第8話 金髪の妖狐 桃源堂の趙香桃

 都内の大通りから脇道に入り、古書店の立ち並ぶ細い路地を十数メートルほど歩いた先に『桃源堂とうげんどう』という名の店が存在する。

 古い和風家屋であり、路地側に面した入口には大樹の切り株を輪切りにした木板が看板の役割を果たしていた。

 店の名が彫られた看板の下には暖簾のれんがかけられていて、横開きの扉の中まではよく見えない。

 大抵の人間は一見してこの店に足を踏み入れようとはしないであろう得体の知れない雰囲気を漂わせていた。


 その店の室内では一人の女性が窓から差し込む黄金色の朝日を浴びている。

 美しいその金色の髪が輝いていた。

 年齢は20代後半にも30代半ばにも見えるその女性の名はチョウ香桃シャンタオ

 妖魔の関わる問題を解決する仲介屋を営んでいるこの店の主である。


「妙な話だ」


 香桃シャンタオは目の前のパソコンの画面を見つめながらそう言った。

 画面にはつい今朝方、彼女宛てに送られてきたばかりの最新の情報が映し出されている。

 その情報の送り主は警視庁であり、内容は妖魔らの密入国についてだった。

 東南アジア方面を回って日本に寄港する貨物船に紛れ込み、日本国内へ密入国を果たそうとする妖魔の一団がいた。

 警察は事前にその情報をつかんでいたため、入港した際に密入国者を一斉逮捕しようと手ぐすね引いて待っていたのだ。

 だが、いざ船が入港して船内に踏み込んでみると、そこはもぬけのからだったという。

 妖魔らが乗り込んでいた形跡も残されておらず、一網打尽いちもうだじん目論もくろんだ警察の捜索はあえなく空振りに終わった。


 以前からこうした事件が続いていることは警察関係者に知人がいる香桃シャンタオの耳にも入っていたが、正式に彼女のもとに依頼が舞い込んできたのはこれが初めてのことだった。

 警視庁の中にも妖魔を取り締まる専門部署があり、彼らはその道のエキスパートである。


「私におはちが回ってくるとは、警察もいよいよごうを煮やしたようだね」


 そう言うと彼女は室内の応接スペースに置かれた革張りのソファーに気だるそうに腰をかけ、つい今しがた細かい振動を繰り返してメールの着信を知らせたケータイを手に取った。

 差出人が神凪かんなぎ響詩郎きょうしろうと表示されているそのメールの内容を香桃シャンタオは確認する。


【仲介いただいた案件を解決】


 それを見ると香桃シャンタオはわずかに微笑んだ。


「うまくやれてるじゃないか。響詩郎きょうしろう


 彼女には弟子にして養子ともいうべき人間の少年がいた。

 その名は神凪かんなぎ響詩郎きょうしろう

 響詩郎きょうしろうは人の身でありながら魔界生まれというめずらしい出自の持ち主だった。

 人間界で生まれ育つ妖魔がいるように、魔界で生まれ育つ人間もいる。

 響詩郎きょうしろうの両親はもともとそうした魔界育ちの人間であり、母の胎内に命を宿した響詩郎きょうしろうはその時すでに強い霊力を放っていたという。

 それは母親の心身にも変調を及ぼし、困り果てた父親が旧知の仲である香桃シャンタオに相談を寄せたのだ。

 それが香桃シャンタオ響詩郎きょうしろうの縁の始まりだった。


 彼女は魔界の優秀な産婆さんばを紹介し、その甲斐かいあって響詩郎きょうしろうは無事にこの世に生を受けた。

 だが、産声を上げる響詩郎きょうしろうは、すでにその身に異形いぎょう憑物つきものを宿らせていた。

 それが今、勘定丸かんじょうまると彼が呼ぶ憑物つきものだった。


 何故そのようなことになったのかは香桃シャンタオにも分からなかった。

 そしてそのような幼子おさなごであったにも関わらず強い霊力を持つ響詩郎きょうしろうは妖魔のえさとしては極上の存在であり、命を狙われることを心配した彼の両親は息子を魔界の成人年齢である15歳まで人間界で育ててほしいと香桃シャンタオに切願したのだった。


 香桃シャンタオはいくつかの条件と引き換えに彼を15歳まで手元で育てることを引き受けた。 

 条件のうちの一つは、霊能力を生かしたプロの《罪科換金士》として彼を育て、15歳を迎えた日に正式にプロとしてひとり立ちをさせることだった。

 そうすることで響詩郎きょうしろうが香桃の商売にも役に立つ存在になるからだ。

 ただし、その場合は命の保証はもちろんない。

 だが、結局のところ自分で身を守るすべを身につけなければ響詩郎きょうしろうはいくつになっても妖魔の類に狙われることに変わりはないのだ。


「この調子ならいよいよ本格的にA級の仕事を任せられそうだね」


 ボソッとそう言うと香桃シャンタオは手にしたケータイで一件のメールを送信し、それを無造作にソファーの上に置いた。

 彼女の仕事は持ち込まれた妖魔がらみの案件に対して最適な人材を送り込み、案件を解決して依頼主から報酬を受け取り、それを響詩郎きょうしろうのような下手人に分配する仲介業である。

 香桃シャンタオは再びパソコンに目を向けると、軽やかにキーを打ちながら今回の仲介先である響詩郎きょうしろうの個人口座に所定金額のオンライン送金を行った。


「本日の仕事終了」


 そう言って香桃シャンタオがパソコンを閉じていると、小学生くらいにしか見えない小さな女の子が急須きゅうすと湯飲みと茶菓子を乗せた盆を手に、店の奥から姿を見せた。


「桃先生。お疲れ様ネ」


 給仕をする少女の名はシエ・ルイラン。

 身長およそ140cmほどのその少女は、東南アジア系の浅黒い肌を持つ黒い瞳の少女だった。

 長めの黒髪は頭の上で団子状に結ってある。


「いいタイミングだね。少しはお茶出しの間ってもんが分かってきたみたいじゃないか」


 香桃シャンタオのお茶をれ終えるとルイランはニンマリと微笑んだ。

 だが、それを口にした香桃シャンタオは思わず顔をしかめる。

 ルイランの入れたお茶はひどく濃く、苦味ばかりが強調された残念なものだった。


「茶葉とお湯の量をよく考えな。こんなもん客に出したらいい笑いものだよ」


 香桃シャンタオにそう言われたが、ルイランは悪びれる様子も無くお盆を手にうなづいた。


「了解ネ。れ直してくるヨ」

「もうお茶はいいから、今夜配達する分の荷物のチェックしときな。いくら早く届けようが中身が間違っていたら何の意味もないんだからね」


 一見すると10歳ほどにしか見えない少女であったが、彼女の実年齢はすでに30を超えている。

 と言っても数百年の時を生きる妖魔の寿命を考えればルイランはまだ子供だった。

 見た目には普通の人間にしか見えないが、香桃シャンタオもルイランも人ならざる存在、妖魔だった。


「そういえばきょうサン。雷奈らいなサンとイチャイチャしてるか?」


 ルイランと響詩郎きょうしろうは以前からの顔馴染なじみであり、彼女は響詩郎きょうしろうを『きょうサン』と呼ぶ。

 出し抜けにそんなことを言うルイランに香桃シャンタオは眉を潜めた。


「うん? 霊力分与のことを言ってるのか? まあ今夜辺り、雷奈らいなの奴が霊底れいていを迎えるからな。ヤるだろうな」

「ヤる? イヒヒ。エロエロネ」


 白い歯を見せて嬉しそうに笑うルイランに香桃シャンタオは嘆息しながら肩をすくめた。


「その辺はあまり聞いてやるな。響詩郎きょうしろうの奴、平然とした顔で雷奈らいなと暮らしちゃいるが、今まで彼女の一人もいたことのない身だからな。内心穏やかじゃないだろうよ」

「欲望抑える大変ネ。据え膳食わぬ我慢大会ヨ」

「ま、それも修行のうちさ」


 そう言うと香桃シャンタオ雷奈らいな響詩郎きょうしろうと組むもう一つの理由を思い返した。

 雷奈らいなにとって響詩郎きょうしろうは必要不可欠なパートナーと言えた。

 それは悪路王あくろおうの使用料を稼いでくれるという理由だけではなく、もう一つ重要な意味合いがあるのだった。

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