和尚さんと空梅雨

 音雨山おとうさん華麗宗かれいしゅう仁王寺におうじの覚詠和尚さんは空を見上げながら言いました。

「今年は空梅雨かのう。ちっとも雨が降らぬではないか。どうでもいいが梅雨の季節なのに六月を水無月というのはどうしてだろな。まあ、今年に限って言えば当たっているがの」

 そうなんです。今年の梅雨はちっとも雨が降らないのです。お洗濯に困らなくて和尚さんにとってはいいことなのですが、社会全体を考えてみると、植物の成長に雨は必要ですし、人間の飲用水だってこの時期に雨が降らないと、しっかり確保できません。やはり、梅雨には雨が降らないと色々なところに支障が出て来ます。

 和尚さんの住む地域には田畑が沢山あります。それだけ農業従事者が多いのです。農家の皆さんはこの少雨にとても困ってしまっています。この冬は雪も少なかったのです。雪かきなど面倒なこともありますが、雪解け水が、人間の暮らしに大切な役割をしています。それが少ないということも後々問題になって来ます。これも地球温暖化の仕業でしょうか? エルニーニョ現象やらラニーニャ現象の影響でしょうか? 難しいことは私にも和尚さんにも分かりませんが、気象がおかしくなってきていることだけは確かなようです。ね、和尚さん?

「そうじゃな。人間が地球を滅ぼそうとしていると言えるな」

 私と和尚さんの考えが一致しました。


 そうこうしているうちに、地域の水不足問題が本格化して来ました。農家の皆さんがJAの会議室で頭を抱えています。

「このままじゃ、米のとれ高が半減してしまうぞ」

「うちのレタスなんか全滅に近い」

「だからって補助金が出るわけでもない」

「困ったなあ」

「雨が降れば問題はすぐ解決するのに」

「いっそ、祈祷師でも呼んで、雨乞いをしてもらったらいいんじゃないか?」

「祈祷師なんているのかなあ?」

「インターネットで調べてみよう」

「どうだ?」

「…………」

「どうした?」

「祈祷師は雨を百パーセント、降らせるそうです」

「すごいじゃないか!」

「でも……」

「でもなんだ?」

「それが、百パーセント雨を降らせるのは、雨が降るまで何日でも祈り続けるからだそうです」

「なんだよ、インチキではないか」

 出席者はみんながっくりしてしまいました。

「所詮はそういうものだな」

「あのう、仁王寺の和尚さんに頼んでみてはどうですか?」

「あの、でっぷり太った坊主か? あてにならなそうだな」

「でも、あの和尚さんには不思議な力があると聞いたことがありますよ」

「ああ、スーパー太平の社長の奥さんの病気を治癒したとかいう」

「デマだろ。本人も否定したらしいぞ」

「あれは、後で面倒が起こらないように、わざと嘘をついたという噂もあります」

「そうなのか」

「どうせ当たるも八卦当たらぬも八卦ですよ」

「それは辻占いだろ」

「まあとにかく、駄目元で頼んでみませんか?」

「賛成」

「ダメだったら、寺を打ち壊してやればいいんだ」

「祝儀はいくらかかるんだ」

「さあ、タダでやってくれるんじゃないですか。成功したら、ちょっとお布施をあげればいいでしょう」

「じゃあ、頼んでみるか」

「そうしましょう」

 なんだかとんでもない話になってきました。


 翌日、お寺に農家の人たちがやってきました。和尚さんはちょうど、厨で水羊羹を作っていました。相変わらず、お菓子作りが楽しいようです。

「和尚さん」

 母屋の玄関から声が聞こえます。

「ちょっと待たれよ。寒天が固まってしまうでのう」

 和尚さんはのん気に答えました。

「こっちは急いでるんだ。早く出てこい」

 気の短い親父さんが怒鳴りました。これには和尚さんもカチンときて、

「こっちが頼んで、きてもらったわけじゃない。勝手に押しかけてきて、その言い草はなんじゃ! 帰れ、帰れ」

 と逆ギレしました。

「和尚さん、申し訳ございません。待ちますので、会って話を聞いてください」

 穏健派の人が言いました。

「うぬ、わしもムキになりすぎた。しばらく待てれよ」

 和尚さんは水羊羹の塊を冷蔵庫に入れて表に出ました。外には十数名の農家の人が待っていました。

「ほう、大人数でどうした?」

 和尚さんが尋ねます。

「和尚さん。我々この空梅雨で難儀している農家のものです。和尚さんの力で雨を降らせてください」

 農家の代表が言いました。

「そういうことは、専門の祈祷師か神社の神主に頼むのが筋ではないか。これはお門違いじゃ」

「できねえっていうのか!」

 さっきも怒鳴った短気な親父さんがまた怒鳴りました。

「うるさいのう。やっぱり帰れ!」

 和尚さんはヘソを曲げました。農家の人たちが短気な親父さんを蹴飛ばして外に追い出しました。

「和尚さん。本当に申し訳ございません。でも、我々はとても困っているのです。どうか、お力添えを」

 農家の代表が頭を下げました。

「そうか。お困りのようじゃのう。だがわしは雨を降らす魔力など持ち合わせておらぬが」

「和尚さん、謙遜しないでください。あなたが人の病を治す力をお持ちだと、皆知っております。それならば、雨を降らす力だってあるでしょう」

「うぬ……」

「お願いします」

「うぬ、仕方ないのう。できるかどうか分からぬが努力だけはしてみよう。それでよろしいか?」

「はい。ありがとうございます」

「では、支度があるので、皆は帰ってくれ。明日、雨が降るように勤めよう」

「明日、明日ですか?」

「そうじゃ、早い方がいいであろう?」

「ええ。でも本当ですか?」

「坊主は嘘はつかぬ」

「本当に、ありがとうございます。では失礼致します」

 農家の人たちは帰って行きました。ただ、短気な親父さんは、

「明日、雨が降らなかったら、寺を打ち壊してやる」

 と鼻息を荒くしていました。


 農家の人たちが帰ると子供達が境内に遊びにきました。和尚さんは子供たちに水羊羹を配りながら、

「明日は雨が降るから、傘を忘れぬようにな」

 と諭しました。それから、デザイナーズチェアを天日干しにしているかぐやに、

「明日は天日干しはやめておけ、雨が降るでのう」

 と言いました。できるかできないか分からないと言いながら、結構自信があるようですね、和尚さん。

 なのに和尚さん、この日は何にもしないでお風呂に入って寝てしまいました。大丈夫なんでしょうか。


 翌日になっても、和尚さんはいつも通りに、お勤めをして朝餉を食べて、境内の掃除をしています。天気はかんかん照りです。気の短い親父さんが早速、寺の打ち壊しにやって来ます。

「この生臭坊主。今日、雨を降らすなんて嘘つきやがって、この寺、ぶち壊してやる」

 すると和尚さんは、

「今日中に雨を降らせれば文句はないだろう。せっかちなやつめ、喝!」

 と一撃を食らわして、親父さんを気絶させました。そして、

「そろそろ行くか」

 と言って、筋斗雲タクシーを呼んで、どこかへ行きました。


 和尚さんが向かったのは天界の雷神のところです。和尚さんは雷神に雨を降らしてもらおうと考えていたのです。ナイスアイデア。ところが、

「おう、覚詠。久しいのう」

 雷神が弱々しい声で誘います。雷神は病気のようです。

「雷公、いかがなされた?」

「雷を撃つときにのう、アースをつけるのを忘れて漏電してしまったのじゃ。長期療養中よ」

「それで、今年は空梅雨なんですね」

「申し訳ないとおもっちょる」

「雷公、仏徒の私が神道のあなたに失礼かと思いますが病魔退散の祈祷をさせていただきますよ」

「ああ、この際派閥争いはよそう。神仏習合じゃ」

「では」

 そういうと和尚さんは真言を唱えました。

「おう、体に力がみなぎる」

 雷神はたちまち元気になりました。

「さすが、覚詠の仏力。もっと早く来てくれればよかったのに」

「それは、迂闊でございました。どうでしょう、元気になったついでにひと暴れなさったら」

「そうじゃの、地上の者にも迷惑をかけた。思いっきり雨を降らせよう」

 雷神は張り切って雲に乗りました。

「よしよし、これで農家の衆との約束も果たせそうだ」

 和尚さんは安心して寺に戻りました。


 寺の境内で気絶していた、短気な親父さんは雨に当たって目を覚ましました。

「ああ、雨だ!」

 そこに筋斗雲タクシーに乗った和尚さんが帰って来ました。短気な親父さんは和尚さんに抱きついて感謝しました。

「ありがとう、ありがとう」

 和尚さんは言いました。

「感謝するなら、雷神様に感謝するがいい」

「高木ブーか?」

「天罰が下るぞ」

 和尚さんはぼやきました。


 雷神は調子にのって十日間も雷雨をもたらしました。和尚さんは洗濯ができなくて、たいそう困ってしまったそうです。

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