第3話

 短い回想から戻ってみるともう地面はすぐそこにまで迫っていた。

 ざっと二千メートル程下に見える落下地点は、街からは離れた深い森の中心部に位置する場所らしい。柔らかな光が差し込む街の様子に比べ、雑木林は随分と陰鬱な雰囲気を纏っている。少しだけ開けた木々の隙間から、様々な色の線が見え隠れしているのが微かに見えた。

 秒数を重ねるごとに森全体の色彩は深みを増し、線が形作るものの全貌も見えてくる。

(ありゃ――――魔法円か………?)

 アニメやゲームでよく見るデザインとは違い、幾つもの線が幾何学的に重なり合い、一つとして似通った空白は見当たらない。その中でも枠を象る円だけは完全無欠の正確さを誇っており、原初の魔法円の名残を残している。それが典型的でない形だからか、ただ単に異質な物だからか、その存在にはとてつもない違和感があった。

 魔法円の上空では妖しい光が幾つも揺蕩たゆたい、それら全てが中心にいる襤褸のローブを纏った魔法使いのもとへと収束していた。極彩色の珠が幾つも空を舞う様は実に見物だったが、状況が状況だけにそれらを楽しむ余裕は全く無い。

 もう直前まで迫った絶望の結果に、龍人は半ば気を失うように目を閉じた。


 …………………………。


 ――――が、予想していたような衝撃は訪れない。

 それどころか、呼吸すらままならなかった落下の速度が嘘のように落ちていくのを感じた。それはあたかも空気が意志をもって自分を抱きかかえているかのようである。

 恐る恐る目開けてみると、上空五十メートル程に自分が不自然に事が分かった。地面が近くなり、より現実味が増したお陰か、寧ろ死が如実に感じられる。例えるならば、RPGを片手に持った人間型金属兵器が目の前に立っているよりも、致命的点数のテストを親に見せる方が心臓に悪いという事だ。

「やれやれ、死への直行便はギリギリキャンセル出来たか………」

 人生最大の絶望と人生最高の安堵を繰り返したお陰か動悸どうきは高く鳴り響き、眩暈に視界が揺らいで見える。戦闘の疲れも未だ残り、肉体的にも、精神的にもクタクタだった。

 その間にも龍人は〝力〟に支えられゆーっくりと降下を続け――――――――


 何の前触れも無く落下した。


 龍人は声を上げる間もなく、スピードに乗って地面へ、否、真下に居た使へ激突する。間も無くして舞い上がった砂埃の中に二人は巻き込まれた。

「――――っつぁ! 人の命が掛かってるってのに何途中で投げ出してくれてんだよ! やるなら最後まできちんとやれっての、マジで死ぬかと思ったぜ………」

 うつ伏せに倒れた体が打撲に痛むが、どうやら重傷は負っていないようだ。落下点に居た魔法使いがクッション代わりになってくれたらしい。

 龍人は立ち上がろうと不明瞭な視界の中を、手探りで地面に手をつく――――が、

 掌に感じたのは固い地面とは明らかに違う柔らかな感触。不安定な〝何か〟に手をついたことで、体のバランスが崩れ、何とも表現しがたい感触と共に、両手は更に深くへと押し付けられた。

「――――………ん?」

「――――………ひゃぁ!?」

 聞こえてきた嬌声に顔を下げると………

 鼻と鼻が触れ合う程の距離に魔法使いが倒れていた。深く被ったフードの下から顔が真っ赤に染まっているのが確認できる。矮躯は頭から足の先までわなわなと震え、酸欠の金魚のように口をパクパクしている。

 薄れ始めた砂埃の中で、両者はたっぷり五秒見つめあった。

 ――――そして、

「――――は………」

「は?」

 絞り出すように出された一文字だったが、残念なことに意味は成していない。

 魔法使いは取り乱した顔で深く息を吸うと、

「――――離れなさい! この変態が!」

 大音量の叫び声をあげて、思いっきり龍人を突き飛ばす。

 そしてあろうことか、腰に差してあった儀式用と思わしきダガーを抜いて振り回し始めた。

「ってアブねぇ!? おち、おち、落ち着けって! 殺す気かおい!」

「避けてなんかいないで潔く死になさいよ!」

「待てって! 何でプロローグそうそう二回も死にかけなけりゃならないんだよ!」

 龍人は何とか彼女を落ち着かせようとするが、全く収まる気配はない。

 彼女のナイフ捌きは構えも狙いもあったものではないため、避けること自体は簡単だが、その刃が彼女自身に刺さらないか心配である。しかし、半狂乱に陥った彼女の勢いはちょっとやそっとでは止まりそうにない。

 このままでは危険だと判断した龍人は、行動を起こそうと手刀を密かに握る。


――――グサッ


 ――――しかし、龍人が手刀を下ろす前に、彼女の目の前五センチに抜き身の刀が突き刺さり、暴れし魔法使いは凍り付いて止まった。





「いくら刃が抜いてあるとは言っても、普通そうやって刃物ブンブン振り回すかよ………」

「それを言うなら喚起そうそう主に手を出すアンタだってどうなのよ!」

 ようやく落ち着きを取り戻した森の中で二人はくだらない言い争いを始めていた。

 龍人としては、二度の死線の後、更に疲れを誘うような口論はしたく無かったが、どうもこの魔法使い改め魔法少女は話し出すと、口がなかなか止まらないらしい。

「そんなこと言ったら高さ五メートルから直で落とされた俺はどうなるんだよ。大体お前が俺の事を丁重扱ってくれれば事故だって起きなかったろ?」

「そんいう言い訳ばっか言ってるうちに一つの謝罪ぐらいしたらどう?」

 少女は未だ赤みの差す頬をフグのように膨らませる。本人は本気で怒っているらしいが、威圧は全く感じられず、それを自覚しての事か更に必死になっているのがまた可笑しい。

 龍人は鬱陶し気に手をヒラヒラ振りつつ、

「はいはい、ごめんなさいでした。申し訳ありません。これでいいですか」

「って絶対謝る気ゼロでしょ!? むしろむかつくんだけど!」

「当り前だろ。わざと怒らせてるんだから」

「――――なっ!?」

 余りの怒りに頭を抱える少女を見て、龍人は初対面で彼女の扱い方が完璧に掴めた気がした。

 それにしてもこの少女、よく見ればそれなりに顔立ちが整っている。金がかったブロンドの髪の毛は軽くウェーブして肩口にかかっていて、大きな目は無垢に輝いていた。全体的にこじんまりとした体形は、可愛らしい小動物を思わせる。美しいというのは少し違うが、可愛らしいという言葉は良く当てはまっている。単純な性格も良く言えば素直であることの証拠だろう。

 襤褸の代わりにドレスを着せれば、良いとこのお嬢様に見えなくも無いかもしれない。

 少女は自分が観察されているのに気づき、

「なによ。これ以上私を揶揄おうって訳?」

「いいや別に………こうやってよく見てみるとなかなか可愛いなと思ってな」

「えっ!? い、いきなり何言いだすのかと思えば――――その………」

 龍との何気ない言葉に目は忙しなく動き、元々赤かった顔がますます赤くなる。龍人は自分で言っておきながら、こんな適当な言葉でここまでの効果をもたらすとは思わなかった。

 龍人はフードの奥に顔を隠してフッと呟く。

「――――ちょろいな………」

「き、聞こえてるからね! あんたさっきっから人の事見下し過ぎでしょ!」

「いや。別に見下している気は無いぜ? 顔的にも体格的にも性格的にもグッドポイントが多いのは事実だし――――。ただしそれは将来を見込んでの話だけどな」

 最後の一言は顔から少し視線を下げて言う。釣られて視線を追った少女は、数秒遅れて示唆を理解しまたもや爆発する。

「二度とその不愉快な視線を向けられないように目を潰してやろうか! もしかしてさっきから私を怒らすの楽しんだりしてるでしょ!?」

「おう。よく気付いたな」

「だぁぁぁああ!! どこまで人を馬鹿にする気!? もう少し主に対する敬意を払ってくれてもいいんじゃないの!?」

 完全に激怒した少女は、頬を限界まで膨らませる。フグのようだったその頬は、遂にそこから針まで飛び出て来そうにすら思わせる。二回目という事もあってか今度は理性で踏みとどまったらしく、刃物は抜かずに拳を丸めポカポカ殴ってきた。

 しかし、全く怒られている気がしないのだから面白い。

 と、龍人は数秒遅れてフィニアの言葉に違和感を覚えた。

「――――って待て。お前さっきなんつった?」

 罵声(笑)を適当にあしらっていた龍人だが、その中で一つ引っ掛かるものがあった。それも聞き捨てならないレベルでだ。

 少しだけ真剣みを増した声に、少女は不思議そうに首を傾げる。

「えぇっと――――、どこまで人を馬鹿にする気」

「そこじゃない」

「もう少し主に対する敬意を――――」

「そう。それだ。何時お前が俺の主になんてなった? 少なくとも俺はお前みたいな単純馬鹿を主と認めた覚えは無いぜ?」

「え、マジ?」

 口調はやんわりと、ただ威圧はしっかりと込めて問い質す。

 対しフィニアは、ただ想定外だといった様子でポカンとしている。もう少し待てばそこに虫がシュートしそうだ、という所で口を動かし始める。

「一言多いのは置いといて。そんなはずないよ。悪魔の喚起術式には失敗の痕跡は無いし、あんたがこうして無事にここに居る事が何よりもの証明じゃない」

「悪魔の喚起ねぇ………」

 フィニアが熱を帯びて証明しようとするが、龍人は未だ浮かない表情だ。

 二人の間に認識の違いがあるのか、まったく話が嚙み合ってこない。それぞれが前提としている事柄――――つまりは持ち合わせている情報が全然足りていないせいだろう。

 それならば少しずつ解決していこうと龍人は立ち上がり、人差し指を立てる。

「これから話すのはあくまで俺の世界での魔術の認識だから間違っていたら言ってくれ。まず手始めにこの魔法円が正しいのかどうかが甚だ疑問なんだが。最初に見た時なんか違和感あると思ったのよ。んで、落ち着いた今よく見てみて分かったんだけど――――、この魔法円、媒体の名前が無いだろ。」

 通常、高位で複雑な魔術を利用する場合に、媒体となる人間以外の生命体――――天使や悪魔などの力を借りる。そのためには、魔法円の外側にそれらの名前を書き連ねなければならないのだ。

 だが、この魔法円は内側の内容は複雑なのに、それらの名前が一つとして書かれていないのだ。これでは燃料の入っていないスーパーカーで走ろうとしている様なものである。

 それを聞いた少女は、真似して人差し指で龍人を指す。

「それは私も疑問に思ってたのよ。でも実際、喚起自体には成功してるんだから、この魔術には支障ないはずよ?」

 龍人はそれを聞いてしばらく考える素振を見せるが、少女の言っていることが間違いでは無い事を結論付けたのか一人頷く。

 続いて龍人は中指を立てた。

「じゃ二つ目。そもそも喚起魔術において魔法円というのは術者を保護するために張られる結界の一部だ。なら、〝何故俺は魔法円の中に喚起されたんだ?」

 喚起の対象にもよるが、一部の悪魔は人間という生物を嫌う傾向にある。様々なアクシデントにより術者が喚起された悪魔に食われるというのはさほど珍しい事でもない(悪魔の恐ろしさに失禁して、それを伝って食われた間抜けな者もいるらしい)。

 しかし、当の喚起対象が魔法円の内部に呼び出されてしまっては本末転倒もいい所である。

「で、でも! たぶんこの術式を書いた人は喚起対象が絶対安全だと理解してたんじゃない?」

「………ほう。つまりこの魔法円ないし、術式の詳しい内容をお前は知らなかったという事か?」

「そうだけど。それが大事なの?」

「――――ん、まあな」

 珍しく龍人は口を濁す。

 彼はやり取りに何か思う所があったのだろうが、少女は理由が分からず首を傾げている。

 龍人は暫くの逡巡の後、薬指を立てた。

「とりあえずそれは後でもいいか………それじゃ最後に三つ目。これが一番大事だ」

 この術式の決定的に間違っている部分。根本的に間違っている部分を龍人は指摘する。

「俺は悪魔の〝あ〟の字も無い、一般的な高校生でしか無いぜ?」

「――――………はい!?」

「さっきお前は、これが悪魔の喚起術式だ、みたいなこと言ってたよな? それなのに一介の一般人が喚起されるとか、まずその術式の元の元から間違ってる可能性があるのじゃないかと思うんだが?」

「ええっ――――うそでしょ………。この術式を知ってから発動にこぎつけるまで早二年。これまでの私の苦労は何だったんだろう………」

 目と口を開き絶句すると、萎れた野菜の様にへなへなと少女は倒れこんだ。

 事情は良く分からないが、この術式は相当の準備を経て完成させていたらしい。どん底に落ち込む少女を励まそうとしたが、そもそも自分は被害者であることを思い出し、肩を叩く手を止めておく。

「あのさ。未熟さ故の過ちに沈み込むのはいいんだけど、こんなところに呼び出された俺は、今後の生活がとっても心配なんですけどその辺はどうしてくれるおつもりで? あと、さっきから気になってたんだけど、そうやってアホみたいに口開けてると、虫入って苦い思いするぞ」

 龍人に図々しいとか、言わせる気はない。少女にどんな理由があろうと勝手に呼び出されて人違いでした、さようなら、で済まされるのはあまりに非常識である。この世界の法律がどのような物かは知らないが、訴えられても文句は言えないはずだ。

「その事なんだけど――――ちょっといい?」

 少女はゆっくりと立ち上がると、腕を伸ばして龍人のパーカーの左袖を捲った。

 すると、パーカーの袖に隠れて見えなかった二の腕に、奇妙な印が一周していた。紫色に彩られた印は、毒々しく肌に刻まれているが不思議と痛みは感じない。しかし、龍人は直感的にこれが自分を縛り付ける鎖だという事を理解した。

「やっぱり術式そのものは成功してるわけだからこっちもちゃんと発動してたのね………」

「何だこれ。ヤバいオーラ放ってるんだけど。人畜無害――――だよな?」

「無害っちゃ無害かな………」

「――――? もっとハッキリしろよ。これ何の術式なんだ?」

「ええと、その簡単に言うと――――」

 歯切れ悪くぼそぼそと喋っていた少女は、最後に意を決して口を開く。

「私への隷属術式だったり」

「――――はぁ?」

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