第4話:ライバルは幼なじみ

 超巨大企業ユキハラコーポレーションでは、正社員と、派遣社員やアルバイトなどの非正規社員が働いている。

 主に仕事内容で分けられていることが多い。

 単純な繰り返し作業とか、重要ではないが手間のかかる作業、あるいは正社員の業務サポートなどを非正規社員が、技術開発や、クライアントと関わる営業、利益を左右する企画業務、更にディレクション的な仕事は正社員がやる。それ以外は特に分けてないが、どちらかと言うと、正社員のほうが心理的に面倒な業務が多い。給与も正社員のほうが多めだが、非正規社員でも特殊な技能や資格を持つ者には、手当を出したり、正社員に抜擢したりするなど、会社的には、扱いはマシな方だろう。そのため人材派遣会社のウケはいい。


 情報本部第7部第3課で日々不平を鳴らしつつ仕事に邁進する男、派遣社員の車坂秀樹28歳は、その日、52階にある総務部の会議室に用事があって訪れていた。全社規模で備品管理に関する手続き上のフローが変更になったことから、そのミーティングに参加したのだ。といっても大したことではなく、1時間ほどの説明会程度のことである。

 ミーティングが終わり、彼は、同じ派遣会社に所属している顔見知りの総務部の派遣社員と少し話をした。「どうよ調子は。お互いいろいろ大変だよな。今度飲もうぜ」くらいのことだが、他の出席者より少し遅れて会議室をあとにした。

 ドアを開け、廊下に出たところで、彼は奇妙な出来事に遭遇することになる。

 彼がスマホをいじりながらドアを閉めると、右手から声が聞こえてきた。

 なにげにそっちを見ると、すぐ先の廊下の角から3人の姿が現れた。

 真ん中が20代なかばくらいの、やや背の低い女性で、左右に同年齢くらいの男が二人。3人とも社員証を首からぶら下げているが、社員証のデザインから、女性は派遣社員で、男二人は正社員だとわかる。もう、その事実だけで、車坂は顔をしかめた。彼は自分が非正規な上に、正社員から嫌味とかを言われたことが何度かあり、自分のところの才野木課長や、隣の祖父江第2課長など一部を除いて、正社員にあまりいい印象を持っていない。

 3人のうち、左右の男は、真ん中の女性に話しかけていた。

「さとみちゃんって、機械関係、詳しいんだね。驚いたよ」

「えー、そんなことないですよお」

 真ん中の女性が少し照れたように答えると、反対側の男が、

「いやいや、だって、サーバーマシンだよ。ほんと、保守の専門要員を呼ぼうかって相談していたところだったんだぜ」

「そうそう、まさかさとみちゃんが直しちゃうなんて」

「あれはー、たまたまー、前に扱ったことがあったからですよー」

「それでもすごいよ。おかげでデータをなくさずに済んだもの。あれに入れっぱなしだったからさー」

「でもー、バックアップ用にもう一台用意しておいたほうがいいですよー。それと専門の人に細かく調べてもらう必要があると思いますー。ぜったい、近いうちにまた不具合が発生すると思うのでー」

「そう? じゃあ、課長にそう伝えておくよ」

 そんな会話が聞こえる。

 けっ、と車坂は吐き捨てるように毒づいた。

 おまえら、その女の気をひこうとしているだけだろうが。

 近づいてくる3人の方をチラチラ見ながら、そんなことを思う。

 もう、スマホの画面なんか見ていない。

 と、反対側、左手の方からドアの開く音がした。車坂がそっちを見ると、

 総務部の向こうにある経理部の部屋から、これも3人の男女が出てきた。

 こっちは、3人共正社員で、真ん中に女性、その左右に少し年配の男が二人。

「さとこくん、助かったよ。おかげで業務が早く済みそうだ」

「それは良かったです」

「それにしても、さすがさとこくんだよ。あれだけの仕事を一人でこなしてしまうんだから。ねえ、部長」

「全くだ。床田くんも、さとこくんのような優秀な部下がいることに感謝し給え。とは言え、さとこくんに全部押し付けてしまい、申し訳なかったね」

「お気になさらず。あの程度のことであれば、なんのこともありませんから」

「はー、いやいや、頭がさがるよ」

 そんな会話が聞こえる。右手の女のおとなしめでやや間延びした感じの口調に対し、左手の女はキビキビとした口調でしゃべっている。その女に、上司と思われる左右の中年男は、揉み手をするように声をかけている。

 けっ、と車坂は再び毒づいた。

 いい年してみっともないんだよ。管理職ならもっとしゃきっと部下を管理しろっての。

 車坂はこのまま行こうかとも思ったが、左右の3人組が廊下を塞ぐ感じで近づいてきたので、これらをやり過ごしてから戻ろうと思い、立ち止まってスマホを見た。

 と、3人組同士がかなり近付いて来た時、ふと左手の女が足を止めた。驚きの表情で、対面にいる3人組を見る。いや、真ん中の女を見た。

「瑞慶覧紗登魅!?」

 そう声に出した。

 その声を聞いて、右側の女も立ち止まった。

 やはり驚きの表情を浮かべ、

「大謝名沙都子!!」

 その声に顔を上げた車坂は異様な雰囲気を感じた。

 二人の女性の間に、電流でも走ったかのように、緊張感が走ったのだ。

「まるで空間が割れたかと思ったよ……」

 あとで3課に戻った車坂は、そう表現した。

 二人の女性は、お互いを睨みつけ、無言のまま対峙した。

 ゴゴゴゴと地鳴りでも響きそうな、迫力ある雰囲気に挟まれ、車坂は本能的におびえ、身動きが取れなくなった。

「おい、そこの君、うちの沙都子くんに何か用かね」

 左側の男の一人が言った。

「そっちこそ、紗登魅ちゃんになんの用だよ」

「態度がでかいな、挨拶はどうした」

「先に声をかけてきたほうが挨拶するんじゃないですか」

「君は派遣社員じゃないか」

「身分は関係ないだろ、それに紗登魅ちゃんは、優秀な技術者だぞ」

「ふん、それなら沙都子くんは我が部の誇る正社員だ」

「どうだか」

「こちらは経理本部第2部の金岳部長だぞ、失礼だとは思わんのかね」

「部長がなんだよ、さっきから聞いていると、身分がどうとかこうとか、ユキハラってもっと自由な会社だと思ってたけどな」

「やれやれ、自由を履き違えている若者が多くて困るね」

 両者は相手に対していちゃもんつけながら近づいてきて、目鼻先の位置にまで来た。その間に挟まれるような形で車坂は逃げそこねてしまった。

(な、なんだかよくわかんねーけど、喧嘩するなら他所でやってくれよお)

 肝心の女同士は、一言もなく相手を睨み据えている。

 むしろ車坂にとって、口汚く言い争う男より、黙っている女二人の迫力のほうが怖かった。

 例えば右から来たさとみという名前らしき女は、ついさっきまでの、えーそんなことないですよお、などとのんびりしゃべっていた時と一変し、ものすごい迫力で目の前の女を睨み続けている。一方、さとこ、と呼ばれた左の女も、無言で相手を睨みつけている。こっちのほうが背が高いため、やや上から目線になっているが、その怖さときたら。

 この異様な緊張感が、いつまでも続くかのように思われたが、実際には短時間の間だけだったようだ。

 言い争いが中断したところを見計らって、

「あ、あのお」

 耐え切れなくなった車坂が声をかけた。

「ああんっ?」

 と男4人は一斉に車坂を睨んだ。ひい、と車坂がびびる。

 女たちは彼を一顧だにせず睨み合ったままだ。

「おまえ誰」「君は誰かね」

 と左右から同時に聞かれた車坂は、

「す、すみません、と、通りがかりの者ですけども……」

「何か用かよ」「何か用かね」

 と左右から同時に言われ、

「い、いえ、その、と、通ってもいいでしょうか」

「行けばいいだろ、別に止めてねーけど」「行き給え、何も邪魔はしていないが」

 と左右から同時にお許しが出たので、

「で、では、失礼して」

 とへこへこしながら、間を通り過ぎると、壁沿いに身を寄せながらその場を離れた。

「なんだあいつ」「何かね彼は」

 とうしろから同時に声が聞こえた。

 ただ、車坂が声をかけたおかげで、険悪な雰囲気は削がれたようだ。

「いこうぜ、紗登魅ちゃん。こんなの相手にしてらんねーし」

「いこうか、沙都子くん。もうすぐ会議の時間だ。無駄に充てる暇はない」

 二人の女性は無言のまま、少し位置をずらして歩き出した。すれ違う時も、相手を見ず、そのまま通り過ぎた。

 男たちのほうが、小走り気味に後を追いつつ、相手とすれ違う時、ビクビクチラチラと見ながら通り過ぎた。

 空間を覆っていた緊張感が解け、車坂は、すぐそばのエレベーター前でへたり込みそうになった。



「一方は、オオジャナサトコと呼んで、もう一方はズケランサトミと呼んでいたな」

 車坂からその名前を聞いて、左近田が、ああ、と頷いた。

「瑞慶覧さんなら知ってるよ」

「お知り合いですか?」

 と悠平が聞くと、

「知り合いってほどでもないけど、2、3回会ったことがあるな。派遣業界じゃ有名人だよ。機材部かどこかに派遣されてたはず」

「ええ? 聞いたことないすよ」

 と車坂。

「それに見たこともなかったし」

「ていうか、派遣業界の有名人って……」

 と悠平も苦笑する。

「あれ、知らない? 彼女、有名だよ。機械関係のエキスパートで。彼女が触ったら、どんな故障でも直してしまう、っていう都市伝説級の人だよ」

「ゴッドハンドみたいだ」

 悠平が笑うと、車坂はさっきの出来事を思い出しながら、

「たしかに、サーバーを直したとか言う話をしてたな」

「僕が会った時は、いつも口調は、ほんわかとした感じだったけどね。彼女、派遣さんだけど、ものすごい給与をもらっているらしいよ。ボーナスも結構でているらしい」

「ボーナス?!」

「ボーナス、って、ま、まさか、あのボーナスですか」

 悠平が聞くと、車坂は重々しくうなずき、

「おそらく……。ボーナスといえばあのボーナス、という噂のボーナスに違いない。俺もよく知らねーけど」

「貰う人いるんですね。派遣さんでも」

「なあ、信じらんないぜ」

「ごめん、僕ももらってるよ」 

 左近田が半分笑いながら言った。

「……」

「……」

「あ、いや、余計なこと言った。ごめん」

「……いいんですよ。左近田さんはスキルあるんですし」

「だな……同じ派遣でも意味違うしな」

「いやいや、すまない……」

「……で、もう一人の人は知らないんですか?」

「オオジャナサトコという名前だったっスけど」

「そっちは知らないな。ちょっと社員名簿を検索してみようか」

 左近田がキーボードを打ち込むと、すぐに出てきた。

「あった。大謝名沙都子、この人だね」

 悠平と車坂も覗き込んだ。車坂は画面を指さし、

「そうそう、こいつだった」

 と叫んだ。

 顔は悪くない。なかなか美人である。ただ、写真を見る限り、堅苦しそうな雰囲気が見て取れる。続いてズケランサトミの方も調べてみる。第一機材部の派遣社員だ。対照的に童顔のかわいい系だ。

「うん、こいつだよ」

「僕の知っている瑞慶覧さんだね」

「ていうか、瑞慶覧さんって、そうそういないと思いますけど」

「瑞慶覧とか大謝名とか、変わった名字だな」

「どちらも沖縄だろうね。瑞慶覧さん、たしか宜野湾かどこかの生まれだって言ってたよ」

「ということは、昔からの知り合いどうしってことですかね」

「そうなのかな? でも、あのふたり、すっげー睨み合ってて怖かったんだけど」

「いやー、幼なじみでも、仲がいいとは限りませんからね」

「そういや、悠平くんの名字、伊是名ってのも変わっているよね。もしかして沖縄県の出身?」

「あー、いえ、僕は東京都青梅市の生まれです。ただ両親はともに沖縄出身ですね」

「やっぱりそうなんだ。ご両親はあれかな、上京して知り合ったとか?」

「まあ、そんなところじゃないかと」

「伊是名ってそうそういないよな」

「いやー、車坂さんに言われたくはないですけどね」

「うるせー」

「出身はどちらなんです?」

「大分県大分市。でも、先祖は宮崎だったって聞いたことあるな」

「大分とか宮崎には多いんですか? 車坂って」

「いや、親戚はほとんどいないと思うけどな。いとこんとこの1軒しか知らないし」

「それほとんどいないっていうんじゃ……。伊是名家はまだ若干いますよ、沖縄とか東京にもいるし」

「へーへー」

 どうせうちは珍姓ですよ、などとブツブツ言っている車坂を横目に見つつ、左近田が、

「うちも結構少ない方だけど……、沖縄って、3文字とか多いよね」

「多いですね。沖縄独特の名字もありますけど、読みは普通で文字は3文字の人とかもいますよ。真、栄、田と書いてマエダさんとか」

「ああ、そうだね。悠平くんとこは、母方の名字も珍しいの?」

「え? えーと、まあ、そうですね。…伊平屋って言います」

「へえ。うん? 伊平屋ってなんか聞いたことあるな」

「そ、そーですか?」

 悠平がやや落ち着かなくなる。

 あー、ほら、と車坂が手を叩いた。

「芸能人でいるじゃん。ブレーンストームのリーダーで」

「ああ、伊平屋純一郎。そうだそうだ。最近、俳優とかもやってるよね」

「へ、へえ。有名なんですか?」

「おいおい有名じゃん。ブレーンストームって、人気アイドルグループじゃんよ。マジでしらねーの?」

「あんまりそっち方面は興味ないんで」

「まあ、男のグループだからなあ。俺も実はあまり興味ないんだが」

「それに車坂くんが好きなのは二次系だからね」

「余計なお世話です」

「え? 車坂さん、二次ヲタなんですか?」

「そこはツッコむな」

「ところで、伊平屋純一郎って、確か父親が政治家じゃなかったっけ。えーと、」

 と左近田は検索してみる。

「これだ。伊平屋孝太郎。与党幹事長だ」

「まじか。伊平屋純一郎って大物政治家の息子なんだ。それは知らんかったな」

「悠平くんのご親戚じゃないの?」

「さ、さあ、どーでしょー」

「調べてみろよ。あまりない姓じゃん、案外近い親戚かもよ」

「そ、そーですね……調べてみます……」

「親戚が芸能人だったらすげーじゃん。親も政治家だしさ」

「いやー、でも、それはそれで大変なのでは……。あ、と、ところで、ユキハラって変わった名字の人多くないですか? 才野木課長もそうだし、となりの祖父江課長もあまり聞かないかと」

「確かに多いね。もっとも、日本は中国とか朝鮮半島と違い、名字の種類がめちゃくちゃ多いらしいから、少数名も多いんじゃないかな」

「そーなんすか?」

「30万種類くらいあるって聞いたことあるな」

「へえ。ってことは、1億2000万人を30万で割ったらなんぼかな。さんしじゅうにだから、400か」

「何で割るんです?」

「いや、1姓あたり平均何人くらいかな、と思って」

「400人か。おもしろいね。たくさんいる姓もあるだろうけど、多くの姓は、人数ではそれほどたくさんはいないってことだ。少数姓は多いけど、種類も多いんで、珍しい姓がさほど珍しくもないってことになるな」

「そういうことっスね。てことで、俺んとこも特に珍姓じゃねーってことで」

「いやー、でも、車坂は珍しいよ」

「もー。いいんスよ。この名字、気に入ってるんです。自分では」

「ほほー、えらいなー。車坂家のご先祖様が草葉の陰で喜んでいるよ、きっと」

「なんだろ、ちっとも褒められた気がしないんだけど」

 いつの間にか、話が社内の珍しい名字のことになったので、悠平はちょっとだけホッとした。



 東急大井町線は、元々都市ローカルな路線だった。周辺は比較的自然も多く、また広い土地が必要な車両基地や大学のキャンパスも作られた。かつては、大井町から、二子玉川を経て、溝の口方面へ運行されていた。一時期はこの路線を田園都市線と呼んでいたこともある。その後、玉川電車の跡に新玉川線が出来、渋谷から直通で中央林間方面へ運行されることになり、これを田園都市線と称して、大井町線は切り離された。

 が、沿線開発などで住民が増えたこともあり、また首都圏有数の混雑路線であった田園都市線の混雑緩和のため、迂回バイパス路線としての整備が進められ、ふたたび田園都市線へ乗り入れするようになった。かつて短期間存在した急行もふたたび走るようになって、大井町線も利用者数が増加傾向にある。そのため古くからの駅はホームの延長などの改良工事も行われている。

 その時も、金曜日で夜やや遅めの11時台に入っていたが、いっぱい引っ掛けて帰る会社員らも多いせいか、比較的混んでいた。

 自由が丘駅に着くと、乗り換えのお客さんが激しく入れ替わる。

 瑞慶覧紗登魅は、通常帰宅する場合、本社の真下にある地下鉄南北線星ヶ岡駅から乗って、そのまま東急目黒線大岡山駅で乗り換える。自宅マンションは大井町線の尾山台にあるのだ。

 東横線からの乗客がドドドと乗り込んできたので、紗登魅はうまいこと避けながら出口付近を確保した。都会に慣れてくると出来るスキルである。

 ちょうど隣に、やや背の高い女性が入ってきて、あとからくる乗客とともにぎゅーっと紗登魅を押した。

 押されることは通勤電車では至極当たり前のことなので、痴漢男でもない限り腹も立たないが、なにげにその女性を見た。

 あ、と紗登魅は小さくつぶやいた。

 相手も紗登魅の顔を見て、あ、とつぶやいた。

「沙都子?」

「紗登魅か」

 少し沈黙した後、電車が動き出す。

「この路線なのか?」

 と大謝名沙都子が聞いた。

「そう。沙都子は?」

「私は、溝の口。田園都市線の。今日は野暮用で中目黒に寄ってたんだ。ところで、どこの駅だ」

「尾山台」

「近いな」

「そう。……来る?」

「いいのか?」

「いいよ」

「私が行くとおじゃま虫になる人とかいるんじゃないのか」

「いない。一人暮らし」

「そっか。なら行くか」

 さほど時間もかからず、電車は尾山台駅に到着した。結構な人が降りる。この辺りは住宅地が広がっているためだ。

 駅を降りてすぐのハッピーロード尾山台の商店街にあるコンビニで残っている品をいくつか買った。沙都子は外で黙って立っている。

 買い終わると、そのまま進み、小さな路地に入った。

 閑静な住宅街の中に、4階建ての小さなマンションがあった。昨今のタワーマンションや郊外型の大型マンションに比べるとこじんまりとしている。

 タイル張りで薄い青と白のツートンの外観、やや曲線の入ったベランダに、手すりの一部にはオブジェが付いているなど、画一的な大型マンションにはない独特のデザインをしている。デザイナーズマンションの小型版とでも言うべきか。結構おしゃれな感じで回りの住宅風景にもうまく溶け込んでいる。

「ほう、ここか」

 とだけ沙都子はつぶやいた。

 部屋に上がると、沙都子は部屋の中を見回し、壁沿いに腰を下ろしてもたれかかった。

 改めて見ると、さっぱりした部屋である。室内干ししてある服や下着がかけっぱなしだし、ファンシーグッズとかもない。しかしらしくないものがある。

 ノートパソコンや周辺機器、小型のオーディオ機器多数、なんに使うものかはわからないけど何かの専門機器であるのは間違いなさそうな各種デッキ類。工具箱もある。それに、

 沙都子はそこら中においてある雑誌を手にとった。

『レディオライフ』『エレクトロニクス』『トランジスタテクノロジー』『ツールテクニカ』『電子工作』『電脳技術情報』『機器の研究』

 そんな名前の雑誌がいたるところに積み上げられている。一般向けだが専門的なものもあれば、完全な業界雑誌、学術雑誌もあった。逆にファッション誌などは全くない。

 沙都子は興味なさそうに雑誌を戻す。

「つかれたな」

 そんなことを言うと、紗登魅が台所の方へ歩きながら、

「今、島酒持ってくるよー」

「家でも飲むのか」

「飲んでるよー」

「銘柄はなんだ?」

 と聞くと、台所から、

「なにがいい?」

「何があるんだ?」

「いろいろあるさ。うりずん、ずいせん、くら、やんばるくいな」

「あるな。そーだな、うりずんがいいかな」

「わかった」

 まもなく、氷を入れたグラスに水と酒瓶、さっき買ったお惣菜をチンしたものをお盆に乗せて紗登魅が現れたが、それを見て、

「紗登魅、なんだその格好は」

「うん? おかしい?」

「なんで脱いでんだ?」

 紗登魅は、なぜか上はTシャツ1枚、下はパンイチスタイルになっていた。

「だって服きついんだもん」

「きつい? そんな中学生体型で、どこがきついのさ」

「うるさいなっ」

 そう言ってどかっと腰を下ろす。

「ブラとかつけっぱなしだと血行に悪んだから」

「ブラねえ。付けないと形が崩れるともいうが」

 と言いつつも、そのサイズでか、と言いたげな視線を投げる。

 そういう沙都子のグラスに、うりうり、と泡盛を注ぎ、雑な手つきで水をたす。

 ここでようやく、紗登魅は嬉しそうな声を出した。

「かんぱーい」

「おう、おつかれ」

 グーッと飲む。

 ぷはー、となったあと、

「いやー、それにしても沙都子に会えるとは思わなかったよー。びっくりしたさー」

「私もだ。久しぶりだな」

「何年ぶりだろうね。高校卒業して以来? いや、1回めの同窓会以来かな」

「そうだな。まさか、ユキハラで会えるとはな。派遣社員のようだったが」

「そう。沙都子は正社員みたいだね」

「ああ。経理部に所属している」

「みたいだね。数学得意だったもんね沙都子は。ちなみに私は機械関係のサポート」

「ああ、おまえらしいな」

 そう言って、再度部屋中を見回す。

「ま、年頃の女の部屋じゃないな」

「悪かったわね」

 ふたりとも平然とごくごく飲む。お惣菜を口に放り込みながら、

「ていうか、沙都子ー」

「なんだ?」

「しばらく会わないうちに、なんだかおっぱい大きくなってない?」

「なったかもな」

「なんでさー、自分だけずるいぞ。昔は板やったさ!」

「失礼な」

「どーしてそんななるのさ。……あ、もまれたな」

「あ?」

「もまれたろ、男か、男ができたのか」

「あのな。そりゃ、大学時代に彼氏いたけどさ、これは関係ないぞ」

 と自分の胸をつかむ。

「沙都子、大学どこだっけ?」

「忘れたのか。京大理学部だ。そーゆー紗登魅は」

「ふっふー、東京大学工学部精密工学科であるさー。でーじすごいさー」

「あー、そうだったな。まー、京大もすげーと思うけどな」

「やさやさ。あい、思い出したよ。どっちが上行くかで競争したよー。あの時くらいさーねー、宜野湾高校から東大と京大が同時にでたのってー」

「たぶんな。で、紗登魅はその体型で東大ってか」

「体型関係ないだろ!」

 そう言ってグイーッと飲み干す。今度は沙都子が紗登魅のグラスに注ぎつつ、

「おまえの言葉借りれば、男にもまれてない、ってことになるぞ。そのお気の毒な胸じゃ」

「誰がお気の毒だ。すこしはあるぞ。それに……、男だっていたもん」

「いた? どーした、その男は」

「別れたさ」

「なんで?」

「……あいつとはねー、大学時代に知り合って、その時はまー付き合わなかったんだけど、卒業後、ソーニスに就職したらさー、」

「ほう、紗登魅はソーニスにいたのか。大手メーカーじゃないか」

「そーだよー、これまたすごいさー。しかも正社員だったわけさ。で、その職場でその彼と再会して、付き合うようになったってわけ」

「ほー。それで?」

「はじめは良かったんだよ。彼、技術屋さんでねー、新しい技術開発に没頭していて。俺が世界をあっと言わせる製品を作るんだって、そこがまたかっこよかったのさー」

 当時を懐かしむような表情を浮かべた。

「紗登魅は子供の頃から、メカ好きだったからな」

「そうだよー。ところがびっくりさ。会社のトップが交代して、なんとCEOがアメリカーになったわけ。で、こいつが全っ然、技術とかに関心持たないわけさ。目先の利益ばっか。そんで、コスト削減とやらで開発プロジェクトがつぎつぎと潰れちゃってさ、彼のやってた研究も中止になったのよね」

「で、どうした?」

「私は腹立てたんだけど、彼、上の方針じゃしょうがない、って、やりたくもない韓国製品の改良の仕事をするようになってさ。でも楽しくないから毎日愚痴や文句ばっかり」

「あー、そっから先は想像付く。喧嘩したな」

「したよー。したした。しまくりさー。だったら、こんな会社捨てて、自分で会社でも起こしなよ、って言ったんだけど、それはできないって。転職もしないっていうんだよ。そんなつまんない男になるとは思わなかったわけさ。で、喧嘩別れしたついでに会社も辞めた」

「会社もか」

「顔合わせたくないし、つまんないとこいてもしょーがないもん。以後、派遣さんやってるわけ」

「んー、でも、思うんだが、その男、たぶんおまえと結婚でもしたかったんじゃないのか?」

「あげ!? 沙都子、なに言ってるさ??」

「起業ってなかなかうまく行かないよ、転職だってこのご時世だしな。ソーニス以上の会社に行けるかどうか。それよりも、会社に残るほうが安定している。結婚するとなればお金もかかる。そいつは紗登魅との将来を考えて、やりたくない仕事もやろうとしたんだろう」

「えー、そーかなー?」

「ま、おまえの性格じゃ、そんな男の微妙なところはわからんか」

「わかんないよー」

「それにま、どっちにしても無理だったかもな。おまえ、メカオタクだったからな。男より機械に恋するタイプだ。そいつも機械好きだったから惚れたんだろうが、……ヘタに同じ方向の男だと、少々の相手じゃ役不足だろうさ」

「そうだよー、何か文句あるー?」

「いや。それがおまえのいいとこだしな。飲め。いずれおまえにピッタリの男が現れるさ」

「さすが沙都子、わかってるさー」

「お前とはガキの頃からの仲だからな」

 そう言ってグラスを空ける。

「もっと飲む?」

「おう」

「ん! 今日は金曜だから、思い切ってのも~。なんなら泊まっていっても……、あたしはかまわないぞ」

「色目使う相手が違うな」

 沙都子は結局、紗登魅のマンションに泊まりこみ、土曜の昼前くらいに帰っていった。



 月曜日。

 その日、情報本部第2部で、複合機が故障した。

 第2部の派遣さんや社員、さらには第7部第3課から車坂まで呼ばれてエラー対応の画面表示を見ながら側面の蓋を開けて中をのぞき込んだが、複雑な構造のどこで何がどうなってるのかわからなかった。しかし、保守サービスに電話したがなかなか来ない。

「これじゃ仕事がはかどらんな」

 茂倉部長がつぶやいた。

「部長、第3部の複合機使って印刷してきます」

「あ、俺もいいですか」

「おう、おまえらそうしとけ。耶馬岳部長にはオレからも言っておこう」

 と受話器を取り上げる。

 パソコン上で選択すればいいのだから、隣の部の機械でも印刷などは出来る。

 そこにやってきたのが、機材部の面々だった。

 総務部の人と一緒で、彼らが来たのは、新しいプロジェクト管理システムの導入の件で、打ち合わせに来たのだ。システムのソフトウェアはサーバーに入れてPCからアクセスするだけだが、個別のPCから使うためのマニュアルの作成や、簡単な研修を社員に行うための打ち合わせをするのだ。

 面々の中に瑞慶覧紗登魅もいた。サーバー側の担当である。

 打ち合わせは会議室で行うことになっていたが、

 機材部の面々が来ることを思い出した車坂は、廊下に出てみた。ちょうど向こうからやってくるのが目に入る。その中に先日の紗登魅がいることに気づき、ややおずおずと声をかけ、複合機のことわかります? と聞いてみた。まだ打ち合わせまでには時間がある。

 機材部の社員は、一様に紗登魅を見た。

「いいよー、わたしがみてあげよっかー」

 紗登魅は先日の件で出くわした車坂のことは一切記憶に無い様子だったが、

「よろしいですか?」

「うん。なおせるかわかんないけどー」

 と急遽、第二部に寄ってみた。

 そこで車坂は、あ、もしかして、と気づいた。

 そこに経理部も来ていたことを思い出したのだ。

 経理部は別の件で来ていた。

 第7部第2課が導入しているCMSの使用ユーザーを各部にも数名ずつ増やすため、その予算処理のために来ていたのだ。

 CMSというのは、ウェブサイトを運用する際に、知識がなくても素材用データさえあれば簡単に更新できるシステムのことだ。色々種類はあるが、第7部第2課は情報管理と社内イントラサイトの更新を担当しているため、結構使用料の高い高性能なやつを導入している。これを、他の部でも使い方を知っている人が2人くらいずついれば、何かの時に連携して作業できるという話になり、アカウントを増やすことになったのだ。その際、いくらかお金がかかるため、経理部が来たのである。経理部は第1部の担当者から順番に話し合っていたが、ちょうど第2部のところで、入ってきた機材部の面々と遭遇した。

「ん? な、瑞慶覧紗登魅!」

「うあ、大謝名沙都子!」

 二人はまたも対峙した。

 うわわわ、しまったよ、また始まった。

 と車坂はビビった。

 車坂だけじゃない。

 周りの社員も、息を呑んだ。

 二人の女性は、相手の名前を呼んだ以外、何も言わなかったが、雰囲気は瞬時にして険悪な様相に変わり、二人の間にものすごい迫力が漂ったからだ。

 な、なにが起こったんだ。

 ど、どうしたんだ、このふたり。

 などと周辺の社員はつばを呑み込み、トイレに行こうかと思っていた社員は、席を立てなくなってしまった。

 正直、この二人が出会うと、なぜこんな異様な雰囲気になるのか、誰もわからなかった。両方の部の社員もわからないのである。ただ、相当仲悪いんだろうな、とは思った。

 ゆっくりと近づき、お互いを睨みつける。

 ビキビキビキと空間が壊れ、ビルが真っ二つになるかのような雰囲気だ。

 ど、どーしよー。複合機どころの話じゃなくなってしまったぞ。

 車坂がオロオロしていると、

 その時、その場の空気を全く読まない声が聞こえてきた。

「なんだよ、また壊れたのかよ、この複合機」

 大体、どこの職場にも、空気を読まない奴が一人はいるものだが、その男は、印刷しようとしてできないことにイラッときたらしい。

 複合機のそばまで来て、画面を覗き込み、ボタンを幾つか触る。

「あ、あの、細隈さん、今保守の人に連絡をとっているので」

 と派遣の女の子が言おうとしたら、細隈なるその社員は、

 バンバン、と複合機を叩いた。

「つっかえねー。こんなの叩いたら直るんじゃねーの」

 と聞こえよがしに言った。

 なにか苛立つことでもあったのかもしれないが、この男、普段からキレやすく、態度が悪いことで、部内でも知られていた。

 それにしても、いまどき叩いて直るという発想もすごい。

 と、それを見た瞬間、

「おいっ」

「ちょっとっ」

 と同時に声が上がった。

 大謝名沙都子と瑞慶覧紗登魅だった。

「あ?」

 細隈は、二人を見た。

「何をしている」

「何するのよっ」

 二人は同時に言った。

 細隈は鼻で笑うような仕草をして、

「なにって、このつかえねー装置を直してんだよ」

「何を考えてる」

「何考えてんのよっ」

 と二人が細隈の前に立った。

 ああ、と細隈はうざそうな表情を浮かべて、

「なんだよ、女がそろって偉そうに。何か文句でもあるわけ?」

 と複合機をバンバン叩きながら言った。

 それを聞いた車坂もむっとしたが、次の瞬間、

 紗登魅がガッと細隈の胸ぐらをつかんだ。ギリギリと締めあげる。

「な、なにを、く、苦しい」

 紗登魅はいつもと違い、地獄の底から聞こえてきそうなどす黒い口調で、

「いいか、よく聞け、クソ野郎。この機械はな、お前の給料何十年分もつぎ込んで開発されてんだよ。お前のような虫けら今死んだって誰も困らねーけどな、こいつが壊れたらみんな困るんだよ。わかったか」

 そう言って、ブン、と細隈を放り出した。

 細隈はよろけて、沙都子にぶつかった。

 と、今度は沙都子が細隈の胸ぐらをつかんだ。

「ついでに言っておく。お前のせいでこれが壊れたら、その損害分はお前につけておく。毎月の給与と賞与から引いておくからな」

 そう言って、細隈を放り出した。

 細隈は床に無様にひっくり返って、それから驚いたように二人の女を見上げた。

 ふたりとも、凍りつくような視線で細隈を見下ろすと、同時に言った。

「女で悪かったな。お前みたいな男、こっちから願い下げだ」

 それを見ていた車坂は、

 かっけええええ。

 さっきまでのビビリも忘れて感動していた。細隈の態度の悪さには、常日頃から車坂も不満を持っていたのだ。

 爽快である。これは他の社員や派遣の女の子たちも同様だった。

 沙都子は視線を紗登魅に向けた。ひとこと、

「直せるか」

「見てみる」

 紗登魅はそれだけつぶやくと、しゃがんで中をのぞき込んだ。しばらく見ていたが、腰につけている可愛らしいヒップバッグをななめ前にずらし、中からなにか取り出した。

 くるくると巻いたシートだった。

 シートをほどくと、中から様々な種類の工具が出てきた。見たこともないようなドライバーや、そもそもなんに使うのかわからない形状の工具もある。シートに差し込めるようになっていた。

「すげー、なんか知らないけど、めっちゃプロっぽいじゃん」

 と車坂は感心した。

 紗登魅はそれを見てから、何本か取り出すと、手際よく複合機の解体を始めた。

 みるみるうちに部品が外されていく。

 それをコピー用紙を何枚か敷いた床に綺麗に並べていき、更に複合機の中に顔を突っ込んで何かを見た。

 しばらくして、ごそごそと引っ張りだした。

 十数枚の紙の束がぐちゃぐちゃになったものだった。

「これが詰まってたのか」

 社員らが顔を見合わせると、

 さらに紗登魅は小さな部品を次々と取り出して床においた。

「多分、前に詰まった時、これが外れかかったために、故障しやすくなったのね」

「直せるかね」

 いつの間にか様子を見に来ていた茂倉部長が尋ねた。

「やってみます」

 そう言うと、紗登魅はさらに部品を次々と外していった。複合機はいっぱしの製品から、むき出しの工業試作品みたいな姿に変わった。

「ウェットティッシュありますか? アルコールじゃないタイプので。あときれいで乾いた布巾も」

「ああ、給湯室に確か」

 と近くにいた正社員があわてて取りに行った。

 その間に、近くにおいてあったエアダスターでシューシューと複合機の中を吹いた。ぼわっとホコリが舞い散り、社員らが後退りする。

「うわ、紙の細いクズで汚れてる」

「すげー。しかしこれ、体にも悪いんじゃ」

「ハウスダストアレルギーになる人もいるみたいですよね」

 などと周りの社員らがしゃべっている。

「机とかもウェットティッシュで拭いといてくださいね、後で床掃除も」

 そう言われて、他の正社員らも慌ててモップを取りに出ていった。

 紗登魅はエアーダスターを、そっと部品にも噴きかける。

 社員のひとりがノンアルのウェットティッシュをボックスごと、布巾と一緒に持って戻ってくると、紗登魅は何枚か取り出し部品を丁寧に拭きはじめた。布巾でそっと水気を取る。

 紗登魅は綺麗にし終わると、今度は組み立てを始めた。

 だんだん部品が減っていき、顔を突っ込んで作業していた紗登魅の姿勢も良くなっていき、トナーボトルと制御盤、最後に側面のカバーを取り付けた。

 立ち上がってスイッチを入れ、画面を操作し、

「できた。どなたかすみませんけど、ジョブで印刷してみてください」

 近くの一人が、じゃー俺が、と言って操作する。

 ガコーン、ウィーンと軽く音がして綺麗にカラー印刷した紙が出てきた。その社員の飼ってる猫の写真らしい。

「わ、かわいー」

 そう言って、それを紗登魅が手にとって周りに見せる。

 わーっ、と自然に拍手が沸き起こった。

 紗登魅はどーも、どーも、と愛想を振りまいた。

「すごいですねー」とか「やるじゃないですか」といった声が上がり、「さすが紗登魅ちゃん、やると思ってたけど」と機材部の面々も鼻高々な様子。

 複合機を叩いた細隈は、床に座ったまま、がっくりとしつつも、少しホッとした様子だった。

「残念だが、これでお前の給料から差っ引くことはできなくなったな」

 と沙都子が冷たく細隈に向かって言い放った。そして、

「では我々は第3部へ行きましょう」

 と経理部の面々に言って、沙都子は紗登魅の方も見ずに部屋を出て行った。

 まもなく、複合機メーカーの子会社の保守担当者がようやくやって来て、遅くなったことをわびるでもなく、しかももう直っていると聞くと、

「あー、そーですかー。そりゃーよかった」

 となんの臆面もなく言い、最新機器の売り込みの話を始めたので、茂倉部長は呆れてしまった。

 一部始終を目撃し、そのあとミーティングに行っていた車坂は、第7部第3課に戻ると、話したくてウズウズしていたせいか、早速仕事そっちのけで喋り始めた。

「いやー、めっちゃかっこよかったスよ」

「それは見たかったね」

 と左近田が言うと、悠平も同調した。

「そうですよ。なんで呼んでくれなかったんです」

「いやいや、それどころじゃなかったし」

「それで、プロジェクト管理システムも、CMSも導入することになったわけだね」

「CMSの方はよく知らないすけど、管理システムは使えるようになりましたよ。順次使用方法の研修をするって」

「前よりも業務がスムースになるだろうね」

「そうっスか? 今度は、その使い方がわからんとか、フリーズしたとか、そんな依頼がこっちにくるんじゃないっスかね?」

「だろうね。だから僕らも使い方を覚えておかないとね」

 げげー、と悠平は少し顔をしかめた。覚えることばかりで、しかもなぜか、スキルアップした感じがしないのである。



 瑞慶覧紗登魅が本社地下の南北線星ヶ岡駅の自動改札を抜けようとしたところ、

「紗登魅」

 と後ろから声をかけられた。

 振り向くと、大謝名沙都子が立っていた。

「沙都子」

「帰りか?」

「そう。沙都子は?」

「同じだ。……行ってもいいか」

 紗登魅は黙ってうなずいた。

 二人は無言のまま電車に乗り、車内でも無言のまま、途中大岡山駅を無言で乗り換え、無言で尾山台駅を降りた。

 時間も早かったので、まだ開いている商店街のお惣菜屋さんで何品か購入し、路地を入ったマンションに着く。

 部屋に上がると、沙都子は腰を下ろして壁にもたれかかった。

 ようやく口を開き、

「あー、疲れた」

「島酒持ってくるよー」

 紗登魅が台所へ姿を消し、

「今日はなに飲むー?」

「やんばるくいな」

「わかった」

 しばらくして、紗登魅がお酒やおつまみをお盆に乗せて現れた。Tシャツにパンイチスタイルだ。

 沙都子は特に何も言わなかった。

 氷とお酒と水を注ぎ、ようやく紗登魅はいつもの可愛い声で元気よく、

「かんぱーい」

「おう、おつかれ」

 ぐーっと飲み、ぷはー、となる。酒をつぐ。ペースはいつも早めだ。

 沙都子はおつまみを口に入れながら、

「今日は大活躍だったじゃないか」

「ま、あれくらい平常運転さー」

「今度、うちの部の複合機もしてくれ。調子悪いんだ」

「沙都子のとこかー」

「いやなのか?」

「いやじゃないけど、会社で沙都子と会うと、なんか猛烈に対抗心がわいちゃうんだよねー」

「ん、同じだな」

「なんでだろーね。別に喧嘩してるわけじゃないんだけどねー」

 そう言って、沙都子の隣にもたれかかる。沙都子にピッタリと体を寄せて、

「こーやって普段はラブラブなのにねー」

「いや、ラブラブとは違うだろ」

「もー、沙都子のいけず」

「お前の冗談は、時々意味不明になるな」

「そーかなー?」

「ま、いいけど」

 と沙都子も特に抱き寄せもしないが邪険にもしない。

「私たちってさー、妙に競争心が出る時あるよねー。受験の時もそうだったさー、どっちがいい大学行くかーって」

「そーだったな」

「あと、彼氏作る競争の時も」

「バッティングはしなかったけどな」

「そーだね、好みはぜんぜん違うもんね」

「紗登魅の好きなタイプは、要領悪くて不器用でも、自分の好きなことに邁進するような男だからな。補欠の高校球児とか。ひとりでグランドを走ってる姿を陰から見守るのが好きだったよな」

「よっく覚えてるねー。そーゆー沙都子は、引っ張ってくれる男に甘えるのが好きでしょ。数学の阿波根先生とかにあこがれてたよねー」

「そこは忘れろ」

「でも、沙都子って見た感じは、自分で引っ張っていくようにみえるよね。それも年下とかを」

「包容力があってこそ、男だ。お前こそ男に甘えてなんでもしてくれる相手が好きそうだが、そーではないもんな」

「そーです。男は自分の道を知ってるのがかっこいいのです!」

 ぐぐっと拳を握る。

「で、結局相手にされない」

「うるさいっ。沙都子だって、見た目と違う粘着ぶりが嫌われるんでしょ」

「わるかったな」

「高校の時は、結局、どちらもふられたんだよねー。好きな相手に」

「ああ、同じ日に告ってな」

「そー、それであとで男どもわーって、ふたりで飲んだんだよね、わたしのおばーのうちで」

「ああ。しかも、おばーから、かめーかめー攻撃された。まー、おばーは、失恋娘どもに気ぃつかってくれたんだろうけどさ」

「あったねー、ふたりで泣きながら、も~食べれんーって」

 紗登魅は楽しそうに笑う。

「おばー、元気か?」

「もー! 困るくらいさー。超がんじゅーよ~! おじーは死んじゃったけど」

「いや、そこは笑えん」

「いーのいーの、おじーはきっと天国行ったからさー」

 紗登魅は酒瓶と氷を掴み、

 うりうりっ、と沙都子のグラスにおかわりを注いだ。

「で、うちの部のは直してくれないのか」

「製品どこのだっけ?」

「富士見フェリックス工業。今日の情報部のと多分同じだ」

「あそこかー」

「問題あるのか?」

「んー、性能は悪くないんだけどねー」

「なんだ?」

「サービスが良くないんだよねー。今日も保守担当の人、すぐに来なかったでしょー」

「らしいな。うちの時もそうだった」

「顧客のことを考えるのがサービスだよ。製品はサービス精神がないとよくならない。技術はサービスなくても築けるけどさ、技術と製品は違うわけ」

「なるほどな。そーゆーもんか」

「沙都子んとこは、経理部なんだからー、買い換えたらどうなのさー。お金動かせるんでしょ」

「自分たちだけ得することはできん」

「あい! 真面目やさ!」

「お金を扱うのだから、真面目でなければな。お金の価値は信用の裏付けあってのことだ」

「ほほー、さすが沙都子さんは言うことが違うよー」

「それにうちのトップの一万田本部長は厳格だからな」

「知ってるー。曲がったことが大嫌いな人なんでしょ。経理処理がうるさいって超有名だもん、一万田泰造」

「だが実は、銀座・赤坂・六本木の常連だ。毎週行きつけのクラブをはしごしている」

「あぎじぇ……。どんな顔してお店行くんだろー。なんか見てみたいなー」

「……ま、そういうわけだから、今度、修理を頼む」

「んー、しょうがないなー」

「事前に言ってくれたら、その時間、席を外しておく。そのほうがやりやすいだろ」

「へへへ、沙都子やさしいさー」

「もたれかかるな。飲みにくい」

「ふふ、照れちゃってるさ、かわいいなっ」

「照れるか。女同士いなぐどぅしの幼なじみだぞ」

「もー、そんなこと言ってー。今日は帰さないぞっ」

「抱きつくな。それに明日も仕事だ、今日は早く帰る」

「ええーっ。もー、ほんとにつれないんだから、沙都子はー。おっぱい見せろ」

「意味不明なこと言うな。たった3杯でもう酔ったのか」

「酒に酔ったんじゃないわ……、あなたに酔ったのよ……」

 上目遣いに沙都子を見る。

 その目線を受けて、沙都子は、紗登魅の顔をじーっと見ると、

「紗登魅」

「なに……」

「大人のエロさを追求するなら、せめて高校生体型になってからにしろ」

「うるさいっ」

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