ウルトラマリンブルーの森の中に迷いこむ

 食事がおわると、早々に店をでた。

 ウタの様子がおかしかったからだ。

 どこか、目がうつろだ。

 ワインを2杯飲んだだけだというのに、酔っぱらったとでもいうのか。


「おい、大丈夫か」

「え? うん。だいじょうぶ」


 若干、ろれつが回っていない。

 なんともない、というような顔をしているが、顔が赤い。

 もともと白いせいか、じんわりと赤みをおびた顔色は新鮮だった。


「帰ろう」


 しずかな微笑みは、やはりウタのものだった。

 そしてそのことばは深く、深く胸にやさしく染みわたった。


 家についても、まだ帰ってきていないのか、電気はついていない。


「まだ帰ってきてねぇみたいだな」

「うん」


 リビングに入ったとたん、ウタはソファにぐずぐずと座りこんだ。


「だ、大丈夫か、ウタ」

「へいき……けど、ねむい……」

「そんなとこで寝るな。自分の部屋、あるだろ」

「ん」


 うなずいたが、ソファに寝転んでしまった。すすめたのは勇魚自身なので、文句も言えない。

 ガラスのコップにミネラルウォーターをいれて、ソファに寝転んだウタに差し出す。

 絵具がついた、白い手でそれを素直に受け取った。


 首筋がすこし、赤い。

 あつい吐息がここまで届く気がした。

 くちびるがぬれている。ぞくぞくと背筋がわななく。


「……いさな」


 にじむような声。ぬれた目。

 ソファの背もたれに手をついて、そのうすく開いたくちびるに、そっとくちづける。


「ん……」


 いざなわれるように。

 勇魚の舌がウタの舌と絡まる。

 差し出された舌は、ひどく熱かった。体温は、こんなにも冷たいのに。

 粘着質な音。

 唾液と唾液が絡まる音が、脳にしびれるように届く。


「は」


 苦しげに眉をよせたウタのくちびるから、顔をはなす。

 ふつりとつながっていた唾液がきれる。


 ウタはかすかに赤くなった顔で、「このつづきは、またね」と艶めいた笑みをつくった。

 ただ頷くのに精いっぱいだった勇魚は、ソファから立ち上がったウタの後ろ姿を見つめた。




 次にウタに会ったのは、次の日の朝。

 そして、のぞみと和希、蛍に会ったのも、次の日だった。

 勇魚はだいぶ早くに眠ったからだろうか。


「おはよう。勇魚。昨日はずいぶん早く眠ったのね」

「……まぁな」


 顔を洗ったが、なんとなくぼうっとする。昨日の、酔ったウタの顔が忘れられない。

 そして、クリスマスイヴの日を待ち焦がれる。

 けれど、どこかで不安もあった。

 ウタは本当に受け入れてくれるのだろうか。

 勇魚を。勇魚のこころを。


「今日はフラワーアレンジメントの教室があるから、公民館行ってくるわね。蛍をお願い」

「あー」


 蛍と和希は、ソファにすわって絵本を見ている。

 和希が絵本を読んであげているようだ。


 ウタはもう朝食をとって、自室にいるようだった。勇魚も朝食をとるためにひとり、椅子にすわる。


 のぞみは教室にいくために、準備をして玄関に行ってしまった。


 2枚のトーストをかじると、和希が顔をあげる。


「勇魚くん」

「勇魚、でいいよ。父さん」

「……ありがとう。勇魚」


 和希はどこか照れたように笑った。


「ウタと仲良くしてくれて、ありがとうな。ウタは、あの通り……絵しか興味がなかった」

「そうでもないよ」

「うん。この前まではね。でも、勇魚が教えてくれた。世界は絵だけじゃないって、ね。ウタが言っていたよ。ほんとうに、うれしかったって」

「ウタが?」

「そう、あのウタが。俺も驚いたよ。絵にしか執着しなかったのにな」

「ねえ、おとうさん! 続き読んでー!」


 和希はほほえんで、絵本に視線を落とした。


「……ウタ」


 誰にも聞こえないほどの声で呟いて、トーストにかじりつく。

 目玉焼きも、よく噛まないで飲みこむように食べ終えた。

 今、一緒に住んでいるはずのウタに無性に会いたくなった。


 いそいで歯を磨いて、二階にあるウタの部屋の前に立つ。


 いとおしい、とおもう。

 かなしいほどに、痛むほどに、いとおしい。


 ふるえる手でノックする。

 すぐに返事があった。そのままドアノブを引いて、中に入る。

 油絵具のにおい。ウタの、においだ。


「どうしたの? 勇魚」


 後ろ手でドアをしめる。

 不思議そうに首をかたむけているウタを思い切り抱きしめる。


「わっ」

「ウタ」


 耳元で、ささやく。びくり、とウタの肩がふるえた。

 それさえ、いとおしい。


「俺も、うれしいよ」

「え?」

「俺も、おまえと会えてよかった」


 背中に、おそるおそるウタの手がまわされる。その手は、やはり冷たかった。服越しでもわかる。

 それでも、とても安心する。

 つめたい体温なのに、どこかあたたかい。


 ゆっくりと、名残惜しそうに体をはなす。

 ウタは目をふせ、やがて覚悟したように顔をあげた。


 つめたい手が勇魚のほおを、すっとすべる。

 それだけで、体の芯がしびれるような感覚をおぼえた。

 そのままくちびるにくちづけられる。


「……ふ」


 くちびるを放して、そっと息をつく。

 十秒くらいが、もう何分もキスをしていた気分になった。


 ウタからキスをされるのは、初めてだ。


「僕のほうが、年上だから。ほんとうは、僕からしたかったんだよ」

「と、年上だから先、っていうわけでもないだろ……」

「そう、なの?」


 ものすごく、今、はずかしい。

 昨日のキスを思い出す。舌が絡み合ったキスでさえ、それほどはずかしいと思わなかったのに。


「勇魚、顔赤いよ」

「な、なんでもない! じゃ、俺自分の部屋戻るから!」


 いたたまれなくなって、急いで自室にもどった。

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