まで削られるような気がする。名作であればあるほど、その世界から抜け出すのに苦労するのだ。

 こういうものは「読まなきゃ」「読みたい」と思いながらも「えいやっ!」と、その世界に飛び込む気力が足りず積ん読しているのである。暗めの内容ならなおさらである。


 2つ目はその本が『お守り』になっているものだ。

 積ん読といっても、パラパラとめくって部分的に読んでいる場合もあるし、最後だけ読んだものもある。その手の本には思い出があって、手元に置くことによって忘れてはいけないものを心の隙間にそっと置くのだ。


 たとえば、とても好きだった漫画や映画に小道具として登場した本で、その作品から学んだことを忘れないためのものもある。

 幼い頃に愛読していた本は、ストレスや苦痛から目をそらすためだ。それを読まずとも見るだけで繭に包まれるような安心感を覚える。母親の腕の中に抱かれていた頃に逃避するのである。


 昔好きだった人が愛読していた本もお守りになっている。

 彼といたときに学んだこと、見習うべき強さや勇気を忘れないために持っている。お守りの積ん読は、過去に得たものや思い出の再生ボタンである。


 中でもヘミングウェイの『海流の中の島々』は一番のお守りだ。

 しかし、読むのが辛い箇所がいくつもあって、買ったときにはそれこそ島々のように飛び飛びで読んだ。


 その本の背表紙にあるタイトルを見るだけで、たるんだ気持ちが引き締まるのだが、最初から最後まで目をそらさずに読めたとき、お守りとしての本分が全うされる気もする。今だったらきちんと向き合って読めるのだろうか。深水には自信がないままである。


 そもそも、読めてしまったときが怖いのだ。

 本に抱いていた想いや解釈が変わるのが怖いのである。それはつまり、思い出に醒めてしまうかもしれないからだ。


 過去への依存だとしても、ふとした瞬間に心の隙間からヘミングウェイが顔をのぞかせるくらいがロマンチックでいいのかもしれないと思うのである。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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