サモン!

@nanashinana

序章 神のガチャ

 さながらゲームセンターのような喧噪に満ちたその場所は、深夜でも衰えることを知らなかった。パチンコやスロットの喧しさもあるが、騒音の元凶はやはり人々の歓声に近い叫びだった。地区内で最も広いこの建物内の天井に設置された十数台のモニター、それを見ながら変動するオッズ。お金を賭けるための箱型の機械はモニター数の三倍以上はあるはずにもかかわらず、どれも長蛇の列を成していた。アップテンポなBGMもたちまち人々の慟哭や歓喜の声に埋もれてしまう。

 そこから出入り口の方へと移動――ちょうどこの建物一階の中心部まで行けば、三メートルは超えるであろう機械が鎮座していた。そこより上は吹き抜けとなっており、二階以降も見下ろせる構造となっている。そこも他と変わりない騒々しさが窺えるものの、空気に敏感な人物であればどことなく違う雰囲気も感じ取れただろう。

 一言で言ってしまえば、身に纏う『真剣度』が違った。無論、賭博に興じている者が真剣でないと言えば首を横に振るが、それでも娯楽としての側面は拭い切れない。しかし、ここに居る者たちは総じて娯楽として臨んでいる空気など微塵もなかったのだ。

 そこに一列で並ぶ人々は皆、神に祈りを捧げるように手を組んでいて、そこには例外なく紙の束が握られている。――彼ら彼女らが挑もうとしているのは、この世界の人々が言うところの『ガチャ』と呼ばれるものであった。ただし、排出されるものは『物』ではなく『カード』だが。

そのガチャ機体の表側上半分以上はどんなカードが入っているか――目の前にあるこれならば半年美少女が付き合ってくれる『彼女カード(レア)』だったり、売ることで莫大な金を手にできる『鉱石カード(Sレア)』だったりだ。要は上画面にはこのような価値のあるカードの残数が表示されているのだ。これらは機を見て補填されている。

残りの下部分には両替したガチャを引くためのチケットを入れる投入口や、カードの出てくる排出口がある。ガチャを引く方法は至って簡単で、投入口にチケットを入れると数秒後自動的にカードが排出される。ただ、それだけ。たったの、数秒。さりとて、ただそれだけの行為に命を燃やす人のなんと多いことか。

有り体に言って、ガチャを回す行為は遊びだ。行きつく先も、また遊戯の場であるだろう。けれど彼らにとっては遊びではなかった。この機体は『コモンガチャ』といってN(ノーマル)からSレアまで――当然偏りはあるが――入っている代物だ。それもここ一台だけではなく全国各地に存在している。良いカードを引くには、他者とのスピードや運を競わなくてはならない。

『コモンガチャ』は一回千円だが、機体のグレードが上がればそれこそ一回五千万にもなる、なんて噂まである。当然、Sレアが出て当たり前ではあるだろうが。しかし『コモンガチャ』では百回引いてSRが当たれば最高、レアが五回以上出れば御の字といったレベルであり、十万やそこらの出費を惜しくないと思える人物が本来引くものなので、一獲千金を狙う庶民にとってはまさしくギャンブルだと言える。

今もガチャの結果に一喜一憂する人々の姿が、明と暗に分かれる。それをニヤニヤと見物しながら談笑する人の姿も窺えた。他人の不幸は蜜の味、というが事実、彼らの表情は仄暗い愉悦に染まっていた。

一人、また一人と、機体の用意された台座から降りていく。変わらないサイクル――それが少し揺らいだ。否、揺らいだのは周囲の空気だった。主原因は一人の少年の登場。動揺、というよりは関心によって生じたものである。身なりはおおよそ金を持っているようには到底見えず、簡素なTシャツ姿だった。衣服に金を費やすよりは、ガチャ代に回したいという感情がありありと透けて見える。ここまでは大して物珍しくもない。原因となっているのは、やはり彼が『少年』だということだ。ガチャに挑むのはだいたいが三十代を超えた人間で、それも崖っぷちに追い込まれた者が挑む。特定のカード目当てで臨む者もいるが、そういう類の人々は総じて大金を持っている。服装から見て、今台座に上っている少年はそれに該当しない。

「止めといた方が利口だぞー」などという親切心の皮を被った嘲笑が彼目がけて飛ぶ。波及していく。それに臆した様子も見せずに、少年は胸に抱いていたチケットの束から片手を放す。すると同時に、ざわめきが一層膨らんだ。その枚数はざっと見、百枚以上はくだらないからだった。――つまり少なくとも十万円以上、彼はこのガチャに費やしていることになるのだ。

 優男然とした少年は静かに一枚チケットを手に取り、魂を込めているかのような手つきで投入口にくべた。瞬間、台座を取り囲むように鑑賞している人々が押し黙って、少年の一挙手一投足に集中する。レア以上の、もしくは目当てのカードが出た時点で、きっと彼は歓喜の雄叫びを上げるだろう。出なければ泣き喚くか膝を折るはずだ。その瞬間を見逃すまいと、彼らは固唾を呑んで見やっているのだ。

 一秒程度の間を置いて、排出口からカードが出てきた。周囲からではカードを覗き見ることはできないので、なおさら当人の反応が重要になってくる。――にもかかわらず、期待に反して彼はさっと目を通しただけで、すぐにポイ捨てするように足元へとそのカードを手放した。これでは結果が分からないし、何よりギャラリーが不満を募らせる。その後も少年はそれをひたすら繰り返すのみで、何一つパフォーマンス染みたことはしない。見物客も苛立ちを露わに声を上げる。

「どうした駄目だったのか?」

「何とか言ったらどうだ!」

「当たってないんだろう? 無反応気取っても分かるぞ!」

 観察眼に優れた者なら、少年の僅かな違いに気付いただろう。ガチャはスピード勝負という面もあるが、少年のチケットをくべる速さが徐々に上がっていることに。

 気付けば彼の手にあったチケット束はもう半数を割り、もはや頼りない薄っぺらさにまで減っている。足元に放置されたカードの残骸は、山を築き始めていた。

 少年にとって見ればいつの間にか、観客にして見ればやっと、彼の手にあるチケットは残り一枚にまで差し迫っていた。当事者含めて、最も集中がピークに達する。ここまで無表情を貫き通してきたあの少年も、さすがに全てゴミカードとなれば絶望を浮かべるだろう、とギャラリーはそれを渇望し。当事者たる少年はどのみちラストチャンスには変わりないのだ。

 建物全体が脈打ったような感覚に囚われた者が、その中にどれほどいたことだろうか。

 投入口に吸い込まれていったチケットに全てを託したように見つめる少年は、やがて吐き出されたカードを抜き取り、若干間を置いて、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

 ――結局、最後の最後まで少年の表情が変わることはほぼなかった。

ただ、一つ。

彼の口角が僅かに吊り上がっていたことに、気付いた者は数少なかった。

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