生きるために仕方ないこと(4/8)

誰がどう見たって、俺は挙動不審なガキだった。

ガキと言っても、20代半ばだったから、奴らと同じ店に入り、カウンターで一人酒してもおかしくないが、一車線道路を挟んだ場所の喫茶店で張り込みすることにした。そもそも、俺は酒が飲めない。

車道を渡りかけたところでいったん引き返し、店の入り口に掲げられたメニューを点検する。

コース料理が一万円近い値段で、腹がグウッと鳴った。

メシを食べてなかった俺は、まず、近くのコンビニであんパンを買って一気食いした。おにぎりじゃなく、無意識にあんパンを選んだのがおかしかったな。まるで、リアルな刑事か探偵だ。しかし、張り込み用の車も部屋もない俺は喫茶店に入るしかなかった。電柱の陰で待つには、風があまりに冷たかったからな。

そこはマスターひとりが切り盛りする昔ながらの店らしく、四人掛けテーブルがコの字型でカウンターを囲んでいた。陣取った席は窓際のいちばん端。木製テーブルの片隅に[8]と書かれたプラスチック板が貼られ、俺の座る位置からそれが[∞]に見えた。

いつでも店を出られるようにあらかじめ会計を済ませ、ジャンパーを着たまま、和食店の引き戸を見つめる。

とりあえず、明日香に連絡だ。

メールか電話か迷ったが、「文字」での報告を選んだ。

「いま、お前の旦那は食事中。こっちは店の外で待機」

すると、彼女自身が俺のケータイの中に潜んでいたかのように、すぐに返信があった。

「どんな店?」

「和食屋。俺は喫茶店」

「冷蔵庫のヤクルト、飲んでいい?」

「いいよ。まだしばらくかかる」

そんなやりとりだった。

結婚する前、明日香は何度も俺の部屋に来てたから遠慮がない。テーブルに求人誌を置きぱっなしだったのを後悔したが、隠すほどでもなかった。

折り畳み式のケータイを閉じて、張り込みを続ける。

15分、30分……やがて、コーヒーカップの飲み口が渇き、グラスの水が減り、灰皿の吸殻が増えていった。他の客は土木作業着のオッサンだけ。物静かにクラシック音楽が流れ、ニコチンまみれの壁に意味の分からない抽象画が掛かっていた。



「夜明け前がいちばん暗い」なんて言うが、むしろ、「夜明け前がいちばん寒い」だろう。

コートの襟を立て、俺は伸びをする。

どこからか、学生っぽい赤ら顔の連中がやってきて、陽気に喫煙を始めた。

俺の若かりし漂流生活は再就職であっけなく終わり、ガラケーがスマホに進化したように生き方も変わった。なにしろ、いまは妻がいる。

食うための仕事とありふれた出会いとありきたりの結婚。ふらっとコンビニに寄り、何気なく雑誌に手をかけた感じだ。

ぶっちゃけ、子供ができたのもそう……まぁ、高給取りでもなく、無趣味で面白みのない男に、妻はよく付き合ってると思うよ。

結婚前、俺のどこがいいのか興味本位で聞いてみたら、「涼しげなところ」って言われた。熱くもなく冷たくもなく、「涼しげ」だそうだ。「クール」なんて気取ったもんでもない。

勤め先は従業員50人ほどのちっこい会社だが、不況のご時世に正社員でいられるのは、かつてプータローだった身にしてはドラマチックな変わり様だろう。別に、手に職をつけたわけじゃない。企業が作ったプレスリリースをチェックし、マスメディアに配信していく地味な仕事だ。原稿の誤字や不適切な表現を直すのは誰でもできるもので、いつリストラされても不思議じゃない。

ところが今夜、忘年会に向かう俺を社長が呼び止め、「キミも父親になるんだから、管理職になって、家族と会社を支えなさいよ」と言われた。

カンリショク? 

最初、マジで、総務か経理か、管理部門への異動だと思ったよ。仕事をメシの種としか考えない俺にとって、昇格ってシロモノは無縁な世界だった。クビ要員じゃなくてホッとしたな。でも、あまのじゃくな俺は5秒後には複雑な気分になった。部下と数字の管理が加わることを人生ゲームの一マスとして楽しめりゃいいが、父親とダブルじゃ、さすがにきついだろう。

駅のホームに山手線が停車するのが見える。

俺はまた歩き始め、新大久保駅を素通りして、パチンコ屋の横のマクドナルドに向かった。この時間に営業しているなんてありがたい。100円のソーセージマフィンをテイクアウトして、朝陽が昇ったら、神田川沿いの公園で食べよう。

そんなささやかな計画を思いついた。



(5/8へ続く)

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