第50話 【二度目の夏を迎えて -5-】

 海鳴を八束の家まで送るため、さっきまでバイクで通っていた道を引き返すことになった。

 夜道を歩いていると隣を歩く海鳴が氷峰の左腕に近づいて彼の服の匂いを嗅いだ。


「な、なんだよいきなり……」


 まるで犬みたいに――と本人の前では絶対口にしないでおこう。


「いやこの酒の匂いどっかで嗅いだことあると思ってさぁ……」

「は? 八束と飲んだことはねーぞ?」

「あっそう……」


 海鳴に余計な詮索をされるのは御免だ。歩くペースを早めてさっさと八束の家へ向かおう。誰もいない静まり返った公園を通り過ぎ、角を曲がれば八束の住んでいるアパートがある。しばらく黙って歩いていると海鳴は「あ!」っとなにかを思い出したかのように声を上げた。氷峰は足を止め、声を上げずに驚いた。海鳴が心臓が飛び出すぐらいの大きな声を出しているにも関わらず、冷静になっていた。呆れた顔をして海鳴の水を差す態度に応えていた。


「こ、今度はなんだよ……」

「この酒の匂い、陵さんが今日研究室で飲んでた匂いと一緒だ……」

「あっそう……」


 ――てことは……。


 海鳴の呟いた一言は実の父親を知るヒントになったかもしれない。ふと幼い頃に見た父親の面影――誰かと呑んでいたのだろう。その誰かの正体の一人が陵莞爾であったという事実。彼は駈瑠に対する恨みを晴らしたかったから子を呪ったとでも言いたかったのだろうか。気難しく考えるのは得意じゃない。

 海鳴が自分の酒の香りに気づいたところで、今は蔀と八束の間を取り持って貰いたいと願っているんだ。今目の前にいるこの難癖のある純粋なクローンの存在にな。


「そういや、八束も酒飲むのか?」

「あー、ビールは不味いとか言ってた。てか俺の前でお酒飲んでるところ見てないね」

「へえ、そうなんだ。あいつ酒飲んだら強いのかな……」

「どうだがねー。俺は水以外飲めないから、間違えて渡されて飲んだら身体おかしくなっちゃうよ」


 海鳴はそう言いながら苦笑いをする。

 ふたりは八束の家に着いた。海鳴はなんの迷いもなくインターホンを鳴らした。

 こんな真夜中にインターホンを鳴らすのは海鳴ぐらいか?


「勝手に入りゃいいじゃん」

「蔀だと思って驚かせてやりたいの」

「は? なんで蔀?」


 氷峰は目を丸くした。蔀が八束の家を訪れたことがあったのか、と。何故、海鳴がこんな行動をとるのか状況が飛躍しすぎてて頭の回転が追いつかない。海鳴は氷峰が八束にメールをしたことを一切知らないはずなのに。海鳴のいないところで話は進んでいたのに気持ちが通じるなんて思いもしない。氷峰は蔀に「八束に会う」と一言も話さなかったのに。


 ――本物のクローン怖ぇ……。


 玄関の戸が勢いよくバタンと開く。海鳴はドアにぶつからずさらりとかわした。


「おい! 兄貴こんな時間に――って海鳴!?」

「ふふふ……先客先客♪」


 海鳴は楽しげにドアで隠れていた氷峰を指差す。


「!? ミネ、お前……なん……で――」


 元彼の息の詰まった声に、返す言葉なんて今はもうなにもない。


「あー余計な話はすんな。俺はもうここで帰るから。じゃーな」


 氷峰は逃げるように海鳴と八束の元を足早に去った。

 海鳴は氷峰を引き止めなかった。その理由を考えたらキリがない。


 ――こんな頭が痒くなるような展開、誰が望んでるんだよ。俺自身か?


 氷峰は海鳴の行動に寒気を感じながら、亜結樹の待つ自分の家へと帰っていった。


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