サミュエルという事象(4)

『史上最年少 新任修復士は少数民族の少年』


 一筋の光は柔らかく、しかし途切れることはなく目的地への道のりを示す。セレスティーヌとアルベールは光を信じて黒色の空間を歩んでいた。相変わらず背景と足場も見えない黒一色だけども、セレスティーヌが歩を進める間にも数多の活字の群れが襲いかかる。


『国歴353年、春花の月藍玉の日から新しい修復士が誕生する。今回修復士に任命されるサミュエル・ジュブワ少年(12)は辺境の少数民族、ジュブワ族の出身だ。本も多くないジュブワ族の土地で何故彼の才能が開花したのか』


 けれどこれは、この世に出ることはなかった記事だ。セレスティーヌが風を切るように歩くと、その情報は一瞬で霧散する。サミュエルの過去は修復士になったと同時に消されたのだと、あの老ドクターは言っていた。サミュエルの出生に関わるジュブワ族の内紛で、何かがあったに違いない。


『サミュエル少年は識字率の低いジュブワ族のなかでも文字の読み書きができる優秀な少年だった。両親ひいては祖父母の熱心な教育方針で、毎日新聞を読むことができたかららしい。医者の家系で比較的裕福だったこともあり、サミュエル少年は文字に触れることができたのだ』


 どこまでが記事で、どこまでが回想か。きっとそんな憶測に意味はない。活字たちが語るのはジュブワ族の内紛から徐々に逸脱し、サミュエル個人の経歴を洗い始めた。


『サミュエル・ジュブワの名が禁忌となったのは、彼がジュブワ族の誇りであり、恥さらしでもあるためだ』

「……恥さらし……?」


 無機質な活字の群れが、そのフォルムを鋭く変形させる。言葉のナイフとはよく言ったものだ。今のそれらはまさしく牙にも似た凶器に成り変わっていた。


『サミュエルは修復士任命のため王都へと向かった』

『彼がジュブワ族を離れて間もなく紛争が起こった』

『サミュエルは生き残った、修復士であるために』

『彼は才能に愛されたからジュブワ族を見捨てた』


 サミュエルは悪。サミュエルは忌み子。サミュエルはジュブワの地で死ぬはずだったのに――

 横暴だ。サミュエルは何も悪くない。運悪く……むしろ幸運にもエトランゼ平原を離れていたことで、彼は生き延びることができたのだから。その八つ当たりにも似た「事象」を、間違っても報道を司る新聞が書くはずがない。


「これは新聞記事なんかじゃない……は、誰なのですか!」


 セレスティーヌは叫んだ。嘆きにも似た悲鳴だった。するとセレスティーヌをすり抜けていた活字たちが魔法のように消え失せ、同時に視界が一気に開ける。ホワイトアウト。あまりの眩しさにセレスティーヌは目を瞑った。


「……マドモワゼル。マドモワゼル、気を確かに」


 アルベールの揺り起こす声に、セレスティーヌは少しずつ瞼を開けた。少し距離を置いて見つめるアルベールの姿がある。さすが紳士、淑女には無闇に接触しないようだ。

 何度か瞬きをして、視界を覚醒させていく。ちかちかと瞼の裏の星が消えるまで、少し時間を要した。


「ここは、戦場……?」

「いいえ」


 アルベールは無念そうに、ゆっくりと首を横に振った。


「彼と、ジュブワ族が見せている悪夢……でしょう」


 そこはエトランゼ平原だった。しかし短い緑が生えているはずの場所は、黒色の煙をあげている。残り火があちこちで燻り、たくさんの屍が転がっていた。

 その中心に人だかりが、人垣の山がある。

 その頂きに座り込むのはサミュエルだった。しかし普段の、のらりくらりとした彼とはまったく違う。チーズみたいにとろけた笑みも、太陽に照らされる綿毛みたいな髪も、すべてが黒煙に染まる。屍の山に襲われているサミュエルは、その首を無抵抗に締め上げられていた。


「サミュさんっ!」


 セレスティーヌの悲鳴と、アルベールが魔方陣を描き出すのはほぼ同時だった。サミュエルは自分の腕のようにマスキングテープのリボンを操っていたけれど、アルベールの術式には時間が必要だ。あの人垣を囲むように陣を敷くなら、そこそこ大規模なものになるだろう。


「……セレ、ス?」


 いつか本で見た「地獄絵図」を思い出した。赤と黒の世界、血の河、半裸の人の屍たち。セレスティーヌはその日眠りにつくのが怖かったほどの光景だ。あれは平面のフィクションだったけれど、今回は本の世界とはいえ似た世界が目の前にある。

 掠れた声のサミュエルが痛々しかった。流血しているわけではないけれど、焼けた肌の屍の指先が彼の首に食い込んでいく。


「しっかりしてください! 今、アルベールさんが術式を起動させますから!」

「……う……」


 うん、なのか、ううん、なのか。サミュエルの蚊の鳴くような声は音でしかなかったけれど、セレスティーヌは彼を鼓舞すべく陣の外から叫び続けていた。

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