作蔵には、週に一度の楽しみがあった。

 落ち着かない様子で、茶箪笥の上に置かれている目覚まし時計の秒針を見据えていた。

 いよいよ、だ。

 作蔵は堪らず「にやり」と、頬を緩めた。

『ネコバッグが7時をお知らせします』

 テレビの時報の合図と同時に作蔵が画面を見ると、バッドを振り回す野球選手が映っていた。

 作蔵が落胆する後ろ姿を、伊和奈が嘲笑っていたーー。


 ***


 野球中継が放送される……。作蔵は知らなかった。


 ところで作蔵は、何の番組を観るつもりだったのだ?

「『でんでけチョロン』と、いう特撮ヒーローモノは絶対にリアルタイムで観るだって」

 ……。

 伊和奈の作蔵に対する具体的な心象が、なんとなくわかる。

「言っとくけど私、作蔵の『お母さん』じゃないからね」

 頬っぺたをつねられてしまった。

「俺に対しての当てつけか」

 今度は作蔵が感情を剥き出した。


「作蔵、さっさと『仕事着』に着替えなさい」

 伊和奈は、作蔵の頭に分厚い綿生地の腰で紐を縛る紺色の前掛けを被せた。

「……。酒屋と間違われる」

 作蔵は渋渋と、前掛けを腰に巻いて紐を腰の後ろで縛る。

「誰も気付きはしないよ。それに、縦結びになってる」

 伊和奈が紐を結び直した。

 作蔵に世話をする伊和奈の姿はお母さんだ。


 いいなぁ、作蔵。

 羨ましいぞ、作蔵。


 ひゅう、ひゅう……ーー。


「作蔵、何かを踏み潰したよ」

「目の錯覚だ、伊和奈」

 作蔵は、鼻息を吹いて赤いたすきを肩から脇に挟めて掛けて、右肩前で縛るとさらに額に橙色の綿の生地に黒の糸で『作蔵』と刺繍が施されている鉢巻きを着けて頭部の後ろで縛る。

 四畳半を出て廊下を歩く作蔵。玄関に着くと下駄箱を開けて下駄を取り出し、黒い足袋を履く足に付ける。

 玄関の扉を開き、外に出て閉める扉に錠をした。

「家の中の戸締まり、電気とガスはちゃんと確認したよ」

 作蔵が鎖に繋げる家の鍵を首に掛けていると、背後から伊和奈の声がした。

「依頼主の『蓋を閉める』にいくぞ」

 薄暗がりの路に、作蔵が履く下駄の音が鳴る。


 が、途中で止んだ。


「脚だけ『バンカラ』を強調するために、なれない高下駄を履くからだよ」

 地面に転がって膝を抱える作蔵を見下ろす伊和奈の顔は、笑いを堪えていた。

「『仕事』は、足腰の強さが重要なのだ。此れもそれらを鍛える為には、必要だからさ」


 転んでは起きてを繰り返す作蔵。軽やかに跳んでは前を進む伊和奈。


 民家の塀の曲がり角に設置されている電柱に備えてある傘つきの外灯が、すっかりと日没した周囲を朱色に照らしていた。

 歩き方に(なんとか)格好がついた作蔵は、右手の方向に有刺鉄線ゆうしてっせんが張られて囲まれいる、背高泡立草せいたかあわだちそう鼠細麦ねずみほそむぎ等の雑草が生い茂る荒れ地を見ると、溜息を吐く。

「どこかの業者が土地の買収をしたけれど、買い取りがつかない。住んでいる家を無理矢理追い出された住人は、こんな光景を見るたびに怒りを膨らませている……。と、聞いたことがあるよ」

 ポニーテールに結った髪を夜風で靡かせる伊和奈が言う。


 作蔵はふと、考えた。

 依頼主の家族についてだった。

 前回の『仕事』の依頼者は、依頼主には既に身寄りがいなかった。依頼主の生い立ちもわからない。と、当時語っていた。


 作蔵の頭の中は、絡んで解れない糸のようになっていた。そして、糸の端を掴んで解すように此れまでのことを振り返る。


 依頼主の『奪われた時間を取り戻して欲しい』と、いう依頼内容。

“何か”を見ていた。

 だから、そんな『依頼』をした……。

 家中を片っ端から『手掛り』になりそうな物品を探して、見つけたのが一冊のアルバムだった。

『時間の型』がところ狭しと貼り付く中の1枚を、作蔵は剥がして前掛けのポケットに入れていたーー。



「伊和奈、ちょいと近道をするぞ」

 有刺鉄線を掴む作蔵は手に刺す痛みに息を吹き掛け、飛び越えようと膝を曲げて勢いよく飛翔するが、高下駄の一本歯に有刺鉄線の刺が絡み付いた。追い討ちをかけるかのように、作蔵が着ける襷掛けの端までが引っ掛かる。

「横着をしようとしてたから、そんな目にあったのよ」

 伊和奈は顔をしかめた。そして、いやがるように作蔵を見ていた。

 結局、作蔵は『近道』をやめて、腕と脚に引っ掻き傷をこさえた状態で道路を歩く。

 道路沿いに建つ民家の明かりが消えていき、外灯だけが路を示していた。


「作蔵、見てるよね」

「ああ、よく見えてるさ」

 伊和奈が指を差す方向を、作蔵は歩みを止めずに見据えた。

 一歩、二歩、三歩……。

 外灯の明かりがない真っ暗な路に入ると、作蔵の吐く息と下駄を鳴らす音だけが響き渡る。

 作蔵と伊和奈は、ひたすら目指していた。

 月あかりが厚い雲に遮られる暗闇の中でぼやけて浮かぶ緑色の丸い貌に、近付いていた。


 作蔵は、下駄を鳴らす音を止める。

 目の前で、足で蹴る球技のボール程の大きさの浮遊貌が、緑の粘液を地面に滴らせて浮かんでいた。


「待て、伊和奈」

 腰に着ける巾着袋に手を添える伊和奈に、作蔵が腕を水平にして言う。

「“閉じる”なら〈道具〉がいるよ。何故、止めるのよ」

 伊和奈は作蔵にいぶかしく訊く。

「伊和奈、依頼主の『取り戻したい時間』に俺が探し当てた“時間の型”が填まってから〈道具〉を取り出すのだ」

 作蔵は、前掛けの中心にあるポケットに右手を入れる……。


 くすっ。


「おい、今笑っただろう」

 気のせいだよ、作蔵。

「かなり、最悪。作者だってどう、例えて描写しようかと苦悩しているよ」

 伊和奈が赤面している。

 つまり、わかっているのだな。可愛らしく例えても良いが、正直に説明しよう。真ん中だよ、作蔵は男だよ、想像したら……。


「潰れてそのまま土に返るを選べ」

 作蔵に怒られてしまった。

 待つのだ、作蔵。話を戻すから脚を引っ込めるのだ。


「……。依頼主さんよ、こいつを見てくれ」

 作蔵はポケットから引き抜いた1枚の写真を浮遊貌にかざした。


「どうした」

 写真の前で時計回りをする浮遊貌に、作蔵が険相して言う。

 何度も回る浮遊貌、浮遊貌の様子を見据える作蔵。

 伊和奈は双方のどちらが先に動くのだろうかと、見守っていた。


 夜空に浮かぶ厚い雲が、南南西から吹く風によって流れる。そして、僅かな雲の隙間があらわれて、遮られていた月の明かりの水墨画のような淡い光が闇夜を照らし始めた。


 浮遊貌の回転が止まる。


 作蔵が伊和奈に『合図』としてた高下駄の音を鳴らす。

「おっけい」と、伊和奈は巾着袋から掌の大きさの桐箱を取り出すと右の手で蓋を、左の手で箱本体を掴んで開いた。


 浮遊貌は帯状のかたちに変わり、作蔵が右の手の指先で挟む写真を目掛けて吸い込まれるように伸びていた。


 写真を指先から離す作蔵。

 緑と黒が混じっている炎が焚きついて、線香花火のような火花が散っていた。


「伊和奈っ!」

 作蔵の叫びとも呼べる声を聞く伊和奈は、地面を蹴って真っ直ぐと燃え盛る炎に向かった。

 伊和奈が辿り着く。握り締めると砕けそうな硝子玉を彷彿させる緑色の球体を、地面に落下する手前で桐箱に収めて蓋を閉じたーー。


 ***


 作蔵と伊和奈は帰宅した。


〔鑑定の間〕

 扉に毛筆で和紙に書き記した貼り紙、六畳はあると思われる板張りの床に竹林模様の絨毯が敷かれており、壁には仔猫と浮き輪を抱えるラッコをお腹のポケットに(無理矢理)押し込んでいる巨大な猫の額縁入りジグゾーパズルが飾られていた。

 他にも部屋の隅に〔開封禁止〕の札付き葛篭つづらが在ったり、本棚の上に市松人形が11体並んでる……。

 語るときりがないが、其処にふたりは居た。


「相変わらず下手くそな結び方」

 伊和奈は桐箱に空結びで括られる紐を見て言う。

「冷やかしはそれくらいにしろ。伊和奈、俺が今から始めることをしっかりと補助してくれ」

 作蔵は、伊和奈を睨み付けた。

 作蔵の目を見た伊和奈は全身を震わせ、呼吸が止まるような感覚に襲われる。


「返事をしろっ!」

 作蔵の罵声で我に返る伊和奈は「おっけい」と、か細い声を出すのが精一杯だったーー。



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