第14話 目標

 ひと月ほどが経ち、猛暑だと予想されていた夏がやってきた。

 模型の中の「玉」たちはそれぞれ成長し、一番大きい「玉」はもうすぐ僕の背丈に到達する。それに比べ、とげとげの「玉」の大きさはほとんど変わっていなかった。相変わらず、屋根の辺りでゆらゆらと左右に揺れていた。


 正常な「玉」は、とげとげの「玉」が出来たときのように模型の中に突然現れるのではない。ましてや、爆発で作られるものでもない。街の巡回でくっ付いてきた気配が、一つところに集まって出来るのだ。

 善の気配。それはポケットに入ったり、背中のあたりにぶら下がったり、肩に乗ったり、足や腕にしがみついたりする。僕が部屋に帰ると、模型の中の小さくなった自分の場所へ戻る。それらがまとまって、やがて「玉」となる。


 とげとげの「玉」になるような気配を連れて帰った覚えはないし、そもそも、セイヤの家の近くを通った記憶はなかった。

 あの夜、ポップコーンが弾けるような音と、強い閃光とともにやって来たのだ。なぜだかは知らない。こればかりは、彼の都合とも思えなかった。



 八月ある日の午後、東側の巡回から北側へ移動しようとしていたとき、三足の鳴き声がした。その足で公園へ行くと、三足は花壇のレンガにできた木陰で待っていた。


「来たよ」


 ニャン。 「先生来てる」


 セイヤはスポーツだけでなく勉強も苦手のようだ。夏休みに入ってから週に二日、母親の友人が家庭教師として来るようになったという。科目は算数で、九九は覚えているのにわり算ができない。小数の計算にいたっては、小数点の処理が自力ではどうにも困難らしい。図形も苦手で、指先が不器用なのか道具が上手く扱えない。それはそれで問題だが、三足はベランダに忍び込んで盗み聞いた、家庭教師との会話が気になったという。


「セイヤくんは将来何になりたいの?」

「んー、ホームレス」

「ホームレス?」

「そう、ホームレス」

「ホームレスってどういう人たちか知ってる?」

「んー、知らない」

「なら、なんでなりたいの?」

「んー、楽だから」

「何が楽なの?」

「働かなくていいから」


 三足は思ったという。自分も野良だからホームレスと言えばそうだが、決して楽ではない、と。

 会話は続いた。


「他にはある?」

「んー、パンを食べる人」

「食べる人? パンを作る人じゃなくて?」

「うん、食べる人」

「食べてどうするの?」

「……どうもしない、食べるだけ」

「食べるだけ?」

「そう、食べるだけ」


 成立しているようでしていない会話に、家庭教師と三足は言うまでもなく、伝え聞いた僕も困惑した。はたで聞いていた母親は、笑顔で一言返しただけだったそうだ。


「まったく困った子でしょ」


 それを聞いてまたわかった。物事の本質を見極められず、うわべだけしか見えていない。おまけに、まわりの大人たちから事実をしっかり教えられたり、考えをたしなめられたりもしていないのだろう。おそらくセイヤは、このどちらにも当てはまる。そして、親が決めたことをそのまま受け入れて、将来を決めるだろう。

 まるで、公園にあった花壇のレンガの道だ。自ら見つめた上で考えて行動できないから、真っ直ぐに進むには誰かが作ってくれた道を外れないよう、少しずつ歩くしかない。その道がなければ、ゆらゆらと右へ左へ逸れていってしまう。三足の左前足が無いように、セイヤにも欠けたものがあるのだ。だからバランスを崩す。ジグザグに歩かなくていいように、目の前の道をただ行くだけ。欠けた部分を補いもせず。

 今のままでは、セイヤは向かうべき目標を自分では見つけられないだろうと思った。遊びといえばテレビゲームが専らで、パソコンや携帯電話の普及で情報が溢れる世界。自ら工夫したり、作り出したりしなくてよい世の中で、秘められた物事への探究心も、何かに憧れを抱くこともなくなった。自分に自信を持てず、向上心は薄れ、夢に向かう力を失っている。


 セイヤだけじゃない。そんな子供が、たくさんいた時代だったろう。

 その年の暮れ、とげとげの「玉」は消滅した。



 いつだったか三足に聞いたことがあった。


「その前足、誰かにやられたの?」


 ニャン。 


 三足は答えた。「忘れた」と。

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