第38話 役割

 何をどう間違えると、このような結果になるのだろうか。物事はその一つ一つが単独なものに見えても、何かしらでつながっていることもある。夫の単身赴任、父親の事故死、母親の病気。どれか一つでもなければ、彼女のあんな姿をを見なくて済んだのかもしれない。


   僕がこの街に来たことも、一つの要因なのか……。


 それは違う。僕がこの町に来たのは最初から決まっていたことだ。彼が決めたことだ。彼女がいるから、僕はこの街へ来た。あの出会いも別れも、悲しい再開をするためのものと最初から決まっていたんだ。

 人はみな、最悪の事態を招かないように神に祈り、願う。だけど、僕の知っている神は人の願いを叶えない。アカネやシスターたちがどんなに祈っても、どうにもならなかったはずだ。僕の知っている神は何もしない。彼も僕も、ただ見守るだけ。万能ではないから。そんな理由だ。部屋に帰ったら、縮尺模型の坂の上にとげとげの「玉」ができているのだろう。

 もうわかった。僕はその「玉」が消えるまで、ただここにいることしかできない。とげとげの「玉」には何もしてあげられない。僕の役割は、正常な形で成長した「玉」を、彼に渡すことだけ。強いて言うなら、何かするのは傷ついた猫だ。体の一部を失った猫たちが、とげとげの元となるものを自らの傷として負い、持ち主たちの心を浄化しているのだ。


 短尾が。

 半鼻が。

 無種が。

 三足が。

 舌切が。


 そして、片瞳も。彼女の苦しみを、その瞳に表している。


   なら、なぜ記憶を呼び起こしたのか……。


 僕は、僕の仕事が嫌になった。記憶を思い出したことを、恨んだ。僕の役割になんの関係があるというのか。そんなことを考えている僕に、片瞳は何も言ってくれなかった。今夜はもう、部屋に帰ることにした。とげとげの「玉」のある、街の縮尺模型が大半を占める部屋に。



 僕は巡回に出るのをためらい、部屋の窓から夜の街を見下ろしている。

 もう何ヶ月も、彼女の住む北側には巡回に行っていない。縮尺模型の中のとげとげの「玉」を見るのも辛い。これ以上、人に関わるのが嫌になってきた。この街では、外食もしていない。


 昼間のうちは、ただひたすらに歩くだけ。夜は高度を上げて翔ぶだけ。学校や職場と家を往復するだけの、伝書鳩さながらの状態が続いている。

 以前はそれでも、多くの気配が集まった。縮尺模型の中で「玉」が、それぞれの光を放っていた。だが気配はもう、体のどこにもくっついてこない。

 今、模型の中では小さな三つの「玉」が光っている。その中の一つが、彼女のとげとげの「玉」だ。気配が集まらないのも、成長が遅いのも時代のせいだけでなく、僕の気持ちが不安定だからかもしれない。

 とげとげの「玉」が早く消えないかと、僕は日毎願っている。


 ミャーン。 「違うよ」


 片瞳が耳元で、そう鳴いたような気がした。


 ミャーン。 「来て」


 今度は遠くで、確かに片瞳が鳴いた。彼女に変化があったのだろうか。関わりたくない気持ちと、知りたい気持ちが交差する。


 ミャーン。 「早く」


 片瞳が急かす。ためらいが消えないまま、僕は羽を広げた。羽は僕の気持ちとは裏腹に、少しもためらわずに力強く羽ばたいている。僕を、彼女のもとへと運んでゆく。


 片瞳は暗闇の中、ドッグランにいた。羽がゆっくりと僕を降ろした。


「来たよ」


 片瞳は何も言わずに歩き出した。真っ直ぐに坂へ向かっている。だけど僕の足は、羽のようには力強く動かない。片瞳は立ち止まり、振り向いて言った。


 ミャーン。 「早く」


「彼女に会いたくないんだ」


 ミャーン。 「必要だよ」


「必要?」


 片瞳は言った。今行くことが、彼女にも僕にも必要なのだと。今を逃したら、二人とも壊れてしまう。この先の未来のために、会う必要があると。

 さらに言う。「玉」が成長しないのは、僕のせいじゃない。僕がいなければ、神がいなければ、この世界はとっくに壊れていた。傷ついた猫たちだけでなく、僕もちゃんと見守っていたから。ただそこにいて寄り添うことで人々を、この世界を守っているのだと。

 人は常に破壊へと向かっている。善とか悪とかではなく、人の心はとても弱く、もともと負に向かうものなのだそうだ。誰もがそれを回避しながら必死に生きている。だけどそれは、僕らがいるからなんだそうだ。

 縮尺模型の中の「玉」は天使がいなければ生まれない。生まれた「玉」と同じだけ、人にも輝ける強い力がある証なのだ。見守ることこそが、人や世界を守ること。とげとげの「玉」を消しているのは、僕自身なのだそうだ。


 ミャーン。 「行くよ」


 片瞳は強い口調で鳴いた。まるで、天上の彼に言われているようだった。不思議とそれで、僕の足は前に進んでいった。

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