和尚さんと待ち人来らず

 梅が一輪咲きました。音雨山おとうさん華麗宗かれいしゅう仁王寺におうじの覚詠和尚さんは、

「今年も白梅が一等賞」

 と言って笑いました。待ちに待った春です。白梅の開花に続いて紅梅も咲き出し、あとは主役を待つばかりです。しかし、梅たちが満開になっても、境内の真ん中に陣取る、桜の蕾は固く閉ざされたままです。

「今年は開花が遅いのかのう」

 和尚さんは少しがっかりしました。


 気候は暖かくなりました。それでも桜の蕾はほころびません。

「この木も古木じゃ。寿命が来たのかのう」

 和尚さんは嘆きました。でも、桜の咲かない春はありません。ついに今朝方、一輪の花が咲きました。和尚さんに笑みがこぼれます。

「咲いたか、今年も。見られるか、今年も桜を」

 和尚さんは感慨深げにつぶやきました。その時です。一人の女性がキャリーバッグを重そうに引いて境内にやって来ました。

「こんにちは」

 女性が和尚さんに挨拶をします。

「いらっしゃい。何の御用かの?」

 和尚さんは尋ねました。

「わたくし、桜・紅葉前線協会より派遣されました、よしのと申します」

「よしのさん? さくらではないのか」

「さくらさん? ああ、わたくしの前任の方ですね。あの方は急に辞められてしまいました」

「ええっ? 聞いていないぞ」

「わたくしも、突然のことで何も聞かされておりませんの。何せ、先週採用になったばかりですから」

「新人さんか?」

「中途採用ですの。その前は梅雨前線協会におりましたの」

「いろいろ協会があるの」

 和尚さんは不機嫌になりました。

「ところで、この地域ではこのお寺にご厄介になれると聞きましたが?」

 よしのさんが聞きました。

「いやいや、冗談ではない。ここは女人禁制じゃ。近くに旅館があるからそこに泊まってくれ」

 と和尚さんが行ったところに、かぐやが現れました。タイミング悪いです。

「まあ、綺麗なお嬢さんだこと。あれ、女人禁制?」

 よしのさんが疑い深げに言いました。

「ああ、これは、かぐやと言って宇宙人だ。宇宙人に男も女もない」

 和尚さんは慌てて取り繕いました。

「ご冗談を」

「そうじゃ、冗談じゃ。あれは我が姪じゃ」

 和尚さんは仕方なく嘘をつきました。方便というやつです。


 その日から、和尚さんはぼんやりと過ごすようになりました。好きな料理も和菓子作りもせず、菜園はほったらかしです。鹿たちに餌をやり忘れることもあります。子供たちの見守りも疎かになって、翔斗くんが怪我をしてしまいました。それ以来お寺で遊ぶのが学校で禁止になりました。和尚さんはますます寂しくなってしまいました。

 それを差し引いて余りあるのが、意外にも、よしのさんの働きでした。さくらさんからの引き継ぎノートに「仁王寺にいる間は炊事、洗濯、掃除をきっちりやること」と書いてあったそうです。そうそう、結局よしのさんはお寺の本堂に寝起きすることになっていました。和尚さんの方便は効かなかったようです。よしのさんは和尚さんより早く起きて、本堂、母屋、境内の掃除をして、朝餉の支度をします。初日に、ハムエッグを作るという大失敗をしたほかは精進料理をきちんと作りました。味も上々です。和尚さんはよしのさんの前では気丈に振る舞いました。一服の清涼剤のような存在がよしのさんでした。

 けれど、夜になり一人になると悲しみがこみ上げて来ます。長年の荒行に耐えた和尚さんでも、妻との別離は心にきました。自分に何も告げることなく、消えてしまった、さくらさん。今は一体どこで何をしているのでしょうか? もう二度と逢うことはできないのでしょうか? 和尚さんは眠ることができずに、裏山を走り回りました。心の辛さを体を痛めることで忘れようとしているのです。和尚さんは強い男です。それがこんなに苦しむということは、男女の仲とは難しいものなのでしょう。


 そんなある日、総本山二王寺の副座主、平林ひらりんがお忍びでお寺にやってきました。平林はいきなり、和尚さんに泣きつきました。

「和尚、総本山があんなに伏魔殿だとは思いませんでした。虎蘭風とらんぷうの元で改革に取り組んでいましたが、古狸どもが利権を争って思うように行きません」

「だろうな。わしがいた頃から、それは変わっておらん。それに坊主は長生きだ。新しい者で改革するなどと言ったら年寄りが寄ってたかって壊す。わしはそれが嫌で、総本山には戻らぬのだ」

 ここで平林は襟を正して言いました。

「虎蘭風座主が古老どもの雇った僧兵に軟禁されています。このままでは古老どもの言いなりになりかねません。座主を虎蘭風を助けなくてはなりません。どうぞお助けを」

 平林は深く頭を下げました。

「わしは体調が悪い。痴呆症かもしれぬ。役にはたたん。帰られよ」

「そ、そんな……」

「では、策を与える。あくまでヒントだ。まずは僧兵を集めよ。敵は何名くらいだ?」

「五千人かと」

「お山の半数ではないか。僧兵の大将は雷音じゃ。あの男ならやれる。それからな苦災寺の任天和尚を総大将に、満月和尚を副将にせよ。満月は元やくざだ。喧嘩慣れしている」

「はい。では早速に」

「ああ、待て待て。これを使え」

 和尚さんが取り出したのは筋斗雲タクシーのチケットでした。

「なんですか、これは?」

「天界のタクシーだ。素早く動ける」

「なんでそんなものを?」

「まあ色々、天界にツテがあってな」

「私、やっぱり覚詠和尚様が座主になった方がいいと思います。スケールが我々と違いすぎる」

「ふん、その話は無しだ。早う行け」

 和尚さんは平林の肩を押しました。


 平林を追い返したあと、座禅を組んでいた和尚さんですが、なんだか落ち着きません。

「そうじゃ、僧兵の一人として戦うぶんにはいいだろう。古老派は追い出さなきゃならないし、虎蘭風を救い出さなきゃいかん」

 そう思い立つと、筋斗雲タクシーを使って総本山に一直飛びする和尚さんでした。

 総本山に着くと、戦いはもう始まっていました。虎蘭風・平林側は三千。対して古老派は五千。数の上では不利です。だが虎蘭風・平林側には総本山最強の僧兵、雷音に、極道育ちの苦災寺の満月がいます。そこに今、和尚さんと狼、ゴリラ、大鷲が仲間に入りました。勝負はより気合の入った方が勝ちです。このところの鬱憤を晴らすように、和尚さんは暴れまくりました。雷音、満月も続き、三匹の獣も奮闘しています。古老派は虎蘭風を軟禁していた本堂を捨て、書庫に隠れました。

「燃やしますか?」

 雷音が物騒なことを言います。

「まあ、ここは兵糧攻めで行こう。腹が減れば降伏してくるだろう」

 和尚さんが言いました。

 古老派は三日粘りましたが、援軍が来るわけでもなく、降参して下山しました。

 戦勝に沸く、虎蘭風・平林連合。ただ一人和尚さんは虚しさが心に残り、また憂鬱になってしまいました。

「わしは帰る。虎蘭風、平林。お前たちは醜い権力争いなどするなよ」

 そういうと、筋斗雲タクシーでひとっ飛び、お寺に帰り着きました。境内の桜が満開です。その下で女性が一人踊っています。

「さくら」

 和尚さんは叫びましたが、踊っていたのはよしのさんでした。

「そうか、彼女には彼女の仕事がある」

 和尚さんはトボトボと母屋に入りました。

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