火急の依頼主は【霜月家】までは、わかっていた。だが、誰が何のために依頼したのかは、明確ではなかった。

 今回の依頼は、まさに探りあい。いや、挑発かもしれない。

 時の刻みが捻れている【霜月家】に、作蔵は用心深く踏み込むことを決めたのであったーー。



 ***



“能弁婆”こと秋名井あきない紅葉もみじより新茶の次に振る舞われたのは、菜の花のお浸し、ふきとうの天ぷら。茹でたせりを刻んでだし醤油で味付けしての混ぜご飯に、若布わかめたけのこのお吸い物。おまけの一品として出されたのは、大根の甘酢漬けだった。


「春を感じます」

 箸を持つ作蔵は、目の前にする彩り豊かで溢れている小鉢や皿と、いった食器の中身に対して堪らず言うのであった。


「するどい方ですね、まさに春の旬と呼ぶに相応しいものばかりをお出ししております」

“能弁婆”は、誇らしげに言う。


「これらの食材も屋敷内で獲れたのですか」

 作蔵は、漆塗りの椀に注がれている若布と筍のお吸い物をひと口啜った。


「おっしゃる通りです。屋敷の正面から見て真裏にある小高い山で掘れた孟宗竹もうそうちくです。掘りたてはあくぬき無しで煮たり焼いたりをして味わうは勿論良いですが、刺し身でいただくのも美味しいですよ。因みに、芹は【霜月家】が所有している畑。蕗の薹は竹林から少し離れた場所にある土手から獲ったのです」


「収穫は、茶摘みと同様にご近所さんを呼ばれてですか」

「いえいえ、こちらの品に関しては【霜月家】の方が直接採られております。貯蔵庫は私も知らない場所にあるので、今回のようにおもてなしの為に必要ならば【霜月家】のどなたかに、相談するしかないのです」


 作蔵は、蕗の薹の天ぷらを箸で挟むことを止めた。


『どなた』かと“能弁婆”が言うことは【霜月家】の家族構成で間違いないだろうが【霜月】の“苗字”での親族が含まれているかもしれない。


「冷めないうちに召し上がってください。天ぷらは塩をつけてを、おすすめ致します」


“能弁婆”は、作蔵に笑顔を見せていた。

 それでも、作蔵は料理に箸をつけるを躊躇った。


 まだ、足りない。

 今回の『依頼』の“主”と“目的”がみえてこない。


「『蓋閉め』さん、ゆったりとした気分になってください。と、申し上げてもわたしでは説得力がありませんね。あなたは【霜月家】の為に来られた、わたしは所詮【霜月家】の従事者。お待ちください、お時間をとらせてください。だから、お食事を楽しまれてください」

 涙声の“能弁婆”は八畳はある応接間の閉じる襖を開いて出ていった。


 襖が閉められ、ひとりで部屋に残る作蔵。


「俺『蕗の薹の苦さが駄目なんだ』と、言うべきだったのかな」

 芹の混ぜご飯を完食したが、おかわりをしそびれたーー。



 ***



“能弁婆”こと秋名井あきない紅葉もみじは、屋敷の廊下を駆けていた。

 長い白髪をひとつに纏めて鼈甲べっこう櫛簪くしかんざしで飾り、白い割烹着を重ねている紫色の紬。裾を手で捲って白の長襦袢が見えて、履く白い足袋の裏は床を拭いた雑巾のように黒ずんで渋くなっていた。


 ーーあら、意外と弱いのね。


 秋名井紅葉は、脚を止めて廊下の壁に備えてある行灯にマッチの棒で摩った火を点ける。すると、身震いがするほどの女性の声色が聴こえたのであった。


瑠璃るり様、元々はあなたが『蓋閉め』さんをお呼びしたのですよ。わたしは十分に役目を致しました。あとは、瑠璃様が『蓋閉め』さんに直々にお会いして“依頼”の理由を説明するしかありません」

 秋名井紅葉は、額の汗を拭うことさえしなかった。瑠璃と呼んだ“声の主”の姿は何処だろうと、行灯のあかりで照らされている廊下の天井、壁。そして、踏みしめている板張りへと目で見て捜した。


 ーー無理、無理。わたしは“時間を刻む”ものを見たら消えてしまう“体質”なのよ。あなたはお父様の“特別”なのだから【家】に居れる。お母様はお人好しだから、あなたを憎むことができない。だから【家】の“時間”が歪んでしまった。お父様は責任を感じて【家】の“時間”を刻ませようと必死になっていた。お母様は自分の所為だと追い詰めて姿を隠されてしまった。


「瑠璃様、何度もお話を致しておりますが、あなたは誤解をされています。わたしはあなたのお世話役にと、あなたのお父様がわたしに委託をされた。どこでどうやったら【家】にまつわる実情が捻れてしまったのかと、わたしだって苦しんでいるのです」

 秋名井紅葉は、瑠璃を捜す。溢れて剥き出しになりそうな感情を抑えながら、姿を見せない瑠璃に呼び掛ける。


 ーー隠れてしまったお母様を戻そうとして、お父様は【家】からいなくなった。今頃、何処で何をしているのかもわからない。わたしは時を刻めない。


「【家】の《宝》であり、ご両親の間から生まれた瑠璃様。わたしはあなたに精一杯の愛情を注いでいた。でも、瑠璃様には、届いていなかった。わかりました、わたしがあなたの代わりとして『蓋閉め』さんに“依頼”の本題をお伝え致します。いえ、わたしの“依頼”に変えて致します」

 秋名井紅葉は、唇を噛み締めて泣くことを堪えた。言葉をどんなに選んでも、瑠璃はすり替える。争いの火種、或いは火に油を注ぐだけ。


 ーーそんな、嫌よ。ごめんなさい、わたしは紅葉を困らせるつもりはなかったの。だって、だって……。


「泣きで赦しを乞うは、瑠璃様の癖ですね」

 秋名井紅葉は、行灯のあかりに息を吹き掛けて消す。


 廊下が薄暗くなると、瑠璃の啜り泣きが聴こえなくなったーー。



 ***



「まあ、綺麗に召し上がってくださったのですね」

 作蔵を待たせてる部屋に戻った秋名井紅葉は、卓上に乗る空になった器を見て笑顔になった。


「美味しかったですよ。鮮度がある食材だから、箸が進みました」

 満腹で満足と、いわんばかりで作蔵は腹部をさすっていた。


「長長と待たせて申し訳ありませんでした。急な用事が入ってしまったものですから、戻るに戻れなかったのです。では、いよいよ『蓋閉め』さんをお招きした理由を説明致します」


 作蔵の顔つきが瞬時にきつくなった。


「そうですか。では、是非聞かせてください」

 作蔵は息をととのえて、秋名井紅葉が口を開くことを今か、今かと待ったーー。

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