あなたの光になりたいの!

いりやはるか

第1章 光がどこにも見えないの!

第1話

 日曜日。

 駅前の小さなショッピングモールと呼ぶのもおこがましいような小さな商業施設に松下聖奈まつした せいなはいた。

 家族とも、友達とも、ましてや決して彼氏となどではない。仕事だ。そして彼女の体を包んでいるのは薄い素材で作られたスケスケの衣装一つだった。

「軽くて丈夫な新素材!ポルンプレイン!これ一つで雨もOK!」

 気が狂いそうになるほど連呼し続けるエンドレスの録音されたナレーションが頭の中をぐるぐると占拠しており、洗脳とはこういうことかと思い知る。

 ビキニタイプの衣装には商品名が印刷されている。聖奈の右のおっぱいには「ポルン」、左のおっぱいには「プレイン」と書かれており、下を少し向く度にそれが目に入るので余計にやるせない気持ちになる。

 彼女の傍には見た目にはむくむくと膨らんだ積乱雲のおばけみたいな奇怪な形のぬいぐるみが風船を両手に持ちながら、やるきなさげにぶらぶらと左右に揺れている。

 聖奈は頭に来て正面から見えないようにぬいぐるみの脛の辺りを12センチのヒールで蹴っ飛ばした。

「あっ」

 ぬいぐるみの中からくぐもった声が聞こえてくる。聖奈はぬいぐるみの目の横に、酸素を取り入れるために空いている小さな穴の近くに顔を寄せると言った。

「さぼってんじゃねえよクソが」

 むくむくおばけが言葉を聞いてみるみるしゅんとしていくのがわかる。そのまま空気がしぼんで蒸発してしまいそうなほどだ。

「新曲のプロモーションだって言うから来たのに、何であたしがこんなキャンギャルみたいな仕事しなきゃいけないの?」

「…これ手伝うってことで歌う時間もらってるんですよ」

 ぬいぐるみの中に入っているマネージャーの浅尾あさおがもごもごと答える。今年事務所に入社したばかりの新人だ。遅刻はする。仕事は取って来ない。礼儀を知らない。嘘をつく。聖奈の知るところマネージャーとしても社会人としても最底辺レベルの人間だった。といっても全社員をあわせても片手程度のこの事務所で、浅尾の存在は貴重な若手だった。とりあえず、体力はある。

「あと、なんなのこの衣装?聞いてないんだけど」

「僕もここ来て聞いたんですよ。でも聖奈さんグラビアもやってるし…いいのかなって」

「いいのかなじゃねえよ、NG出せよ」

「でもNG出しちゃったら歌わせてもらえないかもしれないし」

 ほとほとこの「〜させてもらう」というフレーズに吐き気がする、と聖奈は思った。告知させてもらう、出演させてもらう、掲載してもらう、歌わせてもらう。この世界に入ってからというもの、こちらから「〜してやる」という思いをしたことなど、無い。

「それ、もらえんの?」

 聖奈が声のした方向へ顔をやると、聖奈の胸元の辺りをじろじろと見ている脂ぎった顔面の中年男がこちらの方を指差している。「ポルンプレイン」という「ビニールより薄くポリエチレンより丈夫」という強いんだかなんだかわからない新素材の販促用に作られた「新素材ラップ」を先ほどから聖奈は配っているのだった。

「あ、はい!新素材のポルンプレインを使ったラップです。良かったらぜひお持ち帰りください!」

 何をこんな買っても何百円だってしないようなラップを物乞いする親父に自分は愛想を振りまいているのだろう。これでは本当にキャンギャルのアルバイトだ。

 親父のねっとりとして視線を振り払うように「こんにちはあ」とその辺の小さな子供に話しかけてみるが、子供は全くの無表情で通り過ぎて行った。

 気がつくと聖奈から離れた場所で風船配りをサボっていたもこもこおばけの浅尾の近くに主催者と思しきスーツの男が近づいてきて何か話したかと思うと、もこもこおばけがよたよたしながら聖奈の方へ走ってきた。

「歌、これから歌っていいそうです!」

「はあ?今?」

「時間ないんで、行ってください」

 浅尾が焦った口調で言う。

「この衣装のままで歌うの?持ってきたでしょ衣装」

「いや、もうこれで。次キッズダンスコンテストあるらしいんで。マジです。早く」

 浅尾はもはや完全に落ち着きをなくしていた。ダメだ。このトランス状態に入った浅尾に何を言っても通用しないことを聖奈は経験でわかっていた。

「わかったよ行くよ。だけど絶対あんたのこと、社長に文句言うからね」

 聖奈が脅し文句のつもりで睨みを効かせたものの浅尾の顔はどこにあるのかわからないむくむくおばけに包まれているため、どれだけ効果があったかわからない。

 溜息を一つついて聖奈はそれでも気合いを入れ直して笑顔を作ると、持っていたラップをステージ袖の事務机の上に起き、無愛想なPAスタッフからマイクを引ったくるように受け取るとステージに上がった。

 能天気なイントロが流れ出す。年齢から行くとすでにだいぶキツ目の楽曲であることは最初からわかってはいたものの、数年前までそこそこ名前のしれたビジュアル系バンドに在籍していたギタリストがアイドルソングを作るということでそれなりに話題は得られそうだったし、注目度を考えて聖奈はこの曲に乗ることにした。ところが上がってきた楽曲はどう聞いてもやっつけとしか思えないようなもので、歌詞の大半は擬音で占められていたし、曲自体もまるで幼稚園のお遊戯会で園児たちが踊るのにはちょうどいいかもしれないが、今年で二十五歳になる女が半裸の衣装で歌って踊るにはいささか脳味噌が半分溶けて流れ出しそうな印象だった。

 ステージの下にはそれでもデビュー当時から追いかけてくれているファンの顔がいくつか見える。いくつか、は正確ではない。正確には三つ見える。名前だってもう覚えてしまった。池田さん、細村さん、三宅くんだ。握手会にもイベントにも、必ずやってきてくれるのはこの三人だった。

 野球帽を被って最近ではあまりみかけない大きめのメガネをかけた池田さんは今年で四十五歳になるアイドルファン歴三十年の筋金入りの人で、なぜか以前から聖奈の追っかけをしてくれている。彼が最初に追っかけをしていたアイドルは謎の投身自殺を遂げ、二人目にファンになったアイドルはファンに硫酸をかけられて引退していた。彼がファンになるアイドルは必ず何がしかの不幸な目にあっているというところが聖奈には非常に気がかりになってはいるのだが。とはいえ、未だに結婚もせず実家暮らしで、新聞配達をしながらこうして地方のイベントにも顔を出してくれるのは本当にありがたかった。大柄で頭部がつるつるの細村さんは三十台の半ば。職業は確か自転車屋さんをやっている。三宅くんは自称美大生だが、その風貌は美大生と言うにはあまりにセンスが著しく欠けているように見えた。もちろんファンでいてくれるのだから嘘をつこうがなんだろうが別に聖奈には関係ないのだが。

 三人はもう一年近く前に売り出して、今や事務所の公式サイトでもソールドアウト表示のままになっている「松下聖奈オフィシャルTシャツ」を揃って着ている。紺地に白で聖奈がデザインしたオリジナルキャラクターが描かれていて、バックプリントには大きな字で「WE LOVE SEIINA MATSUSITA !」と書かれている。今見るとそのあまりの実用性のなさに自分のことながら申し訳なく聖奈は思った。

 三人以外は特に聖奈を見にきたわけでもないため、スーパーの袋を持った子連れの若い母親や、見るからに退屈そうな老人たちが暇つぶしに離れてぱらぱらと座っている程度だったが、地方のイベント周りで観客ゼロの中じゃんけん大会もしたことがある聖奈にとってはむしろこれだけ人がいることの方が珍しいと言えた。マイクを握り直し、いつものようにあまり人とは目が合わないように遠く空の彼方を見つめて口を開く。

「ぱっぱっぱっ、パッションラブ〜 ぷっぷっぷっ、プードルみたいな〜 チワワ〜」

 意味がわからないが、歌うしかない。振り付けも予算がない為専門の人間がおらず、ほぼ自力で考えたものだった。と言っても踊りなど習ったこともないから、他のアイドルのDVDを借りてきて、自分でも出来そうな振りの部分を適当にパクって繋げ合わせただけだ。サビ前に長めの間奏が入るため、間をつなぐために顔の前に両手を持って行ってひらひらさせ、軽くしゃがみ込むような動作を取り入れた部分がある。観客席の乱れたぱらぱらの手拍子を聞きながらぱっと顔を上げたその時、遠くから見覚えのある顔ぶれがこちらを見つめているのに気がついた。

 まさか、どうしてここに。

 瞳孔がすっかり開き切った聖奈の目に入ってきたのは高校時代から昨年まで付き合っていた男と、共通の友人だったはずの女だった。二人はしっかりと手を繋いでおり、女のお腹はステージの上からでもはっきりとわかるほど大きく膨らんでいた。

 あの男、仕事の関係で引っ越すから別れて欲しいとか言ってなかったか。

 あの女、私がそのことを相談した時「わかるよ」とか言って私のことを慰めてなかったか。

 なんだ、あいつら。

 動揺のせいか、聖奈の手からすっぽ抜けたマイクは派手にステージ上に転がって行った。

 あっと思ってマイクを拾おうとしたのが行けなかった。普段履きなれない高いヒールのせいでバランスを崩してそのまま尻餅をついて思い切りステージに向けてパンツをさらけだしたまま動けない聖奈の耳に、自分の歌声が聞こえてくる。

「口パクじゃねーか」

 客席で退屈そうにこちらを見ていた小学生くらいの子供が言う声がした。

 死にたい。聖奈はそう思った。いや、死ぬことはない。ないけど、帰りたい。帰ってこのヘンテコな衣装を脱いでメイクも落としてただ眠りたい。できればそのまま二三日寝ていたい。

 下を向いているのに、こちらを見ているであろうあの二人の視線が脳天にぐさぐさと突き刺さっているようだった。

 聖奈は立ち上がる気力も無く、マイクも持っていないのになぜか自分の歌声が大音量で鳴り響くステージ上をそのまま四つん這いでずるずると這いずって袖に向かった。袖で首から上だけ顔を出したむくむくおばけ浅尾がイベントの関係者と思われる人間に何やら言われて分速千回くらいの勢いで頭を下げているのが見えたが、聖奈にとってはもうどうでもよかった。

 曲を作った元そこそこ有名ビジュアル系バンドのギタリストは、そのイベントの三日後に覚せい剤所持で逮捕された。以前から常習していた疑惑もあり、聖奈のデビューシングルになるはずだった楽曲は発売禁止となった。その点で、ネット上では聖奈の名前が瞬間的ではあるが、話題になった。

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