『中国の古典 老子・荘子』

野村のむら茂夫しげお

『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 老子ろうし荘子そうじ

角川ソフィア文庫 2015年7月25日21版発行


「今日は何か、薄い本だな」

 会社の昼休み、厚さ1cmの文庫本を開いていた私に、先輩が声をかけてきた。

「何の本だ?」

「『老子・荘子そうじ』です」

「……中国の、昔の思想家だっけ?」

「はい。本文中のルビはソウシですが、本の題ではソウジなんですよ。謎だわー」

 この本を買うに至った経緯を、先輩に語る。

「理想郷、の意味の〝無何有郷むかゆうきょう〟という言葉を最近知りまして。出典が『荘子』で、ネット上に原文も書き下しも日本語訳も全部あるんですが、そこだけ読んでも何が言いたいのかサッパリわからん。これはもう、思想の背景から勉強しなきゃ、と。

 あ、買う前に目次で確認済みですが、コレには〝無何有郷〟の説明は載ってません」

「主目的が載ってなくていいのか?」

「……ぶっちゃけ、近所の書店に『荘子』を扱った本はコレしかなかった。本音は『老子』いらん、『荘子』だけでいいと思ってた」

「田舎の書店だからなぁ」

「でも、読んでみたら大当たりでしたよコレ」

 本を開き、先輩に中を見せながら説明する。

「前半が『老子』で後半が『荘子』なんですが、書き下し文、現代語訳、説明、漢文の順で載ってます。『老子』は全体の半分、『荘子』は十分の一程度の文章が紹介されているそうです」

「うー、漢文の授業みたいだな……」

「そうでもないですよ。私、〈馬車を走らせるドライブ〉って現代語訳読んで噴きました」

「……ドライブ?」

 首をひねる先輩。

「馬車……納得できるような、できないような……」

「今のは『老子』の第十二章、〈馳騁ちてい畋猟でんりょうは人の心をして発狂せしめ、〉の〈馳騁〉って部分ですが。

 他にも、『荘子』の逍遥しょうようゆう編で、〈莽蒼もうそうく者は、〉を〈莽蒼まちはずれへピクニックに行く〉と訳してあったりして、予想外のところで変に現代的で楽しいです」

「お前の褒めポイントはよくわからん」

 先輩が同意してくれないのはいつものことなので、話を続ける。

「老荘、って一口で言われがちですが、続けて読むと違うもんですね。

 『老子』の中には、固有名詞が一切出てこないそうです。だから、老子本人がいつどこで何をしていた人か、『老子』自体を読んでも全くわからない。格言みたいな文章で、主張がストレートです。

 メインは〈無為むい自然しぜん〉、人間生まれたときが一番素朴で理想的な状態なんだから、知恵や道徳を身につけるような不自然なことはするな、って感じですかね。一歩間違うと、『じゃ、勉強しなくていいんだー』ってサボりの口実に使われそうですが」

「テスト前に教えちゃダメな思想だな」

「一方『荘子』は、荘子本人が恵子けいしって人と問答してたり、実在の国に招聘されて蹴ったりしてます。主張を述べるために、やたらスケールのデカい喩え話が持ち出されるんですが、逍遥遊編の冒頭の文章が、音読したいくらいカッコいい」


北冥ほくめいうおり、こんす。こんおおいさ、幾千里いくせんりなるかをらざるなり。してとりる、ほうす。ほう幾千里いくせんりなるかをらざるなり。ふるいてぶや、つばさ垂天すいてんくものごとし。〉


「何かすげー」

「でしょ? 巨大な魚が、鳥に変身して飛ぶんです。これは『荘子』全体でも最初の文章なんですが、他にも渾沌こんとんの死とか胡蝶こちょうの夢とか、いろんな喩えが出ます。あくまで、何かを説明するために荘子が作った話で、中国の人が昔から信じている神話とかとは違うんでしょうけど、凄く面白いです。

 荘子のメインは〈万物ばんぶつ斉同せいどう〉、全ての物の価値は同じ。なので、生も死も同等です。荘子の奥さんが亡くなったとき、恵子が弔問に行くと、荘子ははちを叩いて歌っていました。恵子が、泣かないのはまだしも歌うのは酷いだろ、と咎めると、荘子は答えます。本来は生命がなく、変化して生命を持ち、また変化して死に帰る、その繰り返しは四季のようなもの」


〈私がギャーギャーと、女房の後を追って泣きわめけば、われながら運命というものを悟っていないことになる。〉


「でも別に、歌わんでも……」

「恵子は『荘子』によく登場する論敵で、お前の言うことはデカイばかりで役に立たん、的なことを荘子に言います。で荘子が、お前は大きい物の使い方を知らん、と反論。りょうという国の宰相になった恵子を荘子が訪ねると、恵子は、こいつ俺の地位を奪う気なんじゃないか、と疑う。荘子は、宰相なんぞに興味ねぇ、と言い返す」

「意訳し過ぎだ」

「でも、恵子の死後に、荘子が言うんですよ」


〈この先生が死んでから、私には、相手となる人がいなくなった。私にはもはや、語り合える相手がいないのだ〉


「奥さん死んだときに歌ってた人がですよ? ツンデレだったのか荘子」

「それちょっと違う」

「私、ここ読んだとき思いましたね。『荘子』の、恵子登場シーンを全部抜き出して、つなげて超訳したら、荘子と恵子の〝薄い本〟作れるんじゃないかって」

「どこに需要があるんだそれ」

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