怒りのエネルギーを発電にいかせたらいいのに

 時々、深水は風呂の中で唐突に呻く。

 そんなときは、恥ずかしかった記憶や怒りに震えた瞬間を思い出しているのだ。それらはなんの前触れもなく、あぶくのようにプカリと浮かぶ。不意を突かれて思わず声を漏らして悶えるのだ。


 喜怒哀楽のうち、深水が最も重要視する感情は『怒』だ。てっとりばやく人生を好転させたいなら『怒り』をコントロールすべきだと思っている。


 漫画家の富樫義弘は登場人物に『何に対して怒るのかを知れば、その人を知ることができる』という意味の台詞を言わせていた。これを実感した出来事があった。


 昔、職場の同僚に、見かけの美しさにとことんこだわる女性がいた。

 確かに美人ではあったが短気な上に思い込みが強く、キレるとべらんめえ口調で口汚く他者を罵り、見下す人であった。

 深水がそれに気づいたのは彼女が怒りを爆発させた場面に遭遇したからである。それ以来、彼女が外見の美しさにこだわればこだわるほど内面とちぐはぐで滑稽に思えた。そして『怒りは人を丸裸にするのだ』と知った。


 怒るというのは疲れる。他人の怒りを見ているだけでも疲れる。あふれ出る怒りに身を任せず、制御しようとするのはもっと疲れる。


 ということは、怒りにはものすごい熱量があるのではないだろうか。


 世界中、この瞬間に怒っている人は何人くらいいるのだろう。その怒りのエネルギーを発電にでもいかせれば、日本の電気を一時間くらいはまかなえるのではないだろうか。

 怒りという言葉はマイナスな印象を受けるが、せめて電気でも生み出せれば世のため人のためになるものを……と、深水は思うのだ。


 もっとも、怒りはマイナスの感情だとは言い切れない。誇りや優しさ、気高さによる怒りもある。とても奥が深い感情だ。


 演技の世界でも怒りは難しいらしい。ただ語気を強めればいいというものでもないし、険しい顔をして喚けばいいわけでもない。

 猫だって怒ればヒゲを張り、耳を動かし、被毛が逆立ち、牙を剥く。体全体で怒りをあらわすのだ。人間だって怒りの表現方法はたくさんある。

 怒りは難しい。そして怒りの演技がいまいちだと思うと、演技に詳しくもないくせに、その俳優・女優に興味をなくし出演作を一切観なくなる深水はもっと気難しい。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。

 

 猫が湯ざめをする前に。

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