10 始まりの終わり

「うぇ、おばあちゃん何これ」

 お風呂から上がって居間に出向くと、ちゃぶ台の上にはいつもと違って明らかに力の入った料理が並んでいた。――私たち家族がたまに遊びに来る時と同じような料理たちが。

「えびふらい!」

 カミサマが声を上げた。身の丈に合わないぶかぶかの服を着た神様は、エビフライがお好きなようだ。

「エビフライはお好き?」祖母が訊く。

「うん! 好き!」

「そりゃあよかったなぁ!」祖父が笑う。

「こんなに用意しなくても……」

「せっかくのお客様じゃない。それに、神様なんだからおもてなししなくちゃね」

 祖母はそういってにっこりと微笑む。なんというか老人らしいロジック。


 カミサマは私の左隣に座って、右手側には祖父、私の対面には祖母。

 いただきますと手を合わせて、私たちは食卓を囲む。

 カミサマは祖父母とどんな話をするのだろうと思ったけれど、カミサマはひたすらに祖父母の過去話を聞きたがり、祖父母はその要求に嬉しそうに自らの思い出を語っていく。当人たちがそれでいいのならいいのだけれど、大人はこの金髪の小学生みたいな13歳(設定)の子どもの素性を、もっと知りたくなるものじゃないのだろうか。まあでもこれは、祖父母の性格にも拠るのだと思う。



 ――カバンふたつで家を飛び出してきた私を、祖父母は何も咎めず、叱ったりもせず、受け入れてくれた。

 終業式の前日だった。

 その夜、ふと思い立ったこと。

 この町を出よう。

 この町にある全てから、逃げ出そう。がんじがらめにされそうな、脆い、くだらない糸を、断ってしまおう。

 思い立ってからは、すぐだった。その日のうちに荷物をまとめて、次の日普段学校に通うのと同じように玄関を出て、そのまま電車に乗って、何時間もかけて祖父母の家に向かった。なけなしのお小遣いは全て電車賃。祖母の家につけるだけぎりぎりの金額。途中、電車の中で母から電話がかかってきた。スマートフォンの電源を落とすと乗り換え案内が調べられないので、両親の番号を着信拒否にした。するとすぐに、メッセージアプリで「どこにいるの」と届く。私はその瞬間、ふっと何かが吹っ切れて、そのアプリを消去した。続けざまに、誰かと繋がるタイプのアプリケーションを、全てアンインストールした。電話帳に登録していたすべての連絡先を削除した。


 鳥肌が立った。ゾクゾクした。


 こんなに簡単に、断ててしまえるんだ。「繋がり」なんて、そんなものでしかないんだ。

 生徒会が掲げるスローガンみたいに、薄っぺらい言葉。

 通勤時間を過ぎて人の少なくなった東海道線の中でひとり、私は笑った。


 祖父母の家に到着して、荷物を降ろして。

 身も心も、軽くなったような気がした。

 祖母は驚いた顔をしていたけれど、受け入れてくれた。

 どうやら母に連絡をしたようだけれど、特にお咎めはなかった。「終業式行ってからでもよかったんじゃないの」それだけを言った。


 十分なお小遣いをくれて、私は毎日東京の街に繰り出して。

 最初は見るもの全てに驚いて、興奮して、自由になったんだって、喜んで――でもそれにも、飽きが見え始めて。



 ふたつ布団を敷くと、部屋は随分と窮屈になったようにも感じられる。

 かつて母が自室として使っていたというこの部屋。母は何故か地方の大学に進学して、そのままその土地で就職。父と出会い、結婚。

 どうしてわざわざ何もない地方に東京から出ていったのか、私には理解ができない。東京ならなんでもある。あの町には、何もない。


 夕飯の後、祖母はまたお小遣いをくれた。居間にある箪笥の上の小さな引き出しから、ぴんと伸びたまっすぐな紙幣が一枚。高校生にはちょっとした大金。

「……ねえ、それ何?」

 カミサマは、私たち家族がこの家に遊びに来た時に使っている寝間着を着ている。身体の大きさに合わないぶかぶかの服。

 そして、彼女の枕元には、小さな白いポシェット。12センチCDくらいの大きさで丸い形をしていて、何かが詰まっている厚みがある。首にかけてワンピースの下にしまっていたらしい。

「うーんとね、ヒミツ」

 カミサマは言う。

「えー、気になるよ」

「絶対、絶対開けちゃ駄目だからね!」

 絶対、と言われれば仕方がない。所詮は他人。ちゃんとプライバシーはある。……例えそれが神様だったとしても。

「……さ、じゃあ寝よっか」

「うんー! 寝るー!」

 どう考えても今から寝るテンションではない返事が返ってくる。

「電気消すね」

 天井から伸びる紐を二回引いて、完全に照明を落とす。明日はどうするのかな、なんてカミサマのことを想いながら、目を閉じる。


「ねぇヒヨリ」

 静まり返って、しばらくして。

 カーテン越しのわずかな光だけの闇の中、ぽつりと響くカミサマの声。

「なに?」

「一緒の布団で寝てもいい?」

「……暑いじゃん」

「がまんする」

「カミサマが我慢できたって私の方が……」

 私の返事は無視されて、もぞもぞと布が擦れる音がして、カミサマは私の布団に移ってくる。

 私の右腕と脇腹の間にすっぽりとはまり込むようにして、カミサマは抱き着いてくる。

「……もー……」

 拒否はしない私。カミサマの髪を撫でる。

「ねーヒヨリ? 明日は遊園地に行こう?」

「遊園地?」

「うん!」

「……」


 カミサマ。

 世界を終わらせにやってきた神様。

 不思議な力を持っていて、その素性は不明なままで。

 今日、帰ってきてからテレビやネットのニュースサイトを調べてみたけれど、渋谷のファミレスの窓ガラスが吹き飛んだ事件は、明らかに事件であったのに全く取り上げられてはおらず、市井の人々が投稿するようなSNSの類でも何ら話題になった形跡はなかった。少し話題になればすぐに「まとめ」なんてものが作られて拡散される世の中なのに、それでも情報がないということは、どういうことだろう。写真を撮っていた人だって、私はこの目で見た。

 また、同じように小学生行方不明なんてニュースがあったりしないか調べたけれど、最近そういう類いの捜索がなされている事実はまるでなかった。


 カミサマが、情報操作した?

 そんなことって、ある?


 ……でも、そんな素性不明の彼女を受け入れた結局の理由は。

「タイクツ?」その一言が、この空っぽな胸の中に、嘘みたいにすとんとはまり込んだから。


「……わかった。いいよ。行こう、遊園地」

「やった! ありがとヒヨリ!」

 ぎゅう、っと、カミサマは私に身体をすり寄せる。


 私は出逢った。不思議な少女。カミサマ。


「……ねぇ、カミサマ?」

 返事は、ない。

 気づけばカミサマはもう眠っていて、安らかな寝息が聴こえてくる。

 その寝顔は、可愛らしいただの小学生みたいで。

 カミサマのふわりと柔らかい髪を触りながら、私もまた、まどろみに身を委ねた。


(第二章へ続く)

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