もしも私が*の子なら3
私はそのことが分かるとすぐにベッドに入り、泥のように眠りました。頭を酷使したおかげかすぐに寝付くことができました。しかし疲れていたのでしょうか。私が次に目を覚ましたのは朝、ではなく日が沈みかけた夕方だったのです。
「……やってしまいました」
私は起きて時刻を確認すると午後五時、まさかあれから半日以上寝るだなんて。普段は早寝早起きを心がけている私にとっては、天と地がひっくり返って慣性に任せたまま元の状態に戻るくらいショックなことでした。もし実家暮らしだったら怒られていたか恥ずかしくて悶えてたでしょう。一人暮らしの良さをこんなところで実感するとは。私はベッドから起き上がるとまだ本調子じゃない脳をたたき起こすべく顔を洗いました。
「……よし」
私はスッキリ爽快虚心坦懐になった頭脳で昨日分かった事を思い出します。一週間以内に誘拐が起こったら必ずあの廃工場に撲殺少女工房は現れ、死体を捨てるはず。そしてそこで待ち伏せを行えばこの惨劇を終わらせることができる。そこで私は昨晩解いた法則性を警察に知らせようと思いましたが一瞬思案した後、踏みとどまりました。これは本当に合っているのでしょうか?それにこんなドラマみたいな話を信じてくれるとは思えません。それこそ目撃談とか、決定的な物的証拠がないとイタズラ扱いされるでしょう。ならこの目で確かめてから通報するまで。幸いにもこの工場は入り組んでいて身を隠すには困らないでしょう。……なんでそこまで躍起になっているかですか?私にも分かりません。知り合いでもない人間がいくら殺されようが構わない、という考えを否定するつもりはありませんが、私はこれ以上罪なき人が殺されるのを見ていられないのです。以前私は確かに『信じられるものは自分だけ』と言いました。それは変わっていません。
でも自分を信じているからこそ、人一倍他人が気になってしまうのです。ユング心理学入門、という本にもそういった心理が説明されています。先入観、と言えばわかりやすいでしょうか。例えば貴方の前に車があったとします。それを見てどう思いますか?ああ、聞き方が悪かったですね。どのようなものを想像しましたか?恐らく大半の方は今までに見たことのある、またはご自身の持っていらっしゃる車を想像されたでしょう。まさか自分が見たことも聞いたこともないSFのような車を思い浮かべた方はいないはず。つまりはそういうことです。人は物体を様々な角度で捉えます。車一つ例に取っても、大きい、とか速そう、とかディティールがイマイチ、と。人の認識というのは簡単な想像を幾重にも重ねて作られるのです。その簡単な想像というのが予め脳に保存されている既存のデータ、先入観です。
そしてその先入観は人にも適応されます。また例えで申し訳ありませんが道のど真ん中で失禁している大人を想像してください。貴方はその方を見てどう思いますか?何してるんだ、と思いますか?一般常識のある方ならそれが普通です。何故なら常識では放尿はトイレで行うものだからです。だからそういった疑問が生まれる。このことについて少し掘り下げますと、『自分は道端で失禁しない』という自信があるから疑問に思うのです。仮に失禁ではなくクシャミをしている人を見かけたとしましょう。その人を見ても何も思いませんよね。せいぜい風邪かな、程度です。そういった心理が働くのは『自分は人前でクシャミをしない』という自信がないからです。もしクシャミを絶対しない人間がいたとすれば、花粉の飛び交う春先や細雪舞う冬は周りが変人だらけになる季節に見えると思います。
そして私は『人が人を殺すのはおかしい』という自信を持っています。絶対的な。私の考えが正しい誤りだというのはさて置いて、そんな私は『人が殺されているのにも関わらず気にしない人間』に疑問を覚えるのです。周りが気にしないのだからお前も気にするな、という意見は論外です。私は私、他人は他人です。私には意思があり、考えがあります。それを周りに押しつぶされて、捻じ曲げられるのが気に食わないのです。だから自分の意思を貫く。その結果周りから浮く。浮いた私は『何故私の考えが分からないのだろう』と思慮する。そして自分の考えと他人の考えを照合するため他人を観察するようになる。私が他人を信用せず他人を気にする理由です。
矛盾しているように聞こえますが今の私にはこれ以上の説明はできません。とにかく私は常に他人との意見のズレを気にしています。神経をすり減らしている、とも言えます。一番の解決策は無視をすることでしょうが幼い私には出来そうにもありません。つい意固地になってしまいます。
長くなりましたが私が撲殺少女工房を気にかける理由、それは『私と考えが違う』からです。それ以上でも以下でもありません。殺される人間が可哀想だからではないのか、ですか。違います。いえ、多少はそういった感情も含まれますが私の原動力となっているのは自分の考えです。自分の考えを証明したい、そんな自己承認欲求によって手足が動いているのです。だから私は殺人鬼の正体を突き止める。己の論意のため。
私が廃工場に着く頃には時刻は既に二十時を回っていました。すっかり暗くなった歩道は一人で歩くのに些かの不安を募らせます。駅から歩いて割とすぐの場所に位置する廃工場の周りには人影もなく、不気味な静けさが漂っていました。ここだけ別の空間、人の手の及ばない世界のようで神秘的な何かを秘めている気さえしました。
しかしその世界は突然崩壊を告げます。廃工場の中から何かが落ちた音、金属音でしょうか。カランカランと地面にぶつかり跳ね返り、転がる音が響きます。そして続けざまに女性の声がしました。既に先客がいたようです。もしかしたら例の殺人鬼かも。私はノコノコと門をくぐり、工場内部に足を踏み入れました。
時々鳴る音を頼りに歩を進めていきます。勿論電気は通ってないのでスマホの明かりを使いながら探索をすることに。あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながらも段々と音源へ近づいていくのが分かりました。
「……この扉の奥でしょうか」
私がたどり着いたのは扉に大きく『第三倉庫』と書かれた部屋。こんなところに人がいるのでしょうか。少し錆びた蝶番が軋む音を立てながら扉を開けました。中は名前の通り倉庫らしく、金属製の棚がたくさん置かれているので部屋の奥までは見えませんでした。私は無警戒に部屋に入り、声の主を確かめようとします。そして扉から五メートルほど歩いたところでようやく人の影が見えました。私は本能的に身を隠すと、今まで聞き取れなかった声、会話が耳に入ってきます。
「どうしてこんな事をしていたんだ」
「関係……ないでしょ。したかった、から、していた……だけ」
「この結末に満足しているのか」
「…………勿論、だよ。私の、私達の、目標は達成、したもんね」
「それが遺言か?」
「…………悲しいこと、言わないで、よ。家族、でしょ?」
「…………そうだな」
「あー、痛い、なぁ。ゴホッゴホッ!……だったら早く、終わらせてよ。今の私には、もう、価値なんて、ない」
「…………」
言い争い、ではないですね。むしろ両者とも落ち着いています。一人は怪我をしているのかヒュー、ヒュー、と苦しそうな呼吸が聞こえます。もう一人はハスキーボイスな女性。口調は男っぽいですが。
しかし片方の声には聞き覚えがありました。会話の途中にむせながらも、よく聞いたことのある声でした。もしかして……。いや、それでもこんなところにいるはずが。
しかし私の予想はすぐに結果として出てきました。彼女の口から。
「トドメ、刺してよ。……お姉ちゃん」
「……えっ」
私がその言葉に反応して身を乗り出すと同時に、何か硬いものが潰れたような、不快な音が響きました。そして嫌な予感は聴覚だけでなく、視覚としても私に訴えかけ、現実となりました。
そこにはバールを持って立ち尽くす背の高い女性、そして頭蓋が割られ、脳みそが辺りに飛び散った小泉アコさんの姿がありました。
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