第8話 比右姫

 ひとりの女性が時の政権に嫉妬されたらどんなことになるのだろう…


 花の色は 移りにけりな いたづらに

           我が身世にる ながめせし間に


 誰もが知る世界三大美女の一人とされる小野小町の和歌である。ただ一人の人だけを愛したという小野小町は、尼にはならず俗世間のどす黒い嫉妬の渦の中で清らかな一途の愛を貫き通した。

 小野一族は、敏達びだつ天皇の筋にあたる名門の出である。伝説では、平安時代初期…今から千年余りの昔、第53代・淳和じゅんな天皇の時代(在位・弘仁14年~承和7年/823~833年)に小野良実おののよしさだという人が、出羽の国・福富の荘の郡司(律令制で郡を統治した地方官)として都から派遣されていたが、そのうち、村長の娘と結婚し、桐の木田(雄勝町おがちまち小野字桐の木田 …現・湯沢市)に館を構えた。その後、二人目の娘・比右姫ひうひめが生まれて間もなく奥さんが亡くなってしまった。そこで幼い比右姫の養育係として、都から乳母を呼んだ。十数年の歳月が流れ、比右姫の姉が朝廷で「采女うねめ」として仕える事になった。采女とは、主に宮中での給仕…つまり食事の係りをする人達だ。当時は各地からその土地で最も器量のいい十六歳以上(十三歳以上という説も)の娘を朝廷に召し出す習慣があって、比右姫の姉はそのひとりとして選ばれ、京の都へ行く事になった。ところが、姉妹があれば一緒に召し出すという決まりがあったため、妹の比右姫も姉と一緒に行く事になった…とは言っても、比右姫はまだ十三歳位で幼かったため、養育係の乳母が同行する事になった。

 姉は朝廷で小野の「町」と呼ばれる事になったため、妹の比右姫は小野の「小町」と呼ばれるようになった。小町が朝廷の生活にもすっかり馴染む頃、乳母は出羽の里に帰郷する事になった。生まれて間もなく母を亡くした小町は、この乳母を母のように慕っていた。日一日と別れが近付き、ついにその朝がやって来た。 空には一筋の雲が…


 よそにこそ 峰の白雲と 思ひしに

           二人が中に 早や立にけり


「大切な人とのお別れの時に、二人を隔てる雲が立つというお話を聞いた事があります。よそごとだと思っていました。まさか私達の間に立つことになるとは思いませんでした」

「比右姫さま、これからはしっかりとご自分の御心でお歩きなされませ」


 小町は乳母とのつらい別れを受け入れるしかなかった。一生の別れの時の雲とはどんな雲だろう…おそらく、層積雲という空の低いところに横長に広がるうね雲だろう。人との別れの時は空を見上げてみようかとも…

 さて、慕っていた乳母との別れから時が経ち、小町も成長し、宮中で采女として時の天皇・嵯峨天皇の息子である深草御門ふかくさのみかどのお傍近くに仕えるようになった。偶然にも深草の御門の父君の嵯峨の御門というお方は、小町の憧れの伯母さんに当る小野石子おののいしこというこれまた美人を御寵愛していた。そして、宮中に仕えた小町も、嵯峨の御門のお子である深草の御門の御寵愛を受ける事になった。十九つづ廿歳はたちの年頃だ。以来、小町は帝をただ一人の人として一生を捧げる事になる。小町が、容易に男を寄せ附けなかったのは、彼女が絶世の美人であり、才媛であった事と、帝が初めての男性だったからではないかと思われる。恋に目覚めた小町には、今までにない女としての恥じらいが…。


 しどけなき 寝くたれ髪を 見せじとて

           はた隠れたる けさの朝顔


「恥かしいったらありゃしない。朝起きて髪も梳かさずに縁先に出たら、朝顔の花が水の滴る様な美しさに咲いて私を見ているの。とっさに障子の蔭に隠れたわ」


 小町は帝のご寵愛を受けて日に日に艶っぽくなっていった。帝のご寵愛を受けてるからって宮廷の雄どもには関係ない。次から次と小町へのラブコールが絶えなくなった。しかし、小町はその都度そっけないお返しだった。


 あまのすむ 里の知るべに あらなくに

               うらみんとのみ 人の云ふらん


「小町ワールドに入れてもらえないからって、私を恨むのはお門違いよ、ウフフ」


 愛されている女性は強い。並びに、愛されてると勘違いしている女性も強いかもしれない。小野小町はどっちだったのだろう?

 この頃の朝廷は何事も藤原一族の意の儘で、天子といえども藤原一族のご機嫌を損ねてはならないという時代。勢力を失った藤原の南家なんけに代わり、藤原の北家ほっけがのし上がって来ている時で、殊に藤原冬嗣ふじわらのふゆつぐという男は只者ではなかった。次男の良房という人物がまた、それに輪をかけたような知恵者。これまでにも皇后や王妃などは大抵、藤原一族から差上げて、その勢力を着々と不動のものにしていった。そうした最中、小町の噂が出始めた。

 深草の御門の即位前は正良親王まさらのみことして知られ、早くから春宮とうぐうとなる事が決まっていた。その春宮正良親王の心が小町にぞっこんの恐れのあるとなっては藤原一族の一大事である。小町の様な絶世の美人が、もし帝の寵愛を得たならば、やがてその愛を一身に受けて、帝は小町の意のままになってしまうに違いない。藤原良房は気が気ではなかった。そこで良房は兄の長良ながよしを正良親王のお傍に附切りにさせて、小町を近付けないよう見張りをさせる事になった。ここに、正良親王以外の男を近づけない小町と、小町を正良親王に近付けない藤原一族という構図ができあがってしまった。そのため、小町は事情も知らぬまま次第に孤立に追い込まれていった。


 百草ももくさの 花のひも解く 秋の野に

                   思ひ戯れむ 人な咎めそ


「同じ年頃の女の子達のように我れを忘れて草花と戯れたいけど、人様の目が気になって出来ない…どうすればいいのかしら」


 小町は正良親王から特別の寵愛を受けてしまったプレッシャーで身動きできなくなってしまった。

 正良親王が十四歳になると、今ぞとばかりに藤原一族の政略が牙を剥いた。。藤原冬嗣は、正良親王のひとつ年下の自分の長女・藤原順子ふじわらのじゅんこを夜のお伽としてお傍へ附けた。正良親王は大きな溜め息を吐くことが多くなった。


「…帝さま…どなたの事をお想いで私をご寵愛なされました? …どなたのことを?」


 藤原冬嗣は舌打ちをして、次に藤原沢子ふじわらのさわこを夜のお伽に附けた。しかし、正良親王の表情は冴えない。


「…帝さまは私のご寵愛の後、いつも寂しげなお顔をされておわしますなあ? …おわしますなあ?」


 藤原冬嗣は歯軋りした。尚も藤原貞子ふじわらのていこをも差上げた。藤原冬嗣は既に居直っていた。正良親王から小町の話が出そうになると新しい夜伽の相手を差し出すという繰り返し。貞子の次もまた藤原一族ばかりでは世間体もあるので滋野縄子しげのなわこという一族配下の女を差出して来た。


「貞子君もご懐妊とはめでたい。では今宵は縄子を夜伽に控えさせておりますゆえ…」


 藤原冬嗣は執拗に正良親王の身辺を、藤原一族の女達で、固く取囲んだ。しかし、どれだけ正良親王の周りを藤原一族の女性陣で固めようと、正良親王の心まで抑える事はできるわけがない。小町は一族の女達と一線を隔した美人の上に、才女。全朝廷を動かす程の才媛であり、見事な名歌を詠んでは多くの人に感動を与える女性になっていた。それだけでも十分に他の女性の嫉妬を買うのに、その上、正良親王の関心が、絶えずその小町に注がれているとなると、もはや小町は正良親王の周りの女性達の共通の敵になっていた。

 宮中では、よく歌合わせの会が開かれていた。歌合わせは天皇や皇后が出された題で二人が和歌を詠み、どちらが優れているかを、競うものだ。


 その日は「水辺の草」という題の歌合わせ会が開かれていた。小町と大伴黒主おおとものくろぬしという名人が競う事になった。これが世に有名な、小町伝説のひとつ『艸紙そうし洗あらい』という伝説だ。


 まかなくに 何を種とて浮艸うきくさ

           浪のうねうね 生ひ茂るらん


「種を撒いた覚えなんてないのに、知らぬ間に茂る浮草のように、胸の中は悲しみでいっぱいになっているわ」


 その歌を詠み終えた小町に、対戦相手である大伴黒主が抗議した。


「小町殿…その和歌は元々万葉集に書かれておる歌ではあり、小町どのの歌ではありませぬ」


 すると、藤原順子が如何にも小町の味方である態を装った。


「なんと? そなたは小町殿が歌盗人うたぬすびとであるとでも言われるのか? このような席で小町殿がおかわいそうではありませぬか?」

「しかしながら、小町殿と申せば宮中では人々の憧れの的…そのようなお方に許される所業ではござりませぬゆえ、敢えて…」

「それはもっともなお言葉…小町殿、なぜにこのような事を?」

「はて、万葉集にこんな和歌がありましたでしょうか? 文字の墨の色も他の歌とは違っているようで…お疑いを晴らすために帝様の御許みゆるしを戴きとうございます」


 順子が出来レースの本性を現した。


「小町どの…これ以上の見苦しき立ち居振る舞いは如何かと思いまする」

「そうですな、ここは潔うお認めになられた方が、これ以上ご自身をお下げにならない事にはなりませぬか?」


 正良親王が口を開いた。


「許す。小町の思うようにいたせ」

「ありがたきお言葉にございます。では今しばらく見苦しきご無礼をお許下さい」


 小町が万葉集を手に取り、新しい筆にたっぷり水を含ませ、その和歌のあたりを擦ると、小町が盗んだといわれた和歌だけが流れ落ちた。それもそのはず、その歌は黒主が書き入れたもので、墨が新しいため、流れて落ちてしまったのだ。大伴黒主は慌てた。


「あれ~? そうか、思い出しました! 私が勘違い致しておりました。確か誰かからこの和歌を聞いて、あまりの見事さに、たまたま近くにあった この万葉集に書き込んでおいたのだった。それをついコロッと忘れてしまったらしい。済まんかったのう、小町殿…オッホッホッホ…」

「この私にまで恥をかかせおって!」

「これまた済まんかったのう順子殿…オッホッホッホ…」


 大伴黒主は、歌会の前の夜に小町の屋敷に忍び込み、こっそりと盗み聞きして書き込んでおいたんだろう。小町がそうした日常茶飯事の嫌がらせの類にも耐えつつ、正良親王の愛を信じて過ごしていると、小町に一世一代の事件が起こった。

 正良親王ご即位である。第54代・仁明にんみょう天皇となり、順子が皇后となったのを機に、小町は朝廷から遠く離れた比叡山の麓にある小野 しょうに住む事になった。小町が朝廷を退いて後、いよいよ人の心をえぐるような激しい恋歌が続々と誕生していった。常に御門の事を思い、命の叫びの歌でも決して御門の名を上げる事もできない中、小町の歌は苦しい悲鳴を上げ続けた。


 うつゝには さもこそあらめ 夢にさへ

            人目つゝむと 見るが侘しき


「会えないのは仕方ない…けれど、夢を見た時ですら、世間の目を気にして会っている。実に儚い恋だわ」


小町の藤原一族…特に藤原冬嗣・良房父子に対する恨みが燃え始めた。


 空を行く 月の光りを雲井より

           見てややみにて 世は果ぬべき


「美しい月の光を遮るのは誰? 私は闇の中よ。いつまで私を闇の中に置くつもり? おかげで恨みに身を焼やす人になってしまったじゃないの!」


 あまつ風 雲吹き払へ 久方の

              月の入るべき 道まどはなん


「月が現われて照らしてくれるはずの道を、雲が遮ぎっているために、迷ってしまった。神様、どうかこの雲を吹き払ってきださい!」


 世の中は 飛鳥川にもならばなれ

            君と我れとの 中し絶えずば


「あの藤原一族が、どれだけ世の中で我が者顔に振舞ったとしても、愛する人との間を隔てさえしなければ、私は少しも恨みはしなかったのに~ッ!」


 物をこそ 岩根の松も 思ふらめ

           千代経ちよふる末も 傾きにけり


「今や藤原の藤は、岩根の松のようにがっしりと根を下ろしたはずの朝廷の力を奪って、千年の歴史を危くしちゃってるわ…プンッ!」


 小町が辛うじて心を保てたのは、たったひとつの心の支えがあったからだ。小町が朝廷を去る時、帝から御言葉を賜わっていた。


「小町よ、必ずや再び朝廷に呼寄せよう。時を待て」

「はい、帝様の御為ならば我身の生涯を捧げる事など厭いませぬ」


 以来、小町の心はぶれることはなかった。いつになれば再び朝廷から迎えが来るのかと、その事だけを待ちつつ、帝の事を想って寂しい日々を耐え続けることが出来た。事情を知らない男達は、遠い比叡山の小野荘に我先にと小町を尋ねて何とかモノにしようとしたが…


 結びきと 言ける者を 結び松

           如何でか君に 解けて見ゆべき


「私は心を堅く結んだ人がいます。それなのに他の方に解けることなんて絶対にありえな~い」


 今はとて 変らぬものを いにしへも

           くこそ君に つれなかりしか


「貴方は今の私をつれないというけれど、私の心は今も昔も同じよ。あなたが私に関心なかった時はどうでも良かったはずなのに、私があなたの視野に入ったから、私が情なく思えるのよ」


 この比叡山の麓での侘住居の時代が、小町にとって究極の恋の苦しみの時代だった。小町は搾り出すような苦しい恋心を叫び続けた歌の執念は、ついに朝廷にまで届き、藤原冬嗣父子を震え上がらせた。ところが、そのことが藤原一族に帝の包囲をさらに厳重にさせるという結果になってしまった。


 なが月の 有明の月の ありつ玉も

           君し来まさば  待もこそせめ


「明け方まで輝く秋の月ってなんて美しいんでしょ。でも愛するあなたが来る予定になっていたら、月なんか忘れて、きっとあなたの事ばっかり考えているかも」


 露のいのち 墓なきものを 朝夕に

           いきたる限り 逢ひ見てしかな


「一生なんて短いわ。だから生きている間は誰がなんと言おうと、毎朝毎晩あの人に逢っていたいの…ほんとはね」


 当時は、公卿でも宰相でも、殊に恋のためだったら人目など気にする必要もなく、自由に尋ねて行ける風俗だった。ところが小町の恋の相手は、簡単に小町に会いに来ることの出来るような立場にない人だったために、小町は夢で見るより他に、会う術がなかった。


 思ひつゝ 寝ればや人の 見えつらん

            夢と知りせば さめざらましを


「恋しい恋しいと念じて眠ったら、やっとあなたに逢えたわ! 夢だと分かっていたら覚めなかったのに」


 夢路には 足も休めず 通へども

           うつつに一目 見しことはあらず


「夢では毎晩お逢いできるけれど、一度でいいから実際にお目に掛ることが出来れば好いのにな~」


 恋侘びぬ 暫しも寝ばや 夢のうち

           見ゆれば逢ひぬ 見ねば忘れぬ


「あの人に会えなくてどうしようもなくつらい…つらい。つらいから取り合えず眠っちゃおう。もし夢で会えたらラッキー! でも夢を見なければ少しの間だけでも空しい苦しみを忘れられるからね」


 はか無くも 枕定めず明かすかな

           夢がたりせし 人をまつとて


「昨夜あの人に夢であって凄く楽しい時間を過ごしたの! だから今夜もと思うんだけど…きっと枕がポイントよ。枕をどうやって寝たんだっけ? 思い出せない…思い出せなくて位置を決められないでいるうちに…ああ、夜が明けちゃった」


 こうして小町が恋の苦しさに悶々としている頃、朝廷では藤原一族は正良親王の一挙一動を監視し続けていた。


「帝さまは大事なかろう…邪魔者は比叡山の麓に葬ったによって…」

「父上…手ぬるうございますな。あの女の歌が、風の便りで朝廷までも届き続けておりますわ」

「なんと忌々しいおなごめ!」

「女の執念は恐ろしゅうございますからなあ」

「おのれ~小町め~…これだけの厳重な警戒にも拘らず、この期に及んでこれ以上、歌が聞こえ来るなどという事があってはならぬ! 万が一、その歌が帝のお耳にでも入ったならば…」

「すでに帝さまのお耳に入っておりますわ」

「何! それは誠か! おのれ何者の仕業!」

「あの女の生霊でござりましょう」

「生霊とな!」

「帝様からお伽のお呼びが掛かったものは久しく誰もおりませぬゆえ…生霊の所業でござりましょうぞ」

「…益々警護を固めねば…藤原一族に在るだけの女御にょごと更衣を以て帝さまを守護しておるものを…小町め、郡司ごときの娘の分際で恐ろしい女じゃ…誰か…誰かおらぬか!」


 藤原一族の長・藤原冬嗣は小町の影に恐れ戦いたまま、天長3年(826年)にこの世を去った。次男の良房がその意を継ぎ、愈々小町包囲網は厳しくなっていった。そんなこととは知る由もない小町は、帝との約束を胸に、その想いがさらに激しくなっていった。


 いとせめて 恋しき時は ぬば玉の

            夜の衣を 返してぞぬる


「どんなに会いたくても、あなたには夢でしか会えない。だから昔からの言伝えを信じて、寝巻きを裏返して眠る事にしているの」


 この和歌は小町の恋の歌の中でも、最も有名な一首となっている。この歌を三度読んで寝巻を裏返しに着て寝たら、夢の中で恋しい人に会えるという迷信にまでなった。


 承和じょうわ六年(839年)。小町は二十五歳になり、少しの不安が芽生えた。


 我れのみや 世をうぐひすと 鳴き侘びん

              人の心の 花とちりなば


「私…人からは花の様に誉めそやされるけど、もしあの人と結ばれずにこのまま散ってしまったら…どうすればいいのかしら」


 夢でしか会う事のできない帝への切ない恋のまま、小町は二十五になったその年、帝の側室・藤原沢子が若くしてこの世を去った。正室の順子は…


「帝様、お気落しのなきよう…これはどこぞの女霊の呪いでございましょう」

「・・・・・」

「沢子殿のお可愛がりようは格別でございましたからのう。帝様のお嘆きもまた一段と…」

「・・・・・」

「そういえば、沢子殿にはどことなく小町殿の面影がござりましたなあ、帝様…小町殿は今頃どうしてお出ででござりましょうや?」

「良房を呼べ」


 順子は苦々しく太政・良房を呼びに去った。


「お呼びでございますか?」

「小町に勅旨ちょくしを下す」

「小町殿に…勅旨でございますか?」

「雨乞の勅命である。このところ打ち続く天災といい、かかる禍は余の不徳である。小町であれば鬼神をも天地をも感動たらしめ、旱魃ながひでりを治めるであろう」

「誠に素晴らしきご采配でございます。ところで帝様にひとつお伺い致さねばならぬ事がございます」

「何なりと申せ」

「小町殿の祖伯父おおおじに当ります小野篁おののたかむら殿は現在、隠岐に幽閉の身でござりますれば、そのような者のお血筋にある小町殿に、国家の命運を賭けた雨乞の儀などという重大な勅命を下したとなれば、人民の納得が果たして得られようかと…」


 良房はしたり顔だったが、帝から思わぬ言葉が返った。


「小野篁は赦免せよ」

「赦免と!」

「篁は当代一流の文人である。幽閉中は土地の漁師達の暮らしに親しみ、学問を教えているそうな。まだまだ惜しい人物である。しかと手配致せ」


 側室の沢子が他界して翌年の承和七年(840年)、ついに小町に勅命が下った。以来、『雨乞小町あまごいこまち』として後々の世にまで伝えられる事になる。当時は、小町が一首詠むたびに、世の中を動かす程の影響力があったといわれている。そんな中、小町に雨乞の勅命が下ったとなって、藤原一族は勿論の事、帝を取り巻く女達も大騒ぎとなった。「どうか小町の雨乞いの歌が失敗に終わってくれ」と、ひたすら祈るばかり。一方、小町は帝の約束である「小町よ、必ずや再び朝廷に呼寄せよう。時を待て」との御言葉を思い、その時がついにやって来たと喜びで全身に震えが走った。しかも「雨乞の勅命」を受けた事は、この上ない名誉でもあった。聞けば都は旱魃で、帝が帝として問われる瀬戸際にあるとの事。その緊急時に、国の行く末を賭けた「雨乞の勅命」が下ったとなれば、何としても帝のお心に副わなければならない。侘住いでのつらい日々が無意味になってしまう。今こそ人々を救い国を救える歌を詠み、帝のお力になって再びお側に仕えたいと、小町は全霊を傾けて天への祈りの歌を読み上げた。


 千早振る 神も見まさば 立騒ぎ

           天の戸川の 樋口あけ給へ


 小町は天の川にある樋の口を…つまり、水の量を調節するための戸口である水門を開いて直ちに大雨を降らせ給えと歌った。歌を読み終えると、俄かに天が掻曇り、ピカッ、ピカピカッ、ドドーン! と、すさまじい雷の音が…やおら、ポツッ、ポツッと落ちて来たかと思うと、俄かに大粒の雨となって勢いを増し、アッという間にザザーッと盆をひっくり返したような豪雨となった…らしい。らしいというのは、政権交代の事実がなかったことを根拠にする。『君は民の父母』という中国伝来の思想があって、天子は民に迷惑を掛けてはならぬものとされていた。雨が降るか降らないかも帝の責任で、政権交代の原因にもなった。しかし政権交代の事実はない。


 帝一筋とはいえ、小町と言えば深草少将の存在が気になるところだ。深草少将の伝説のモデルが一体誰かというのは色々な説がある。その前に深草少将の伝説を話そう。ドラマチックなのは深草少将の百夜通ももよがよいである。深草少将が小町への愛を受け入れてもらうために百日間も通い続けるという話だ。

 伝説によると、深草少将は小町を想うあまり、郡代職を申し出て東下りをした。やっと小町の住まいに辿り着いて御所車を止めた。


「小町殿…私はとうとう来てしまいました。ひと目だけでもお会いできたらと思って参りましたが、こうしてあなたに会い、その美しさに私は心を抑える事はできません。どうしてもあなたと添い遂げたいのです」

「あなたのお心が真実ならば、百夜続けて私の元へお通い下さい。そうしたならばあなたのお心に偽りのないものとして、お望みに従いましょう」

「誠でございますか!」

「はい…私も百夜のうちは、どの様な縁談があろうとも決して応じませぬゆえ」

「私は必ず百日を通いとおし、あなたを妻にします。今日は、その1日目…」


と、深草少将は御所車に乗ろうとしてしじ(牛車のながえくびき)…つまり、牛を繋いだり乗り降りする足場の端っこに、一度来た印としてひとつ傷を付けた。それからというもの毎晩来る度にひとつずつ印を付けて去った。

 小町も最初は、そのうち少将もあきらめるだろうと思ってはいたが、五十日過ぎてもせっせと通い続けて来る少将の姿に、次第に心が傾き始め、ついには待ち侘びるようになっていった。


 あかつきの 榻の端しかき 百夜がき

             君が来ぬ夜は 我れぞ数かく


「こうしてあなたが百夜通いをして付け始めた数が増えるたびに、私の心は変わっていきます。早くその日が来てほしい。もしあなたが来ない夜は私が印をつけたいくらいです」


 ついに百日目がやってきた。夜が明け昨日から降り続いていた雨が激しさを増していたが、今日も小町の家の門を「ドンドン!」と叩く者がいる。


「こんな嵐なのにあの方は来て下さった!」


 そう思って鼓動を高鳴らせている小町のもとにやってきたのは深草少将の死の報せだった。


「深草様がこの嵐で大水とともに橋ごと流されて…」


 その報せを聞いた小町は自分を責めた。


「私が無理を言ったばかりに、あの方を死なせてしまった!」


 小町は残りの生涯を少将の冥福を祈って過したという伝説である。


 さて、雨乞いの儀のその後、小町は丁重に元の生活に戻され、以前にも増してつらい屈辱の日々が始まっていた。藤原一族の勢いには勝てなかったのだ。さらに小町の運命に追い討ちを掛けるように雨乞の儀から九年後の、嘉祥かじょう三年(850年)、小町が命を賭けて愛した帝が、この世を去ってしまった。陵墓・霊廟は京都市伏見区深草東伊達町にある深草陵ふかくさのみささぎ。小町の全てが終わってしまった。


「帝様…もう、本当に夢でしかお会いできないのですね。比叡山の山懐で空しく過した日々を無駄にせぬためには、私は生涯独身で送るほかはないのですね…帝様!」


 あまのすむ 浦こぐ舟の 舵をなみ

              世をうみ渡る 我れぞ悲しき


「漁師が舟を漕ぐ櫂がなくて、あてもなく海を流されてゆくように、この世をいやいやながら渡って往かなければならない我が身が切ないわ」


 小町は帝崩御の翌年、供を連れて石上寺いそがみでらにしばらく籠もる事にした。石上寺は小町の親友であり、第50代・桓武天皇の孫にあたる良岑宗貞よしみねむねさだという人が帝の崩御により、遍昭へんじょうと名のって出家した寺だった。仁明天皇をただひとりの人と思っていた小野小町と、その帝に忠誠を貫いた遍昭が再び出会う事になった。


 いはの上に 旅寝をすれが いと寒し

              苔の衣を 我にかさなむ


「石の上に寝るのは寒いから、苔の衣を貸してください」


 苔の衣とは僧の着物だ。それに対して遍昭の返歌は…


 よをそむく 苔の衣は ただ一重

            かさねば うとしい いざ二人寝む


「苔の衣を貸したいけれど、一枚しかないんだけど、貸さないというのも冷たいね。なんなら一緒に寝ちゃいますか」


 以来、小町は亡き帝のために寺々を廻って冥福を祈り、残る生涯を全うする事になる。そしていよいよ人生の終盤を迎えた小町は…


 花の色は 移りにけりな いたづらに

           我が身よにふる ながめせしまに


 この歌は小町の一生を象徴していた。空しい人生の長い雨の間に、私の容姿もすっかり色褪せてしまった。花の色の褪せて行く様に、自分の姿が衰えて行くのを重ねて、人生の儚さを嘆いた。もうちやほやされる年でもなくなった…かと言って、まだ婆さんでもない。小町の一生には実に長い雨が降り続いた。帝に心を捧げたまま廿歳前に朝廷を退けられ、比叡山の麓に遠ざけられた。以来、帝に会う事も許されぬまま、気の遠くなるような長い年月を、せめて夢の中でお会いできるのを楽しみにと過ごしたわけだ。


 吹きむすぶ 風は昔しの秋ながら

           ありしにもあらぬ 袖の露かな


「秋風が昔のように草葉に露を結んでる。露は涙のようだわ。若かった頃の事ばかり思い出すわ。だから今の淋しさが、一段と身にしみて私も涙が止まらなくなる」


 怪しくも 慰め難き心かな

           姥捨山の 月も見なくに


「もう世の中に捨てられてもいい年になっちゃった。なんとか気を取り直してがんばろうと思うんだけど、信じられない程、慰め難い私になってる」


 そんなある日、小町を訪ねて文屋康秀ぶんやのやすひでが現われた。


「小町先輩、ちょっといいですか?」

「どなた?」

「ご無沙汰しております。文屋康秀でございます」

「・・・・・」


 文屋康秀とは、小町を短歌の先輩として仰いでいた人物だ。


「文屋康秀でございます」

「わかってるわよ、随分と珍しいじゃないのよ…どうしたの今頃? なんか用?」

「小町先輩、私は三河に赴任する時になりました。ついては小町先輩にも田舎見物がてらご一緒にどうかと、お誘いに来た次第です」


 康秀は、六十が近くなって尋ね人すらなくなった小町を見かねてか、田舎住まいの誘いに来たのだ。小町は歌を詠んでこれに返事をした。


 わびぬれば 身を浮き草の 根を絶えて

            誘ふ水あらば いなんとぞ思ふ


「もうこの世には何の楽しみもないですから、お誘い下さるのであれば、何処へでも行きたいと思います」


 驚くかな、小町は康秀の薦めを受け入れたのだ。


「では旅支度が出来るまで、お待ちしております」


 小町の支度を待つ康秀は、小町同様、人の世の儚さを噛みしめていたことだろう。帝の寵愛を受けても、小町がもし藤原一族の身内だったならば、その運命は変わっていた。才色兼備が齎した悲劇である。帝に一途を貫いていた小町だったが、晩年の寂しさは身にしみたようだ。康秀の田舎に誘われ、最後に住んだ所は綴喜郡つづきこおり井手村(現在の京都府 綴喜郡つづきぐん井手町だろうと言われている。老いた小町の侘住居には時々、甥の小野貞樹おののさだきが訪ねて来ては世話をしていたようだ。


 今はとて 我身しぐれに ふりぬれば

           言の葉さへに 移ろひにけり


「私も本当に年老いてしまったものだわ。訪ねて来るどころか、声を掛けてくれる人もめっきり減ってしまった」


 我身こそ あらぬかとのみ 辿らるれ

           ふべき人に 忘られしより


「私って実は死んでんじゃないかと、マジになって考えるの。だって心当たりの人が誰も訪ねて来てくれないから、そんな気にもなるでしょ。でも、やっぱりどう考えても生きてんのよね」


 小町はなぜそれほどまでに帝に執着して独身を通さなければならなかったのだろう。理由はいくつか考えられる。ひとつには、小町自身、自分の美しさと才能を自覚していたからこそ、男性は帝レベルでしか考えられなくなっていった。


「ちょっとちょっと…作者だからって好き勝手なことを書かないでちょうだい。私にも言わせてよ! わたしは朝廷へ返してもらえそうな事情があったから、今か今かとその日を待ちわびていたのよ。それでいつの間にか婚期を逃しちゃって…責任者出て来い!…って感じよ。そんなわけで、他の男達は次第に引いて行っちゃったわけよ。だからちょっとはこの人と思った人もいたんだけど、自分の心はごまかせなくってね。つらくってつらくって尼さんになろうと思った事もあったけど、そうしたら好きなあの方が迎えに来てくれた時、付いていけなくなっちゃうでしょ。だから私はいつまでも待つ事に決めたのよ」


 小町はやはりすばらしい女性だ。日本で一番の理想の女性は誰かとなれば、純潔を守り、容貌、才能、洗練された人間臭さとでもいうのか…そういったものを兼ね備えた人という事になる。ところが、容貌とか才能というのは、生れながらのもので、こればっかりはどうにもならない。その上、折角生まれながらにして備わっているものがあったとしても、日々磨かなければ輝かない。そして最終的には自分を大切にできる人、『貞女ていじょ一夫いっぷにだもまみえず』という言葉がある。自分の身の尊きことを自覚して、例え夫たりとも軽々しく身を許さぬという純潔の神髄だ。…となると、日本で一番の理想の女性は、やはり小野小町という事になる。


 はかなしや 我身の果よ 浅みどり

           野辺にたなびく 霞と思へば


「はかないな~私のラストって。まるで薄っすらと野辺にたなびく藍色の霞ね…みんな、私のように純潔を通せるかしら? 別に今日からでも遅くはないわよ。今までの事はなかった事にすればいいのよ」


 最後に気になる小野小町の姉のことである。どこを捜せど「小町が姉」は出自・経歴等は未詳となっている。仁明天皇の更衣とみられる小野吉子と同一人かとも見られているが定かではない。「小町が姉」が詠んだ失恋の歌がある。


 時すぎて かれゆく小野の あさぢには

           今は思ひぞたえずもえける


「あなたに疎まれるようになった私って、枯れた小野の浅茅みたい。でも私の心はしきりに燃えているのよ」


 わがかどの ひとむらすすき刈りかはむ

           君が手なれの駒も来ぬかな


「あなた、近頃来ないよね。あなたの飼い馴らした馬にあげようかと、私の家の前のススキを刈り取って用意してあるのに、あなた、来ないよね」


 もしこれが小町の姉の歌だったら、不幸なのは小町だけではなかったのかもしれない。姉妹は否応なく世間から比較されたに違いない。そうなれば、帝の寵愛を受けた妹の姉の評価は厳しくなる。妹が活躍している姉のプレッシャーはいつの夜も同じだろう。小町の姉は妹と比べられる一生を送った可能性もある。姉の出自・経歴や逸話すら見当たらないところを見ると、人知れず世間からフェイドアウトしてひっそりと過ごしたのではないだろうかと妄想する。

 さて、小町は世を避け、出羽の国の別当山の岩谷洞にこもり自像を彫り、昌泰しょうたい3年(900年)に92歳でこの世を去ったという伝説もあるが、記録では元慶げんけい七年(883年)、六十九歳でこの世を去っている。辞世の歌として今に伝わる歌もない。


 秋田で過ごした幼い頃の姉妹の面影を追う。


〈  おわり  〉

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