第25話 House, tree, person

 芒雁は内側からゆっくりと扉を閉める。家の中は真っ暗だった。弥生が駆け寄ってくる前に、芒雁は完全に扉を閉め切る。それまでは弥生が何か言っているのが聞こえていたが、扉を閉め切ると完全に聞こえなくなった。待っていたのは完全な闇。そして静寂。

「さて、何が飛び出すか……」

 芒雁は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。不測の事態に対応できるよう、精神をリラックスさせ、体から余計な力を抜く。

「ふん。一人で死地に飛び込むという、ヒロイックな状況を演出したつもりか?」

 前方からの声に芒雁はとっさに身構える。相変わらずの暗闇で何も見えないが、気配は感じる。

「いや違うな。芒雁。お前は自分の醜い姿を、三桜弥生に見せたくなかっただけだ」

 姿は見えずとも声だけではっきりと分かる。芒雁をもう何日も苦しめてきた影の男だ。

「昨日までは影で、今日は暗闇の中か。姿を見せたくないのはお前の方だろう?」

「言っただろう。これは認識の問題だと。私という存在は未だお前の盲点にいるのだ」

「いや」

 芒雁は先ほど弥生に見せていた弱々しさは既になかった。

「今日は違うだろ。しらばっくれているつもりか?」

「……ほう」

 男は意外そうな声をあげた。芒雁は高らかに宣言する。

「さあ、その姿を見せるんだ。師桐!」

 その瞬間、照明がぱあっと灯り、部屋に中が光でみたされる。芒雁は突然の明かりで目が眩みながらも、前方を睨みつける。そこにいた男、師桐は昼に見た時と同じ服装で、椅子に腰掛けていた。


 初めははまともに目も開けていられないほどだったが、明るさに目が慣れてくるにつれて、周りの様子が見えるようになってきた。

 芒雁は椅子に座っている影の男、師桐への注意を切らさないようにしながらも、さっと部屋の中を確認した。

 家の中は外から見た時よりも明らかに広かった。部屋の造りは大きなワンルームである。家具などは何もなかった。住宅というよりは、体育館、あるいは倉庫に近い造りだった。ただ、師桐が腰かけている椅子が一脚あるのみである。

 天井には照明すら見当たらなかった。だとすればなぜ部屋は明るいのだろうか。床はフローリング。壁には格子付きの窓が数メートルおきに並んでいた。窓。

「窓がある……だと? さっき外から確認した時はなかったのに!」

 そんな芒雁の驚く姿をみて、師桐はふふん、と笑う。

「何を今さら。もはや驚くには値しないだろう? 現実世界での常識はここでは通用しないのは既に知っているだろう?」

 師桐はゆっくりと立ち上がる。その左手には黒い、小さな小箱が乗っていた。

「内面からは認識できるのに外面からでは分からない。"Hidden-Self Window"か。ジョハリの窓とは中々シャレが効いているじゃないか!ははははは!」

笑いながら、師桐は一番近くにある窓へと近づき、その格子をそっと撫でる。

「またHTPテストにおける窓とは外界、他者や社会との交流を象徴するものらしいな。それが外からは確認できない、マジックミラー構造。認識は一方通行というわけだ。おまけに容易に侵入できないよう、こうして鉄格子まで取り付けられている。いや、逆か。内側の暴力性が外側に漏れ出ないための格子か。いずれにしても芒雁、君にぴったりの部屋じゃないか」

 そういうと師桐はまた笑い出す。

「さっきから何の話をしているんだ?」

 それを聞き、師桐は笑うのを止める。

「なんだ。さっきの口振りからとっくにバレているものかと思ったが、そうではないのか」

 芒雁は師桐の話を聞きながらも、師桐の間合いを測っていた。両者の間にはまだ十メートル近い距離があった。けれども昨日の夢での師桐の動きを考えると、師桐はこんな距離、一瞬で詰めてくるだろう。現実世界で言うなら、一歩踏み出せばお互いの拳が届く制空圏内だ。

「そう、身構えるな芒雁。少し話でもしようじゃないか。ほら、君のすぐ後ろに椅子があるだろう? それに腰掛けるといい」

 芒雁が振り返るとそこにはスツールが一つ置かれていた。芒雁は顔に驚きが浮かぶのを隠すことができなかった。そこにはさっきまで何もなかったはずである。いや、そもそもこの部屋の中には師桐が腰かけていた椅子以外何もなかったはずだ。なのにいつの間にか自分のすぐ後ろにスツールが置かれている。音もなく現れたとでもいうのか。驚いている芒雁を見て、師桐はまたふふ、と笑う。

「この世界についてここまで無知だとはな。私は少し考えを改めなければならないようだ」

 そう言いながら、師桐はまた椅子へと腰掛ける。芒雁はその様子をじっと伺う。

「座るんだ芒雁。視野を広く持てと、そう教えただろう?」

 師桐が冷たく言い放つ。芒雁はしばらく考えていたが、ゆっくりとスツールに座った。それを確認してから、師桐も先ほどまで座っていた椅子に満足そうに腰掛けた。

「そう、それでいいんだ」

「師桐。また勧誘とやらか?」

「いや、昨日までは事を性急に運ぼうとしすぎてしまったようだ。それは反省しよう。まずはライセンスについて、理解してもらうことにするよ」

「ライセンスだと?」

「そう、そして私の目的について」

「お前の目的はなんなんだ」

「一言でいうなら、解放だ。マイノリティーの解放」

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