第9話「ファン」

 ――都内某所の電気街。

 ゲームの街、アニメの街、免税の街……時代の流れに合わせて姿を変えてきたこの街は、今や失われつつある「オタク文化」……その最後の砦であった。

 人の波でごった返す歩行者天国に、絶世の美貌で注目を集める一人の少女がいた。緩やかに波打つ深紅の髪に、装飾が豊かな深紅のドレス。そして、雪のように白い肌……エクセリアである。

「爺! 次はあの店に入るぞ!」

 エクセリアが指さすのは、鮮やかなオレンジ色とアニメキャラが目を惹くビルだった。メイソンはビルを一瞥し、自分が手にしている大量の紙袋に目をやった。

 ……底抜け防止の二重構造。背中には大きなリュックサックを背負っているのだが、そちらもぱんぱんに膨らんでいた。重量はともかく、これでは……。

「お嬢様」

「何だ?」

「まだ何かお買い上げになるのですか?」

「無論だ」

「それでは、一度荷物を船に――」

「何を言う。こうやって戦利品を見せびらかすのが、いきというものなのだ」

「粋、ですか」 

「うむ!」

「では、先程からの不躾な視線や、無許可の撮影行為も粋なのでしょうか?」

 エクセリアは深紅の瞳で周囲を見渡す。

 足を止めた通行人が言葉を交わしつつ、携帯電話をエクセリア達に向けていた。大砲のようなカメラを構える人も、十や二十ではない。

「これも文化じゃ。郷には入れば――」

「郷に従え、ですな」

 エクセリアは肯くと、観衆に笑顔で手を振って見せた。溜息をつくメイソン。

「ねぇ、君、可愛いね! どこから来たの?」

 そう声をかけながら、五、六人の男達がエクセリアに近づいてきた。

 一様に黒く日焼けしており、シャツに短パンと露出の多い格好で、銀の指輪やネックスレスといったアクセサリーを身にまとい、じゃらじゃらと揺らしている。

「何じゃ、お主ら?」

「俺達と一緒に楽しいところに行かない? 案内するよ」

 男の一人が、エクセリアにぐいっと顔を近づける。強い香水の臭いに、エクセリアは眉をひそめた。足を踏み出したメイソンを、エクセリアが手を挙げて制する。

「……無用じゃ。私は自由に歩きたいが故」

「そうつれないこと言わないでさ、来いよっ!」

 男はエクセリアの手首を掴んだ。それを見て、メイソンが低い声を出す。

「お嬢様、これも粋ですか?」

「……こういうのはな、無粋ぶすいというのじゃ」

 メイソンがすっと足を上げた。つま先が男の顎を砕き、その身が宙に浮く。

 続けてメイソンは回し蹴りを繰り出し、周囲の男達を一掃……男達は自分の身に何が起こったか分からぬまま、アスファルトに崩れ落ちた。

「……殺めてはおらぬな?」

 エクセリアは手首をハンカチで拭きながら、痙攣している男を冷たく見下ろす。

「はい。動けるようになるまでは、少々時間がかかるでしょうが」

「ふむ、騒ぎになりそうか」

 メイソンが周囲に目を向けると、武装した制服姿の男達が数名、こちらに駆け寄って来るところだった。……恐らく、地球の準軍事組織の者達であろう。

「離れるのが得策かと」

「では、メインディッシュと行こうかの!」

 エクセリアは指を鳴らした。エクセリアとメイソンの姿が、一瞬で消え失せる。


 ……何かおかしい。

 ベッドに腰かけている歩は、膝の上に載せたノートパソコンから顔を上げ、机に向かう凛音の後ろ姿を眺めた。凛音が首を傾げる度に、ポニーテールが揺れる。

 執筆がはかどらない歩。それを見かねた凛音は、「場所を変えてみたらどうです?」と提案。その結果、歩の執筆場所はベッドの上となり、代わって椅子に座った凛音は、机の上にスケッチブックを広げて、熱心に何かを書いているようだった。

 まんまと謀られた……歩は一行も進んでいないノートパソコンの画面を閉じると、こっそり立ち上がった。凛音の背後に忍び寄り、スケッチブックを覗き込もうと首を伸ばし……たが、鼻先に飴玉が突きつけられ、失敗に終わる。赤色の飴玉。

「……何をしてるんですか?」

「いや、何を描いているのかと思って」

「だからって、覗き見して良いわけないじゃないですか!」

 凛音は歩を睨み付けながら、スケッチブックを閉じた。

「どんな絵を描いてるんだ?」

「あっ! み、見たんですね! 信じられない!」

 凛音はスケッチブックをぎゅっと抱き締め、身を引いた。がるる……そんな唸り声が聞こえてきそうな凛音に向かって、歩は頬を指先を掻きながら、一言。

「まぁ、その、ブックだから、描くなら絵だろうと……」

「えっ……じゃあ、鎌を掛けたんですか? ……酷い!」

 勝手に自爆したんじゃないか……歩はそう思いつつ、机に散乱した筆記用具に目をやった。2Bの鉛筆に、消しゴム。凛音が慌ててそれらを回収し、筆箱に収めた。

「……全く、油断も隙もあったもんじゃないですよ」

「それで、どんな絵を――」

「絶対に見せません!」

「いやらしい絵でも描いてるのか?」

「そんなわけありません!」

「じゃあ、見せて」

「……その手には乗りませんよーだ!」

 凛音はべっと舌を出した。赤い飴を舐めてたせいか、真っ赤である。

 ピンポーン。呼び鈴が鳴った。

「……珍しいですね?」

「新聞の売り込みか、宗教の勧誘か、あるいは、浄水器か……」

 ピンポーン。二度目の呼び鈴。

「はいはーい、今行きまーす!」

「何で君が……」

 歩が静止する間もなく凛音は玄関に到着。鍵を外して扉を開けた。

「どちら様……」

 凛音は息を呑んだ。凛音を見上げる深紅の瞳が、大きく見開かれる。

「ほう、亀吉先生は女性にょしょうであったか!」

「へ? あ、貴女は?」

「私か? 私の名はエクセリア。其方そなたのファンじゃ!」

「ファン!? ちょ、ちょっと待っててね!」

 凛音は振り返ると、様子を窺っている歩の手を引いて、玄関に引っ張り出した。

「な、何だ?」

「貴方のファン、だそうですよ?」

「俺の?」

「む? 其方が本物の亀吉先生か?」

 そう少女に問われ、歩は何度も肯いた。少女はぱっと顔を輝かせる。

「おお! お会いできて光栄じゃ! 早速じゃが、サインを頂けるかの?」 

「サイン?」

「……拒否はなさらぬ方がよろしいかと」

 少女の傍に白髪の老人がぬっと現れ、歩に鋭い眼光を向けた。表情こそ穏やかだが、その有無を言わせぬ冷ややかな迫力に、歩は引きつった笑みを浮かべる。

「えっと……まぁ、その、立ち話も何なので……」


 歩の部屋に案内されたエクセリアは、ベッドの上に腰を下ろした。

 歩はエクセリアが求めるまま、その隣に座る。そして、老人から手渡された色紙とサインペンを、神妙な面持ちで見比べるのだった。サイン……か。

 部屋の外……玄関であり、台所でもあるスペースでは、凛音と老人が二人して、扉の隙間から二人の様子をこっそり窺っている。

 エクセリアちゃんへ……っと。亀吉。あと、これもオマケに……歩は人生初となるサインを書き上げ、エクセリアに手渡した。

「おおっ! 感激じゃっ!」

 エクセリアは手にした色紙を両手で持ち、まじまじと見詰める。

「……ここに描かれているものは何じゃ?」

 エクセリアの視線が、色紙の隅で止まった。楕円、黒丸、六角形。

「ああ、やっぱ分からないか……一応、亀のつもりなんだけど」

「カメ? カメとは何じゃ?」

「えっと……あれ、亀、知らない? 甲羅があって……」

 エクセリアは小首を傾げていたが、やがてうんうんと肯いた。

「あれじゃな、地球の生き物ということじゃな?」

「ま、まぁ、そうだね」

「ふむ。そしてカメという響き……よもや、亀吉という名に関係が?」

「そうそう! 亀吉のカメってこと!」

「なんと、そうであったか! そう言われてみれば、何やらこのカメなる生き物、先生とよく似ておるのぉ……うむ、気に入ったぞ!」

 エクセリアは色紙に書かれた亀のイラストを、指先で何度も撫でる。歩はそんなエクセリアを微笑ましく思いながらも、不安を覚えずにはいられない。

 ……こんな可愛い女の子がファンだなんて、何かの間違いではなかろうか? 何しろ、これまで自分の作品を読んでくれた人なんて、凛音ちゃんぐらい……と考えたところで、はっとする歩。……そういえば、心当たりが一つだけあった。あの日以来、アクセス数を確認することもなかったのだけれど……。

「あの、エクセリアちゃん?」

「なんじゃ?」

「もしかして、世界征服大冒険を――」

「そうじゃ! いや~、素晴らしかったぞ! 世界征服の機微を、其方は理解しておる! 私がこれまで読んだ小説の中でも、断然の面白さじゃったぞ!」

「そ、それはどうも……」

 恐縮する歩に構わず、作品を褒めそやすエクセリア。その内容は微に入り細を穿ち、作品を熟読しなければ決して語れないようなものだった。

 そんな光景を呆然と眺めながら、凛音は思わず言葉を漏らす。

「……まさか、ファンがいるなんて」

「お嬢様の趣味嗜好に合致する作品が見つかるとは……まさに、僥倖ぎょうこうでした」

 凛音の隣で、スーツ姿の老人が肯く。

「そうなんですか? えっと――」

「これは申し遅れました。執事のメイソンと申します」

「メイソンさん、ですね。私は――」

「水無月凛音様、でいらっしゃいますね?」

「どうして、私の名前を?」

「それはもう、良く存じてございますよ」

 メイソンは金色の瞳を凛音に向けた。背筋がぞくっとする凛音。メイソンは微笑むと、その顔を部屋の中へと向けた。すると、笑顔がさらに和やかなものとなる。

「お嬢様、本当に嬉しそうです」

 凛音は毒気が抜かれたようにきょとんとすると、同じく部屋の中へ顔を向けた。

 身振り手振りを交えながら、声を弾ませ、話し続けるエクセリア。凛音には後ろ姿しか見えないが、その表情はきらきらと輝いていることだろう。

 そんなエクセリアを前に、困ったような照れ笑いを浮かべている歩……その様子を見て、凛音はくすりと笑った。……先生も、嬉しいんだろうな。

 ひとしきり話し終えたエクセリアは、しみじみと肯いた。

「……何度でも言うが、世界征服大冒険は、実に素晴らしい作品であった。先生は、さぞ名のある小説家なのだろうな?」

「いや、そんな……とんでもない」

「なんと、地球人は見る目がないのぉ。……そうじゃ! 私が世界征服を成し遂げた暁には、其方を専属作家として取り立ててやろうではないか! うん、我ながら名案じゃな! 私のために、とくとその腕を振るうがよいぞ!」

「は、はぁ……」

 ……世界征服? それに、地球人って……聞き耳を立てていた凛音が、眉根を寄せた。それを横目に、メイソンは「こほん」と咳払い。

「お嬢様。そろそろおいとましましょう」

「何じゃ爺、まだ来たばかりではないか? 私はもっと先生とお話したいぞ!」

 エクセリアに抱きつかれ、歩は赤面する。

「……ちょっとした余興を、ご用意しておりますれば」

「爺が? それは珍しいのぉ。……では、名残惜しいが帰るとしよう」

 エクセリアは歩から身を離して立ち上がり、くるっと身をひるがえした。

「……今日は素晴らしい一日であった。これは、人生最大の宝物じゃ!」

 エクセリアは両手でサインを抱き締め、歩に肯いて見せる。

「あの、貴女……」

 凛音に声をかけられ、エクセリアは振り返った。

「何じゃ?」

「さっき、世界征服って……」

「そうじゃ。世界征服は私の夢じゃ」

「夢……」

 凛音が二の句を告げずにいると、エクセリアはぽんと手を打った。

「安心するがよいぞ。先生を其方から奪いはせぬ。夫婦共々、面倒を見てやろう」

「……ふうふ? な、何を言ってるんですか!」

「違うのか?」

「違います!」

「そうか。ならば私が――」

「お嬢様」

「そう急かすな。では先生に女中殿、達者でな!」 

 エクセリアは手を振って、玄関へと向かった。既に靴を履いているメイソンがエクセリアに靴を履かせ、鍵を外して扉を開ける。

 二人が外に出て、扉がバタンと閉まった瞬間、凛音は我に返った。

「だ、誰が女中よ! ちょっと、待ちなさい!」

「お、おい!」

 凛音は玄関で靴を履いて扉を開け、外に飛び出す。歩も玄関で靴を履き、それに続く。凛音はアパート前の道路に立って、空を見上げていた。歩もそれに倣う。

 ――空を飛んでいた。エクセリアとメイソンが。

 人が空を飛ぶことに対しては、何だかんだで免疫ができつつある歩だったが……二人の背後に見える巨大な飛行物体には、唖然とするしかなかった。

「な、何だあれは……?」

「宇宙船……」

 凛音の呟きに、歩は耳を疑う。あれが、宇宙船? 薔薇の花みたいな、あれが?

 エクセリアは歩と凛音を空から見下ろしながら、メイソンに声をかける。

「爺、ステルスを解除して良かったのか?」

「ええ。あの二人は敵ですから」

「……敵だと?」

「亀吉先生……本名、亀山歩こそ、地球のシュヴァリエを操る魔道士。そして、あの女中、水無月凛音は、同じく地球のソルダに指示を出す予言者なのです」

「何と……それはそれは、愉快な話じゃ!」

 ――空で交わされた言葉は、地上の二人に届かない。凛音は声を張り上げた。

「あ、貴方達! 貴方達が、異星人なのね!」

「そうじゃ、地球人達よ! ……ふふ、其方等はいいぞ! 世界征服のしがいがある! 間もなく達成してしまうことが惜しいと思うほどにな!」

「達成……どういうこと?」

「的を大きくしたし、一日の上限を百投に増やしたからの! 世界征服の大号令をかける日も、そう遠くないはずじゃ! その日を、楽しみに待っているがいい!」

 そう言い放つと、エクセリアの体が光り輝いた。メイソン、宇宙船も光に包まれ……消え失せた。後に残されたのは、いつもの空。白い雲。

「あれが……敵?」

 歩が漏らした言葉に、凛音は肯いた。青空の果てに、じっと目を凝らしながら。

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