第6話

 屋敷に入った三人は、ロビーを抜けた先の廊下からすぐ右の通路にある大きな扉のある部屋の前まで来ていた。

 扉には他の部屋よりも格段に良い材質が使われ、それに大量の色鮮やかな宝石が施されている。全体的に質素な感じの家の中で唯一絢爛に飾り立てられたこの部屋はかなり浮いて見えた。しかし、その飾り方もまた成金趣味のようでは無く、見るものの心を浮き立たせるような美しさと華やかさに満ちている。

「部屋の位置関係、そしてこの飾りつけからして、目上の相手専用の応接間ってとこか?」

「はい。お早めに休まれたいのは重々承知なのですが、事の次第を確認できなければ、こちらとしても貴方をこの屋敷で引き取らせてもらう事は出来ませんので、少々お時間を頂きます」

「じい、今からじゃなくてもいいじゃん………」

 フィニアは眠そうに目を擦り、大きな口で欠伸をする。騒ぎに騒いで疲れたらしく、次から次へと言葉が飛び出るガトリングの様なその口も、今は当社比〇.五倍以下の頻度でしか開かない。

 一方の龍人は全く眠そうな素振を見せず、フードの下から当社比二倍の生き生きした目を扉へ向けていた。

「お嬢様も眠そうですし、先に部屋の方へ入っていてください。私は飲み物を用意しますので」

 執事はフィニアの様子を一瞥すると絢爛な扉を押し開ける。

 やがて見える中の様子は、龍人の予想よりもずっと素晴らしかった。そこに一つの家が建つのではないかと思わせる広さに、庶民の龍人には一生お目にかかれないような華美な調度品が置かれている。部屋の中央にはガラスのテーブルが置かれていて、それを囲むように高級そうなソファが四方を固めている。そしてここの部屋もやはり、全体に調和が取れるよう工夫を凝らしてあるのが伝わってきた。

 龍人はフカフカのソファーに腰かけながら物珍しそうに周りを見渡す。だが、そんな様子など見慣れているフィニアは、勝手に暖炉の傍へ行くと、置いてあった安楽椅子へ勝手に腰を下ろしてうつらうつらし始めた。

 ――――余りにも自然に起こったので見逃したが、薪はフィニアが近づくと勝手に激しい炎を上げた。

 魔法が日常に組み込まれた世界では当たり前の事なのかもしれないが、こんな光景はアニメの中でしか見たことのない龍人からしてみれば、一々目から鱗が出る思いだ。

「ホントに不思議なもんだ。魔術なんて夢の中でしかありえないと思ってたのに、こうやって見せつけられると受け入れるしかないよな………」

 龍人はごうと燃え盛る炎をじっと見つめる。火は人に安心感を与える。それは例え魔術の様な理解の及ばぬ不可思議な現象だとしても変わらぬらしい。

 龍人は炎が作り出す暖かな空間に、しばしボーっとしていた。

「しっかし、この家の設計をした人はホントに良いセンスしてんな。ちょっと顔を見てみたくなったぜ」

「――――屋敷の設計者は先々代の当主であるレグリウス様です。彼は芸術に長け様々な絵画、彫刻を手掛けていました。彼は亡くなっていますが、この屋敷の中にも彼の作品は幾つか設置されていますので良ければ見て行っても宜しいですよ」

 龍人が溜息交じりに呟くと、執事が湯気の立ち昇るポットを乗せたプレートを持って部屋へ入って来た。

 そして健やかに寝息を立てるフィニアをチラ見すると少しだけ頬を緩ませる。そして彼女の安全を確認すると龍人の向かいへ座った。続いて恭しくカップを龍人の前に置く。その時カップの持ち手が右側に来るようにするのを忘れない。

 龍人は軽く頭を下げた後、カップを持ち上げながら、

「どうする? 俺の立場を証明してくれるお嬢は寝ちまったが」

「いえ、お嬢様があれだけ無防備に寝ておられるという事は、無自覚にもあなたを信頼しているという事でしょう。あなたが私たちに悪さをする者で無い事は分かりました」

「おいおい、そんなんでいいのか? 俺がお嬢に裏の顔を見せているという事だってあろうに」

「それはあなたの様子を見ていれば分かる事です。あなたは何だかんだで私よりもお嬢様の事を気遣っておられます。人を長い事見てきた私には良く分かりますよ」

「――――まぁ、変に疑われるよりかはいいか。それで、何を聞きたいんだ」

 龍人はカップに入っていた液体を一口含み、ゆっくりと味わう。すると、何かに驚いたかのように少しだけ目を見開いた。それは





 それは、注意して見なければ見逃してしまう程小さな変化だったが、それを見逃さなかった執事は、すぐに龍人へ問う。

「お口に合わなかったでしょうか? これでも淹れ方は心得ていると思っていたのですが」

「これは紅茶か? まさかとは思ったがこんなところで飲めるとは思わなかったな……」

 龍人はカップの中で渦巻く紅茶を凝視して驚きを見せる。執事は動揺を隠せない彼の姿をとても気がかりに思った。

 数十分の間龍人の様子を観察していた執事は、彼が見せている表情が全てフェイクであることを分かっていた。ただし、龍人は演じている事を意識的に周りに認識させ、自分が敵だという誤解を生まないようアピールしている節がある。だからこそ執事は彼のポーカーフェイスに気づけたのだ。

 執事はそんな演者な龍人がここまで素で驚いている姿はかなり珍しいのではないかと考えた。

「その通りでございます。この飲み物は古今東西で飲まれていると思われますが、馴染みのない土地の生まれだったでしょうか?」

「いいや、俺の国でも紅茶ごく一般的に飲まれてたさ――――。さて、何処から話せばいいものか………」


 龍人はこれまでの事を一から話した。

 自分がフィニアの魔術によってこの場所へ来たこと、半壊した術式のせいでフィニアに強制隷属されている事、これからどう生きるのかは特に決めていない事、後は少々の身の上話もしておいた。

 執事は姿勢よく話を聞いていたが、一段落すると大きく頷いた。

「これはまた稀有な運命に巻き込まれてしまったものですな。何の予兆も無しに異邦の地へと飛ばされては、さぞ戸惑う事でしょう」

「ハッ。退屈に人生を過ごすよりは、こういう刺激があった方が随分楽しいと思うぜ? それに俺はこの世界に運命なんて都合の良いもの無いと豪語するからな。有るのは必然を積み重ねた結果だけだ」

 龍人は乾いた笑いを飛ばす。一瞬だけその目元に影が差したように見えた、すぐに一転して晴れた表情へと変わる。

「付け加えると俺はこの世界をいたく気に入っている。――――心残りが無いわけではないが、あんな塵みたいな世界に戻る気は微塵も起きないね」

 執事は思う。

 今頃常人なら途方に暮れて道端で草でも食べようかと心配だろうに、この少年ときたらそんな様子を微塵も見せず、むしろこの非日常をを楽しんでさえいる。命を何度も狙われるという危険な現状を呵々と笑い飛ばすその図太い神経に、執事は感心するばかりだった。

「それは安心しました。私は最初龍人様を見た時、『仕事人』の武器を持った者がお嬢様を捕えるなどという事に冷汗を隠し切れませんでした、しかしひっくり返してみれば全て杞憂で良かったですよ」

「仕事人?  ――――あぁ、キルアの事か。思えばアイツと会ったのを皮切りにして真剣を何度も向けられてんな………今度会ったらただじゃおかねぇ」

「………しかしそのキルアは龍人様が殺されたはずでは? 魂喰蛇ソウルイーターはその戦利品なのでしょう?」

「――――だといいんだがな………」

 今テーブルの上には二つの武器が置かれている。

 一つは魂喰蛇ソウルイーター。もう一つはキルアが最後に龍人を撃った隠し銃である。

 執事から聞いた話によると、キルアはこれらの武器を使って超人的な功績を打ち立てた、この世界の傭兵らしい。

 受ける仕事は、戦争地帯への出兵から個人の抹殺まで様々。公に出る仕事にんむもあれば、機密に扱われる仕事あんさつもあるらしい。たった一人だけで一国の軍隊を殲滅するなど、表に出ている結果だけでも人間の業を軽くオーバーしている。そんな超人じみた彼に、目を付けられた事自体が誇れることなのかもしれない。

 執事は魂喰蛇ソウルイーターに浮かぶ蛇を睨みつけながら、

「そもそも何故あんな大物がただの人間であるあなたを殺しにかかったのでしょうな。そもそも異世界へ転移する術式でさえ存在が確認されてないはずですし………」

「異世界まで出張してまで俺を殺す理由か――――そういえばキルアは俺の事何とかって言ってたな。たしか………、纏翳の悪魔ディープシャドウだったか?」

「纏翳の悪魔ディープシャドウですか………」

「心当たりが有りそうな言い方だな。情報は多い方がいい。何でもいいから話してくれ」

 執事は歯切れ悪く言葉を濁す。龍人はそれが逆に気になり、身を乗り出すようにして問いかける。

 執事は、あまり乗り気では無いようだったが、龍人の期待の表情を見ると言葉を選んで話し始めた。

「纏翳の悪魔ディープシャドウとは、この世界の闇の闇、純粋なる闇のみしか存在しない翳から発生した最上級の悪魔です。常に陰の気を纏い行動し、周りにいる者は皆、暗い闇い影の中に居るような感覚に陥ることからこのような名前が付いたようですな。彼は他の悪魔とは一線を画す超高度な魔術を扱い、天使長ミカエルとでさえ互角に戦えると言われています」

「なるほどな………。俺は魔術とか何だか良く分からんが、とんでもなく凄いって事だけは理解できた。だけど、俺がそんな超大物だったらキルアぐらいじゃ相手にならん気もするな」

「そのとおりです。噂通りなら奴は魔術を扱うというより、その存在が魔術の域に達していますから」

 大した魔術の知識を持ち合わせていない龍人は、人間がコンピューターで計算をするのと、人工知能が処理するのとでは、効率が格段に違う事に置き換えて納得する。

「しかし、それも噂に過ぎないのですがね。昔から話だけは有ったのですが、奴の存在を裏付ける証拠は何一つ無いのです。ただし、その噂を聞いた者が、皆その存在を恐れられたために、大衆には忌み嫌われる存在として定着しているのです」

 執事はここまで言うと、話は終わりとばかりに話題を変える。

「ところで、龍人様のこれからの事について提案があるのですが………」

「流石に居候って訳には行かないか。まあ、俺も異世界にまで来てニートやる気にはならないが。俺がこの世界で生きる上での問題としては、俺のこの世界に関しての知識がほぼゼロだって事が一つ」

「そして、龍人様はお嬢様から遠く離れる事が出来ませんので、必然的に常にお嬢様の近くに居る事の出来る立場が必要となります」

 龍人はそれを聞いてげんなりする。都合の良い立場を見つけるのに苦労しているというより、一日中フィニアの相手をしなければならないという事の方を懸念しているらしい。もし、ツヴァイのように執事になってフィニアへと使えなければならなくなったらどうしようかと、龍人は身を震わせる。

 ――――が、執事が口にしたのは全く予想外の役職だった。

「私の方で貴方にやってもらいたい事が一つだけあるのです。それは――――ボディーガードです」

「ほう………。これはまた何で?」

 龍人はホッとした半面、訝しげな表情を見せる。

「お嬢を守るのはお前の役割だろ。余程の奴じゃない限りお前だけで事足りるだろうし、なんで今更」

「確かに大抵の相手ならば私一人だけでも十分でしょう。しかし、実際私は先ほど龍人様に敗北しています。いつ何時私を超える敵が現れないとも限らないでしょう。――――それに加え、龍人様には他人を理解し、本当の意味で慮る事が出来るお方だと思います。龍人様ならば、私の様な未熟者よりもフィニア様確実に守る事が出来るでしょう」

 執事は拳を胸に語る。

 龍人は、執事の真意の真意を計るように顎をさする。一見してみれば、この提案は龍人にとって何らデメリットの無い良い提案だ。忌憚なく、かつ対等な立場で行なえる仕事ならば、そこらのブラック企業よりもずっといい待遇を受けていると思う。

 ただ、龍人にはこの仕事を執事が提案してくる理由が解せなかった。さっきの話を聞いている限りでは、まるで執事だけでは対応しきれない何かが、すぐにでも迫ってきているように聞こえる。

 龍人は、繁々と考えた後、乗ってみるのも一興かと、用件を呑むことにした。

「一つだけ言っとくが、俺はどんな奴でも救いたがるヒーロー気質とかじゃねぇんだ。今俺は、純粋にお嬢に対して興味を持っている。もしそれがつまらないものだったとしたら、俺は敵前逃亡だって厭わないぜ? それでいいならやってやろう」

「承諾しました。この件に関しては龍人様に一任させていただきましょう。それと、お嬢様に対して、変に畏まる必要はありません。どうぞ歳の近い友達として接してくださいませ」

 執事と龍人は契約の印の代わりに握手で締める。龍人はその間、執事の心を探るように目を覗いていた。それは執事も同じであり、それは初老とは思えない鋭い眼差しで、龍人の中身を抉り取ろうとするかのようであった。

 長い握手の後二人が手を放すと、龍人は気が抜けたように、

「夜も遅いし今日のところはお開きにするか。お嬢が風邪ひいちゃ悪いしな」

「そうですね。明日はまた説明しなくてはならない事が多いですから早く休まれてください。当主には私の方から言っておきますので」

 執事はカップをプレートに戻すと、すっかり寝てしまったフィニアへ毛布を掛け、優しくお姫様抱っこをする。フィニアはモゾリと動いたが起きる気配はない。もしかしたら彼女は、森の道の往復で、外から見える以上に疲弊していたのかもしれない。長く艶やかな髪の毛が、清流の如く流れている。龍人は、美しいその様子に、無意識に目を奪われてしまった。

 龍人は微笑ましい二人から、相反する暗さに満ちた窓の外へと目を逸らす。

 初めて過ごす異世界の夜には、冷たさすら感じさせる青い満月が、皓々と懸かっている。夜空に浮かぶ無数の綺羅星は、コンクリートジャングルに居ては見る事の出来ない芸術を作り出していた。

 だが荘厳さを漂わせるこの世界の空は、都会のネオンの様な喧しさが無い反面、美しいくはあるが、より孤独だ。ただ一つの薄い窓を介しただけなのに、内と外では明らかなる温度差が目に見えた。

 何処までも連なる藍に吸い込まれそうな気がして、龍人は少しの郷愁と共に目を背けた。

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