実
作蔵が『仕事』で訪れた【霜月家】で、従事者と名のる
作蔵は、舞い込んだ『仕事』の依頼理由を突き止めたいと、様子見をしていた。
漸く真相が掴める。と、作蔵は待ち構えた。しかし、秋名井紅葉の語りは作蔵にとっては苦痛だった。
追い討ちをかけるかのように、作蔵は“見えない相手”と遭遇した。
そして、作蔵は倒れた。
作蔵の身に何かが起きた。わかることは、其処までだったーー。
***
作蔵は、目を覚ました。
作蔵は布団の中にいた。
あたたかい。と、微睡ませていた。
作蔵は、起きることはせずにぼんやりとみえる目の前、右、左へと頚を動かした。
自然と、溜息を吐いてしまった。
みじめだ。と、作蔵はうつ伏せに寝返りをした。
「よかった、動けるのですね」
丁度よく、襖が開く隙間から秋名井紅葉の安堵した顔が覗いていた。
「俺……。ではなくて、私のみっともないところを見せてしまって申し訳ありません」
「作蔵さん、気楽にしてください。普段あなたがされている振る舞いが良いと思います。かたい気持ちでは、本領を発揮できませんよ」
笑みを湛えていう秋名井紅葉と目を合わせた作蔵は、咄嗟に掛布団を頭から被った。
「あら、あら。わたしは、本当に口が過ぎますよね。先に、此方からおわびをしなければならなかった。あなたを危険な目に遇わせてしまった。ゆるして貰えないでしょうが、どうかお顔を見せてください」
「そんなことはありません。そもそも、俺が油断していたのが原因ですから」
作蔵は、被る布団を剥いで上半身だけを起こした。
「まだ寒いのであれば、火鉢の火をもっと焚かしましょうか」
「いえ、十分です」
秋名井紅葉は、作蔵が座る布団の傍にやってくると、盆に乗せている深緑の陶器の器を作蔵へと差し出した。
「甘酒です。身体があたたまりますよ」
「え」と、作蔵は驚く様子で秋名井紅葉が持つ器を見据えた。
「どうされたのですか」
秋名井紅葉は、苦笑いをしている作蔵に訊く。
「子供の頃、食卓に出された瓜の漬物を食べたらほわん、と、した感覚のあとに卒倒した。今おもえば、酔いだった。それ以来『酒』とつくものが……。」
「酒といっても、米麹ですので酔う心配はありませんよ」
笑いを堪える秋名井紅葉に、作蔵は耳まで真っ赤になっていたーー。
***
今度こそ。と、作蔵は屋敷の廊下を歩いた。
作蔵は、今一度“見えない相手”に会うを決めた。
作蔵は、ふたつ臆測をした。
ひとつ目は、声からすると少女であるというのは、間違いない。しかし、生身の象の可能性はないだろう。
二つ目は、特殊な体質の持ち主は技を使うは得意の筈だ。
どっちにしろ、怯むわけにはいかない。
何故ならば、今回の『仕事』に於いて依頼となった経緯がまったくもって明らかになっていないからだ。
秋名井紅葉は【霜月家】にまつわる“時”を語った。だが、途中で作蔵が遮ってしまった。
あのまま聴いていたら何かがわかっていただろうが、作蔵にとっては苦痛でしかなかった。
壊れそうだった。
まるで、実際に其処にいるような感覚になってしまった。
思い出したくない、何かがあったかもしれない。
いろいろと考えるが、自ら手掛かりを遠ざけたにはかわりはなかった。
行動で掴む。に、作蔵はたどり着く。
目で確める。を、強く思うのであった。
作蔵が歩く屋敷の廊下は、どこまで続いているのかわからないほど長かった。
目印になるものはなく、ひたすら歩くしかなかった。
廊下の板張りを踏みしめる、作蔵が吐く息。聴こえる音は他になく、それでも作蔵は歩き続けた。
ーーふぅん。おじさま、結構強かったのね。
作蔵は声を聴いて、歩くを止める。
「どういうことかな」と、作蔵は訊く。
ーー『お兄さん』には“通せんぼ”をやめるよ。
作蔵は目付きを細く、鋭くした。
耳を澄ませると、板張りの廊下に毬をついて跳ねる音が聞こえてきた。
ーーわたしの手毬はよく跳ねる。
ついて、つく。
跳ねて、跳ねる。
わたしの手のなかに戻ってくる。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
どこにいるのかわからない。
手鞠をついてかえり道がわからない。
うしろをみたらお手玉が落ちていた。
手鞠をつくのをやめてお手玉をひろう。
よっつ、いつつひろってもお家は見えない。
通せんぼで道がわからないーー。
毬が跳ねる音に交ざる少女の歌声だった。
ほぼ真っ暗な廊下の空間にひとつ、ふたつ。粒状で眩しいかとおもえば淡雪がとけるような瞬きの灯が照らされた。
ーー『お兄さん』ついてきて。
少女のか細い声に「ああ」と、作蔵は返事をした。
作蔵は、無数で瞬いては飛ぶ光の粒を目印にして追いかけた。
少女は光の粒を『虫』と言った。
呼び方はどうあれ、作蔵はついていった。
ーー此処だよ。
少女が、作蔵を呼んだ。
追い続けた光の粒は、瞬きを止めた。
辺り一面が暗くなったと、いうのはおそらくわずかだった。
作蔵が次に見たのは、朱色の灯りで影を映した障子。
「入って良いかい」
ーーどうぞ。
作蔵は閉じる障子の向こう側にいる象に訊いた。そして、開いた。
作蔵の目の前にいたのは、おかっぱ頭で朱の生地に下駄が踏まれて跡が付いているような模様をしている絣を身に纏う、学童期だと思われる少女。部屋の隅には、蝋燭に火が点いている行灯が置いてあり、灯りは見上げる天井、壁までを朱色に照らしていた。
作蔵は、気になった。
少女が座る四畳半の真ん中に敷かれている布団で寝ている人形を見た。まるで血が通っているかのように頬が赤みを帯びてると、気になった。
作蔵は何かを思い付いたか、紺色の前掛けのポケットに右手を押し込んで引き出した。
作蔵が何かを握りしめた右手を見る少女は「あ」と、驚きを隠せない顔つきになった。
「この『封筒』は俺に宛てられた。内容は『屋敷に急いで来て欲しい』だった。お嬢ちゃん、俺は“仕事”で此処に来た。誰かに頼まれてやって来た」
作蔵は、暫く黙って少女を見た。少女は、作蔵の顔を見るのが恐ろしいらしく、肩を震わせながら視線を部屋のあらゆるところに反らしていた。
「思いあたりがあるのだな」
「どうしても、お話しをしなければならないのよね」
少女が視線を畳の
「今、俺はあんたとだけ会っている。俺の“仕事”の決まり事は、ひとりが話したことを何だろうが誰だろうが話してはいけない」
作蔵は、腰を畳の上におろして胡座をかくと、鼻息を吹いた。
「お兄さんにお手紙を送ったのは、紅葉が大事にしている瑠璃。わたしは瑠璃の代わりにお手紙を書いた」
作蔵の目蓋が大きく開く。
「瑠璃は見たまんま、起きることとお話しすることが出来ない、動くこと全部が出来ない。でも、わたしは瑠璃がしたいことをしている。瑠璃からもらった“やりたいの種”で、わたしは動いている」
「ちょっと、待った」と、作蔵は少女がいうことを遮った。
「お兄さん、びっくりしたよね」
「おもいっきりしたに決まっている。淡々と喋っていることにではなく、お嬢ちゃんは此処に寝ている『お姉さん』のように、ひたすら黙って動かないのが本来の実態」
鼻の穴を拡げている作蔵に、少女は堪らず「ふ」と、笑いを見せた。
「まあ、どっちでも良い。しかし、お嬢ちゃん。あんたは『鳩ぽっぽ』の役目を押し付けられたのだ。そこは、どんなおもいをしているのかを話せるか」
少女が黙って首を横に振った。
「あくまで自分は『人形』だ、なのだな」
作蔵は、少女が首を縦に振るを見つめた。
「はあ」と、作蔵は溜息を吐くと、頭髪を右手で掴んでかき回した。
「わたしは、瑠璃がお兄さんにやってもらいことまでは上手に書けなかった。でも、お兄さんは来てくれた。紅葉はかんかんに怒っちゃったけどね」
「だろうな。だから、俺に『あの手この手』で誤魔化していた。それが、お嬢ちゃんがいう紅葉だった」
「瑠璃が決めたことは、紅葉には止められない。手紙を送ったのは、瑠璃だから」
「わかった」
作蔵が今、会っている少女に言った、最後の一言だったーー。
***
作蔵は、おかっぱ頭の人形を抱えていた。
「屋敷内のいたるところをまわってみるけど、あなたは何処にいるのかと、心が砕けるようなおもいをしていたのです。なのにーー」
屋敷の座敷に戻った作蔵に、秋名井紅葉は食って掛かった。
「何を言いかける」
作蔵は目付きを細く、鋭くした。
「せめて、何が起きたのかを教えてください。そんなお顔で見られるのは、此方が不愉快です」
秋名井紅葉は、知りたがっている。
秋名井紅葉の焦りを含ませた声色と絣の袖を右手で握りしめる仕草がまさにそうだと、作蔵は思った。
「あんたには悪いが、詳しくは話せない」
作蔵の速い応答によって、秋名井紅葉の顔つきは泣くを思わせるほどがっかりしていた。
秋名井紅葉は、しゃがみこんだ。
顔を両手で覆い被せ、畳の上に膝をついていた。
作蔵は、黙った。
立ったまま、秋名井紅葉を見るしかできなかった。
「辛い、辛い」と、繰り返される言葉。
誰が言っているのかはわからないが、作蔵に聴こえていた。
縁側と座敷を隔てる障子に、作蔵が目を追った。
障子の枠が軋む音。と、聴こえたからだった。
よく、耳を澄ますと風が吹く音。閉まる障子の隙間を掻い潜る風の為に、障子が軋むのだろう。と、作蔵は解釈をした。
【霜月家】に漸く秋が来る。と、作蔵は黙ったまま耳を澄ませていたーー。
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