6.京都の冬

「寒い! 寒いです神園さん!」

「うるさいわよ先生。バイクなんだから寒いに決まってるでしょう」

 私にしがみついて喚き散らす紫木を一括して私はバイクのスロットルを入れる。愛車のハーレーは滑らかに加速すると住宅街の上り坂を駆け上がっていった。

 私たちは紫木の提案通り、京都側の目撃者である猪目希望通う小学校へ向かっていた。なおバイクを使っているのは晶の思い付きだ。せっかくなんだから先生をバイクに乗っけて行ってあげたらとのことだった。何がせっかくかはわからないけど、完膚なきまでにやり込まれたお返しにちょうどいいと思って私は晶のアイデアを採用することにした。

 赤信号でバイクを止めると紫木は短く震えた。最初は遠慮して私にしがみつく腕も弱々しかったのにいまやがっちり抱き着いている。

「あぁ寒い……こんな真冬にバイク乗るなんて正気の沙汰ではありませんよ。京都はただでさえ寒いのに」

「いいじゃない。最初は先生も乗り気だったでしょ」

「二輪車の類には乗ったことがありませんでしたから。こんな足ということもあって。杖も邪魔ですし……でも季節を考えるべきでしたね」

 紫木はヘルメットの奥でもごもごと愚痴を言う。ちなみに彼の杖は縮められた状態で彼の手に握られていた。伸縮自在とは知らなかった。

 そうやって話をしていると信号が青になる。

「ほら行くよ先生! つかまって!」

「うわっ、あぁ寒い!」

 いちいち悲鳴みたいな声をあげる紫木が面白くて、私はついついからかって速度をあげる。バイクが右へ左へと揺れるたびに彼は腕の力を強めて私にしがみついた。

 しばらく住宅街を行くと急に開けた場所に出る。こじんまりとした校舎が私たちの前に現れた。猪目希望が通う左京小学校だ。いまは給食後のお昼休みの時間らしく校庭から児童が元気に駆け回る声が聞こえてくる。

「はい、到着。お疲れ様」

「はぁ……寒かった……」

 もはや寒いとしか言わない玩具と化した紫木がふらつきながらバイクから降りる。私はそんな彼に手を貸してやって足取りがしっかりするまで待った。

「そういえば確認なのですが……」

「なぁに?」

「その目撃者の、猪目希望さんでしたっけ、神園さんが話を聞いたときにはどんな様子でしたか?」

「どんな様子って……」

 紫木は短くしていた杖を伸ばしつつ何気なく聞いてきた。私はその大雑把な質問に困りながらも答える。

「別に……普通の子供って感じよ。知的な障害があるとは思えなかった」

「じゃあ証言にも怪しいところはなかったと」

「そうね。私は疑う理由が見つからなかったけど。大迫刑事とは違って」

 ヘルメットを外して頭を振る紫木に私は言った。何度脳内で反芻しても希望ちゃんの証言が信用できないとは思えない。答え方ははきはきしていたし、曖昧なところもなかった。

 とはいえ、そういう証人の様子が証言の信頼性とはあまり関係がないと言うのは紫木に教えてもらったことがある。だから実は私が気づいていないだけで何か大きな問題が隠れているのかも。

「で、先生は希望ちゃんの証言を確かめに行くのよね?」

「いえ、どちらかというと大阪府警の主張する障害とやらの存在を確かめることになると思います。まぁ実際のところ知的障害があるからといって目撃証言まで否定するのは行き過ぎですし、健常者だからといって無条件に証言を信用するのも問題ですけどね。ところで事情聴取には希望さんの保護者の方は来ていましたか?」

「えぇ、そうだけど」

「その人は彼女の障害について何か言っていましたか?」

「いや……そういえば何も言ってなかったわね」

 私はそのときの母親の様子を思い出して答える。紫木は私の答えを聞くと腕組みしてうなずいた。

「そうですか……おおむね事情は分かってきました」

「え? そうなの?」

「はい、それじゃあ行きましょうか」

 バイクの衝撃から立ち直った紫木はに続いて私たちは小学校の校舎へと向かう。職員室は来訪者用の玄関のそばにあってすぐに見つかった。私は低い鴨居へ頭をぶつけないように気をつけて職員室の扉をくぐる。

「すいません。連絡していた京都府警の神園ですが……」

「あぁあなたが……どうも」

 私の声に反応して禿げ頭の中年男性が机の海から顔をひょっこりとあげた。小柄で人のよさそうな顔をしている教師だ。その人は私のところにまで歩いてくると紫木のことを不思議そうに眺める。

「あの、こちらの方は?」

「鹿鳴館大学の紫木です。警察の捜査に協力しています」

 私が口を開くよりも早く紫木が言い、滑らかな動作で名刺を差し出した。どうやら既にモードに入っているようだ。話が早くて助かる。

 教師は紫木から受け取った名刺を物珍しそうにじっと眺めている。

「はぁ、大学の先生が……」

「それで、目撃者の猪目希望さんはどちらに?」

「えぇっと、空いている教室で待つように伝えていますが」

「彼女の担任の先生はどちらに?」

「一緒に教室にいると思いますよ。そう言っていましたし」

「保護者の方には来ていただけそうでしたか?」

「猪目さんのお母さんはお仕事で来られないそうです」

「そうですか」

 紫木は教師がおどおどするのもお構いなしにどんどんと話を進めていってしまう。話が早すぎるのも考えものか。

「その空いている教室というのはどこですか?」

「案内しますね。こっちです……」

「ありがとうございます。では行きましょうか神園さん」

「ちょ、ちょっと……」

 紫木は中年教師のあとに続いて歩き始める。その歩みは教師を急かすようにテンポが速く私は慌てて彼に追いつく。

「先生、釈迦に説法だと思うけど、希望ちゃん相手にああいう聞き方はしないでよ? 怯えたらどうするの?」

「大丈夫ですよ、それくらいわきまえています」

「本当?」

 義足とは思えない軽やかな足取りでどんどんと進む紫木とそれに追いすがる私は希望ちゃんがいるという教室の前にやってきた。教室の扉は開き切られていて中には私たちを案内してきた教師よりもさらに老齢の男性教師と希望ちゃんが二人で座っている。男の方はスーツを着ているがにこやかであまり堅苦しい印象は受けない。希望ちゃんはせっせと自由帳に絵を描いていて男の方はそれを眺めている。

「こちらです、先生。塚本先生、警察の方を連れてきました」

「あぁどうも……わざわざご苦労様です」

 塚本と呼ばれた教師は私たちに気づくと立ち上がり会釈をしてきた。私がそれを返している間に紫木はさっさと教室の中へ入っていき希望ちゃんの描いていた絵を覗き込んだ。いきなり知らないおじさん(という年でもないけど、子供にとっては十分おじさんだ)に接近されて希望ちゃんは戸惑ったのか塚本の顔を伺っている。

「ちょっと、先生」

「……うん、あぁそうですね失礼しました。鹿鳴館大学の紫木です。心理学者です」

「はぁ、どうも……」

 熱心に絵を見つめていた紫木は私に促されて気がついたらしく、取り繕って塚本へ名刺を差し出した。塚本はさっきの中年教師同様に名刺をじっと見つめている。大学の先生が珍しいのだろう。

「すいません。紫木先生はこの事件の捜査に協力していただいていて……ただなにぶん捜査に不慣れな点はあるので失礼があるかもしれませんが」

「捜査に協力ですか。ふむ……」

 私がフォローを入れると塚本は考え込むように唸って座った。私たちもそれにならって用意されていた椅子に腰かける。小学生用に作られた椅子は身長が一八〇を超す私には小さすぎ、膝が上へあがってしまう。

「先生、わかってるわよね?」

「えぇ大丈夫ですよ……では早速質問なのですが」

「……はぁ」

 紫木は背負っていた鞄を床に置いて中をゴソゴソとやりながら口を開いた。相手の顔を見ることもしない。さっき注意したばかりなのにマイペース魔人は今日も平常運転だった。

 やっぱりだめかもしれない。

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