第29話 一時の憩い

――ムニムニムニムニ


 ユキの柔らかい太ももの感触が、その小さな身体を支える両手へダイレクトに伝わってくる。

 だが、それよりも何よりもだ。ある程度想像していた太ももの感触よりも、背中にくっついて伝わる柔らかい温もり――ユキをおんぶする事から想像出来なかった感触に、ドキドキと胸が高鳴ってしまう。


「瑞穂。ウチ、重くない?」

「大丈夫。それより、もう少しで家に着くから頑張ってね」

「頑張る? ……あ、うん。そうね、歩けないくらい疲れちゃったもんね」


 あれ? 歩けないから、おんぶしてって言った割に、意外と余裕があるのか?

 まぁもうすぐ家に着くし、ここまで来たから、今さら降りろとは言わないけどさ。


「瑞穂、ありがと。ここで良いよ」

「あれ? 家の前までで良いの?」

「うん。瑞穂のおかげで、しっかり休めたもん。大丈夫っ」


 一先ずユキを降ろすと、スタスタと玄関へ向かっていく。

 自ら言っていた通り、十二分に回復したようだ。


「ただいまー」

「姉ちゃんおかえりー。そしてアニキ、お疲れ様っス」

「ちょっと、トモくん。どうして瑞穂にはお疲れ様なの? ウチもテニス頑張ったんだよ?」


 まぁどっちも頑張ったし、おかえりでもお疲れ様でも、気にするような事でもないと思うのだが、姉弟喧嘩といった感じではなく軽いじゃれ合いなので放っておこうか。

 だが拗ねたように口を尖らせるユキに対し、トモくんは何故かニヤニヤしている。

 そんな二人を眺めていると、奥から笑顔のミコちゃんがやって来た。


「二人ともお帰りなさーい。あ、ボクちょっと疲れちゃったから、お兄さんにおんぶして欲しいなぁ」

「……み、見てたの?」

「ユキ姉、何の事ー? あー、ボクもお兄さんの背中で、クンカクンカしてみたいなぁー」

「う、ウチ、してないもん。そんな事してないんだからぁーっ!」


 あ、ユキが奥の部屋へ逃げて行った。


「というわけで改めて、試合後で疲れてるのに、お疲れ様っス。姉ちゃん、重くなかったっスか?」

「いや、小柄だし重くはなかったけど、どうして知ってるの?」

「自分、姉ちゃんとアニキの応援に会場へ行ったんスけど、既に終わった後だったっス。で、一人で帰ってたら、家の近くで姉ちゃんとアニキを見かけたっス」

「トモったら帰って来るなり、面白いもの見たってボクに詳しく教えてくれて。で、お兄さん。どうでした? ユキ姉をおんぶした感想は? やっぱりもっと胸があった方が良いですか?」


 うわー。ミコちゃん、超楽しそう。

 って、前のめりになり過ぎて、ゆったりとしたパジャマの胸元から中が見えそうだよ? 胸元から白い膨らみが……って、あれ? もしかして下着とかを着けて……ない!?


「ちょっと、ミコっ! これ以上、瑞穂に変な事言わないのっ!」

「あ、聞こえてたっ! お兄さん。ちょっとボクは退散しますねー」


 終始ニヤニヤしたままのミコちゃんも奥の部屋へと姿を消し、男二人が残される。


「しかし、姉ちゃんがアニキにおんぶだなんて……仲が良さそうで嬉しいっス」

「いや、本当に疲れてたんじゃないのかな?」

「うーん、本当に疲れてたのなら、自分に連絡してくると思うっス。転移能力で家に連れてこれるんで」

「あれ? 転移能力は大きな力を必要とするから、朝夕しか使えないんじゃなかったっけ?」

「距離と重さによるっス。日本は遠いので大変っスけど、この島内とかなら大丈夫っス」


 なるほど。何だか、宅配便みたいだな。もしも人だけでなく、物資まで運べたら尚更そんな感じだ。


「そういえば、うさみみの能力だけど、ユキは二つ使えるって言ってたんだ。だいたい、一人何個くらい使えるものなの?」

「うーん、人それぞれっス。突然、新しく使えるようになったりするらしいっス。でも自分は転移能力だけしか無いんで、わからないっス」

「そっか。でも転移能力って凄いよね」

「そうでもないっスよ? 自分以外にも使える人は結構居るっス。アニキ以外の日本人も、きっと誰かの転移能力で来てるっス」

「あ、そっか。普通に日本人が歩いているって言ってたもんね。日本で公にされてないだけで、昔から交流はあったんだ」


 まぁここへ来た人が日本へ帰っても、誰も信じなかった可能性はありそうだな。

 実際、うさみみを目の当たりにしないと、信じてもらえないだろうし。


「そうそう。それより予選二位通過おめでとうっス。明日こそは応援に行くので、頑張って欲しいっス」

「あ、そっか。今日も会場まで来てくれたんだっけ」

「そうっス。明日はAリーグの一位通過ペアが初戦っスよね? えーっと、名前は何だっけ?」

「あ……しまった。明日の相手、見てくるの忘れてた」


 負けてかなりへこんでたからな。そんな基本的な事すら頭から抜け落ちてたよ。

 って、見た所でこの国に知り合いなんて居ないし、わからないけどね。


「とりあえず、明日はいよいよ決勝ですし、今日の疲れもあると思うので、ゆっくり休んで欲しいっス」

「そうだね。じゃあ、ちょっと休憩させてもらおうかな」


……


「アニキ、そろそろ起きてくださいっス」


 帰宅後にトモくんと話して、居候させてもらっている部屋で仮眠を取っていたのだが、仮眠どころか本格的に眠ってしまっていたようだ。

 時計は五時を示している。昼食も取らずに眠り続けて……思ってた以上に、疲れていたようだ。


「あー、トモくん? ごめん。俺、かなり長い時間寝てたんだ」

「そうっスね。で、よく考えたらアニキ、試合後そのまま寝ちゃってるっス。ちょっと早いけど、お風呂の準備をしたので、入っていただきたいっス」

「あ! ごめん、汚れたまんまで寝ちゃって。そうだね、お風呂に入らせてもらおかな」


 勝手知ったるユキの家とでも言おうか、着替えを手にして脱衣所へ。

 手早くテニスウェアを脱ぎ、浴室の照明を点けたら先ずはシャワーを。これだけ汚れているのに、いきなり浴槽に入るのは流石にマナー違反だよね。

 そして頭を洗っていると、


「えぇぇぇっ!?」

「ん? 誰か居るの? ……って、そんな訳ないか」


 一瞬、ユキの声が聞こえたような気がしなくもないけれど、扉が開いた気配も無いし、そもそも誰も居ない。気のせいだろう。

 だが浴槽へ浸かってボーっとしていると、どういう訳か視線を感じる。

 当然ながら誰も居ないし、窓も扉も閉まっていているし……というか、そもそも誰が俺の裸を覗きたがるかという話だが。


「ん? ミコちゃんの忘れものかな?」


 浴槽にオレンジ色のうさぎのオモチャが浮かんでいる。日本だったらアヒルだけど、こっちではうさぎらしい。

 しかし、随分とリアルなうさぎだ。プラスチック製ではなく、ちゃんとした毛が生えているし、本物のうさぎサイズだし。

 ただ毛が濡れてしまったりと、リアル過ぎて逆にお風呂は不向きな気がするけどね。

 暫くリアルなオモチャをムニムニと触りながら、「お風呂でオモチャって、ミコちゃんは本当に何歳なんだ?」と、疑問を覚えながら浴室を後にしたのだった。


……


 その日の夕食。


「お兄さん。お風呂、すーっごく気持ち良かったでしょ?」


 どういうわけか、今まで見た中で最大級とも言える笑みを浮かべながら、ミコちゃんが話しかけてきた。

 同じくトモくんもニヤニヤしているのだが、一方でユキはかつてない程に顔を……というか、全身を真っ赤に染めている。


「あぁ、凄く気持ち良かったけど……それより、ユキ。身体中真っ赤だけど、大丈夫か?」

「ふぇっ!? ら、らいじょーぶ」

「あー、姉ちゃんはお風呂でのぼせたみたいっス」

「小さい頃はボクも、一緒に! 入ってたけど、ユキ姉は昔からお風呂に長湯するのが好きだもんねー」


 何故かミコちゃんが変なアクセントで喋り、そしてユキが無言のまま、ますます顔を赤くしていく。

 よくわからないけど、明日は決勝なんだから体調には気をつけて欲しいと伝え――そして、決勝トーナメント当日を迎えたのだった。

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