034 都合よく事件は起きない

 扉は木製で叩くと壊れそうな印象を受けた。

 インターフォンは無いのでノックしてみた。

 本来なら電話などで面会の予約などをするのが社会人のマナーなのだが、この世界の文明は把握していないが機械類は見当たらない。

「は~い」

 と、住人の声が聞こえた。

 扉が開くとモンスターの姿が見えた。

 半身半馬のセヌメ・エモット。だが、モモンガ達にとっては初対面の相手、となる。

「初めまして、セバスの友人の……レ●●ンという旅のものです」

「旅人さん? ま、まあ、どうぞ。道にでも迷いましたか?」

「いえ、農場の事を聞きまして……。何か話しのタネネタでも貰えたらなと」

 低姿勢でモモンガは言った。

 セヌメは仮面を付けた怪しい人物の姿を頭から足元まで眺めて首をかしげた。

 モモンガ自身、自分のような不審者はすぐには家の中には入れない。

 怪しさ全開だ、と言いたくなってしまう。

「朝から皆忙しいんで、旅人さんの相手が出来なかったのかな。責任者も朝から畑の様子を見に行ってまして……。午後にならないと戻らないと思いますよ」

「それは残念……」

 と、言っている側で足元に何者かの気配を感じた。

 それは下半身が蛇となっている人蛇ラミアのラフィー・エモットだった。

 身体が小さいので本当に蛇かと思ってしまった。

「いらっしゃいっす」

「お邪魔します」

 無邪気な笑顔のラフィー。

 器用に蛇状の身体を動かして移動する。

「騎士さんは冒険者?」

 と、ラフィーはたっち・みーに尋ねた。

「似たようなものだよ。君たち以外の種族は居るのかな?」

「居るんじゃない? よく知らないけれど……。兜は被ったまま?」

「……君たちは異形種は平気かな?」

「んっ? モンスターってこと?」

 と、ラフィーが疑問に思っている頃、客人の為に用意したお茶をセヌメが持ってきた。

「どうぞ。異形種の話しですか?」

 外に立たせたままでは失礼と思ったセヌメは室内に案内し、椅子などを用意した。

 せっかく用意してもらった飲み物だが『お構いなく』と言うだけで手をつけなかった。特にモモンガは飲めないので。

「見たところ人間が多いのだが……。君達はとか平気なのかと思って」

 あえて不況を買う言い方をしてみた。

 少なくとも自分達の姿と人間は違うと自覚している筈だ。だからこそ種族の違いについて、どの程度の理解があるのか知りたかった。

 上半身を起こしたまま歩く人馬セントールの肉体は幼い年頃にも関わらず屈強に見える。

 四本の脚は太めで腹筋は硬そうだ。

 女性的な美しさがあるが男性のようだ。

 顔つきはまだ十代ほどの若さに見える。

 黒髪と金髪が多いのか、他に目立った色の髪は見た事が無い。

 神話生物であるはずのモンスターが実際に存在しているのはプレイヤーが設定したキャラクターでもない限り、ありえない気がするのだが、その辺りはどうなっているのか。

「いくら私達でも凶悪なモンスターは怖いと思いますよ」

「毒とか持ってるの怖いよ」

 至極当たり前の事だと思ってラフィーが言った。

 それぞれから見て化け物だと思うクリーチャーは存在するようだ。

 異形種は全て友達という訳ではなく、好ききがあるようで安心した。


 子供に村のことや普段の生活の事を聞きつつ時間を潰す。

 他人を勝手に家に招き入れて平気なのか、自分の家ではないけれどモモンガは心配になった。

 セヌメに作業している畑の場所まで案内してもらう事にした。

 ちゃんと火の気が無いか確認してから出る辺り、教育は行き届いているようだ。

 現場はすぐ近くで麦の刈り入れが大規模でおこなわれていた。

 耕作機械は存在せず、各農家が一家総出で作業に当たっていた。

 半月かける仕事は年に二回から四回ともなればかなりの重労働だ。それで得られる賃金はとても低い。

 なので殆どの農家は他にも仕事を掛け持ちしている。

「……燃やしたら色んな人に怒られるだろうな……」

 広大な畑をちょっと焼いただけで経済的打撃は凄まじい事になる筈だ。

 管理するのも大変だし、頭が下がる思いになってきた。

「平和な風景ですねー」

 武装している自分達は何なんだ、とたっちは思った。

 敵の迎撃のことばかり考えて、ゲーム的な発想は目の前の光景に比べれば幼稚にしか思えない。

 とはいえ、モンスターが居るなら対処しなければならない。

 個人的には平和を脅かすものは全力で排除したいと思った。

 多くの人影が見える所まで向かうとたっち達は感嘆の吐息を漏らす。

 とにかく美しい。その一言に尽きる。

 少しの間見惚れてしまったほどだ。

「……何というか……、凄いですね」

 一キロメートル以上の広さがある畑に数十人の人間が規則正しく黄金の麦を刈り取っていく。

 後方に控えている者がいくつかの束にまとめていく。

 ある程度のまとまりをセバスとルプスレギナが軽々と運んでいく。

「これだけの作業で一日銀貨五枚……」

「運ぶだけなら銀貨数枚程度です。刈り入れから全部やれば十五枚くらいかな」

 それが高いか安いかで言えば、おそらく安いはずだ。

 だが、作業に従事している人数を考えると賃金アップは地主にとってはかなりの負担になる。

 払える余裕があれば金貨一枚と言えるかもしれない。

 税金とか搾取されるはずだからあまり文句は言えない。

 試しに音改ねあらたに尋ねてみた。

『全てが手作業ならそれ相応の賃金はあってしかるべきでしょう。麦の相場とか税金が分からないので一概に安いと断じる事も出来ません』

「でしょうね」

『他の農家の情報も無いと判断は出来ません。現地に行っていいなら軽く試算してきましょうか?』

 象人間が急に来たら驚かれるかもしれない。

 あと、アインズとやらに必要以上の情報はまだ与えたくない。

 相手が仮に自分だとしても負けたくない、という気持ちが湧いてきた為だ。

「そうですよね。まだ貨幣の価値とか分かってませんもんね」

『序盤で緊張しっぱなしというのは……』

「分かっています。でも、なかなか肩の力は抜けないもので」

『連絡を寄越してくれただけで俺は嬉しいですけどね』

 音改に感謝しつつ呪文を解除する。

 今はまだギルドメンバーを一気に表に出すべき時ではない気がした。

 たっち・みーなどのように一人ずつで様子を窺うのが精一杯の譲歩だ。

 ウルベルトも潜んでいる筈だから二人ではあるけれど。


 ◆ ● ◆


 現地時間の昼ごろに作業は止められ、それぞれ休息に入る。

 何日もかけておこなわれる仕事なので、人間の負担が蓄積しないように配慮されているのかもしれない。

 疲労無効の異形種にとっては休息は無駄だと思われるかもしれない。けれども人間は疲れる生き物だから仕方が無い。

 午後に作業をしないのはモンスターが現れるのが夕方からとなっている。

 人間が疲れている時間帯を彼らは熟知しているからだ。

 防衛すればいいと思われるが明るいうちの方が対処し易い。あと、午後は食事を取るので動きが自然と鈍ってしまう。

「……なるほど」

 と、キリイから説明を受けて納得する面々。

 セバス達と合流したモモンガ達は少し遅めの昼食に入っていた。

「滅多に現れませんが巨大石化の魔眼の毒蜥蜴ギガント・バジリスクというモンスターが居るので油断ができません」

 五メートル以上もある鶏冠とさかがある蜥蜴とかげに似たモンスターで『石化の魔眼』と『猛毒の体液』を持つ。

 かなりの強敵で冒険者ランク最上位のアダマンタイト級クラスでないと苦戦すると言われている。

 畑に毒が撒かれては困るので早めに避難し、無理に討伐するよりやり過ごす方が安全策だと言われている。

「長年培ってきた作業なので急な変更は長い時間がかかるものです」

「そうですね」

「それで……。旅人さんはお泊りですか?」

「そちらが良ければ。見聞を広げようと思いまして」

 キリイは仮面を付けてフードを被った人物を見つめる。

 青年に見つめられたモモンガは何か失態や正体を見破られるような事態に陥っているのではないかと心臓は無いがドキドキした気持ちになってきた。

「そういえば、そちらにナーベラルさんが居るそうですが……。お元気ですか?」

 セバスと知り合いだと説明しているのでキリイの言葉は至極当然だった。

 変に誤魔化すのはやめて素直に話そうと決めた。

「つい先日……、亡くなりました」

「……ああ、そうですか……。……お悔み申し上げます」

「ありがとうございます」

「こちらに居るナーベラルさんは死亡した方を含めて五人居るそうですが……。連れて来られないか頼んでみましょうか?」

「はっ? そんなこと出来るんですか!?」

 と、テーブルから身体を乗り出してモモンガは言った。

 その態度にたっち・みーや後ろに静かに控えていたセバス達も驚いた。

「出来るというか、頼む事は出来ます。僕もお世話になった人ですからね。他人かもしれませんが……、花の一輪でも……」

 人間が向かうと三歩で死ぬ毒のエリアに安置しているので案内は出来ない。

 だが、事前に移動させる事は出来る。

 あまり動かしたくないので、今回は保留にさせてもらった。

「そ、それはありがたい申し出……」

 何かと引き換えに引き渡す、とか言われたらどうしよう、という言葉が浮かぶ。

 人質を取りやがって、と勝手に被害妄想が膨らんでしまった。

 リストは空白ではなく消失。ゆえにこの世界に自分のナーベラルは居ないのではないか、という天啓のようなものが閃いた。

 もし、生きているならどれだけ離れていようとNPCノン・プレイヤー・キャラクターの一覧に名前が載るはずだ。それが無いのは死んでいるか、自分の知らない世界に飛ばされたか、くらいしか浮かばない。

 自分の意思で所属から外れる事は無いと未来、というか遥か過去のナーベラルは言っていた。

 それが事実なら絶望的かもしれない。

 五人のナーベラルは全て他人。それは結構ショックだ。

 いや、死んでいるナーベラルを復活させられればリストに載る可能性は無いのか。試していないので分からないだけかもしれないけれど。

 実際に確認しなければならない事はある筈だ。それが徒労であったとしても。

 次元の移動は出来そうにないが、可能性が無いわけではない。

「向こうの死んでいる方を頼みたい。こちらは特に御礼は出来そうにないけれど……」

 絶対に渡したくないアイテムは死守する。

 相手の出方を窺う上でも無茶は通させてもらう所存だ。

「分かりました。……復活資金はどうします?」

「んっ? 復活……資金……は、向こう持ちで……」

 と、言うとキリイは苦笑した。

「うちで……、いえ、父に頼んでみます。これは内緒です」

 キリイは人差し指を自分のくちびるに当てる仕草をした。

 お世話になった人物の復活にキリイも反対では無いし、変ないざこざは本意ではない。

 両者のやり取りには意味があるとんで、秘密裏に必要経費を用意する事を約束してくれた。だが、モモンガは疑問に思う。

 自分の知るナーベラルのレベルは63だ。その復活費用は決して少なくない。

 それともユグドラシルの復活の仕組みを知っているのか。

 疑問に思ってキリイに小声で尋ねると無言で頷かれた。

「昔から父や魔導王様に色々と教えていただきましたからね。その縁でですよ」

「では、キリイ君はプレイヤーというわけではないのだね?」

 と、たっち・みーが尋ねた。

「それはよく分かりませんが……。この国で生まれた国民の一人ですよ」

 現地民がプレイヤーの知識を持つ。普通ならば秘密事項として教えないもののように感じる。

 魔導王は実際に彼に色々と教えたのであれば案外、悪い人間、というか存在ではないのかもしれない。

 彼の印象では善人に見えるかもしれないが実際は装っているだけ、という事もある。


 魔導王『アインズ・ウール・ゴウン』とキリイの父親が知り合いだというのは分かった。

 モモンガは自分の事仮に魔導王ならと置き換えて彼に情報を教える理由を探る。

 ただの一民間人にしか見えない相手にどんな魅力があるのか。

 それとも彼ではなく父親の方に何か特別な思い入れでもあった、と考える方が自然か。

 どちらにせよ、自分なら迂闊に情報漏洩はしない、はずだと思っている。

 今回は序盤から手の内がバレているから喋っているだけだ。

「……む」

 知り合いなら声でバレるか、という事に今更ながら気づいて愕然とする。

 指摘してこないところは見逃されている、と思って間違いない気がした。

「ナーベラルの問題はそれでいいとして、我々は街や国について知りたいのは本当だ。入国料がかかるのは意外だったが……」

「大都市はだいたい検問があります。小都市にも検問はありますが近くにあまり小都市は無いです」

 地図で説明した以上の新情報は無いけれど、都市に行くまでに立ち寄れそうな村の情報を懇切丁寧に教えてもらった。

 長距離移動は荷馬車を使うのが一般的。

 専用の職業の人が都市の外側に居たりする。村でも用意は出来るが基本的に自分たちが使う。

「それで……、ここは実験農場という名前でいいのでしょうか?」

「はい。各農村の人間と共同で使っていますから。第一共同農場とも言います」

 モモンガ自身は農業よりモンスターとか敵対プレイヤーとか冒険に関わる事が知りたいので、つい聞き流してしまった。

 何か大事な事があったような気がしたので必死に思い出そうとした。

 貨幣。言語。ナーベラル。それ以外に何かあったか。

 魔導国について尋ねてみた。

「直接行った方が早いと思いますよ。様々な種族が住んでいる新しい国家、くらいしか言いようがありませんけど……」

 行かずに情報を得るのは難しいという事だ。それは当たり前ではあるけれど。

 自分が作る国というのは異世界に来たばかりの自分には全く想像出来ない。

 単純に世界征服する、という言葉は知っていても実践して運営するところは考えていない。

 せいぜい大変だろうな、としか思えない。

 現に自分は村に来るまで相当、思い悩んでいたので。とてもじゃないが国を作ったり、世界征服という野望どころではなかった。

 世界征服というのは異世界転移ではありふれた題材だが。


 農場から近くの都市は王国領内なら西にある『エ・ペスペル』だが、距離では魔導国の『エ・ランテル』が一番近い。

「王都に行く前にある平原地帯に『マグヌム・オプス』という休憩地がございます。ここは宿泊施設が完備されていますが研究施設なので国についての情報は……、曾祖母が教えてくれれば得られるかもしれません。後は行ってご判断下さい」

 ナーベラルの言っていた施設がまさに存在していたわけだが、何があるのかは行ってみないと駄目だという。

「この森の近くに『バレアレモンスター園』があります。この辺りは『リ・アインドル』に程近く、興味があれば父に頼めば中の様子を見せてもらえるかもしれません」

「そうですか。それはその時に……」

 質問だけでは不公平だと思ったモモンガは自分から話せるような話題はないかと探してみた。

 異世界の人間に教えられる事は殆ど無い。

 数分ほど悩んだがナーベラル以外が出て来ない。

 嘘八百を並べようにも世界の全体像は把握していないし、分からない事だらけで今は手一杯だった。

 だいたい初対面の相手に事細かに伝えられる事など何も無い。

 実際の旅人なら今までの旅の情報などを言うところなのかもしれないけれど、そもそも旅などしていないから困った。

 どうしよう。とても気まずい。

 という気持ちばかり湧いて来る。

 相手は気を使っているのか、こちらの事を聞こうともしない。空気を読んでいるのか。

 それはそれで恥ずかしい事だ。

 かといって正体をバラしていい理由にはならないし、困った事態だ。

 何も起きないイベントほど虚しいものは無い。

「………」

 沈黙が続く。

 隣りに居るたっち・みーも後ろに控えているセバス達も黙っているし、これはこれでピンチだ。

 現状打破するには何か必要な質問などがあるはずだ。だが、相手の思惑を引き出すネタが浮かばない。

 世界を知るのは当たり前だが、都市に行って何をしたらいいのか。ならばそれを聞けばいい。

 質問して風光明媚で平和な都市ですよ、と答えられたら打つ手無しだ。

 ゲーム的にはここら辺りで騒乱のイベントでも起きてもらわないと前に進めそうに無い。

 例えばモンスターの襲撃とか。

 平和すぎる状況は自分達には不似合いだ。

 では、自分達で事件を起こせば、それはそれで本末転倒だ。

 売るものが無いのに飛び込み営業して大失敗するような気分だ。

「へ、平和ですねー」

「はい。お陰様で」

 にこりと微笑むキリイの笑顔がとても眩しい。

 これが普段の日常ですよ、と言わんばかりだ。

 だいたい事件など頻繁に起きては暮らしにくい。そうそう都合よく事件とか騒乱が起きていては商売など出来はしない。

 自分達の世界は退廃的なサイバーパンクだが、それはそれで自分達の世界だ。

 巨大な化け物に襲われる事も無ければ魔法が飛び交う事もない。

 多少の事件はニュースの中の出来事になっている。

 自分が勇者だと名乗って解決に行くわけでもない。

「………」

 魔導国に居るというアインズなる者が自分と同じ、または似た存在なら慎重に行動し、何処かで監視しているかもしれない。

 最初の一手を出すまで探り合う。これは我慢比べに似た心理戦のようなものだ。

 俺ってこんなに面倒臭い人間なんだ、と辟易する。

 気楽なメンバーを少しは見習うべきだ。

 いっそ、目の前の男を殺そうかな、と思わないでもない。

 身も蓋も無いけれど。

 何しに来たんだ、と思われるだろうな。

 横に居るたっち・みーに顔を向けると腕を組んだまま黙っている。

 寝ているんじゃないかと思った。

 表情が分からないから黙って聞いているのか、寝ているのか全く分からない。それは骸骨顔の自分にも言えるけれど。

 一発芸でも覚えてくれば良かったかな。


 ◆ ● ◆


 何か事件が起きればいいのに、と思うのは不謹慎だ。

 平和が一番に決まっている。

 モモンガは宿泊の約束だけ取り付けて話しを終える事にした。

「……話題が無いと困りますね」

「モモンガさんには何か秘策があると思いまして……」

 外に出た後、たっち・みーは苦笑した。

 秘策などあるわけが無い。

 飛び込み営業はいつもハラハラドキドキものだ。

 誰がいきなり『じゃあ魔導国に案内してください』と言えるものか。

 のこのこ行っては色々と探られてしまう。

 自分が探るのはいいが、探られるのは嫌だ。

 教えられた宿舎に気分転換を兼ねて向かう。

 粗末な佇まいだが、他の建物と大差なく、平屋建て。

 無数の部屋があり、一部は冒険者や行商人たちの為に解放されている。

 頼めば食事が用意されるが基本は自前で用意する。

 トイレと風呂は共同で使う事になっている。

「……いかにも農家のたたずまいって感じだ」

「モモンガ様達はこんな汚いところにお泊りになるんですか!?」

 畑仕事を終えた褐色肌の娘『ルプスレギナ・ベータ』は驚いた。

 ナザリック地下大墳墓のあるじが利用するにはあまりにも汚すぎると。

「気分を変える為には泊まる事もやぶさかではない」

 同じ部屋に居るよりは新しい発想が出来るかもしれない。

 見栄えに贅沢を望んでも仕方が無い。

 郷に入っては郷に従えと言うし、と。

「私はウルベルトさんと近場を散歩してこようかな」

「入れ代わりが起きては困りますよ」

「おお、それもあるね。迂闊な冒険は難しいってことか」

「……いや、行きたいならどうぞ、と言うべきなんでしょう。警戒ばかりして神経質になって前に進まないし……。いっそ、手放しで放置してみようかなと」

「似た相手が敵なら迂闊な行動は出来ないね。序盤でそれほど大層な事は起きないと算段していたんだけどね」

 序盤だからこそ大変だ、という意見もある。

 モモンガに心配をかけるのは本意ではないので気をつける事は約束した。

 とはいえ、序盤で襲われる様な悪事は働いていないので平気だと思っていたが、それを逆手に取る可能性も否定は出来ない。

 なにせ相手はシャルティアを送ってきた。油断するわけにはいかない。


 神経をすり減らしてばかりのモモンガを残し、たっち・みーはセバス達と共に村を出てウルベルトと合流する。

「ふっふっふ、既に入れ替わりが起きているとは……」

「たっちさん。変な悪乗りするとモモンガさんが泣きますよ」

「本人が居ないから言えると思ったんだけどねー」

 黒い山羊は両手を広げて肩をすくめる。

「この辺りは麦畑くらいしか無くて、風景も大して面白みはありません。森にでも行かないと新しい発見は無さそうです」

 不審な人間やモンスターの姿も無かったと報告する。

「そうそう。セバス達は休んでいいよ。いきなりの肉体労働で疲れただろう」

「いいえ。一日一杯労働できるほどには体力は余っております」

 厳つい顔のまま姿勢を正してセバスは答えた。代わりにルプスレギナはなにやらソワソワしている様子だった。

 お腹が空いたのでナザリックの食堂に行きたいと申し出た。

「弁当はどうした?」

「朝の内に食べちゃったっす」

「……食欲旺盛だな……。影の悪魔シャドウ・デーモン。無事の帰還まで見守ってやれ」

 ウルベルトの足元から染み出るように現れた影が了解の意を表す。

 ルプスレギナが脱兎の如く帰還する後ろ姿を眺めた後、残った三人は村の外周部を散策する。

 外から丸見えだが、これが一般的な村落の風景だ。

 襲撃には弱そうだが。最初から鉄壁の守りの村であれば、それはそれで驚く事態だが。

 長閑のどかな田舎の風景を戦乱に変えてはいけない。

 ゲームイベントならまだしも。

 絶対に壊滅するフラグを立ててはゲームと大差ない。

「……平和な国のようだが……。自分達で壊しそうだ」

「既に壊れて、今は修復された後という事も考えられますよ」

 魔導国が出来るまでには様々なドラマがあったはずだ。

 国には歴史があり、通常はただの設定に過ぎない。

 過去の自分たちが転移して冒険したならば、それはただの設定とは言えないけれど。

 それを新たに転移した自分たちが一から破壊する必要は無い。

「……その前に家畜役を続けていないと色々と不味いかも……」

「嫌です。ぶち殺しますよ」

 恥をかいた上に何の意味も無く終わってしまったのだから。

 きちんと監視対策をしていれば問題は無い筈だ、と。

 相手がモモンガと同等の慎重派ならかなり厄介だが。

 襲撃しようとしなければ襲われる事態にはならない筈だ。


 しばらく村の外側を歩いていると中に居た蜘蛛女アラクネが下半身にある無数の脚を器用に動かしながら近づいてきた。

 全く表情を表さないので怒っているのか、ただの見回りなのか分からない。

 歩く勢いの関係から襲撃という気配は感じなかった。

「ああいうモンスターが居ると他のモンスターも期待できますね」

「定番の小鬼ゴブリンとかならまだしも、えらくレベルの高そうなモンスターばかり出てくるな。この地域では普通のレベル帯なのかな」

 姿は見えないが影の悪魔シャドウ・デーモンが何体か潜んでいたし。

戦乙女ワルキューレならレベルは60を超えているんでしょうね」

「序盤の村に居るモンスターとしては厄介だが……。他にも居るのか?」

「この蜘蛛女アラクネは一体だけだそうです」

 と、胸に手を当ててセバスが報告する。

 そうして眺めているうちに蜘蛛女アラクネはたっち・みー達を無視して通り過ぎていった。

 器用に動く様は中々見る事の出来ない光景だ。大抵は討伐対象だ。

 現実とゲームの区別が付け難い世界にただただ驚かされる。

 何気なしに進んでいくと見新しい物は見つからなかったのでセバスに帰還を命じてたっち・みーはモモンガの下に向かい、ウルベルトは近隣の調査をしてから帰る事にした。

 偽者のおそれがあると言っても聞かなかったウルベルトはコンソールで確認しろ、とだけ言って姿を消した。

「……ますますモモンガさんが不安になるような事を……」

「シモベを護衛につけますか?」

「連絡だけはするように、と伝えてくれ」

「畏まりました」

 残っていたセバスは軽く一礼して立ち去った。

 最後に残ったたっち・みーは空を見上げる。

 良く晴れた空を自宅に残してきた家族に見せられないのが残念だと思い、数分後にモモンガの下に向かった。

 早々に不貞腐ふてくされているのかと思ったが瞑想しているようだった。

 冷却期間を設ける上では冷静さは必要だ。

 卑屈なギルドマスターとて命令を下す時はしっかり出来る人だ。だからこそ、今までやってこられた。

 未知の現象が続いた為に混乱状態が治まらなかった、と思うことにした。

 与えられた部屋は粗末ではあったが農村では標準的かもしれない。自分たちだけ家畜小屋というのは考えすぎだ、と思う。

「敵のこともありますが……。世界をゆっくり見て回りませんか?」

 たっちの言葉にモモンガは軽く身体を動かす。

「元の世界に戻れない不安が一杯で……」

「モモンガさんは現実の生活が大事ですか?」

 そう言われれば違うと答えるところだ。だが、現実問題として戻ろうと考えている自分が居る。

 つい先日まで一緒にギルドとして活動したくてたまらなかった筈なのに。

 みんなが一緒なのに楽しめないのはおかしい。

「ゲームの世界と一変したせいかもしれません。今までの仕様とまるで違うので」

 不安要素の大きい世界で一つのミスが命取りになるようなスリルを味わいたいとは思っていない。あくまでゲーム的に楽しみたいだけだ。

 ハイレベルな戦いはリスクが大きいし、自分はそこまで望んでいない。

 もちろん敵対プレイヤーは気になるけれど。

 ゲームはゲームとして割り切りたい。

 リアルで殺し合いをしましょう、という殺意めいたものは勘弁願いたいところだ。

「実際に敵に襲われたわけではありませんが……。後戻りできないのが……」

「ここの魔導王も条件は同じだと思いますよ」

「………」

 王様になるくらいなのだから相当な努力を積み重ねてきたはずだ。

 自分と同じ存在だと仮定して、随分と性格に差があるよう気がする。もちろん、直接見たわけではないから、どういう気持ちで国を作ったのかは知らないけれど。

 それとも最初に転移したから様々なイベントに巻き込まれて、なし崩し的に国を作るに至ったか。

 魔導王が出来ても自分が同じように出来るとは限らない。

 運が良かっただけ、とも言える。


 最初の村で梃子摺てこずっていては前に進まない。

 頭では色々と考えている。だが、精神面は失敗を恐れている。

 アンデッドらしく勇気とは無縁に進みたいものだと思ってはいるのだが。

 朝日が昇る頃にモモンガは外に出た。睡眠とは無縁の身体のせいか、全く眠気を感じない。最初こそ緊張から眠れないと思いはしたが、そうではないとすぐに理解する。

 アバターを通して種族の特性が影響している、と。

 人間的な内面も変質しているのではないのか、と思うのだが記憶は維持している。

 たっち・みー達も肉体的な変化に気付いてはいるけれど精神面はそれぞれ普段どおりのままと言っていた。

 粘体スライム種の仲間が融合して分離できなくなったとか、そんな事も無く。

 モモンガは色々と考えつつ中心にある井戸に向かうと蜘蛛女アラクネが水桶を引き上げて水を飲んでいる場面に出くわした。

 水を飲んではいけない規則は聞いていないが、辺りに水をこぼすような飲み方は雑で勿体ない、という気持ちが湧く。

 モモンガの姿に気づくと水桶を取り落とし、それでも構わず場所をゆずろうとする。

「ああ、俺は結構だ」

 手を前に出して言うと蜘蛛女アラクネは首を軽く傾げた後に井戸に向き直り、井戸の中に落とした桶を引き上げる。

 大きな図体で器用に細かい作業する。

 ゲームの世界だと認識していれば何も問題は無いのだが、自分の感覚は少しおかしいようだ。

 標準で見えていたウインドウが一つもないのが原因ではないのか、と。

 視界の片隅に時計でもあれば幾分かは安心しているところかもしれない。

 立ち去る蜘蛛女アラクネを見送りながら、せっかく異世界に来たのだから楽しまなければ勿体ない。

 理屈ではそう思えても自分の気持ちは常に不安ばかりだ。

 もし、仲間が居なくて自分ひとりであれば諦めも付く。あるいはなし崩し的に騒動に巻き込まれた場合はどうなるのか。

 その結果が魔導国ならば自分はもう一人の自分魔導王と同じ道を辿たどる事になるかもしれない。

 相手方も不安一杯で魔導国を作るまでに至ったのならば大差はない筈だ。

「いずれあいまみえて話しを聞くのも悪くは無いか」

 もちろん性格まで同じとは限らない。

 シャルティアの様子から暴力的なNPCの使い方はしていないように思える。

 強大な力を持つならば、それを行使しようとする筈だ。仮に性格が同じであれば慎重に行動し、融和路線もありえなくは無い。

 とはいえ、それらは机上の空論だ。直接確かめなければ結論は得られない。

 その踏み出す一歩が自分にはまだ出来ないでいるだけ。

 アンデッドなのに周りが怖いとは笑えない冗談だ。


    『第02章 モモンガの憂鬱』へ続く

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