7. そんな彼はきっと王様

2014年6月23日 上海外灘区のアパート


「いつもの病なのですよ。鴉の兄様は、相手が人外のバケモノでないと満足できない」


 ため息交じりに燕は言った。夜鷹と牡丹は視線を合わせた。


「……鴉の兄さんは、鈴姉にちょっかいかけては、ボコボコにされるよね」

「オヤジにも要らん喧嘩売ってくるよな」

「……父さんの場合、口では困ったなあって言ってるけど、大概楽しそうにしてる」

「親父と姉御以外にバケモンってなると……あの薬中もある種の超人だよな。でも、鴉の兄貴、あいつとは仲良いぞ」

「……あの人は特別枠だと思う」


 二人の会話が途切れると、燕は説明を始めた。


「鴉の兄様はもともと、そのゲームサイトにおいて最高のレーティングを誇る指し手でした。自分に比肩しうる存在がいなかったせいで、王者故の寂しさを感じていたのでしょう。そこにタークが現れ、兄様はその存在に魅せられてしまった。そして兄様はタークの正体を知ると、通報するどころか、その存在を保護したのです」

「保護?」

「ゲームサイトの運営を買収し、タークのアカウントに手出しできないようにしたのです。タークを無限に走らせるために」

「うっは、マジで? そこまでする? 馬鹿じゃねえの?」

「ほほう、鴉のどのような理屈をもって鴉の兄様を馬鹿と評したのか、議論を……」

「いやいやいやいや! もういい! 撤回! 撤回な! 今日はもう頭使う長話聞きたくねえよ」

「まあ、いいでしょう。実際、一般の目には、狂気の沙汰と思われてもしかたないと思います。しかしそれは、鴉の兄様が王座に座る資格を持つ者であるが故に、所詮は一般人に過ぎない我々の理解が及ばないのであって……」


 燕はその後も鴉を持ち上げる話を続けたが、夜鷹は疲れたような顔でスマホを取り出し、その話を聞き流した。適当なタイミングで相槌を打ちながら、その心はほとんど画面に向いている。


「うーん、王者、王者ねえ」

「まだ何か?」

「いやいや、悪口じゃねえからいちいち突っかかんなよ。ただ、鴉の兄貴って、単純に王様って感じじゃなくねって思っただけ。強い指し手と激闘を繰り広げるんじゃなくて、タークみたいなのに執着してるところがどうもひっかかる」

「というと?」

「なんつーか、ヴィランの王様みたいなんだよ、鴉の兄貴って」


 瞬間、燕の形相ががらりと変わった。悪鬼のように顔をしかめ、血走った目を夜鷹に向ける。牡丹がぎょっとして肩を縮めるが、夜鷹はというと、スマホの画面に目がいって、自分に向けられた激情に気づいていない。


「……聞き間違いでしょうか、もう一度言い直してもらえますか、夜鷹?」

「あ? だからヴィランの王様だって。アメコミ映画のラスボスだよ」

「あなたは……何を……」

「あれ? 伝わんねえかな? そうだな、スーパーヴィランは一旦脇に置くとして……例えばほら、『スーパーマン』のレックス・ルーサーとか考えてみろよ。あれ、身体的には普通の人間だぞ。それなのに、銃弾弾いて空飛んで目から熱光線ぶっ放す宇宙人スーパーマン相手に、術策尽くして互角に渡り合ってやがる。あと、有名どころだと『バットマン』のジョーカーとかかね。あれも戦闘能力皆無のくせに、マシンガンと爆弾を武器に、鋼の肉体を持ち最先端技術フル装備のバットマンと張り合ってんだ」

「……愚かなことです。力量差が見えてない」

「分かってねえなあ。天に君臨する超絶チート大正義が相手じゃねえと、奴らにとっちゃそもそも執着する意味がねえんだって。お前が評した通りだぜ? 人を超えた存在と闘ってないと満たされない病ってやつ」


 夜鷹のスマホには、ゲームサイトの専用掲示板が表示されていた。そこには、タークに打ちのめされた指し手たちの嘆きが連綿と書き連ねてあった。タークの正体を知らない指し手の中には、三十年のキャリアに裏打ちされたプライドを打ち砕かれ、チェッカーを引退した者もいるらしい。

 彼らの阿鼻叫喚を眺めながら、夜鷹は皮肉気に口元をほころばせた。

 ――もしタークの正体が知れわたったら、指し手たちはどうするのかね? ――人間の指し手の限界を肌で感じてしまい、心を折られるのか――挑むのは馬鹿らしいって、仲間同士でチェッカーに興じるか――いずれにせよ、タークに挑み続ける奴いないだろ。

 ――それでも多分、一人だけ、負けず嫌いこじらせて、タークと同じ土俵で戦おうとする奴がいる――そいつは――。

 夜鷹の声の調子が、一段弾んだものになる。


「ガキ臭くて粘着質なところとか、肉弾戦くっそ弱いくせに現場にやたらとでしゃばるとことか、派手好きで劇場型犯罪者の気があるとことか、どれをとってもそれっぽいだろ? 結局そうした性格の延長なんだよ……鴉の兄貴は、ヴィランの親玉たちとまったく同じ倒錯趣味につかれて……」


 突然、燕が夜鷹の腕を引っ張り、強引に立ち上がらせた。燕は鬼気迫る顔で夜鷹の両肩をがっしりつかみ、うつむき、怒りに肩を震わせていた。


「うおう? なんだなんだ? 急にどうした?」

「……夜鷹、今の発言、絶対に、兄様の前で言ってはいけません!」

「え? 何で?」

「何が何でも! 絶対にです! さもなくば、殺されます!」

「何でだよ?」

「あなたは知らないのです、ヴィランは、その言葉は……」


 燕は続きを口にする代わりに、夜鷹の肩を握る手に力をこめた。夜鷹は痛みに顔をゆがめ、「わかった! わかったって!」と叫びながら、無理やりその手を振りほどいた。


「……なにキレてんだよこの脳筋……もともと、わざわざ本人の前でするような話でもねえよ。あー、ヴィランを例にだしたのが気に障るってか? ……口悪く言ったけど、そこまで貶めたつもりもねえって」


 夜鷹は肩をはたき、よれた上着を軽く正すと、不敵な笑みを浮かべてみせた。


「あんま共感されねーだろうけど、俺は嫌いじゃないんだ。自分は普通に人間のくせに、わざわざ超人様を選んで喧嘩売って……何度打ち負かされても、互角のステージに這い上がろうとするその姿勢」

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