鋼翼のグリフィン -Chimera Buster Griffin!-

なおっきー

第1章 鋼鉄の魔獣

第1話 旅の始まり

 ──どうしてここにいるのだろうか。

 バスの静かな振動音をシート越しに感じながら、ぼんやりと考えている。

 今は十月半ば、季節を細かく分けた二四節気というもので霜降と呼ばれる時期にあたるらしい。

 昔はこの時期には霜が降りていた事が語源なのだろうが、現在ではそこまで冷え込むような季節でもない。

 緑一色だった山に紅葉の赤黄が混ざり、華やかとなった景色を眺めながら、心地良く弛緩した空気を楽しむ。

 俺が座っているのは丁度バスの中央辺りだ、前方には同じサークルではあるものの、それほど親しくはないグループが集まっている。

 サークル内でも取り分けて賑やかな、義務教育中はさぞかしスクールカーストの上位で華やかな学生生活を謳歌したであろうか、と言いたくなる連中だ。

 さらにその前方、運転席にはサークルのリーダーが座っている。

 ……運転席だと?

 俺にとっての幼馴染でもある彼は鼻歌混じりにハンドルを握っていた。

 何故あいつがバスを運転しているのだろうか。

 そもそもここに至る経緯は……。

 親指で顎を撫でながら、俺は事の始まりを思い返していた。



     △▼△▼△▼△▼△▼



 ──それは三週間前。

 ランチタイムのピークも過ぎて人もまばらな食堂で、書き掛けの履歴書を前に深い溜め息を吐く。

 絶賛、就職活動苦戦中なのだ。

 誰かに誇れる経歴を持たず、友人曰くとやらが絶望的に低い俺は、現在連敗記録を更新中である。

 履歴書に貼る証明写真の撮影代金が財政を圧迫し始めた、という事実がまた情けなさに拍車を掛ける。

 人というものはここまで犠牲を払いながら働かなくてはいけない存在なのだろうか。

「あれ、加治先輩?」

 逃避する思考をぼんやり見送る俺の背中に声が掛けられた。

 空っぽになっていた意識に突然声が飛び込み、冷水を浴びせられたように背筋が伸びる。

 声のする方角へ上半身の身を回転させて振り返ると、幾つかテーブルを挟んだ所に後輩の女の子が立っていた。

 肩に掛かる程度の長さの髪はきちんとセットされているわけではないが、手入れには気を使っているらしくだらしない感じはせず、むしろ適度な活発さを感じられた。

「八幡か、今帰るところなのか」

 バッグを肩に、脱いだ上着を腕に掛けている八幡は、食堂と大学棟を直接繋ぐ通路から来たところだった。

 目が合うと八幡は両端の口角を軽く持ち上げて笑い掛けてくれる。

 人と目を合わせるのが苦手な俺は、ほんの少しだけ八幡と目を合わせて挨拶をするとすぐに視線を士らにずらす。

 こういう時はネクタイの結び目辺りを見るといい、そんな話を聞いた事がある。

 要するに胸元だ。

 つまり、視線を下げた俺は白いセーターを押し上げる胸の膨らみを凝視している事になる。

 ……というわけにもいかず、さらに視線を下げる。

 膝丈のスカートとブーツの間、太腿から膝ににかけて露出していた。白い脚が眩しい、というやつかもしれない。

 もしかして俺は今、彼女の全身を上から下まで舐めるように眺めているように見えているのではないだろうか。

「ち、違うんだ! と言っても別に眼福だとかそういうわけじゃなくて、いやそうなんだが、いや違くて」

「?」

 慌てて視線を引き上げて誤魔化す俺に、八幡はほんの僅かに小首を傾げる。

 特に何かに気付いた様子でもなく、隣の椅子の背もたれに上着を掛けると前屈みになって俺の手元を覗いた。

 ……顔が近い。

 呼吸音が聞こえそうなほどの距離に八幡の顔がある。

 髪は重力に逆らえず真下に垂れ、少し跳ねた毛先はテーブルの上に投げ出している俺の腕に軽く触れている。

 長袖のシャツ越しでも微かに髪の重さを感じる、絶妙な重さ加減だ。何が絶妙なのかは自分で言っておいてなんだがよく分からない。

 彼女からは化粧品とシャンプーが混ざり合った香りが漂って来ている、ような気がした。

 いかん、思考が変態的になってきているではないか。

「履歴書って最近、記入内容も含めて印刷する人がいるそうなんですけど、受け取る企業側はどう思っているんでしょうね」

「じ、字が汚い人が手書きで出すよりはいいって判断するところもあると聞いた事がある」

 会話に集中出来ない。

 視界の隅に八幡の整った顔があるのが分かるが、あまりに近過ぎて迂闊にそちらへ顔を向ける事が出来ない。

 髪が掛かっている腕は少しでも動かそうものなら過剰に反応してしまいそうで、絶対に動かないように全力でテーブルに押さえつけている。

「三年のうちからこういう事をしなくちゃいけないって大変ですね」

「こ、これだけ書いていると自分でも何を書いているのか分からなくなってくる時があるな」

 平静を保つだけで意識のリソースが殆ど費やされてしまっている。

 だから今は自分でも何を言っているのか分からなくなってきていた。

 ただ、この回答は良くなかったという事だけは分かる。

 流れを断ち切るような回答は良くないと、先日購入した会話術の本に書いてあったのだ。

 会話で大事なのはキャッチボールのように話の主導権を交互に移動させる事なのだ、と。

(大失敗だ……)

 まともに会話も出来ない、詰まらない奴だと呆れられてしまっただろう。

 気付かれないように静かに溜め息をつきながら顎を親指で撫でる。

「加治先輩が希望している職種ってなんですか?」

 全く弾まない、詰まらない会話をまだ続けてくれるらしい。

 八幡がここで俺と出会ったのは全くの偶然で、特に話をしなければならない用件もない。

 彼女にしてみれば会話が苦痛になった時点で、さっさとこの場を立ち去る事も出来るのだ。

 それにも関わらず、彼女はこんな俺とまだ会話を続けようとしてくれている。

 これは俺に対してある程度の関心を抱いてくれていると受け取っていいのだろうか。

 彼女の期待を裏切るわけには行かない、会話のキャッチボールを何とか続けなければ。

 何か話が続けられそうな会話のテーマは……俺が今語れるような事は……。

「俺が希望しているのは……」

 よりによって就職関連の話題で口火を切った自分を殴り倒してやりたい。

 話せば話すほど俺自身が落ち込むような話題をどう楽しめというのだ。

 俺が就きたい仕事……それは言い方を変えればという事と同じだ。

 先述の通り、俺は対人スキルが低い。

 人と接する機会の多い仕事はまともに出来る気がしない。

 しかし本当に人と接する機会の無い仕事などあるのだろうか。

(いや、しかし待てよ……俺は会話が下手なだけで、会話そのものが苦痛なわけではないぞ)

 本当に必要な会話、例えば提出するレポートに関して教授に話を聞きに行く等、そういった場合は特に問題なく行う事が出来る。

 ルーチンワーク的な作業の一環としてなら人と話をする事だって出来るのだ。

 働くこと自体にもそれほど抵抗は無い、もちろん遊んでいてもいいのであればそちらの方がいいが。

「……あまり、仕事以外の話をしないで済む仕事がいいな」

「それ職種じゃないと思いますよ」

 分かるぞ、これは会話のキャッチボールに失敗している。会話のボールがキャッチ出来ない大暴投というやつだ。

 隣にいる八幡の顔をまともに見れないので代わりに思い浮かべる、もちろん困り顔だ。多分合ってるだろう。

 彼女の言葉はもっともだ、俺の希望は職種と言えるものではない。

 希望職種を具体的に挙げられない、それこそが俺の就職活動における最大の悩みだった。

 何が出来るのか、何が適しているのか、何がやりたいのか、それが分からない。

 理由や言い訳といった言葉で青少年の悩みのように飾ってはいるが、単純に事実だけを見ればというのと同じではないだろうか。

 前向きでも後ろ向きでも無い、その場に立ち止まっているだけのあやふやな気持ちで就職活動に挑んでも上手くいかないのは当然だろう。

「今まで学生として過ごして来て、いきなり社会人なんて別世界へ行こうとしているのに、自分が何をしたいかなんてまだ分からなくても当然ですよね」

 明るい声で朗らかに言いながら、八幡は隣の席に腰を下ろした。

 鬱屈とした俺の悩みを馬鹿にせず、困った顔も呆れた顔もしていない、屈託のない笑顔だ。

 それだけで心の中が温かいもので満たされた。

 我ながら現金なものだ。

「八幡はこういうの、もう考えてたりするのか?」

「まだ全然です。『もう少し遊んでいたいから時間よ延びろ!』って毎日思ってます」

「父親の病院を継ぐっていう考えは無いのか?」

「それならそもそも医学部のある大学に行ってますよ」

 テーブルの上に転がっていた俺のボールペンを手に取りペン回しを始める八幡を見ながら、俺も「ああ、そうか」と笑う。

 彼女の父親は、この町で最も大きな総合病院の院長を務めている。

 それだけではない、世界的に屈指の技術を持つ、使い古された言葉だがゴッドハンドと呼ばれる外科医なのだそうだ。

 彼女が成績優秀なのは、やはり優秀な父親の遺伝子を引き継いでいる事も関係があるのかもしれない。

「時間が延びて欲しい、という事については全く同感だな」

「そうですね、まだやりたい事も沢山ありますし……」

 物憂げな表情で窓の外に視線を向けながら呟く。

 彼女の整った横顔を見詰めながら、俺もやりたい事とやらに思いを馳せる。

(もう少し、彼女と……)

 不意に八幡がこちらを見て右手を広げ、胸の辺りで小さく振る。

 その視線は俺の顔より少し上、具体的には俺の後方を見ていた。

「おやおや恭護くん、妄想は一人の時にしないと駄目だぞ」

 もう十年以上もの間、聞きなれた声が背後でした。

 目を細めて鼻から息を吐き出し、間を取ってからゆっくり振り返る。

「おい誠司、俺は今忙しいんだ」

「そんなの分かってるって、恭護にとって睦月ちゃんとのひと時は何よりも優先されるもんな」

「辻崎先輩、こんにちは」

 ニット帽をかぶった誠司が胸ポケットサイズのデジタルカメラを構えていた。

 レンズを見つけると同時に小さな電子シャッター音が鳴る。

「あのな」

「ほら見てご覧よ睦月ちゃん、普段はむっつりとした恭護の間の抜けた顔」

 折角隣に座ってくれた八幡もいそいそと立ち上がってしまい、誠司と一緒にデジタルカメラのディスプレイを覗き込んでいる。

「あの、これ加治先輩の顔が見切れてますよね、しかもピントもずれてますよ」

「就職活動で疲れ果てた恭護の顔よりも睦月ちゃんの方にピントを合わせた方がいいじゃん、どうせ撮るなら可愛い女の子でしょー」

 ニット帽を撫でながら当たり前のように言う誠司に、八幡は返事に窮して曖昧に笑う。

 目の粗いニット帽の隙間からは短い髪の毛先が飛び出ており、表面はさぞちくちくしているに違いない。

「恭護もその方がいいって」

「どうして俺が唆したみたいな口振りをするんだ」

 否定はしないが。

「ふふふ、これで俺の睦月ちゃんフォルダがより充実するな」

「言い方がすっごい気持ち悪いですし、なんかちょっと犯罪臭がしますけど!」

「睦月ちゃんと一緒にいる時の恭護の脳内に比べたら、はっきり言うだけ健全だよ」

「人聞きの悪い事を言うな」

「それに、睦月ちゃんが卒業する時には専用の卒業アルバムを作ってあげるよ」

「そ、それはちょっと欲しいですけど!」

「恭護も欲しいよな」

 欲しい。

「ちょっと待ってください、わたしばかりずるくないですか? それなら加治先輩専用とか、辻崎先輩専用……は、なんか写真だけでも五月蠅そうかな」

「睦月ちゃん結構言うよね!」

「ははは……」

 誠司の登場で緊張が緩む。

 彼は俺にとって掛け替えのない友人だが、同時に窓口のような存在だ。

 先述の通り対人スキルが低い俺は、親しい関係ではない人間と話すのが苦手だ。親しい人間が相手なら得意というわけでもないが。

 常日頃から自分の言動が他者にどう受け止められるかが気になって仕方がない。

 だが、人の輪の中に一人でも親しい人間がいるだけで大分気持ちが楽になるのだ。

 少なくとも、その親しい人間は自分の発言を受け止め、また俺が受け止められるような言葉を返してくれるからだ。

 俺にとって誠司はそういう人間だった……と言うとまるで打算で誠司との友人関係を築いているようだが、勿論それだけではない。

「睦月ちゃんアルバムは恭護の分もちゃんと作ってやるから安心しろよ」

「ほ、ほんとか!?」

「加治先輩もどうして食い付くんですか!」

 誠司の言動にいつも振り回されてばかりの俺だが、不思議と彼を嫌う事は無かった。

 俺だけじゃない、誠司と知り合った奴はみんなそうだろう。

 学校の各クラスに何故か必ず一人は存在していた、教師から見れば問題児だが不思議と友人に囲まれているような奴、誠司はそのタイプだ。

 図体だけは小学生の頃と比べて大分大きくなったものの、その中身は当時から殆ど変わっていない。

 言動は常に「自分が楽しく」の誠司だが、現実に誰かを物理的・精神的に傷付けるような事は決してしない。

 学内に幾つも存在するグループ、派閥と言い換えてもいいそれに誠司は属していなかったが、どのグループとも仲良くしていた。

 おそらく彼の「自分が楽しく」という考え方は、正確には「自分が楽しく、みんなも楽しく」なのだろう。

 みんなが楽しくある為に、何か問題が発生して誰かが困っていれば当たり前のように手を差し伸べる事が出来る奴だ。

 それを俺は身を以って知っている。

 小学校に入学した時、友達作りに苦心していた俺に最初に声を掛けてくれたのが誠司だ。

 彼のお蔭で、彼の周囲に集まる人たちが作り出す輪の中に俺の居場所が出来た。

 俺が欲しいものを全て持っている誠司はある意味で憧れであり、そんな振る舞いを自然に出来る誠司を俺は尊敬している。

 難点は少々エキセントリックなところだが、見習いたくない部分も持ち合わせているお陰で要らぬ嫉妬心を抱かずに済んでいるのだろう。

「恭護、旅行についてなんだけど当日の朝起こしてくれないか。ちょっと早めに出てバスの手配とかしておかなくちゃいけないからさ」

「……ちょっと待て」

 聞き慣れない話題が出た。

 眉間に皺を寄せる俺に気付いていないのか、誠司は取り出したノートPCにデジタルカメラを接続して写真を転送している。

「旅行ってなんだ」

「旅行とは、普段訪れない名所、秘境などを訪れる事で心と体に新鮮な刺激を与え、まだ見ぬ未来への活力を蓄える貴い行為だ」

「いや、そういう事ではなくてだな」

「加治先輩は卒業旅行、行かないんですか?」

「そつぎょうりょこう?」

「サークルで決めたじゃないですか、『みんなで旅行に行こう』って」

 誠司と俺、そして八幡は同じサークルに所属している。

 運動部や文化部のように日々活動に勤しむわけではなく、もっとふわふわとした緩いサークルだ。

 実際の活動内容は所謂【飲みサー】と言われているものに近いと言えなくもないが、別に飲み会がメインではないので違う、と誠司は言い張っている。

 誠司曰く『大学生になってまで部活動みたいなものに励みたくはないが友達作りの一環としてみんなで楽しく遊んだりしたい人が集まるサークル』という名前だったか、少し違うかもしれない。

 聞くたびに違う名前だった気もするが大体そのような名称のサークルだった筈だ。

 名称というより活動方針ではないかとか、ざっくりし過ぎて活動方針としてすら疑わしいそれをそのままサークル名称として創設申請されたそれは不思議な事にあっさりと通り、一年ほど経った今は十五人ほどの規模になっている。

 かくいう俺もそのメンバーの一人なのだが、どれだけ思い返したところでサークル入会を誘われた記憶も、自分から志願した記憶も無い。

 大学入学を機に、より自由になった時間でバイトにでも励もうと思っていた俺は辞退させて貰おうと思っていたのだが……ちょっとした理由があって辞退を撤回する事にした。

「先月に計画を立てたんだけど、睦月ちゃんその時は欠席してたかな」

 思い出すように少し考え込んだ八幡が口にした日付は、俺も用事があって部室へ顔を出さなかった日だ。

 しかし、八幡はその日の夜のうちに誠司からメールで連絡があったと言うではないか。

「ちょっと待て誠司、俺もその日は」

「そういえば恭護もその日は就職活動で欠席だったな。どうせ失敗するのにね!」

「もっと言葉を選べ、人聞きが悪すぎるぞ」

「……でも失敗したんだろ?」

 テーブルの上にある履歴を見ながら言ってのける。

 折角、心の中でとはいえお前の事を褒めてやったのに、その直後にこの仕打ちか。

「ちょ、ちょっと辻崎先輩」

「そんな事で時間を無駄に使うくらいなら、睦月ちゃんと何処か遊びに行っていればいいのにね」

「きっと気分転換にはいいんじゃないかと思います!」

 八幡の擁護は一瞬で翻された。

「……いや、その日は八幡も用事があったんだろ? 遊びになんて行けないよ」

 二人は同時に半歩後退り、口を半開きにしてわざとらしくわなわなと震わせた。

 どうしてこういう時の二人は息が合っているのだろう、少し妬ましい。

「うわぁ……それはないわ」

「加治先輩がそんな人なのは分かっていたけれど……」

「何かおかしな事を言ったか?」

「こういう時はな、取り敢えず口だけでもいいから『そっか、そうだったな!』って乗っかっておけばいいんだよ」

「だけど事実無理だったのにそんな詰まらない嘘をついても」

 かわいそうに、と誠司が小さく呟いた。

 八幡は何故か哀れみの篭もった視線で俺をじっと見詰めている。

 空気が重い、何故だ。

「とにかくだな、そんなわけでその日は恭護もいなかったし連絡するのも忘れてたからさ、お前は今初めて知ったんだよな」

「わ、わぁ、それじゃあ加治先輩が旅行について初耳なのも仕方ないですよね!」

 おそろしく棒読みで台本を読み上げるような掛け合い。

 重くなった空気を変えようと努力しているのか、変に声を張っている。

「お前、まさかわざとか?」

「そんなわけないじゃないか、ちょっと面倒臭くてさ」

「認めやがったな!」

「そ、それじゃあ仕方ないですね!」

 普段の八幡ならば、意図的に俺に黙っていた誠司の行動を窘めてくれていただろう。

 だが、今の彼女はこの空気を払拭する事に必死で、会話の内容自体は頭に入っていないようだ。

「いつも言ってるだろ、ちゃんと事前に教えろって」

 やや呆れた口調で文句を言うが、実のところこれはポーズだ。

 こういった事は何度もやられているので俺もいい加減慣れてしまったのか、あまり腹は立たない。

「あの……加治先輩も行きますよね?」

 確認するような声。

 丸一日かけて日帰りで遊びに行くイベントはこれまでも誠司が何度も企画してきている。

 だが、泊まり掛けのイベントとなるとあまり実施されておらず、そこに遠出が加わると初めての事だ。

 参加するとなると最低でも二日は潰れるし、その間の費用だって必要になる。

 多忙な人間ならば、土壇場で企画を明かされても参加は難しいだろう。

「おっ、ちなみに日程なんだけど」

 具体的な日付を口頭で知らされ、思わず唇の端が吊り上がってしまった。

 それは俺の予定が綺麗に空白の日付だった。

 どうせそんな事だろうと思っていたのだ。

 どういうわけか誠司は俺の予定を完璧に把握している。

 そのうえで、空いている日に日程を調整しているのだ。

 一度、どうやって俺の予定を知っているのか問い詰めたが「ちゃんと人の話を聞いてるから」だと言われた、腑に落ちない。

「で、恭護はどうする?」

 予定は空いている、幸い費用の心配も無い程度に貯金もある。

 やれやれ、またいつも通りだな。

「分かった、行くよ」

 ほっとした表情で息を吐く八幡の隣で、にやにやと笑いながら誠司は満足げに頷く。

 端から俺が断るわけがないと誠司は分かっているのだ。

 それは去年、八幡をサークルに勧誘して来たその時からずっとお見通しなのだろう。

 八幡と知り合いになったのは、彼女がサークルに入会した去年の初夏だ。

 だが、俺が八幡の事を知ったのはそれよりも前、彼女が入学してすぐの頃だ。

 全くの偶然で、彼女は俺と同じ講義を選択し、そこで俺は彼女を知った。

 やはり偶然、近くの席に座った彼女が友人としている会話が聞こえ、名前を知った。

 だが、赤の他人の俺がいきなり声を掛けるわけにも行かず、というか俺に声を掛ける度胸などあるわけもなく悶々としていたある日、誠司が彼女を連れて来たのだ。

 誠司は「お前の為に連れて来てやったぞ」と肩をバシバシ叩きながらニヤニヤしていたのを覚えている。

 ──比較的サークル活動に消極的だった俺だが、それ以来ほぼ皆勤賞を果たしている。

 まぁ、つまり……「そういう事」なのだ。

 こればかりは誠司に本当に感謝している。

 お蔭で俺なりにこの大学生活も楽しく……待て、卒業旅行と誠司は言っていたな。

「どうして卒業旅行なんだ?」

「学生が行く旅行といえば卒業旅行だろ」

 理解出来ないといった様子で八幡が首を傾げる。

 全く以って同感だ。

「俺の卒業は来年だし八幡は再来年だ、卒業旅行ってのは少し違うんじゃないか?」

「おいおい、俺は今年卒業だよ」

 ちなみに俺たちが通う大学では【○年生】という単位で学年を数える。

 良く聞く【○回生】と違うのは、留年しても【○】に入る数字は増えないというところだろう。

 誠司は現在、大学四年だ。但し二度目の。

 誠司は俺より二歳年上で、俺も誠司も浪人せずに大学に入学している。

 それなのに学年が一つしか違わないのが俺が早生まれなわけでも誠司が遅生まれなわけでもない。誠司が単位不足で留年しているからだ。

「ちゃんと不足している単位は取れるのか」

「夏休みの宿題みたいなもんでさ、やれって言われるとやる気無くすよな」

「誰かに言われたのか?」

「親父とお袋には笑われた」

 叱りも呆れもせず、笑い飛ばす辺り流石、誠司の両親と言うべきだろう。

「あの、それで結局単位は大丈夫なんですか?」

「大丈夫か大丈夫じゃないかで言ったら、全然大丈夫じゃない」

「おい」

「後どれくらいなんですか?」

「現状維持ってところかな」

「いつから?」

「去年の四月から」

「全然取ってないのかよ!」

「今からじゃ絶対取れませんよね……え、卒業……え?」

 真剣に心配している八幡の視線が痛いのか、珍しく気不味そうに誠司が顔を逸らした。

「だ、大体俺は人間の価値を数値化する事に関しては否定的でだな、個々が持つポテンシャルというものは得てして計測外にあるもので」

「お前にしては珍しく聞き苦しい言い訳だな」

「とにかくだ、後で詳細メールを送るからよろしくな!」

「あ、おい!」

 手早く荷物をまとめた誠司は、後退りだとは思えないほどのスピードで逃げ去って行く。

 姿を消した別棟への通路を暫く見守ったが、戻って来る気配は無かった。

 八幡が小さく咳ばらいをして俺の注意を引く。

「なんだか、話し込んでしまいましたが、わたしもそろそろ失礼します」

「あ、ああ……気を付けて」

「お邪魔しました」

 別に邪魔ではなかったんだが。

 外へ通じる出入口から出て行く八幡を見送り、騒がしい友人たちがいなくなった事で急に訪れた静けさに妙な寂しさを覚えた。

 視線をテーブルに戻すと、そこにある履歴書が一時忘れていた現実を嫌というほど思い出させる。

 重い気分で履歴書を手に取った時、携帯電話がメールの着信を告げた。

 最近はみんなスマホを使っているが、俺はまだガラケーを使用している。

 操作性が全く違う端末に抵抗がある事を漏らしたら、誠司には「オッサンか!」と大笑いされたな。

 メールの差出人は誠司だ。

 件名は無く、画像ファイルが添付されている。

 添付されている画像ファイルを開くと──それは先ほど誠司が撮った写真だった。

 いつの間にやったのか、写真は綺麗にトリミングされて八幡だけが中心に映っている。

 本文には『待ち受けにどうぞ』とだけ書いてあった。

「……」

 俺は周囲に誰もいない事を確認すると即座に待ち受け画像を変更し、画像をガラケーに挿し込んであるマイクロSDへ画像をコピーした。

 帰宅したら自宅のノートPCに移してそちらの壁紙も変更する事にしよう。

 ああ、今日はいい日だ。



     △▼△▼△▼△▼△▼



 ──と、いうわけだ。

 背もたれを少し倒して物思いに耽っていると、心地良い睡魔が意識を侵食して来る。

 電車やバスの震動は人間の睡魔を刺激するという話を聞いた事があるが、成程納得した。

 徐々に重くなる瞼に抵抗しながら、このまま眠ってしまおうか考えていると、斜め前の座席に座っていた女の子が立ち上がった。

 背もたれを掴みながら、窓を外を少し青白い顔で見ている。

「大丈夫か、相田?」

 こちらを振り返った相田は深呼吸しながら小さく頷く、どうやら車酔いしたようだ。

 空いた手には文庫本を持っている。車内で本を読んでいた為に酔ってしまったのだろう。

「楽にしてろよ、誠司に薬を貰って来るから」

 彼女の傍に立ち、手で座っているように制するとそのまま前方に向かう。

 前方で騒いでいた連中の横を通り過ぎるが、俺の事など眼中にないらしく注意を向けられもしなかった。

 運転席の隣に立つと、鼻歌を鼻ずさみながらハンドルを握る誠司が一瞬、こちらを見た。

「やぁやぁ恭護くん、バス旅行は快適かね?」

「お前、大型二種の免許なんていつ取ったんだよ」

「そりゃお前、十八歳で免許を取って二十一歳になったらすぐよ」

「それじゃあ去年の時点でもう取ってたのか」

「芸は身を助くってな」

 旅行中の足となるこのバスは、旅行会社が規模の大きいツアーで使うような大型の観光バスだ。

 誠司は昔から謎の人脈を持っていたが、こんなバスを手配出来るような人脈も持っているとは驚きだ。

「お、もしかしてちょっと運転してみたいとか思ってるかな?」

 バスの大きなハンドルを凝視していると、何か勘違いした誠司は俺に見せつけるようにハンドルの十二時の位置を掌底で押さえ、片手でゆっくりと回転させながら緩やかなカーブを曲がる。

 そして自慢げな顔、ドヤ顔というやつだ。

「危ないからハンドルはちゃんと握れ。誰かが真似をしたらどうするんだ」

「今すぐ真似しそうな恭護くんは免許持ってないから大丈夫だろー」

「確かに免許は持っていないが、間違ってもお前の真似などしないぞ」

 ……しかし免許か、仮に取得したとしても車の運転をする機会が俺にあるだろうか。

 なんとなく、高い身分証明書にしかならないような気がする。

「何か用があって来たんじゃないのか」

「そうだ、実は……」

 相田が車酔いしている事を伝えると、誠司は前方を見据えたまま表情を軽く曇らせた。

 どうも誠司は、相田が病弱だと思っている節がある。

 何が切っ掛けでそう思っているのかは分からないが、おそらく彼女が普段から非常に静かで、部室でも隅で本を読んでいる事が多いからだろう。

 勝手な思い込みというやつだ。

 それもあって相田が旅行に参加する事を知った時、相田の体調について相談されたと八幡が言っていた。

 同じ女の子として様子を見ておいて欲しいと頼まれたそうだ。

「俺の荷物に薬が入ってる、水もあるから持っていってあげてくれ」

「分かった」

「次のインターで少し休憩するから」

 座席越しに誠司の言葉を聞きながら、彼の荷物が入っている大きな登山リュックを漁る。

「お前どうしてこんな大きなリュックで来たんだよ、スカスカじゃないか」

「パンパンになるまでお土産を詰め込むからだよ」

「何をどれだけ買うつもりなんだよ……」

 リュックには着替えの他、各種薬や包帯に絆創膏、何故か血圧計や何処から調達したのかAEDも入っている。

 その準備の良さに驚く事もなく素直に感心しているあたり、誠司の普段の言動に慣れ過ぎている影響かもしれない。

 目的の酔い止め薬と水を取り出すと、俺は戻って相田にそれらを手渡した。

 小さな声で礼を述べながら相田が受け取るのを見届けると、俺は自分の席に戻った。

 すぐに薬と水を飲んでいたが、即効性のある薬ではない。気を紛らわす為に相田は頻繁に水を口に含みつつ、窓の外を流れる風景をじっと見ている。

 何か気を紛らわす話でもした方がいいのではないだろうか。

 しかし優れない体調に耐えている時に、外部から余計な刺激を加えない方がいいのかもしれない。

 そっとしておいた方がいいのかもしれない、とはいえ放っておくのもそれはそれで心苦しい。

 どうしたものかと、はらはらしながら相田の様子を眺めつつ考えた。

「加治先輩、どうしたんですか?」

「ぅおっ!?」

 背後から突然掛けられた声に驚き、上擦った声と共に背筋を伸ばす。

 通路に身を乗り出して後ろを確認すると、いつの間にか八幡がそこにいた。

 両手を膝の上に置き、振り返った俺の顔をじっと見詰めている。

「晴美さんと真面目な顔で話していたみたいですけど」

「晴美?」

「相田晴美さんです」

「ああ、相田の事か……車に酔ったみたいだから薬と水を」

「随分気に掛けているんですね」

「そりゃあ、目の前で具合を悪くしていたら気にはするだろう」

 どうして詰問口調なのだろう。

 しどろもどろな俺の回答から暫くして八幡は大きく息を吐き、背もたれに体を預けた。

「加治先輩はそういう人だって知ってますけど」

「?」

「加治先輩、実はわたしも少し車に酔ってきているんですが──」

「大丈夫か? 薬と水を持って来る。こういう時は外を見ていた方がいいらしい。窓も開けるか?」

「って言ったらやっぱり心配してくれますか」

 思わず慌てた俺を宥めつつ、八幡は笑う。

 ばつが悪い俺は彼女の顔を見ている事が出来ず、座り直して腕を組み目を閉じた。

 すっかり眠気は飛んでおり、新たな睡魔が襲って来る気配も無い。

 後ろの席からは暫くの間、噛み殺しきれない笑い声が聞こえていた。



     △▼△▼△▼△▼△▼



 インターで停車したバスから降りると、先に降りていた連中は売店を中心に思い思いの場所へ散っていた。

 ずっと座っていたせいか腰から背骨にかけて固まっていた、バスから降りて数歩進んだ所で大きく伸びをする。

 売店前には回転式什器が配置されており、そこには世界的に有名な猫のキャラクターがその地に因んだ格好をした御当地ストラップが大量に吊るされていた。

 ご当地の中でもさらに幾つかバリエーションがあるらしく、八幡は什器の周りを何周もしながら真剣な顔で吟味している。

 什器の方を回せばいいのに。

「睦月ちゃん、悩んだ時は全部だよ全部!」

「滅多に来ないところで限られた数を悩んで選び抜くところも旅行の楽しみです」

 既にレジに並んでいる誠司の両手にある、大量のストラップを見ながら八幡が言い返す。

「ふふ……」

 小さな笑い声に振り向くと、ベンチに腰掛けた相田が誠司たちを見ていた。

 その手には自販機で買ったであろう、ペットボトルのお茶を持っている。

「もう大丈夫なのか?」

 声を掛けると相田は俺を見て小さく頷いた。

 一人分ほどの間隔を空けて、同じベンチに腰を下ろす。

 ベンチは五~六人が座れる幅があり、相田は一人で端に座っている。

 そこで彼女の隣に座るのは余りにも気安いだろう。

 変な勘違いをさせてしまうかもという多少の自惚れもある、有り得ない事だとは思うが。

「加治くんがいてくれて良かった。話し相手が睦月さんだけだと彼女にべったりになりそうで悪いし、ね」

「気持ちは分からんでもないな」

 相田は大学に入ってから出来た、数少ない友人の一人だ。

 外見から想像出来る通り、大人しく控えめな子だが、周りに配慮が出来る心優しい人だ。

 サークルというものに興味が無いと思っていたので入会してきた時はとても驚いたし、今でも少し不思議に思っている。

 実際、彼女はあまりイベントに参加する事はなく、特に泊まり掛けになるようなイベントは今までずっと欠席していた。

 部室にいる時も、八幡と話し込んでいる以外は一人で本を読んでいる事が多い。

 あまり人の事を言えない俺だが流石に心配になって誠司に相談した事もある。

 何故かあいつは「今時貴重な清楚系だ、やった!」と大喜びしていた。

 とは言え実際のところ誠司は仲の良い八幡には色々と話をしていたらしく、部室内で相田が変に孤立をしないように気に掛けていたらしい。

 イベントへの不参加についても、相田を病弱だと思っている事から無理をさせないように気を使っていたのだと、最近分かった。

「ご、ごめんね……折角の旅行なのに、面倒掛けちゃって」

「大した事じゃない。それよりも相田がこの手の旅行に参加するなんて珍しいな」

「ちょっと、自分を変えたくて」

「変えたい?」

 手の中のペットボトルを軽く揺らしながら、相田は再び売店を見た。

 誠司と八幡に触発されたのか、他の部員も什器に群がってストラップの吟味を始めている。

 何だか、俺も少し欲しくなって来た。

「加治くんはわたしと同学年だから、卒業は来年だよね」

「ああ」

「早い人は就職活動も始まってて、これから……特に来年度は遊びに行く時間なんていつ取れるか分からないじゃない」

 胃の辺りが重くなった気がする。

 就職活動、この言葉を聞くだけで胸の奥がざわつく。

 いっそ忘れて、就職活動という言葉が存在しない世界へ行きたい。何処かに無いだろうか。

「沢山の友達と楽しく騒いで、試験の前にはノートのコピーを取り合ったりとか、そういう学生生活に少し憧れていたんだ」

 憧れる気持ちも、上手くいかなくて歯痒い気持ちも、とても良く分かる。

「一念発起してこのサークルに入ったのに、結局何も変わってないなって。だからもう一度、勇気を出してみようって」

 この身につまされるような感じ。

 同じだから分かる、相田もまた対人スキルが低い人種なのだ。

 それを何とかしたくて、自分から人に関わる為にサークルに入会したのだろう。

 とても前向きでいいことだと、俺は思う。

 誰かが手を差し伸べてくれるのをじっと待っていて、誠司のお蔭で何とかここに立っている俺とは違う。

 自力で自分の居場所を手に入れようと彼女なりに努力しているのだから。

「今年で辻崎くんが卒業したら、このサークルが来年もあるかどうか分からないし」

「多分あるだろうな」

「どうして?」

「誠司は来年も大学にいるからさ」

 少しの間をおいて、相田が小さな声で「もしかして」と呟き、俺は頷く。

 相田は驚きと呆れの混ざった表情で、輪の中心で笑っている誠司を見た。

「え、卒業旅行って、あれ……」

「気にするな、こじつけでもいいから理由を付けて遊び回りたいだけなんだ、あいつは」

 手が焼ける子供を見ているような気分だ。

 そんな毎日はなんだかんだと楽しくて、あいつが卒業したら確かにこんな毎日は終わってしまうのかもしれない。

 とても寂しい、そう思う。

 まぁ、誠司は今年も卒業出来ないんだが。

「賑やかな辻崎くんたちはとても楽しそうで、その輪に加わればわたしも変われるかなって思ったんだけど……結局、今まで参加する勇気が出なくて」

「それは勿体無い事をしたかもな」

「本当にね。だからせめて、今からでも出来るだけ参加しようかなって」

「まだ一年はある、まだまだ色んな事をやるに違いないさ」

「……でも、みんなと仲良くするのって、難しいね」

 膝の上に乗せていた小さなポーチから、手の平サイズのデジタルカメラを出しながら、寂しそうな顔で笑う。

 考えている事が我が身のように理解出来るだけに、胸が締め付けられるようだった。

 このサークルは誠司が中心に成り立っているが、内部に幾つかのグループが存在している。

 彼女はサークルのイベントには殆ど参加して来なかった事で、それらのグループに加わる機会を失っていた。

 今の状況は、転校生がクラスに打ち解ける事が出来ずにいるのとよく似たものだろう。

 一つの大きな集団の中に存在する、ある程度の調和を持って出来上がった複数のグループ、そこに新たな人間が加わるのは意外と難しい。

 特に俺や相田のような対人スキルが低い人間は、他者に対する最初の一言からしてハードルが非常に高いのだ。

 つくづく、俺は誠司がいた事によって救われていたのだと実感する。

 何とかしてやりたい、というのは上から目線かもしれないが、その気持ちに共感出来る身として何か出来る事は無いだろうか。

「相田ちゃん、まだ気分悪いのか?」

 大量の土産が入った紙袋を二の腕に引っ掛け、両手にソフトクリームを持った誠司が目の前にいた。

 心配そうな顔で顔を覗き込んでくる誠司に気付かれないように、相田はそっとデジタルカメラを仕舞った。

「そうだ、これ」

 ソフトクリームを一つ押し付けられた相田は戸惑いながらも素直に受け取る。

 自由になった手で紙袋から土産菓子を二つ取り出すと、俺と相田に一つずつ渡した。

「帰ってから渡す手間が省けて助かるわー」

「あの、辻崎くん……もしかして、お土産?」

「旅行に行ったら親しい人に向けて土産を買って帰るのは大事なことだろ」

「大抵の場合において、その対象は旅行に行かなかった人じゃないだろうか」

「別に一緒に行った人にあげてもいいだろ」

「親しい……辻崎くんの、親しい人……」

 もう一つのソフトクリームを俺に手渡しながら、誠司は意味ありげに俺に目配せする。

 何か企んでいるみたいだが……?

「で、相田ちゃん、本題なんだけど」

「えっ、あっ、うん!」

「あっちにさ、旅行と言ったらお約束の顔嵌め看板があったんだ、撮ってくれないかな」

「でも」

「そのカメラでさ」

 相田の膝の上にあるポーチを指さし、何故か自慢げな顔を俺に向ける。

 いちいち俺に主張する必要は無いぞ。

「ソフトクリーム食べながらでいいからさ、取り敢えず行こうよ」

 不自然なものを感じたのはこの時だ。

 用意周到な誠司に限って、そんな事があるのだろうか、と。

「他にも色々撮って欲しいものがあってさ……」

 ひたすら喋り続ける誠司に圧倒されながら相田が立ち上がり、二人は並んで歩き出す。

 両腕に吊るしていた荷物を片腕にまとめた誠司は、ベンチで見送る俺に背を向けた瞬間、ポケットから何か取り出した。

 相田に気付かれないように後ろ手で放られたそれは、咄嗟に差し出した俺の両手の上に綺麗に着地する。

「誠司、いきな……」

 それを確認した俺は全てを理解し、言葉を切った。

 やっぱり持ってるんじゃないか。

 だが、思惑については全くの同感だ、協力しようじゃないか。

 相田と話しながらこちらを一瞥した誠司に対して軽く片手を上げて了解の意思を伝えると、俺は受け取ったデジタルカメラを上着の内ポケットに隠すように仕舞った。

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