第4話

 一度書きかけた太めの線を、少し考えてから消して、そしてその線をまた書き足すということを先ほどから繰り返しているうちに、日付が変わってしまったことに三宅徹みやけ とおるは気が付いた。


 マックの中の絵には海辺の風景が広がっている。とは言え、実際の三宅が知っている海など、小学生の頃に家族旅行で言った伊豆の海くらいのものなのだが。

 メールボックスを確認すると、今日も一通新着メールが到着している。思わずにやつきながら開いてみると、案の定ぴょこたんからのものだった。

 ぴょこたんは、三宅の書く絵をサイトを始めた二年ほど前から訪れてくれている存在だった。そして、三宅がアップする作品について、こうして思い出したように感想をメールで送ってくれる。本名も、年齢も、性別すらわからないが、彼の絵についての感想を誠実に書き連ねてくれるその人柄には惹かれるものがあった。


 ほとんど引きこもりのような生活を始めて、もうすぐ二年が経つ。美大を卒業したものの、就職の目処は立たず、三宅は次第に家から出ないようになっていった。自分の見たことのない風景を想像で書きなぐっては、ホームページにアップするという生産性の無い作業を続ける以外は、アイドルの追っかけをするだけという破滅的な生活の中にあって、ぴょこたんが送ってくる絵の感想メールは彼を現実世界へ繋ぎとめるほとんど唯一のものと言っても過言では無かった。


 彼が中学生の頃から追い続けているアイドルの松下聖奈は、デビューして八年目にして崖っぷちに立たされていつつも、一昔前までバラエティ番組などで再起をかけて必死に食い下がる様子が世間に受け入れられていたいわゆる崖っぷちアイドルほどの必死さもなく、ただ流されるようにファンも活動の規模も縮小していっているという、アイドルの行き着く果てを見事に体現しているかのような存在だった。

 先日の地方のイベントでは、ほとんどバイトのキャンギャル並の扱いだった上に、八年目にしてようやくのデビューシングルはついこの間楽曲提供をした元ビジュアル系バンドのギタリストが覚せい剤所持で逮捕されたことを受けて発売日直前に発売禁止になったばかりだった。

 三宅は発売禁止前のその曲を生で聞いた数少ない人間の一人だったが、テレビで逮捕のニュースを見た時には、あの歌詞なら確かに一発キメて書いてたかもしれないなと妙に納得した。

 あのイベントの日付でアップされた聖奈の公式ブログが妙に明るいところが見るに耐えなかった。それ以外の日も何だか身の回りの小さな出来事ばかりになっていて、ほとんど毎日オフであることがわかってしまうところが悲しかった。


 ため息をつき、机の横の本棚からもうだいぶ古びた写真集を取り出す。松下聖奈のファーストにしてそれ以降が出ていない写真集だ。タイトルの横には「聖奈 17歳」の文字がある。この時が17歳だったということは、聖奈は今年25歳になるはずだ。ここのところ、彼女を見かける時は大抵水着か、下着か、それ以上のきわどい衣装を着ていることが多く、それもメジャーな出版社の雑誌などではほとんど見かける機会はなく、聖奈以外は衣服を全く見つけていない女ばかりが載っている知らない出版社の雑誌か、それ以外はうさんくさいWEBマガジンのグラビア企画くらいだった。

 写真集をめくりながら、この時は可愛かったのになあ、と三宅は独り言ちた。最近の聖奈は自分自身でも自棄になり始めているのか、近くで見ると肌は荒れているし、デビュー当時と比べるとおそらく体重もだいぶ増えている。なにより、老けた。それは化粧でもカバーしきれないほどだった。

 そろそろ、卒業しないといけないのかな。聖奈からも、この生活からも。

 三宅は写真集を本棚に戻すと、もう一度ぴょこたんから送られてきたメールを頭から読み返し始めた。


「こんにちは。また勝手なメールを送ってしまってごめんなさい。


 昨日新しくアップされていた絵、とっても素敵ですね。ミュージカルか何かのワンシーンを描いたものでしょうか?とても煌びやかなタッチなのに、ステージの上の少女の表情がどこか淋しげで、悲しげに感じます。

 私もここのところ仕事でどうにもならないことが多くて、正直めちゃくちゃへこんでいたのですが、この絵を見た時になぜかすうっと気分が明るくなって行くのを感じました。なぜだかとても救われた気がしたんです。なぜでしょう…って、こちらが聞くのが変ですよね笑

 これからも素敵な絵をたくさん書いてくださいね。ブログ読んでいると絵が思うように書けないと仰ってましたが、あなたの絵は少なくとも私の救いになっています。本当に助けられていますよ。

 私も仕事頑張ります!それでは。


 ぴょこたん」

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