第8話森での死闘


腹が減った。


逃亡の後、休息を取った剣斗がまず思ったことはそれだった。

食欲というものは人間の持つ三大欲求の中でも一際強いものである。

それが満たされなければ、生きることは難しい。

とりあえず、栄養となるものを腹に入れなければならない。

上手くいけば兎あたりを捕まえて捌けないだろうか。

捕まえられなくても最悪そこら辺の草でも食べて腹を満たそう。

そう思いいたり、ふらついた足取りで立ち上がった。そのまま、辺りを見渡しながら歩き始める。とりあえず、生き物の気配はしなかった。


そうなると矢張り草でも千切って食らうとするか………


そう考えた時、再びあの感覚が襲ってきた。それは、こちらを狙っていた、巨大な獣の視線が齎す悪寒だった。

つまり、あの赤い獣が近くにいるということだ。


「マジかよ…………」


唸り声が聞こえてくる。

獣臭さが辺りに充満し、肌がピリピリと痺れを纏っていく。

まだまだ体には疲れが残っており、満足に逃げ切れるか疑問だが、生きるためには無理をしてでも逃げ切るしかない。


先ほどの身体を包んだ感覚を思い出す。


あの時、自分のものとは思えないほど身体が軽かった。

それは恐らく剣斗に刻まれた刻印が原因だろう。アレが光ったと同時に起こった現象だ。ならば、あの時と同じような行動を取ればアレを発揮できるのだろうと考えた。


その状況を思い出そうとした時だ。


「そんな暇はないか……」

「ーーーーーーーー‼︎」


獣の咆哮がこだました。


「来やがったなイヌッコロ‼︎」


それは、歓喜とも言える叫び声だった。

獣が向かってくると共に、思考を中断した剣斗は走り出した。

もちろん、獣のいる方向とは全くの逆方向にである。

あの獣がいる限り、命の危機が常について回る。

ならば、アレをこの場で仕留めれば、肉も手に入り、命の危機も回避できる。

何も準備をせず休憩していたわけではないのだ。


ここからそこまで離れていない、木々の入り組んだ地点ならば、まだあの獣と戦う方法はある。

獣は、木々を薙ぎ倒しながら追いかけてくるが、その速度は初めて相対した時よりも低下している。

ならば話は簡単なことである。


だが、剣斗は走り続ける中で足がもつれ、盛大にすっ転んだ。慣れないことをして、身体がついて来ていないのだ。

それを好機と思ったのか、獣はここぞとばかりに速度を上げ、食い散らかそうと飛びかかって来た。

それが、罠だとも知らずに。


「ーーーーーーーー⁉︎」


獣の降り立った地面が沈み、地中へと引きずりこまれた。

この穴は、剣斗が掘ったものではなく、元々この場所にあったものだ。

休憩場所を見つける為に彷徨っていた時に見つけたそれの中には、屠られた罪人と思しき白骨死体が埋まっていた。


その穴があった位置に獣を誘導し、こうして捕獲したのである。後は、煮ようが焼こうが好きにできる。

どうだ、とでも言うように、剣斗は不敵な笑みを浮かべた。

身体についた土埃を落としながら、その穴を通り過ぎて歩いて行った。

だが、世の中はそんなに単純ではないのである。


「ッ⁉︎」


殺気を背中に感じ、後退りながら振り向いた。その瞬間、穴の中から何かが飛び出し、剣斗の背後に降り立った。

それが何か、確認するまでもない。


「ーーーーーーーー‼︎‼︎‼︎」


かなりの深さがあったはずの穴を、駆け上がって来たのだ。可能性を考えなかったわけではなかった。

だが、作戦が成功したと言う点に対しての喜びがそれを打ち消したのである。


再び身体を恐怖が襲った。


穴があることは忘れずに、それを避けながら再び走った。

獣はその穴を飛び越え、剣斗へと飛びかかってくる。


「流石に二度も引っかかるほどバカじゃないか……‼︎」


泥濘に脚が嵌り、今度は本当に転んでしまった。

泥が口の中に入り、気持ちが悪い。そんなことを思っていれるあたり、まだ余裕があった。

滑りながらも何とか立ち上がり、獣から逃げ出す。その正面、巨大な影ができているのに、剣斗は顔を上げた時に気がついた。


「ーーーーーーーー‼︎‼︎」


獣の巨大な口が開かれ、剣斗の頭を噛み砕こうと向かってくる。それを咄嗟に腕で防いだ。

メリメリと獣の牙が腕に喰らいつき、噛みちぎろうとそれを動かす。

想像を絶する痛みに意識を失いそうになるが、ここで気絶すれば喰われるという危機感から、歯を食いしばってそれを阻止した。


「クソッタレがぁ‼︎」


怒声をあげながら、無事な方の手で泥の中に埋もれていた石を握りしめ、思い切り獣の眼に突き刺した。

その衝撃に、獣は唸り声を上げて剣斗から牙を離す。

もはや無事とは言えない右腕を左腕で抑えなが後退し、獣を睨みつけながら立ち上がる。その内にあったのは、恐怖ではない。


怒りだ。


この理不尽に対する、爆発しそうなほど巨大な怒り。

それが、剣斗の身体に力を与えていく。

左手の甲にある刻印が輝き、千切れそうな右腕の傷を癒していく。

だがそんなことはどうでもいい。

今この瞬間に重要なのは、目の前の獣を捩じ伏せることだ。


「こいよ、イヌッコロ……」

「グルルル…………」


剣斗は左拳を握り、構える。

獣は体制を低くし、攻撃に備える。

二人の目は、お前を殺す、そう言っている様に思えた。


「ガァァァァァァァ‼︎」

「ーーーーーーーー‼︎」


雄叫びが響き渡り、互いは駆け出した。


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