不老

「スペア……?」


 なんだかその響きに僕は嫌な予感がした。


「そう、これが現代人が老化しない理由。永遠の命を手に入れた理由。実際には体は老化するのだけれど、スペアと定期的に体を交換して体を若い状態のまま維持しているのよ」


「体を……交換?」


「えぇ、スペアとは各々のクローンのこと。クローンを人工的に生み出し、その脳をある時期になると摘出して冷凍保存しておくの」


「の、脳を摘出って……ここで眠ってる人達は脳がない……? つまりもう死んでるってことなんですか!?」


「えぇ、そのとおりね。まぁその摘出した脳も後にオリジナルの脳の劣化を防ぐために使用されるんだけど」


 僕は再び自分のクローンらしいその顔を見てみた。まさしくそれは自分だった。同じような年月を生きた自分とまったく同じ遺伝子を持つクローンが脳を摘出されて殺されてしまったというのか。そしてその隣にいるマナのクローンも。


 脳を取り出す。その光景を想像すると、急に胸からこみ上げてくるものがあった。


「う、うおえええええええ!」


 僕は耐え切れず、その場に吐き出した。びちゃびちゃと今日食べた内容物が床へと落ちてゆく。


「大丈夫?」


 シズカが僕の背中をさすってきた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


「これがこの世界の秘密、マナがあなたにひた隠しにしてきたこと」


 なんとか落ち着いた僕は上体を起こしシズカに顔を向けた。


「……クローンっていっても普通の人間と何ら変わらないんですよね?」


「えぇ、さっきあなたは見たでしょう。この壁の中の子供たちを。あまり教育を受けていないから満足に喋ることも出来ないけれど、彼等は間違いなく私達と何ら変わることのない人間よ」


 あの地上で見た子供たちはみんなクローンだったということか。自分の体を提供するためだけにみんな生まれてきたというのか。


「そ、そんなの……脳を摘出するなんて……それってただの人殺しじゃないですか」


「えぇ、私もそう思うわ。もしあなたが生きていた時代にこんなことをやれば間違いなく倫理的な問題になっていたでしょうね」


「そ、そんなの当たり前だ。まるでこんなの家畜扱いじゃないですか。自分と何ら変わることのない人間だというのに。なんでみんなこんなこと反対しないんですか……? もしかしてこれは企業機密だからみんな知らないんですか?」


「いえ、こんなことが行われているのはみんなごく当たり前に世間に知れ渡っていることよ」


「そんな……だったら何で……」


「もちろん、最初はこんなこと反対する人の方が多数派だったみたいよ。でも考えてみて、それに賛同する人間は老化しないのだからずっと生き残り続け、反対する者はそのうち寿命で死んでしまう。それが長い間続き、人口がほぼ横ばいだったとすれば反対するものは少数派になっていくのは必然だとも思わない?」


「それは……」


 確かに言われてみればその通りだ。どんなに間違ったことでも多数派になればそれが正解にだってなってしまう。そんな単純な理由で今の状況がよしとされてしまっているということなのか。


 僕はふとその時シュレイ博士との最後の会話を思い出した。彼女は言っていた、「倫理観が全然違う人間と話すのはおもしろい」と。彼女はまだ自分の年齢は78歳だといっていたし、彼女は世間の論理感がすっかり入れ替わってしまった後に生まれた人間だったのだろう。だからある意味正反対の倫理観を持っている僕にあんな話をしてきたのか。


「みんな……みんなこの事実を知りながらそれを受け入れて生きてきたっていうんですか……」


 あの人の良さそうだったヒースも、曲がったことが嫌いそうだったジンも、一緒に望遠鏡を覗いて笑いあったエイリも、気が弱くて虫も殺せそうになかったモモも、そして僕の側にずっといてくれて人を大切にするということを誰よりも知っていそうなマナさえも……。


「そう。もはやこの世にはそんな人の道から外れたような人ばかりしか残されていない。もうあなたの知っている人類とは別物と言っても過言ではないわ」


 僕はその時エイリの最後の言葉を思い出した。彼女はこの世の人間は全員地獄行きだと言っていた。これはつまりこういうことだったのか。やはり彼女もこのことを分かっていながらもそれを享受していたのだ。


「だから私はあんなテロを起こし、そこにいたスペアを開放させ地球に向かわせたの」


「あのコロニーにスペアが……?」


「えぇ、あのコロニーの約半分はその敷地をスペアの生産ために使っていた。それを輸出することによってあのコロニーは成り立っていたのよ」


「そ、そうだったんですか……」


 シズカが行ったのは破壊というよりはスペアの救助が目的だったということか。


「ん……?」


 しかし、その時僕はシズカの言葉に違和感を覚えた。


「え……っとシズカさんはスペアを使って老化せずに生き残り続けることには反対なんですね」


「えぇ、その通りよ」


「でも……シズカさんは確か今150歳なんですよね?」


「……それは……」


 シズカは僕の言葉に顔を伏せてしまった。もしかして彼女は自身がスペアを使いながらもそれに反対しているのか。そうだとしたら人のことなんてとやかく言えないと思うのだが。完全にブーメランじゃないか。


「……この壁に来る前にも少し話したけど、その敬語やめにしない? だって……私たち同い年なんだから」


「え……」


 そういえば確かに彼女はそんなことを言っていた。その時は意味が分からなかったが、改めて考えてみても意味が分からない。

 僕と同い年……? 実は16歳ということか? いや、しかしそんなのおかしい。


「それって一体……シズカさんはマナや博士と同じでこのフーゴーって会社に勤めていたんですよね」


 だったら年齢なんて誤魔化せないはずだ。どんなに優秀だろうが15歳程度で研究職につけるとも思えない。


「それにヒースさんとは30年間連れ添っていたんですよね? シズカさんが16歳っていうのはどう考えてもおかしいじゃないですか」


 まさかこのコンピュータの中での年齢設定は16歳だとかそんなことを言っているのか? 確かに彼女は僕の通う高校に転校生としてやってきたが。

 すると僕の言葉に彼女は意味深に少し眉を潜め僕の顔を見てくるだけだった。なんだろう、もしかして何かに気付いてほしいのだろうか?


「はッ……!」


 僕はその時、その矛盾を解決する答えを導き出してしまった。


「ま、まさか……」


 そうだ、ヒースの言葉を思い出す。彼は最近シズカが変わってしまったと言っていた。体も触らせてもらえないと言っていた。そしてシズカは30年間一緒に寄り添ったヒースが死んでしまうときでさえどこか冷めたような、他人を見るような態度だった。僕はシズカがあまり感情のない冷徹な人間なのかとも思っていたが……。


「そう、私はスペア。約10年前にコロニーセブンから組織によって盗み出された個体なの。そこから組織によって訓練を受けて、今はオリジナルに成り代わっているというわけ」


「そんな……」


 そうか、これがシズカが今まで隠していた人に言えない秘密だったのか。確かにこれなら自分が殺されそうになってもなかなか言えなかったのもうなずける。彼女は組織のスパイだ。その機密情報を人に教えることなんて出来なかったのだろう。


 彼女があんな護身術を身に付けていたことにも納得がいった。きっとその訓練の中で学んだものだったのだろう。


「私は組織に拉致されたのは5歳くらいだったけれど、その時までの周りの環境や暮らし、今でもよく覚えている。単純な命令を聞ける程度の語学を教えられ、私達スペアは壁の中で生活していた」


 次第に彼女は顔の形を崩していった。眉間にしわを寄せ、目が潤んでいくのが分かった。


「今ごろ私とともに過ごしていた仲間のスペアたちは脳を摘出され、代わりにオリジナルの脳が移植され、その体はわがまま顔で街を闊歩しているんだわ……。私たちだって外の人間と何も変わらない人間なのに……。それなのになんで……なんでこんな目に合わなきゃいけないの!?」


 シズカは声を荒げ大粒の涙を流し始めた。まるで無表情の仮面を被ったようにクールすぎるイメージのシズカだったが、初めてその素の顔を見れた気がした。今まで僕が見てきた彼女はきっと訓練によって得た、オリジナルのシズカの人格だったのだ。本当のシズカは僕と同じ、年端も行かないただの少女だったのだ。


「シズカさん……いや……シズカ……」


 僕は彼女の肩を抱き寄せた。彼女はたった一人敵陣の中にスパイとして乗り込み、これまでどんな心情で生きてきたのだろう。毎日自分と同じスペアを管理しながら暮らしていた。それは想像も出来ないほど精神的な苦痛があったに違いない。


「私達は飼育場で育てられた現代人のための餌だった。世界中のスペア生産をいまさら止めることなんて難しいことかもしれないけど……私はやるしかなかったの。あの悲劇を止めるために」


 この世にいる人間はみなこの事実を知り、それぞれの答えを出して生きている。それを享受し永遠に生き続けようとする者、それに反対し有限の時間の中で抗い続ける者。

 僕はまだその答えを出していないほとんど唯一の人間だったのかもしれない。

 全ての事実を知った今、僕はどうするべきなのだろう。どんな答えを出すべきなのだろう。


「僕は……」


 ジリリリリリリ

 その時、辺りに大きな警報が鳴り響いた。

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