3-2

 トントンと何かを叩く軽快な音が、柘榴の意識を覚醒させた。

 ぼやけた目を擦って起き上がり、居間に出た柘榴は、台所に立つU・Dの姿を見て目を見開いた。


「ふんふん、ふんふん、ふ~んふふんっ♪」


 何故か鼻歌でベートーベン交響曲第九番第四楽章を演奏しながら、少女は慣れた手つきで食材を刻んでいた。


「驚いた、料理なんて出来たんだな」

「驚いたはこっちの台詞ね。冷蔵庫を開けたらレトルトしか入ってないんだもの、朝一から二十四時間営業のスーパーまで走らされたわ」


 現れた柘榴に目もくれず、U・Dはテキパキと料理を仕上げていく。


「泊めてくれたお礼よ、これくらいはさせなさい」

「……助かる」

「分かったなら出て行って。男子厨房に入らずって言うでしょ」


 ずいぶんと古風な事を言い、U・Dは台所から柘榴を追い出す。

 そうして数十分後、居間のソファーに座って待っていた柘榴の前に、U・Dは山盛りの料理を並べていった。


「今朝は貝のリゾットに麻婆豆腐、ゴーヤチャンプルーに枝豆のみそ汁よ。冷凍物のナンとミネストローネも有るけど食べる?」

「統一性の欠片も無いな」

「全部三人前で作ったけど、これで足りる? 見た所、柘榴は大食いみたいだし」

「あぁ、これだけあれば十分だ」


 大食いチャンプでもゲップが出そうな量だったが、柘榴は嬉しそうに喉を鳴らした。

 異常体質で人の三倍も体重の有る彼は、消費するカロリーも人の三倍であり、摂取しなければならない食事も人の三倍だったのだ。


「怪力のオーガ)といっても、良い事ばかりじゃないのね」

「良い事ばかりか弱点だらけだな」


 凄まじい食いっぷりに辟易しつつ、どこか嬉しそうな少女に、赤銅の狩人は包み隠さず告げる。


「一番の問題は重いって事だな。お陰で自転車やスクーターには乗れないし、車も真ん中に乗らないと傾いて運転し難いしな」

「柘榴の車、運転席が真ん中にあったのはそれが理由だったのね」

「戦闘の面でも問題はある。格闘戦では長所になる重さも、足場の悪い沼や砂浜、特に海なんかでは致命的だ」

「もしかして、柘榴って泳げないの?」

「泳げないと言うより浮かない、浮力に対して重すぎるからな。だから海はおろかプールにすら入った事がない」

「ふっ、無様ね」

「弁解のしようもないな」


 そんな他愛もない会話をしつつ、二人は無国籍な料理を平らげていった。


「ご馳走様、本当に料理上手なんだな」

「伊達に長生きしてないわよ」


 そんな事を言いながら、U・Dは空になった食器を台所に運んでいく。

 柘榴も洗い物を手伝おうとしたが断られ、居間に戻ってテレビのスイッチをつけた。

 健気に家事をする少女と、その横でテレビを眺める勤め人の自分。

 それは、遙か昔に失くしてしまった、平凡で穏やかな夢の欠片だった。

 疼き出した古傷の痛みに、柘榴は一度頭を振ると、寝室に戻って机に置かれたデスクトップパソコンと向かい合った。

 電源を点けてワードプロセッサを立ち上げ、溜まっていた狩りの報告書を書き始める。

 キーボードを叩く音が小一時間続き、書類のプリントアウトを始めた所で、丁度良く洗い物を済ませたU・Dが現れる。


「それが高坂さんに出す報告書ね。私も書いた方が良いのかしら?」

「いや、狩りの報告書は担当したチームで一つ提出すれば良い。今回は俺が書いたから、次はお前が書いてくれ」

「了解、戦闘は柘榴任せなんだし、それくらいはするわよ」


 素直に了承したU・Dに頷き返し、柘榴は報告書を鞄に入れて立ち上がる。


「俺は協会に行って書類を高坂部長に渡してくる。今日は新しい狩りを言い渡されないと思うから、お前は家に居ろ。暇なら、そうだな――」


 柘榴はU・Dに自宅待機を命じると、大量にある本棚を探り始める。


「全部で二千冊位か。柘榴って見た目と違って読書家なのね」

「割とな。昔から本と食事くらいしか趣味が無いんだ」


 蔵書の多さに感心するU・Dに、柘榴は少しだけ自慢げに答えながら、未読のまま置かれた本の山を退け、分厚いファイルを取り出した。


「これを読んでおけ、今後の狩りに必要な知識が詰まっている」


 そう言って渡されたファイルを受け取り、U・Dは題名を見て首を捻る。


「『人外フリークファイル』ね、怪物図鑑って事?」

「そうだ。お前がこれから対峙するかもしれない化け物達のデータが載っている。目を通しておいて損はない」

「ふ~ん、山姥に屍鬼にゾンビ、巨人、海竜、雪男――何これ、ツチノコとかチュパカブラまで載ってるんだけど。怪物じゃなくてUMAでしょ?」

「常識の枠を外れ、人に害を及ぼすモノなら、それが未確認生物だろうと宇宙生物だろうと、全て狩り滅ぼすのが狩人協会の仕事だからな。もっとも、日本で人型以外の怪物に遭遇する事は稀だと思うが」

「そう、気が向いたら読んでおくわ」


 U・Dは気のない返事をするが、目は好奇心で光り輝いていた。

 素直じゃない奴だ、と柘榴は苦笑しつつ、コートを羽織って玄関に向かった。


「昼は外で食べてくるから、お前も好きに食べてろ」

「OK、夕飯は準備しておくわ」


 そう会話を交わし、それが普通の新婚夫婦のようである事に気付き、柘榴はまた胸に痛みを感じながら玄関を出た。



 狩人協会日本支局の入り口に着いた柘榴は、防弾ガラスの回転扉を抜け、さらにカードと網膜認証を必要とする二番目の扉を抜け、ようやく建物の中へと足を踏み入れた。

 一階入り口の前には、一見普通の会社と変わらぬ受付が備えられ、二名の若い女性が机の奥に座っているが、彼女達は無論ただの受付嬢ではない。

 机にあるモニターで、ビルの内外に設置された監視カメラの映像をチェックする警備員であり、正面玄関から万一敵が侵入した場合に備えての門番でもあるのだ。


「お、おはようごさいます、あ、赤銅さん」

「おはよう」


 緊張してつっかえる短髪の受付嬢、近江沙耶このえさやに柘榴も挨拶を返し、その隣で平然とモニターを眺める長髪の受付嬢、南里歩美みなみざとあゆみに声をかけた。


「高坂部長はどこに?」

「七階の自室で書類の整理をしていらっしゃいます」


 歩美は監視カメラの映像を見て、狭い部屋で書類の束と格闘する高坂を確認し、その事を短く告げる。

 柘榴はそれに軽く礼を言い、エレベーターに足を向けようとして、沙耶がじっとこちらを見ている事に気付いて尋ねた。


「どうした、俺が二重存在ドッペル・ゲンガーにでも見えたか?」


 人の姿を盗む怪物が侵入したとでも疑っているのか、と柘榴が問うと、沙耶は大袈裟に背を震わせ、慌てて首を横に振った。


「そそ、そんな事ありません! あああ、赤銅さんは本物・・です」


 沙耶の声は萎縮してつっかえながらも、はっきりと柘榴の真偽を断言していた。

 狩人に向かない抜けた性格ながらも、とある異能力を持ち、それ故に狩人協会に引き抜かれた彼女には、何の物証が無くとも目の前の人物が本物の赤銅柘榴だと分かったのだ。


「なら、通らせてもらうぞ」

「は、はい、どどど、どうぞお通り下さいませ」


 柘榴が改めてエレベーターに向かうが、沙耶は本物のお墨付きを与えたにも関わらず身を縮こませた。

 それを見て、「やはり、鬼は恐ろしいよな」と柘榴は内心で小さな溜息を漏らすと、それを悟られないように背を向けた。

 四つあるエレベーターの一つが待つ事もなく開き、柘榴が階上へと姿を消すと、ようやく沙耶は力を抜き、へにゃへにゃと情けなく机に顔を伏せた。

 その様子をモニターの監視と平行して見ていた歩美が、沙耶に冷たく告げる。


「あんた、赤銅さんの事を嫌ってる、って思われたわよ、本人に」

「え、えええーっ? ななななな、何でっ?」


 親友の的確な推察に、沙耶の方は心外だと口ごもる。

 その鈍い親友の反応に、歩美は哀れみにも似た眼差しを向けた。


「あんなビビリまくりの対応をすれば、誰だって嫌われてると思うわよ。赤銅さん、自分が鬼だって事に引け目を持ってるもの、間違いなく怖がられたと思い込んでるわね」


 親友のような異能力はないが、人間観察力は格段に上な歩美の言葉に、沙耶は首が取れそうな勢いで否定する。


「そそそ、そんな事ないよ! わ、私は赤銅さんの事――」

「好きなんでしょ」


 問いですらない短い断定に、純情な受付嬢は顔を真っ赤にして叫び出す。


「違うよっ? 好きとか嫌いとかじゃなくて尊敬してるって言うか赤銅さん強くて格好いいし数値が高くてつい見惚れちゃうけど男と女じゃなくて一狩人として――」

「沙耶、うるさい」


 嘘を吐く時だけ機関銃の如き速度で口が回る親友を、歩美は一言で黙らせる。

 反論を封じられ、涙目でまた机に突っ伏した沙耶に、冷静な親友は珍しく表情を動かして言った。


「高収入、高身長、高ルックスの赤銅さんか。あんたって結構、即物的よね」

「うううううっ、違うのに違うのに~っ!」


 必死で否定を続ける友人を見る歩美の顔は、柔らかな笑みを形作っていたのだが、机に赤い顔を押し付けた沙耶がそれに気付く事はない。


「あの人って、周りから嫌われてると思い込んでるから、好意を伝えようと思うなら素直にしなさい。まぁ、男どもは本当に嫌ってるけどね」


 歩美はそんなアドバイスを口にしながら、通路を歩く柘榴をモニターで見つけ、その横を通り過ぎた男性局員達があからさまに顔を歪めるのを眺めていた。

 超重量と超筋力という異能力を持ち、物理的な力では日本支局最強と言える赤銅柘榴。

 ほぼ一人で危険度の高い狩りを遂行し、それ故に莫大な金額の報酬を手に入れ、局長や部隊長の信頼を勝ち得、さらに独特の整った外見で女性局員の気を引く彼を、ほとんどの男性局員は忌み嫌っていた。


「色男、金と力も持っている、じゃあ普通嫌われるわよね。本人が勘違いしているのも問題だけど」


 自分が疎まれているのは鬼という化け物だからだと、全く違う訳ではないが、少々外れた誤解を柘榴がしている事も、観察力に長けた受付嬢は知っていた。

 だが、それを本人に教えてやらないのが歩美であり、それを教えられても緊張して普通に接する事が出来ないのが沙耶だった。


「ううう~、きき、嫌われちゃったかな? いいい、嫌な子だと思われたかな?」


 柘榴に嫌われたと思い込み、沙耶は恋する乙女そのものの表情で親友に泣き付いた。

 そんな学生気分の抜けない友人に、歩美は素っ気なくデコピンを喰らわす。


「いいから仕事しなさい。そんなんだから現場から外されるのよ」


 過酷な訓練を終えながらも、その冷酷になれない性格のせいで、受付兼警備員という閑職に回された事を辛辣に告げるが、沙耶の方はまるで気にしないと首を振る。


「べ、別にいいよ。私は怪物と戦うの怖いし、け、怪我とかするぐらいなら安月給でも気にしないし」

「そう」


 臆病なのか分を弁えているのか、仮にも狩人のくせに野心の無い沙耶に、歩美は外面上は冷たく接する。


(まぁ、そんなあんたが心配で、側を離れられない私も馬鹿だけど)


 そんな内心は決して口に出さず、歩美は監視の目を緩めずに沙耶をからかい続けた。

 狩人という非日常に生きる者の、日常的な昼下がりの一時であった。

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