5 新宿

 カミサマと出会ってから四日目の今日は、昨日くたくたになるまで歩き回った疲れもあってか二人してお昼前まで寝て過ごして、のっそり起きて二人して遅めの朝食……というより昼食を取って、太陽も一番高いところを過ぎるくらいの時間に新宿に辿り着く。

 今日はカミサマのご要望通り映画を観ることにした。昨日の夜、布団の上で、今公開されている映画を調べた。カミサマはその中から、今年十何年ぶりにシリーズが再開された有名な怪獣映画をチョイスした。私は兄と一緒に一連のシリーズを何本か見たことがあったけれど、カミサマは当然のようにこの有名な怪獣の名前についても知ってはいなかった。

「おもしろそうだから!」

 シンプルなその一言で、今日観る映画は決まったのである。


 新宿の街はいつ来てもやっぱり人だらけで、分かりやすく「都会」という空気を感じられる場所であるように思う。

「シンジュク……」

 東口を出てすぐ視界に飛び込む巨大な液晶パネルの映像を見上げながらカミサマは呟く。

 たくさんの人が、誰かを待っている。手元のスマートフォンに視線を落としながら、イヤホンで耳を塞ぎながら。

 これだけたくさんの人がいても、肌に触れる空気は存外、孤独だ。

 なんとなく私は、空を見上げた。私の真上、どこまでも伸びる空。そして、ちっぽけな私。何千、何万という人の海に溺れる、何者でもない、透明な私。

「ヒヨリー? 行こうよー」

「……ああ、うん、そうだね」

「チケットなくなっちゃうよ!」

「大丈夫だよ」

 私たちは北に向かって歩いていく。建物からびっしりと看板の生えた猥雑な通りを北上していく。様々な音が飛び交って、ありとあらゆる世代の人たちとすれ違って。熱気纏う人混みを、掻き分けて。

 大通りで信号待ち。日本語以外の言葉が聞こえてくることもしばしばで、外国人観光客も多い。私はカミサマとはぐれないように、その手をしっかり掴む。彼女もぎゅっと、握り返してくれる。

 さらに進んでいくと、目の前に現れる巨大なビル。

「ぅわ! あそこ! なんかいる! でかい!」

 映画館のビルの屋上から顔を覗かせている、今日鑑賞する映画にも出てくる怪獣。

 人類の驕りが呼び覚ました、放射能熱線を吐く巨大な怪獣。

 その熱線は、東京中を灼き尽くす。

 世界を混乱に陥れる。

「早く! 早く入ろ!」

 エスカレーターを上がって、券売機へ。この次の時間の席はもうほとんど埋まっていたけれど、私たちは最初からそのさらに次の回を取るつもりで来たので、苦痛なく観ることができそうな二席を難なく確保。

 チケットを買って、一旦映画館を出る。

「今からどこ行くのー?」

「御苑」

「ギョエン! 何するところ?」

「おさんぽ」

 先程歩いてきた道のりを逆戻りして、映画が始まるまでの時間潰しに、新宿駅のちょうど真東辺りにある公園、新宿御苑へと赴く。


 新宿御苑はビルだらけの新宿にある緑溢れた公園。ぽっかりと切り抜かれた空。視界の情報量が急に減って、ここが東京だってことも束の間忘れられるような感覚にもなる。その錯覚を、先の尖ったドコモ代々木ビルが引き戻す。空気もさっきまでとはどことなく違って、爽やかで、心地良い。やっぱりコンクリートは熱を籠らせるのだろう。

 たっぷり太陽の光を浴びた、ふかふかで暖かい芝生。二人して寝っ転がって、真っ青な空に流れる白い雲をぼんやりと目で追う。ぽつり、ぽつり何でもない言葉を交わしながら、多くの人が戯れるこの場所で穏やかな時間を過ごす。



「ヒヨリー! ポップコーン!」

「……はいはい」

 上演時間に合わせて、再び映画館に戻ってきた私たち。

 カミサマは売店のメニューボード前でぴょんぴょんと跳ねて、映画のお供をねだる。昨日はお金を使わなかったから、今日はちょっぴり贅沢に使ってもいいだろう。

「おっきいの買って一緒に食べよっか」

「うん!」

 そうして開場。賑わう劇場の中、自分たちの席を探して座る。

 座席満員の映画館なんて、私の町では、ちょっと有り得ない。第一こんなに広い劇場なんてまずない。それどころか私の町の駅前にあった映画館は老朽化で潰れたまま、新しく作り直されることもなく隣町のショッピングモールに取られてしまった。

 何の魅力も、娯楽もない町。あんなところ、もう帰りたくなんかない。

 高校卒業まであと一年と半分もあそこで過ごすだなんて、考えられない。

「……カミサマ?」

「ん?」

 何やら軽快な音がしていることに気づき左を向く。映画が始まる前から、隣でポップコーンをバリバリと頬張るカミサマは頬を大きく膨らませながら首を傾げる。

「まだ映画始まってないよ」

 ふひぃ、と、カミサマは笑う。


 映画は中盤に進んで、怪獣の熱線が東京の街を灼き尽くすシーンに突入する。

 SNSのアプリを消しても、これまでの癖でなんとなくバラエティ関連のニュースも毎日チェックしていた中で、かなり話題になっていたこの映画。その予告映像でも、見せ場として流されていた場面の全容。

 紫色の光線が薙いで、ビルを熔かして、突き崩れて、炎が上がって――


 私は、その光景に、得も言われぬ高揚感――それはもはや恍惚に近かった――を抱いた。

 背筋がぞくりとした。

 私が望む世界の終わりが、そこにはあった。

 一瞬だけ、隣のカミサマに視線を移す。

 スクリーンの光を受けてぼんやりと浮かぶその白い顔は、まっすぐにスクリーンを捉えていて、少し難解なこの映画が彼女にとってどんな風なものなのか、なんとなく分かったような気がした。


「んー! おもしろかったー!」

 映画館を出るとすっかり陽も落ちて、濃い蒼の空が広がっていた。

 ぐっ、と伸びをしたカミサマは無邪気にそう漏らす。

 ポップコーンを食べたことだし夕飯はもう少し後にするか、と尋ねたら、あれだけポップコーンを貪っていたにも関わらずお腹が空いたと叫ぶ。

 グルメサイトで適当に評判のいいお店を探して、二人で入る。食事を済ませ、今日最後に向かうのは――――



「むぅぅ……すごい……」

 一面に広がる東京の夜景。ビルの屋上で点滅する赤い光が、街の起伏を露わにさせて。

 新宿都庁。

 観覧料もかからずに、東京の街並みを眺めることができる地上200メートルの展望台。

 夜の東京は、これまでカミサマと一緒に見てきた昼間の風景とは、また異なった印象を抱かせる。

 ――眠らない街。だなんていうありがちな言葉にも、なんとなく頷ける気がする。

 街は呼吸することを止めない。ひとつの巨大な生命体みたいに、蠢いて、息をして、寝静まることを知らない。高層ビルディングの光。その光はきらきらと揺らめいて、見つめていれば吸い込まれてしまいそうで。


 この街で、一体どれだけの人が、それぞれの人生を営んでいるのだろう。

 もしもそれら生活が全て、一瞬で消え去ってしまうとしたら。

「ねえ、ヒヨリ」

 多くの外国人観光客が夜景を背景に自分の写真を撮っている中(外国人は自分自身も風景に収める傾向にある?)、カミサマはじっと世界を見下ろしたまま、ぽつりと呟く。――吐き出される熱線のシーンを見ていたあの瞬間と同じ表情をして。


「世界が壊れる瞬間に興奮するのって、おかしいことだと思う?」


「……ううん。思わないよ」

 私の返事にも視線を動かさないまま、カミサマは続ける。淡々と、どこか切実に。

「きっとみんな好きなんだ。心の何処かで願っているんだ。宇宙人が侵略してきますように、巨大な隕石が降ってきますように、怪獣がこの街をぶっ壊してくれますように、って。だってそうなれば、〝退屈な日々〟とか、〝変わり映えしない日常〟とか、〝同じ毎日の繰り返し〟って言葉は、消えてなくなるから。綺麗さっぱり、燃やし尽くされてしまうから」

「…………」

「ノストラダムスの予言が外れても、マヤの予言でまた騒いで、地震が起きたら後出しで予知を引っ張ってきて。同じようなことを何度も何度も繰り返して、縋って、そうやって世界は廻ってる。何かがぶっ壊れることは楽しいことだから、気持ちいいことだから、心躍るものだから。終末戦争、異世界からの侵略者、圧倒的な破壊者の存在に憧れて、夢を見て、惹きつけられて、飽きもせず話題にして」

 時折顔を覗かせる、カミサマの達観した思考。妙に大人びていて、それは鋭く真意を突いているようで、もしかしたら彼女は本当に、どこか高い場所から全てを見てきた神様なんじゃないかって思わせるような、そんな迫力。

「非日常への渇望。破壊への興奮。人生は続くから、全部を捨てきることなんかできないから、ふとした瞬間に終わりを望んでも、それでも未練があるから、自分で終わらせるのではなく、何かの、誰かのせいにして終わりにしたい。どうせならみんな一緒に終わってしまえばいい。そうすれば誰も、自分のいなくなった世界で幸せを享受することもない。綺麗さっぱり、終わってしまえばみんな平等」

 それは、独り善がりで、偏見に満ちた暴論かもしれなかった。信憑性なんて、どこにもなかった。

 でも、その言葉たちは私に突き刺さった。

 それが神様の言葉なのか、それとも神様を名乗る、素性も知らぬ幼い少女のものなのか。

 ――そんなのはどっちだってよくて。

 どちらだったとしても、その言葉は、私にとって重く、暗く、鋭く、冷たくて。

「人間は、しがらみや、窮屈さからの解放を、望んでいるんだよ。展望台だってきっと、その象徴なんだ。俯瞰は超越。だから人は、屋上に飽きもせず足を運ぶの」

 暗闇に浮かぶ無数の光。誰かが息をしている光。


 世界の終わり。

 この夜景を、あの熱線は、灼き尽くした。

 立ち昇る巨大な炎。私はどこかのビルの屋上からそれを眺める。

 薄皮が火の粉を弾く。


 ゆっくりと躰の向きを変える、蒼白く発光するその怪物の、焦点の合わない小さな眼と、目が、合う。


「――でも、そんな想像ができるのは、同時に〝自分だけは大丈夫〟って思ってるから」

「……え」

 カミサマは言った。まるで私に纏う薄皮のことを、見透かしているかのように。

「……あ……」

 何もかもを通さない、絶対的な壁。そのヴェールに守られて、独り、終わりを俯瞰する。


 自分だけは大丈夫。

 ――自分だけは、特別。


 カミサマの言葉に、気付かされる。

 私は、終わりを望みながら、自分だけは生き残ることを前提としている。


 それはどうして?

 だって、だって、それは、本当は、本当はどこまでも単純に――――

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