猫は文鎮

 昔、深水はこう言っていた。


「犬の愛は重すぎる」


 犬独特の飼い主だけに捧げられる献身的な愛に応え切れる自信がないというのだ。けれど猫を代表して言わせてもらえば、猫だって飼い主に深く重い愛を注ぐものだ。


 そして愛は物理的にも重い。寝ていると猫が布団の上に乗ってくるのはいいが、本当に重いのだ。腕や肩に顎を乗せて寝られると、これまた重い。

 深水は4匹の猫を飼っているが、平均して2匹は乗ってくる。そんなに太っていない猫でも重いというのに、明らかに肥満体の猫もいる。


 だが、その重みこそ嬉しく、なにより多少は寝相が悪くても布団がずれない。まるで文鎮である。


 そう、猫は布団の文鎮であり、特に深水にとっては人生の文鎮でもある。


 深水は小学生の頃からずっと猫と暮らしてきた。『タマ』というオス猫を最初に飼って以来、18年もの間、人生を共にしてきたのだ。

 しかし、タマが虹の橋のふもとへ旅立ち、現在飼っている猫と出会うまでの数年間、猫のいない暮らしを送ったことがある。


 猫のいない暮らしは、振り返ってみると、どこか落ち着きのないものだった。

 家は入浴と寝るためだけの場所であり、そこで寛いだ記憶がほとんどない。そのかわりバーで飲んだり、旅行したり、自由に飛び回って楽しく過ごしていたが、その反面、根無し草のように浮ついていた。


 ところが、現在の愛猫と出会うと、不思議と根無し草人生に文鎮を乗せられたような気がした。

 重荷ではなく、文鎮である。なくてはならない、人生をよりよくしてくれる存在である。


 それまで、深水は自分が根をおろす場所を見出せないまま生きてきた。どこにいても異邦人のような気分であり、どんなに気に入った土地でもそこに飛び込むには尻込みする。骨を埋める覚悟で何十年も過ごすなど実感がわかなかった。


「ここでいいのか。ここを終の住処にしていいのか。もっと別の知らない場所がたくさんあるのに」


 それは飽くなき探究心というよりは、無い物ねだりや逃げのようなものだったと思う。いつになっても、何を得ても、満ち足りないのだ。


 だが、猫と暮らすうちに、たとえ世界のどこであろうと、猫のいる場所に根をおろせばいいと気がついた。どこかに行きたくなったら根っ子ごと移り行けばいいだけの話なのだ。


 あれよあれよという間に文鎮は4匹に増えた。

 並んで餌を食べる愛猫たちを見ると、深水は「私も子沢山になったもんだ」と苦笑するのであった。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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